香霖堂を封ずる事
八意永琳は、助手のうどんげと一緒に里を歩いていた。
向かう先は、魔法の森の入り口、香霖堂。
うどんげが里で薬売りをしているとき、博麗の巫女に声をかけられた。魔理沙が寝込んでいるから診てほしい、という。
──あいつのことだから、変な茸でも触ったか、夜更かしして体を壊したんでしょうけど。三日も寝転がるのは珍しいから、ちょっと診て貰おうと思ったの。
うどんげはその場で承諾し、永琳に言付けたのだが。
正直なところ、永琳は気が進まなかった。
本来の役目は、薬を調合して兎に売りに行かせ、訪ねてきた患者を診ることだった。里の民には里の領分があり、月の薬師が軽々しく出向くのは具合が悪い。こちらから訪ねるのは、里で治せない奇病や、流行り病のときに留めようと考えていた。
とはいえ、既に引き受けてしまったし、屋敷で急ぎの用もない。永琳は姫に外出を告げると、うどんげに薬箱を持たせて、里を抜けて往診に向かった。
昼頃だったから、道中の蕎麦屋や飯屋から出汁の香が漂っていた。うどんげは行きつけの茶屋の前を通りかかると、師匠のほうを上目遣いで見た。
「ここの草だんご、美味しいんですよ。帰り際にどうですか」
「そうね。持ち帰りにするわ」
「お師匠様、ありがとうございます」
兎は嬉しげにひょいと跳ね、永琳の傍らを歩いていった。因幡兎ほど跳ね回ることはないが、たまに跳ねるのがうどんげの習性である。
*
森の入り口に、奇妙な建物があった。
玄関脇に「香霖堂」の木札。外から流れついた自転車、道路標識、偉人の胸像などがごちゃごちゃと積まれている。
扉は半分開いていて、鈴が引っ掛けてあった。うどんげが扉に手をかけると、鈴の音を聞いた店主が顔を出す。書生服を着た色白の青年だった。
「ご足労いただき、ありがとうございます。魔理沙は奥で寝ています」
店主に案内されて、永琳とうどんげは店内に足を進めた。古びた紙と木の匂いが漂い、傍らの本棚から紙束が溢れていた。一声かけて衝立をくぐり、魔理沙の寝台に近寄った。
顔色が悪い。胸まで布団が掛けてあったが、寝台から片腕を垂らしていた。手の甲から腕にかけて赤くかぶれている。
「診察に来たわ」
永琳の言葉に、魔理沙は目を開けた。
「ん。……うげっ、何でお前が」
その反応は何ですか、とうどんげは呆れた顔をした。
「巫女に頼まれたの」
永琳は魔理沙と話して反応を確かめ、首筋から脈を採った。かぶれた手首に触れ、手を握って上下に振ると、痛がって身を固くした。布団から出していたのは、布地が触れるのを避けてのことらしい。
「発熱と吐き気と目眩。腕のほうも、植物性の皮膚炎にしては重いわね。熱湯とか薬を触ったりは?」
「してないぜ」
魔理沙の手を寝台に戻して、傍らの戸棚に目をやり。
永琳は言葉を失った。
上から三番目の棚、敷き布の上に、銀白色の延べ棒がある。表面には英数字が彫られ、三つ葉の刻印があった。
同心円状の三つ葉。放射能標識。
何故こんなものがあるのか。何故こんな場所で寝ているのか。よりによって線源の真横で寝るなんて。
「あの棒は」
「五日前に無縁塚で拾った物です。物の中身が透けて見える、とか」
「この子はいつから居るの?」
「三日前から」
霖之助は指を折ってそう答えた。
永琳は答えを待たず、魔理沙に「外に行く」と告げ、背中に手を回して抱え起こした。
「師匠?」
ただ事ではない様子に、うどんげは戸惑いながら、寝台の反対側に回ろうとした。永琳は片手で制し、外に出るように手で示した。
「急患よ。先に帰って準備を整えなさい。ここにはもう入らないで」
「あの、何が」
「話は後。寝台を空けて、点滴の用意を頼むわ」
「……はい」
兎はこちらを振り返りつつ、踵を返して走り去った。
*
助手を帰らせた後、永琳は魔理沙を抱え、店主を外に叩き出した。
「今は説明する時間がないわ。店には誰も入れないで。貴方も入らないこと。後で迎えを遣らせるから、ここで待っていなさい」
それだけ命じて、店主を店から離れた木陰に座らせると、永遠亭へ急いだ。
道すがら、魔理沙は永琳の耳元で何事かを呟いた。箒が無い、帽子を忘れた、炉はどこだ、とぐずぐず言っている。後にしなさいと答えて、足早に竹林に入る。
屋敷の庭では、妹紅と輝夜が相対していた。何を争っているのか知らないが、昼間から弾幕を撃ち合うのは早すぎる。命名決闘は夜のほうが映えるのに、と無関係なことが頭に浮かぶ。
庭を突っ切る永琳に気がついて、二人は争いを止めた。喧嘩ができるのは平和の証なのだ。
「永琳? ……どうしたの?」
「魔理沙、だよな」
何事かと首をかしげる蓬莱人をよそに、永琳は兎と合流し、魔理沙を室内に運んだ。
*
永琳が出ていった後。香霖堂の店主は、納得いかない様子で木陰に座っていた。
竹林の薬師が魔理沙を運び出し、理由も告げないまま、誰も店に入れるなと言い残して去ってしまった。直前の話からすると、あの延べ棒と関係があるのかもしれない。
店に入らず外で待たされるのもよく判らない。自分はついさっきまで本を読んだり、魔理沙に粥を炊いて口元に運んだりしていた。一口二口で「もういい」と言われたので、普段とは違って心配していたのだ。
後で迎えを遣わせる、という話だった。ここから永遠亭までは距離があるから、迎えが来るには時間がかかる。自分も永遠亭に呼ばれるのなら、荷物をまとめたほうが良いだろう。
霖之助は立ち上がって、周りに人の気配がないのを確かめると、店の玄関をくぐった。兎が走り去ったためか、資料の束が崩れていて、騒ぎの残響が残っている気がした。
魔理沙が使っていた寝台の傍らで、帽子とミニ八卦炉を回収し、枕についた金色の毛を払った。延べ棒はそのままにして、壁際の竹箒を抱えて木陰に戻る。
八卦炉を指先で弄りながら、先と同じように腰をおろした。
*
夕方になって、薬師の遣わせた兎たちが訪ねてきた。
「えっと。店に誰も入ってないですよね」
「ああ。……荷物を取ったらすぐ出たよ。他に誰も来ていない」
歯切れの悪い返答になった。
兎たちは霖之助を一瞥すると、麻袋から槌や縄を取り出し、店の扉に板を打ち付けた。看板の上から、人払いの護符を貼り付ける。霖之助は思わず「何をする」と苦情を言った。
「永琳さまの命令なので」
「危ないものがあるって聞いてきました」
「封鎖が終わったら屋敷に連れてきて、で合ってるよね?」
「合ってる。そっちにも釘、お願い」
抗議もできずに作業を眺めながら、八卦炉を懐に忍ばせた。
扉を封じてしまうと、兎の一匹が魔理沙の帽子と箒を預かって歩き出した。余った縄で手首を縛られ、前後を兎に挟まれて、霖之助は歩き出す。
逃げる気はないし、病人を見舞いに行くのに縛られるのも変な話だが──不平を言ってみても通じなかった。何がどう危ないのか、この兎も知らない様子である。
竹林の屋敷に着いたときには、既に夜になっていた。手首の縄がなければもう少し早く歩けただろう。




