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22.紅の鎖、揺らぐ

 ――夕暮れ。学園の屋上から見下ろす王都は、どこか落ち着きがなかった。

 露店の灯りは早くとも、道の端では囁き声が揺れる。噂は光より速い。今、王都を駆ける光は――誤報だ。


「“黒翼の円卓が裏社会の一掃に乗り出した”……だと?」

 手にした瓦版を丸め、俺はため息を落とす。

「フッ、支配は静かに進めるものだ。宣言する趣味はない。」


「でもよ、ここ数日の“掃除ペース”だけ見たら、そう思われても仕方ねぇぞ。」

「否定はしない。」

「そこは否定しろよ。」


 背後の気配が、一拍遅れて揺れた。

 リヴィアが、いつもより微かに肩を強張らせている。動きは完璧だが、完璧だからこそ乱れが目につく。


「……主。王都の地下経路が活発です。物資の移動、通信の暗号化、すべてが“戦”の前触れに似ている。」

「根は?」

「“紅の鎖”。――そして、その手口は……私が知っている。」

 言葉は淡々。だが、その淡さの裏で温度が下がる。過去の匂いだ。


「ふむ。ならば話は早い。敵は動く、我々も――」

 学園の鐘が重く鳴った。遅れて地がうなり、遠い方角で黒煙が立つ。


 王都三か所、ほぼ同時。

 火柱、暴れ出した魔獣、路地に潜んだ傭兵。

 風が炎の匂いを運び、悲鳴を薄める。薄めるだけで、消えない。


「来たな。」

「紅の鎖の初手は拠点の分散と攪乱。市民の避難動線を切り、軍と教会を分断する。」

「詳しいな。」

「……昔、私がそう設計した。」


 ミーナが真っ青な顔で駆け込んでくる。

「ルシエル様! 北の市場で魔獣が――人がまだ……!」

「よし。ミーナは避難誘導、ネロは連絡を。教会と生徒会に“浄化ライン”の設置を要請しろ。」

「了解です!」

「了解……って、それ名称どうにかならねぇの?」


 俺はマントを払って立つ。

「リヴィア、俺と来い。」

「……命令を。」

「敵の芯を断つ。お前の知る“設計図”を、闇で上書きする。」

 彼女の灰の瞳が、音もなく深くなる。


 王都北門へ向かう途中、石畳の隙間から赤い光が漏れていた。

 地脈に触れた魔術の波――乱暴な手。血で針を押し込むような術式だ。


「紅の鎖は、地脈への“雑な接続”で広域の暴走を狙う。」

「雑は嫌いだ。」

「私もだ。」


 角を曲がる。

 市場は倒れた屋台と火の粉の迷路。牙を剥く魔獣の眼に、縄の焼き印――“紅の印章”。

 泣きじゃくる子の肩越しに、刃が踊る。


 剣を抜く――という行為は、見せるものではない。

 自分の中で“終わらせる”だけだ。

 一歩、影。二歩、風。呼吸は刃。音は置いていく。


 次の瞬間、魔獣は二度と吠えない形になっていた。

 少年が瞬きをする間に、影は晴れ、風は戻った。


「……ありがとうございます!」

「礼は要らん。逃げろ。光の線を辿れ。」

 路面に撒いた白砂が、避難の導を描いている。ミーナの仕込みだ。よく働く同胞である。


「主――際限がない。」

 裏路地から次、また次。炎は増殖する。誰かが、地の下で弁を開けている。


「芯はどこだ?」

 リヴィアは目を閉じる。息がひどく静かだ。

「……旧水道局。地脈の制御孔にアクセスできる唯一の古い栓。設計者の名前は、トラヴィス。」

 短い間。言いづらい名なのだろう。

「私の――師。」


 沈黙が落ちた。

 敵にとっては、恐怖の沈黙。俺にとっては、闇の温度。


「行くぞ。」

「今の私なら……殺すのは、容易い。」

「容易いものほど、美しくはない。」


 旧水道局は、地上から見ればただの廃屋だ。

 だが地下に降りれば、石の喉が王都の血を飲み干す音がする。

 赤い符が、湿った壁にびっしり。

 人の熱ではない熱が、薄闇を明るくしすぎている。


 扉の前に、影が一つ。

 長身、灰色の外套。顔の半分は仮面。残った口元が笑っている。


「――久しいな、リヴィア。」

 嗄れた、けれどよく通る声。

「師は、生徒の報告書を読んで驚いた。“落ち葉三十二枚、掃討済”。……詩人に鞍替えか?」


 リヴィアの指が、わずかに震え――すぐ止まる。

「トラヴィス。紅の鎖に身を投じたか。」

「いや、“続けている”だけだよ。闇は秩序、秩序は選別、選別には刃。

 ――ところが、お前は光を混ぜた。薄まるんだ、闇が。」


「違うな。俺の闇は“混ざることで深まる”。」


 この男は悪役としての美学を理解している。

 やはりリヴィアの師で間違いないようだな。


 仮面が、こちらに向いた。

「黒翼の円卓。君がルシエルか。神の剣の真似事をする“悪”――皮肉が過ぎる。」


「悪は、皮肉では動かない。」

 俺は一歩、石の床に影を置いた。

「整えるために動く。」


「整える、ね。」

 トラヴィスは肩を竦め、背後の弁へ手を伸ばす。

 嫌な音が、石の奥で回った。地が唸る。

「では、どれほど“整えられる”か、見せてもらおう。」


 床が割れ、赤い光が噴き上がる。

 壁の符が一斉に点り、地下の空洞が“脈打つ臓腑”へ変わった。


「退いてろ、ミーナの導線まで戻す。」

「了解。」

 彼女は半歩引き、しかし視線は前へ。決着から逃げない目だ。


 俺は刃を落ち着かせる。

 居合は名を持たない。名を呼ぶ前に終わるものだからだ。


 赤光が、波の形を得る。

 ――王都全域を呑む津波の“素”。


「悪は最後に帳尻を合わせる。その行動によって悪としての役割が完成する。」

 鯉口が鳴るか鳴らないか、その間に。

 一閃、ただの線。世界のほうが割れてくれる。


 赤い波形は、半ばから静かに分かれて消えた。

 熱がしゅう、と言って、石はただの石へ戻る。


 トラヴィスの仮面が、少しだけ傾いた。

「……見えなかった。」

「見せる必要がない。」


 沈黙。

 やがて、仮面の下で唇が笑った。

「リヴィア。――やはり、“選別”だ。お前は残った。私が落ちた。」

 外套が翻り、奥へ逃れる気配。追える。追えるが――


「追撃は?」

「市街が先だ。弁は閉まり、線は切れた。だが火は残る。光の手は足りない。」

「……了解。」

 その声には、ほんの僅かに震えが混じっていた。

 彼女自身、それを気づいていないようだった。


 地上へ戻る途中、リヴィアが小さく問う。

「主。私の過去を“整える”にも、刃が要るのか。」

「時に、いる。」

「その刃は、誰に向ける。」

「お前が自分で決めろ。悪は、選ぶ責任から逃げない。」


 階段の上で、夜風が汗の塩を攫っていく。

 遠く、鐘――避難完了の合図。生徒の導線はつながっている。


「戻るぞ。紅の夜は、まだ始まったばかりだ。」

「悪は騒がぬ。ただ、必要な場所で息をする。」

 王都の空に、黒い煤と白い息。


 光が騒ぎ、闇は静かだ。

 俺は静かなほうに立つ。支配は、静けさから始まる。

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