30.虚神の残響
――翌朝。
白光が消えたはずの聖堂は、まだ“息”をしていた。
焦げた壁、割れた床、そして残る微かな熱。
紅の夜とは違う。これは、もっと静かな――“清浄の異常”だ。
光が多すぎる世界は、それ自体が毒になる。
瓦版が朝の風に踊っていた。
見出しには、誤解された真実が美しく並んでいる。
『神の奇跡、再び。聖女セリア、光の試練を制す』
『代行者ルシエル、闇を整え、光を導く』
……後半の文は、我ながらうまいコピーだと思う。
事実の半分くらいは合っている。
聖堂の外では、リヴィアが修道女たちの清掃を手伝っていた。
無音で動き、淡々と瓦礫を片づける姿はもはや芸術だ。
誰も彼女が“暗殺者”だとは思うまい。
「リヴィアさん、あの瓦礫もお願いします!」
「了解。任務、再開する。」
「任務って言わなくてもいいです!」
平和という名の皮肉。
戦場帰りの刃にモップを持たせるのは、神の悪戯に近い。
俺は瓦礫の奥にある焦げ跡へ歩いた。
地脈の痕跡がまだ残っている。
紅ではなく、白――だが熱の向きは同じ。
“何か”がここで目を覚ましかけた。
「ルシエル様。」
振り向くと、セリアが立っていた。
薄い金の刺繍が施されたローブ、そしてその瞳に――白い紋。
「昨日は、私を救ってくださり……感謝いたします。」
声は穏やか。だが、少しだけ“二重”に響く。
「礼はいい。質問に答えろ。」
「はい。」
「昨日の出来事を、どう記憶している?」
「神が私に“試練”を与え、そして光で導かれたと。」
「……試練、か。便利な言葉だな。」
セリアは目を伏せ、静かに続けた。
「ですが、その時に……また声を聞きました。」
「声?」
「“光に、神を。闇に、器を。”――そう、告げられました。」
――やはりか。
あの“虚なる神”はまだ沈黙していない。
「その声を、恐れはしなかったのか。」
「いいえ。不思議と、温かく感じました。」
「……それが一番危険だ。」
光は人の恐怖を奪う。
恐怖を失った者は、何も疑わなくなる。
それが“支配”の最も完成された形だ。
恐怖を感じない者は悪に支配されることはない。
俺は床に片膝をつき、残滓を読む。
灰色の魔力が、石の隙間から滲んでいた。
紅と白の中間――“二重干渉”。
ネロが屋根の梁から顔を出した。
「……何かわかったのか?」
「光が光を支配している。」
「いや説明になってねぇよ。」
「わかればいい。」
「わかんねぇよ!!」
いつも通りの会話が戻る。
この程度の騒がしさが、均衡にはちょうどいい。
だが空気の奥では、確実に何かが歪んでいる。
聖堂の天井から射す光が、一瞬、白すぎるほどに強く瞬いた。
「主……」
リヴィアが低く呼びかける。
「この“虚神”、本当に神なのですか?」
「違う。」
俺は剣の柄に触れる。
「人が神を作り、神が人を支配しようとする時――そこに“虚”が生まれる。
それがこの存在だ。」
そんなこと俺が知る由もないが、真の悪たるものは全てを知らなければならないので想像で話をする。
セリアの瞳の白紋が、淡く点滅した。
まるでその言葉に反応するかのように。
「紅の夜は、闇の暴走だった。
ならば次は、光の暴走――世界は均衡を求めている。」
俺は立ち上がり、背を向けた。
瓦礫の影に差し込む光が、妙に眩しかった。
「……光が騒ぐなら、闇が整える番だ。」
「いやお前の“整える”ってだいたい物騒だからな?」
ミーナが帳簿を抱えて駆けてくる。
「ルシエル様、被害報告まとめました! 分類はどうしますか?」
「“光害処理”で。」
「そんな項目ありました!?」
少しだけ笑いが戻った。
だがその瞬間、地の底で“囁き”が再び響いた気がした。
――光に、神を。闇に、器を。
……ふむ。
支配のバランスが、ほんの少し傾いたようだ。
さて、整える仕事がまた増えたな。




