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『選ばれない私と、手放せない君』  作者:


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第13話 週末は、俺のもの




玄関の鍵を回したのは、私だった。


「……少しだけですからね」


言ってから、もう遅いのに。

“少しだけ”って言葉は、扉を閉めるためじゃなくて、開けるためにある。


相沢さん――玲央は靴を揃えながら、素直に頷いた。


「うん。少しだけ」


返事が軽い。

軽いのに、目が近い。

近いというか、逃げ道を塞がない距離で、ちゃんと見てくる。


私はコートを脱いで、キッチンへ逃げた。

手を動かしていないと、心臓がうるさい。


「……コーヒーか紅茶、飲みます?」


声が、いつもより柔らかい。

自分の声に自分が驚く。


「紅茶」

玲央は即答した。

それから、言い直すみたいに小さく足す。

「……かなえさんが淹れてくれるやつ」


胃がきゅっと痛む。

そんな言い方、ずるい。


「普通のです」


「普通がいい」


私はティーポットにお湯を注いだ。

湯気が立つ。

香りが広がる。

部屋の空気が、私の週末から“二人の週末”に変わる。


カップを二つ並べたところで、背後に気配が寄った。


「……何してるんですか」


振り向くと、玲央がキッチンの入り口に立っていた。

近い。近いのに、触れてない。

触れてないことが、いちばん神経を尖らせる。


「見てるだけ」


「見ないでください」


「うん」


うん、って言うのに、目を逸らさない。

そのまま、少しだけ声を落とす。


「……週末、かなえさんのこと、見たい」


見たい。

触れたいより逃げ道がない。


私はカップを押しつけるみたいに渡した。


「飲んでください」


玲央は受け取って一口。

目尻がくしゃっとなる。


「……落ち着く」


またそれ。


「落ち着くって言えば許されると思ってません?」


「思ってる」

玲央は悪びれずに言って、すぐに少しだけ柔らかくする。

「……許してほしい」


許してほしい、の言い方が、お願いみたいで。

お願いに弱いのは、自分がいちばん知ってる。


私はわざと事務的に言った。


「今日は、帰ってくださいね」

「……例外を増やしたら、意味がなくなる」


玲央は頷いた。

素直に頷いて、でも続ける。


「意味、作る」

さらっと。

「例外を、かなえさんが安心できる形で“普通”にする」


普通。

その言葉で、私の逃げ道を塞がないでほしい。


「……どういう形ですか」


玲央は少しだけ考えて、答えを選ぶみたいに言った。


「週末は、俺が甘やかす日」

冗談みたいなトーンのまま、目だけ真面目。

「猫みたいに。……かなえさん、猫っぽいから」


胸の奥がもやっとする。


「……結局、猫なんですね」


「猫の代わりじゃない」

玲央は即答した。短く、強く。

それから、困ったみたいに笑って、でも笑いの奥が真剣になる。

「可愛がり方が、猫っぽいだけ」


可愛がる。

恋人じゃない言葉のくせに、恋人より近い。


「かなえさん」

玲央が一歩近づく。

触れない距離で止まって、低く言う。

「まず、許可ちょうだい」


「……何の」


「隣、座る許可」


それだけなら。

それだけなら大丈夫、って自分に言い聞かせてしまうのがもうだめだ。


私は小さく頷いた。


「……いいです」


玲央の目尻が、くしゃっとなる。

その笑顔に、胸がきゅっとなる。

弱い。ほんとに弱い。



午前中。


私は洗濯機を回して、掃除を始めた。

週末の作業を並べれば並べるほど、現実に戻れる気がしたから。


なのに玲央は、ついてくる。

というか、自然に“家の中の動線”に入り込んでくる。


「それ、俺やる」


