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『選ばれない私と、手放せない君』  作者:


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22/22

幕間 金曜の儀式は、恋じゃなくても成立する




 玲央は、かなえが玄関に立った気配だけで分かるようになっていた。


 鍵の音の前。

 ドアノブに触れる、ほんのわずかな間。

 その“迷いのない間”だけで、今週も金曜が完了する。


(来た)


 嬉しい、と思う前に、玲央はそれを事務的に処理する。

 嬉しいと思ったら、恋になってしまう。

 恋になったら、かなえに拒否される気がする。


 だから、言葉はいつも通り。


「……おかえり、かなえさん」


 かなえは敬語で返す。

 その敬語を、玲央は勝手に“線”だと解釈して安心する。


(線がある。線があるなら、まだ大丈夫)


 恋じゃない。

 この関係は、恋じゃない。


 恋じゃないから、触れていい。

 恋じゃないから、帰ってきてもいい。

 恋じゃないから、責任が要らない。


 最低な理屈を、玲央は胸の奥で繰り返す。


 かなえは部屋に入った瞬間から、身体が勝手にほぐれるのを感じて、腹が立った。


(まただ)


 落ち着いてしまう。

 ここでしか戻れないみたいになる。


 それを“恋”だと認めたら、終わる。

 自分が壊れるか、玲央が壊れるか、どっちかだと思っている。


 だから、かなえも同じように言い訳を並べる。


(これは、習慣。週末の休息。安全地帯。たまたま相性がいいだけ)


 玲央がコートを受け取る。靴を揃える。

 毎週同じ速度。毎週同じ丁寧さ。


 かなえはその丁寧さに“特別”を感じそうになって、先回りして冷たく思考を切る。


(丁寧なのは、彼の性格。私だけじゃない)


 でもブランケットがソファに出ているのを見た瞬間、思考が一段落ちる。


(……金曜だけ)


 金曜だけ、これは出る。

 金曜だけ、あの紅茶。

 金曜だけ、あの声。


 かなえは自分の足が定位置に向かっているのに気づいて、遅れて頬が熱くなる。


(……やめて、身体。勝手に慣れないで)


 玲央はそれを見ても褒めない。

 可愛いとも言わない。

 当然のように、湯を沸かし、茶葉を落とし、カップを置く。


 褒めないのが、怖いくらい正しい。


 褒められたら、かなえは自覚してしまう。

 自覚したら、やめたくなる。

 やめたくなったら、玲央が壊れる。


 だから玲央は、褒めない。

 **“ここが普通”**だと扱う。


 かなえが紅茶を受け取る。両手で包む。

 温度を手のひらで確かめた瞬間、胸の奥が静まる。


 静まったことが、悔しい。


「……いつものですね」

「うん」


 その会話が、まるで業務連絡みたいで、かなえは少しだけ安心する。

 恋じゃない、って確認できるから。


 映画を流す。

 二人とも画面を見ない。


 玲央の手が、いつもの順番で来る。


 肩にブランケット。

 手首を包む。

 手の甲にキス。


 この“順番”が、かなえの身体に入ってしまっている。


 玲央が「手、冷たい」と言うより先に、かなえの手が差し出される。

 差し出して、はっとする。


(……私、何して)


 玲央は驚かない。

 当然のようにキスを落とす。


 短く。熱だけ。残らない程度。

 残らないことで、次が欲しくなる。


 かなえはその欲しさを、恋と呼びたくない。


 恋じゃない。

 これは、もっと単純で、もっと卑怯なもの。


 落ち着くから。

 安心できるから。

 ここでだけ眠れるから。


 かなえは玲央のシャツの裾を掴んだ。

 掴んだ指先が、自分でも震えているのが分かる。


「……顔、こっち」


 自分から言ってしまって、胸が跳ねる。

 恋じゃないなら、こんな言葉は出ないはずなのに。


 玲央がかなえの前に膝をつく。

 視線を上げる。

 その視線が、甘いのに冷たい。


 甘いのは欲望。

 冷たいのは理性。


「……いいですか」


 玲央が聞く。

 かなえは頷く。


 頬。

 こめかみ。

 目尻。


 次が首に行く前に、玲央は必ず止まる。

 止まって、かなえの呼吸を待つ。


 その待ち時間が、かなえを熱くする。


 かなえは恋じゃない言葉を探して、代わりに出す。


「……いつも通り、で」

「うん」


 “いつも通り”。

 それが契約みたいに響く。


 玲央のキスが首筋に落ちる。

 短い。熱い。残らない。

 それでもかなえの神経にだけ残って、背中がソファに沈む。


 沈んだ瞬間、かなえは自分で理解してしまう。


(もう、週末の夜が“習慣”じゃないと無理だ)


 無理、と思った瞬間に怖くなる。

 怖くなっても、離れない。


 かなえは息の合間に言った。


「……もっと、って言ったら?」

「だめじゃない」


 玲央の声が平坦すぎて、かなえの腹が熱くなる。

 褒めない。煽らない。

 ただ許す。許した事実だけを積む。


「どこまで」

「……いつもの、少し先」


 言ってしまう。

 言った自分が恥ずかしい。

 でも身体がそれを望んでいる。


 玲央は頷いて、首元にもう一つだけキスを落とす。

 短く、熱く。


 かなえは無意識に玲央の胸元へ額を寄せた。

 匂いを吸って、呼吸を整える。


 それが、落ち着くための行動になってしまっている。


 玲央の中で、黒いものが静かに笑う。


(……恋じゃない。依存だ)


 恋じゃない。

 恋じゃないから、逃げない。

 恋じゃないから、ここに帰ってくる。


 玲央はその理屈にしがみつきながら、平然と声だけ落とす。


「金曜は、ここ」


 かなえは反射で返してしまう。


「……うん」


 うん、が出た瞬間、かなえの胸が跳ねる。

 承諾。

 習慣の肯定。

 帰る場所の固定。


 玲央は褒めない。

 喜ばない。

 ただ、髪に短いキスを落として、いつもの終わりを置く。


「おやすみ、かなえさん」


 かなえは目を閉じたまま返す。


「……おやすみなさい、玲央」


 恋じゃない。

 二人とも、そう思っている。


 けれど金曜の夜だけは、恋より先に“帰る”が成立してしまう。

 名前のない関係のまま、依存のほうが完成していく。


 それが一番、救いで、一番、危ない。



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