32.白の王国
――昼の長さが狂っていた。
太陽が沈まない。
王都の空は白い。
どの鐘も夜を告げない。
教会の尖塔を中心に、王都全体が“神域”と化していた。
それは紅の夜とは真逆の災厄――
人の心を熱ではなく“祈り”で溶かす光。
「……夜が、死んでいるな。」
屋上から見下ろす街は、一枚の絵画のようだった。
人々は白衣を纏い、祈りながら歩く。
表情は穏やかで、同じ言葉を繰り返している。
――“光に、神を。闇に、器を。”
セリアの声が、王都中に響いていた。
教会の上空、巨大な光の輪が浮かんでいる。
その中心に、彼女は立っていた。
白衣の裾を風に揺らし、瞳は完全に“虚神”と繋がっている。
「主、あれはもう人ではありません。」
リヴィアの声。
「ですが……剣を向ける相手ではない気もします。」
「剣を向けるのではない。整えるだけだ。」
「いや、その言い方やめろって!」
ミーナが通信越しに叫ぶ。
「ルシエル様、地下水路から地脈が暴走してます! 光が下層にも広がって――!」
「ふむ、地上と地下。光が両面支配を始めたか。」
「いや分析してる場合か!!」
俺は屋上の手すりに足を掛け、白光の海を見下ろした。
どこまでも眩しい。
だが、“眩しすぎる”というのは欠陥だ。
光が強すぎれば、影の輪郭がはっきり見える。
「ネロ、ミーナ、リヴィア。分散行動だ。」
「おう、どうすんだ?」
「教会の神域を三層に分ける。地上・中層・上層。」
「……また勝手に命名してる。」
「俺が名前を付けたものは概念になる。」
「神かよ。」
「俺は神のような幼稚なものではない、”悪”だ。」
俺は真剣に答えているのにネロにため息をつかれる。
「リヴィアは地上の祈りの制圧。ミーナは地脈封鎖。
ネロは――俺が落ちた時の実況担当だ。」
「縁起でもねぇ仕事だな!」
「悪には余裕が必要だ。」
俺はマントを翻して飛び降りた。
白の風を切る。
下方に向かうほど、光が濃くなる。
まるで世界そのものが“浄化されている”ようだ。
だが浄化とは、別の形の破壊に過ぎない。
教会の正面広場に着地する。
石畳が白に変色し、祈りの声が響く。
信徒たちがこちらを振り向いた。
その目は焦点がない。
人間ではなく、“信仰の殻”だ。
「退け。お前たちに敵意はない。」
そう言うと、彼らは同時に膝をついた。
祈りの言葉を口にしながら、俺に向かって手を伸ばす。
「代行者……どうか、光に加わってください……」
「悪を誘うとは、随分と神聖な趣味だな。」
俺は剣を抜かずに進む。
彼らの手が光の粒に変わり、空へと溶けていく。
光に飲まれながらも、笑っていた。
救われるとは、恐ろしいことだ。
――そして、教会の扉が開いた。
白い風が吹き抜ける。
その中から、セリアが現れた。
「ルシエル様……」
声は、もう人のものではなかった。
響きが、空そのものと共鳴している。
「見てください……神は、世界を清めようとしています。」
「清めるとは、選別することだ。」
「そうです。闇を拒み、光だけを残す。
それこそが――真の秩序。」
「……秩序、ね。」
俺は一歩、前へ出た。
「世界を一色に染めることは、整頓ではない。
ただの“排他”だ。」
「それでも、美しいと思いませんか?」
「正義があるから悪が輝く、どちらか一方しかなければそれは無意味なものとなる。」
セリアの足元から、白い花が咲き始めた。
床を覆い、天井へと伸び、光の柱になる。
その中心で、彼女が祈る。
――“光に、神を。闇に、器を。”
光が膨張する。
王都全体を包み込み、空の色を奪っていく。
「主、上層の光が暴走状態です!」
「地脈封鎖完了……でも、光が逆流してる!」
「俺たちの出番もうねぇだろこれ!」
「落ち着け。悪はいつだって間に合う。」
俺は剣を構えた。
刃に闇を纏わせる。
光を裂くためではない。整えるためだ。
セリアの瞳に映る俺の影が、ゆっくりと形を変える。
まるで、彼女の中の“神”が興味を持ったかのように。
「虚神よ。」
名を呼ぶ。
「お前の光は、人を導かない。
ただ照らしすぎて、何も見えなくしている。」
瞬間、聖堂全体が白く弾けた。
音が消える。時間が歪む。
目の前に――“形のない顔”が現れた。
無限の白の中で、口だけが動く。
――闇に、器を。
俺の全身に、光の圧が襲いかかる。
皮膚の下で魔力が震える。
光が俺の中に“意味”を流し込もうとする。
「この俺が支配されるか……悪として、笑える展開だな。」
剣を突き立てる。
闇が逆流し、光を押し返す。
世界が、白と黒に二分される。
「主!!」
リヴィアの声が遠くで響いた。
だが、届かない。
視界の全てが、白い。
――次の瞬間、音が戻る。
俺の周囲に、花も光も消えていた。
ただ、静寂。
そして、崩れ落ちたセリアだけが残っていた。
息をしている。
だが、その瞳の奥にはまだ“白の紋”が残っていた。
「正義以外に悪が破れることはない、……これで整った、か。」
そう呟くと、ネロがため息をついた。
「いや、整ってねぇよ。世界まだ白いままだぞ。」
「なら、次の仕事が決まったな。」
「お前、仕事増やす天才かよ……。」
空は、白と黒の境界を曖昧にしたまま。
光が静かに呼吸し、闇が応える。
――均衡はまだ、揺れている。