「いいです」


「やる」

断言してから、お願いに変えるのが上手い。

「……手、貸して」


“お願い”じゃない。

“手、貸して”。

同じ拒否のはずなのに、言葉が違うだけで拒否しづらい。


「……順番あるので」


「順番、守る」


玲央は私のやり方を見て合わせる。

雑巾の絞り方まで、妙に丁寧で腹が立つ。


掃除が一段落したころ、玲央がソファに座って、ぽんぽんと隣を叩いた。


「休憩」


「休憩してる場合じゃないです」


玲央は笑わない。

代わりに、少しだけ眉を下げる。


「休憩しないと、かなえさんの胃が死ぬ」


見透かすな。

胃の痛さまで。


私はため息をついて、隣に座った。

座った瞬間、玲央が“ちょうど怖い距離”に寄る。


「……近いです」


「許可もらってる」


言い返せない。

さっき“いい”って言ったのは私だ。


玲央は私の髪を指先で整えるみたいに触れて、また言う。


「次」

静かに。

「触る許可」


触る。

その単語だけで胃が鳴る。


「……どこを」


玲央はわざと軽く言った。


「髪」


髪なら。

髪なら大丈夫。

そうやって、許可のハードルを低くしてくるのが、ずるい。


私は視線を逸らして、また小さく言った。


「……いいです」


玲央の目尻がくしゃっとなる。


「うん」

嬉しそうに。

「ありがとう」


ありがとうが刺さる。

ありがとうって言われると、こちらが“正しいことをした”みたいになる。

断れなくなる。


玲央の指先が、髪を梳く。

乱れた毛先を整えるだけなのに、触れられてるという事実が皮膚を熱くする。


「……落ち着く」


またそれ。


「その言葉、嫌いになりそうです」


私が吐き捨てると、玲央は少し困ったように笑った。


「じゃあ、別の言葉」

少しだけ考えて、真面目に言う。

「……嬉しい」


嬉しい。

そんな、素直な言葉。


胸がきゅっとなる。

それを言われると、私が悪者になれない。



昼。


買い物に出た。

並んで歩く。

カゴを持つのは玲央。

私が必要なものを放り込む。


いつもの動線に、玲央が当たり前みたいに入り込んでくる。


「これ、いつも買う?」


ヨーグルトを指差す。


「……普通です」


「じゃあ、普通に買う」


普通が、“二人の普通”に変わっていく。

変わっていくのに、止めない自分がいる。


帰宅して、昼食を作った。

玲央は勝手にエプロンを探して、勝手に着けて、勝手に手伝う。


「……仕切らないでください」


「仕切ってない」

口では否定して、でも自然に手を動かす。

「かなえさんの台所、落ち着く」


その万能ワード。


私は箸を置いて言った。


「……じゃあ、落ち着くのは週末だけにしてください」

言ってから慌てる。

自分で自分の首を絞めてる。


玲央は一瞬止まって、次の瞬間、目尻がくしゃっとなる。


「それ、約束?」

嬉しそうに。

「週末だけ、俺が落ち着いていい?」


……ずるい。

私の言葉を、全部“許可”に変える。


「……そういう意味じゃ」


「そういう意味にしたい」

玲央はさらっと言って、お願いじゃなく提案に変える。

「週末は、俺のこと以外考えない、って約束」

軽いのに、目が真剣。

「できる?」


胃が痛い。

そんな約束、重い。


「……無理です」


即答すると、玲央は怒らない。

怒らないで、別の道を作る。


「じゃあ、半分」

声が柔らかい。

「半分でいい。……俺の時間、土曜はちょうだい」


土曜は。

限定されると、逃げ道が残る。

残るはずなのに、土曜が“玲央のもの”になる音がする。


私は息を吐いた。


「……土曜だけです」


玲央の目尻がくしゃっとなる。


「うん。土曜だけ」

そのまま、もう一歩進めるみたいに言う。

「土曜は、俺のための時間」

「言って」


言わせる。

許可を引き出す。

