運命を操るという事
魔法使いが倒れ、生死を彷徨っている。
香霖堂は封鎖され、店主の姿も見かけない。店の中には曰く付きの品があり、近寄ると祟られる――そんな噂まで流れ始めていた。
弾幕で解決できない事件となれば、里の人々は憶測と不安を混ぜて語り出す。
情報源も知っている範囲もそれぞれだが、魔理沙の容体と香霖堂の異変は、少女たちの耳にも届く話題になっていた。
*
霧の湖の畔に、夜中の鐘が鳴り響く。
悪魔の棲む紅魔館の時計台は、人が眠る時間に鳴っているのだ。
メイド長の十六夜咲夜は、銀色の盆に紅茶を載せて、主の部屋の扉をノックした。返事を待って中に入る。
レミリアの部屋は天井が高く、硝子のシャンデリアが吊られていて豪奢だが、窓がなくて薄暗い。人間としては気が咎める環境だが、吸血鬼にとってはこれが心地よいのだという。月明かりを浴びたければ、庭を散歩すればよい、と主は言っている。
「紅茶をお持ちしました」
静かな所作でティーカップを差し出し、テーブルに置いた。
レミリアはカップに口をつけると、香霖堂の祟りについて話をした。
「よく判らない話よね。店が閉まってるだけならともかく、魔法使いが祟りで死にかけるなんて」
「私も“曰く付きの品”は見ていませんが、買い物のついでに店の前に行ってきました。確かに板が打たれていたし、人払いの札が貼ってありました」
変なところに一人で行くもんじゃないわ、とレミリアは苦言を言った。
「いえ。店の前で霊夢に会いましたから、多分祟られることはないでしょう。そのとき聞いた話ですが──」
咲夜は声を潜めて続けた。
魔理沙が倒れているのは本当らしい、と。変な棒の近くで寝た結果、肌が焼けただれて動けなくなっている。永遠亭で治療を受けているが、少しの傷からも血が止まらず、治療に使う血液が足りていない。お祓いを生業にする霊夢も、手出しができずに憔悴しているらしい。
「また趣味の悪い祟りよね」
レミリアはカップを持った手に視線を落としてから、顔を上げた。
「B型の血なら、うちに沢山あるじゃない。あれを使ったらどうかしら」
紅魔館の主は、顔を合わせた相手の血液型を見抜くことができる。B型の血液にこだわりがあり「魔理沙は生きが良くて美味しそうだ」と話していたことがある。偏食で気まぐれな主のために、B型の血の在庫を切らさないのは咲夜の役目だった。
「使えるかどうか、永遠亭に訊いてみますが。お嬢様の飲む分がなくなるのでは」
「しばらく飲まなくても死にはしないわ。泥棒もたまには来てくれないと、門番が怠けて困るのよ」
レミリアはそう答えて、手筈を整えなさいと言った。
咲夜は一礼して、厨房に引き返した。
食材とは別に、血液の貯蔵庫がある。取っ手を引いて開けると、透明な袋に入った赤い液体が並び、冷気が漂っていた。
それぞれの袋に、採った日時のラベルが付いている。庫内は常に2~6度に保ち、採って21日以内に飲んでもらうこと。主の食事管理として、完璧な状態を保っていた。
それにしても、と従者は思う。
──人を襲うはずの吸血鬼が、人間にストックの血を差し出すとは。
そのとき、咲夜の背後、外に面したドアが叩かれた。
時を止めて懐からナイフを取り出し、指に挟んでから、ドアを開けて時間停止を解く。外には青髪の河童と鴉天狗が立っていた。
ナイフを構えて突然現れた咲夜に、河城にとりは目を見開いたが、すぐに愛想の良い声を張り上げた。一歩後ろには射命丸文が控えている。
「血液袋を預かりに来ましたー!」
「……まだ呼んでないのに」
訝しむ咲夜に、にとりはにやりと笑った。
「呼ばれてから動くのは三流ですよ。呼ばれる前に出向くのが、一流企業の証です!」
「そうですそうです。天狗の輸送網は幻想郷一帯をカバーして──」
「で、こちらが最新型の保冷バッグ。火に放り込んでも中は冷たいまま! 今回は尻子玉エクスプレス夜間便で──」
二人は好き勝手に喋り、どちらも早口なので煩わしい。
「尻子玉なんて頼んでいませんわ」
「うちの目玉は尻子玉なんで。尻子玉を運ぶ技術があれば、血液の保冷なんて余裕ですよ!」
にとりは慣れた手つきで血液袋をバッグに詰め、文の腰にカラビナで固定した。
「深夜料金と速達代、それから冷蔵管理費についてですが──後日まとめて永遠亭に請求しますので、ご心配なく!」
それだけ言い終えると、河童は走り去って暗闇に消えた。鴉天狗は高度を上げ、写真機を構える。立ち尽くす咲夜を上空から一枚撮ると、竹林の方角へと飛び去った。
*
夜更けの永遠亭。
鴉天狗は大ぶりの石の上に着地して、屋敷の外観を何枚か撮った。使い兎が目をこすりながら現れて、庭石に上らないでください、と苦言を言った。
「そんな転びそうな場所に上らなくても」
「心配ご無用」
高下駄で片足立ちをしていた文は、ひょいと地面に降りた。文句を言いたげな兎に、腰のバッグを示して用件を告げる。
「紅魔館からのお届け物です」
使い兎は首をかしげて、師匠に訊いてきます、と屋敷に引っ込んだ。
兎と入れ替わって、八意永琳が現れた。立ち姿は毅然としているが、やはり忙しいようで、結んだ銀髪の毛先がほつれている。
B型の血液の寄贈があったと伝えると、永琳は意外な様子で「あら」と呟き、バッグの中身を検分した。
袋を引き渡したところで、写真機を構えて見せた。
「さて。配達が済みましたし、本業に移りましょう」
屋敷に足を進めようとすると、永琳が鋭い視線を向けた。
「何の用かしら」
「私の本業は新聞記者ですからね。里の皆さんに、事件の全容を伝える使命があります。まずは霧雨魔理沙さんの現状を一面に──」
永琳は片手を広げて、行く手を遮った。
「下がりなさい」
「そうはいきません。線源の危険性を里の皆さんに伝えなければ」
「伝えるわよ。貴方が撮らなくても」
永琳は反対の手で懐を探り、数枚の紙を取り出した。
「今回の事件の経緯と、放射線とは何か、線源の性質をまとめた物よ。新聞にそのまま載せてちょうだい」
文は渋い顔で紙束をめくって、写真機を掲げた。
「こういう小難しい長文は、里の人は読みませんよ? 写真があれば、伝わり方が全然違うんですって。だから魔理沙さんの写真を──」
写真機を持つ手の甲に、薬師の手がそっと重なった。
「これは貴方の仕事道具よね。腕ごと潰されたら困るでしょう」
短い沈黙。
記者はため息をついて、写真機を下ろした。
「……はあ。薬師に恫喝されたって書きますよ」
「少々寝不足で気が立っていたの。今後も配達で世話になるかもしれないし、礼儀正しい付き合いをしましょう」
永琳は「気をつけて」と言って、鴉天狗が飛び立つのを見届けた。
空のバッグを提げ、原稿を懐に入れて夜空を駆ける。地上から弓を射るかのように、薬師の視線を感じるのだ。振り返って写真を撮るのは諦めて、視線を振り切って山のほうへ向かう。
清く正しい射命丸。
診療所で弾幕を撃たないぐらいの良識がある、と記者は自らを評価した。