私の口で、私の首輪を作らせるみたいに。


「……言い方」


「言い方は合わせる」

玲央は笑う。

「かなえさんが言える言い方でいい」

それから、ちょっと狡い。

「……でも、言ってほしい」


その笑顔に弱い。

目尻がくしゃっとなると、拒否が溶ける。


私は小さく、最小の言葉で言った。


「……土曜は、時間、作ります」


玲央が嬉しそうに息を吐く。


「うん」

静かに。

「それでいい」


それでいい、って言われると、こちらが救われる。

救われるから、また許してしまう。



午後。


映画を一本観た。

内容は半分も覚えていない。

隣の玲央の気配ばかり覚えてる。


エンドロールが流れているとき、玲央がぽつりと言った。


「次」

低い声。

「キスの許可」


胃が、ぎゅっと縮む。


「……何、言って」


玲央は笑わない。

代わりに、ちゃんと確認してくる。


「嫌ならしない」

一拍置いて、でも正直に。

「……したい」


したい。

恋じゃない顔で言うから、余計に逃げ道がない。


私は視線を逸らして、強がりで言った。


「……恋人じゃないのに」


玲央は頷いた。


「うん。恋人じゃない」

そこで言い切って、余計な言い訳をしない。

そのまま、少しだけ声を落とす。

「恋人じゃないけど、かなえさんの許可はほしい」


許可、許可、許可。

積み重ねて、常態にするつもりだ。


私は息を吐いた。


「……一回だけ」


玲央の目尻がくしゃっとなる。


「うん。一回だけ」


一回だけ。

その言葉の罠を分かってるのに、言ってしまう。


キスは、急じゃなかった。

急かさないのに、逃がさない。

触れ方が丁寧で、丁寧だからこそ怖い。


離れたとき、玲央が囁く。


「次」

また。

「跡、残していい許可」


胃が痛い。

跡、って。

それはもう、“次”を前提にする行為だ。


「……どこに」


玲央は目を細めて、悪びれない。


「見えないところ」

声が甘い。

「かなえさんが困らないところ」


困らないところ。

困らない“ようにする”って言い方が、余計に困る。


「……困ります」


「困らせたい」

玲央が素直に言う。

でもすぐに、ちゃんと縛る。

「かなえさんが“いい”って言ったぶんだけ」

「嫌なら、やめる」


嫌と言えば終わる。

終わらせたくない自分がいるのが怖い。


私は喉が詰まったまま、小さく言ってしまった。


「……一つだけ」


玲央の目尻がくしゃっとなる。

嬉しそうに。


「うん。ひとつ」

静かに。

「……ありがとう」


ありがとう、が刺さる。

許可を出した私が、もう半分、負けている。



夜。


紅茶の香りが、また部屋に広がる。

玲央が買ってきたティーバッグ。

歯ブラシ。

小さな“仕込み”が、生活の中に刺さっていく。


ソファに並んで座る。

玲央は抱きしめない。

でも、肩が触れる距離にいて、逃げ道を作らない。


「かなえさん」

玲央が低く言う。

「約束、もう一個」


「……まだあるんですか」


「ある」

即答。

それから、少しだけ柔らかくする。

「土曜は俺の時間、って言ったでしょ」

「土曜の間は、俺のこと以外、考えない」

「できる?」


できるわけがない。

仕事の通知も来る。

来たら、反射で見てしまう。


私は正直に言った。


「……無理です」


玲央は怒らない。

代わりに、狡い笑い方をする。

目尻が、くしゃっとなる。


「じゃあ、破ったら“お仕置き”」

さらっと言って、さらっと確認する。

「……お仕置き、していい許可」


胃が、痛いのに、甘い。


「……何するんですか」


玲央はわざと軽く言った。


「跡、増やす」

そして、ちゃんと釘を刺す。

「見えないところだけ」

「かなえさんが困らない範囲だけ」

「……でも、俺は嬉しい」


嬉しい。

その言葉が、ずるい。

私が拒否したら、玲央の嬉しいを奪うみたいになる。


「……それ、脅しですか」


「脅しじゃない」

玲央は首を傾げる。

「約束を守るための遊び」

少しだけ声を落とす。

「……俺、かなえさんと遊びたい」


遊びたい。

恋じゃない顔で言うのに、恋より甘い。


私は目を閉じて、息を吐いた。


「……土曜だけですからね」


玲央が頷く。


「うん。土曜だけ」

それから、また許可を取りにくる。

「じゃあ、土曜の間は、通知見ない許可」

「スマホ、預かっていい?」


「……無理です」


即答すると、玲央は笑う。

目尻がくしゃっとなる。

そして、別の案に変える。


「じゃあ、見る前に俺に言う」

「今、別のこと考えそう、って」

軽く言って、でも目が真剣。

「言ってくれる?」


……言えるわけがない。

恥ずかしい。

でも、言えないと“お仕置き”が待ってる。


私の胃が痛むのを見て、玲央は声を柔らかくした。


「言えなくてもいい」

「言えなかったら、罰じゃなくて、印」

目尻をくしゃっとさせて笑う。

「……次の土曜まで、俺が思い出せるやつ」


その笑顔に、また負ける。


「……分かりました」


玲央が嬉しそうに息を吐く。


「うん」

静かに。

「かなえさん、可愛い」


可愛い、って言葉が刺さる。

褒められるのが苦手なのに、玲央に言われると拒否しきれない。


「……やめてください」


「やめない」

玲央はあっさり言う。

それから、お願いに変える。

「……やめてって言わないで」


その言い方が、ずるい。


私は声を絞った。


「……土曜だけです」


玲央の目尻がくしゃっとなる。

嬉しそうに。


「うん。土曜だけ」

そして、決定打みたいに囁く。

「土曜は、かなえさんを可愛がる日」

「言って」


また言わせる。


私の喉が詰まる。

でも、言ってしまう。


「……土曜は、可愛がられても……いいです」


玲央の目尻がくしゃっとなる。

その笑顔が、まるでご褒美みたいで。


「うん」

嬉しそうに。

「……約束」


その夜は、また見えないところに“印”が増えた。

露骨にしない。

見えるところにしない。

でも、私が忘れられない場所に、丁寧に増やしていく。


私は「だめ」と言う。

言うのに、止めない。

止めない自分が怖いのに、玲央の笑顔が嬉しくて、絆されてしまう。


――これが、布石だと分かってる。


例外は、もう例外じゃない。

許可は、もう一回限りじゃない。

土曜は、私の週末じゃなくて、玲央の週末になる。



日曜の朝。


玲央は相変わらず機嫌が良かった。

「ごめん」と言うのに、目尻がくしゃっとなる。

抱きしめるでもなく、でも肩に額を擦りつけてくる。


「……猫ですか」


「かなえさんが猫」

玲央は平然と言う。

「俺、今、かなえさんに懐いてる」


懐いてる。

恋じゃない言い方で、囲い込むのが怖い。


私は天井を見た。


「……帰ってください」


玲央は頷いた。


「うん。帰る」

素直に言い切って、でも最後に仕込む。

「忘れないで。来週の土曜は俺の時間」


目尻をくしゃっとさせて笑いながら。


「お願い。土曜、俺のもの」


その笑顔に、また負けそうになる。

負けたら、常態になる。


私は息を吐いて、最低限だけ言った。


「……考えます」


玲央は満足そうに頷いた。


「うん。考えて」

嬉しそうに。

「考える時間も、俺の土曜の前借り」


そう言って、玲央は玄関へ向かった。

ちゃんと帰る。

でも、帰り方がずるい。


ドアが閉まる。


一人になった部屋に、紅茶の香りと、

洗面台に置かれた新しい歯ブラシと、

見えないところの“印”だけが残っている。


週末は――

もう、私だけのものじゃない。

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