第4話 帰るまでがデートです
水族館を出る頃には、すでに夕方になっていた。
この辺は都会のように電車の本数が多くない。しかも、夜になるとさらに減る。
なので、そろそろ帰らなければいけない。
駅に行き、電車を待ち、乗って地元に帰る。
もうすぐ楽しかったこのデートが終わってしまう。
それを思うと寂しいが、まだひとつだけスケジュールが残っている。
俺たちは最寄りの駅ではなく、少し離れた駅で降りた。
そこは県立公園前の駅。
以前、告白への返事を聞かされたあの公園だ。
その頃にはすっかり周囲は暗くなっていた。
広い夜の公園は寂しく、どこか物悲しい……なんてことはなかった。
公園内にはバーベキュー場が併設されているため、土曜の夜はかなり賑わっているのだ。それに合わせてあちこちライトアップされていて、意外と明るい。
「公園に来ることは知ってたけど、何をするつもりなの?」
事前に飾に知らせていたスケジュールでは、公園での詳しいことまでは書いていない。
「リベンジをしようと思ってな」
「リベンジ?」
遠くから聞こえてくる場の賑わいを聞きながら、ライト沿いに公園内の道を歩く。
そして池に到着した。
「リベンジって、まさかまたボートに乗るつもり?」
「そう。だって、この前ひどかったろ?」
「まさか告白の返事をやり直せって言うんじゃないでしょうね?」
じろっ、と鋭い目で睨まれる。
あれ、なにか勘違いされてる?
「いや、そっちじゃなくて、俺のボートの操縦がヘタだったから、そのリベンジをしたいって意味」
「なんだ、そっちか……たしかにヘタだったね。右へ行ったり左へ行ったり。少しは上達したの?」
「結構練習したんだよ」
「それは楽しみ。まぁ転覆しなければ合格点だから気負わずにね」
舐めてやがるな。上達した俺の腕を見て驚け。
「……わぁ、微妙にうまいわね。蛇行がかなり緩やかになってる」
「だろ?」
「うまいとは言えないけど、ヘタも言えないくらいにはまともでリアクションに困る。これでドヤ顔してなんて驚いたわ」
よし、驚かせたぞ。
まぁなんか思ってた驚き方よりだいぶ緩い気がするけど……。
それにしても、夜の池でボートを漕ぐのって思ったより怖いな。全体的にライトで照らされていて、なにかあったらすぐ監視員から見えるようになっているんだけど……それでも、水面は昼とは違い、吸い込まれそうな暗闇をしている。
「いつ練習してたの?」
「学校のボート部の練習にお邪魔して、教えてもらったんだ。陸でオールの使い方を教えてもらっただけで、実際に水の上で漕ぎはしなかったけど。それでも結構効果はあったみたいだな」
「ボート部……そんなのあったんだ」
「あったんだよ。サッカー部とどっちを選ぼうか迷ったくらいの弱小部だけどな」
そういう部なので、いきなり行っても門前払いされたりしなかった。
むしろ興味を持ってくれたと喜んでくれて、意外とあっさり練習に参加させてもらえた。
「なるほどねぇ、そんなにアレ悔しかったんだ」
「ボートを上手に漕ぐのって、デートのちょっとした見せ場だろ?」
「かもね。そこそこ漕げてるから好印象だよ。それにしても、今日のスケジュールは、映画から海、水族館、そしてボート……るぅはベタなのが好きだとは思っていたけど、ちょっとやりすぎなくらいベタじゃない?」
そう言われると否定できない。
ベタはベターだと言うが、もう少し俺たちに合うようにアレンジする余地はあったかもしれない。
「じゃあ、次は予想もつかないような奇抜なところに連れて行く」
「奇抜なところなんて、この辺にある?」
「探せばきっと」
「じゃあ楽しみにしてる。あ、でも、次はあたしがコースを決めるのもいいかもね」
「それもいいなぁ」
返事をしながら、思わずにやけてしまう。
「どうしたの?」
「またデートしてくれるつもりなんだな、って。前はイヤがってる感じだったのに」
「あ~、それは……楽しかったし。たまには、ふたりで遠くに出かけるのもいいかなぁって」
「そうだな。楽しかったから、たまにこういうことするのもいいよな」
「だからって付き合うわけじゃないからね。あと、あくまでも“たまに”よ。来週も行こうとか言わないでよ。こんな狭い町で毎週出かけていたら、すぐに行くところなくなるわよ」
「そうだな……毎週デートしてる尊たちはどこに行ってるんだろう?」
「おうちデートをよくすると言ってたけど。お金もかからないし」
「なるほど、おうちデートか。じゃあ俺たちもそれするか」
「いや、それただの日常。同じ家に住んでる人がすることじゃないって」
そうなんだよな。俺たちはすでに一緒に暮らしている。
今日という特別な一日はもうすぐ終わりを迎えるけれど、でも別々のところに帰ったりはしないのだ。
同じ道を通って、同じ家に――それもいいんだけど、帰ってしまったら、今みたいな時間を過ごせるわけじゃないんだよな。
「家に帰ってからも、今日一日はデート気分ってことじゃダメ?」
「家に帰るまでがデートです。帰った時点で終わり。いつも通りに戻るのよ」
「わかったよ。でも、それまではデートだよな?」
「そうね」
「じゃあ、まだまだ遠慮せずデートっぽいことするからな」
「どうぞ。次はなにをするつもりかしら?」
とりあえずボートでゆっくり漕ぎながら、水上を散歩する。そういえば、今日はずっと水に関係した場所にいるな。
ボートを降りたら、夜の公園を歩く。
ぎゅっと手を繋いで……今日は一日中こうしていたけど、これができるのもあと少しか。
なら、家に帰るまでは、絶対に離さないぞ。
「どこまで歩くつもり?」
「あと少し」
「こっちの方はあんまり灯りがないのね。暗くて少し怖いけど」
俺の手を握る飾の手が力を増した。
頼りにしてもらえている。それが嬉しくて、俺も握り返す。
大丈夫、俺がいるから――という意味を込めて。
「そんなに強く握って、るぅも怖いの?」
全然伝わってないな。
そんなこんなで歩き、アスレチックゾーンに来た。
トランポリンのように弾むネットや、何十メートルもある大きな滑り台があったり、無料にしてはなかなか設備が揃っている地元の子どもにはお馴染みの遊び場だ。
休日平日を問わず、昼間は家族連れがたくさんいる。
だが、夜は別の顔がある。
「…………なんかキスしてる人たちがたくさんいるんですけど」
この辺りは一層灯りが少ない。なのではっきりとは見えないが、数組のカップルがいて、抱き合ってキスをしている。
「そういう場所だからな」
「どういう場所⁉」
「なぜか知らないが、有名な路チュースポットになってるんだよ。まぁたぶん暗くて、道路からも遠くて音が聞こえないからだろうな」
「知らなかった……小さい頃に知らなくて良かったよ」
「ここに連れて来た理由は言わなくてもわかるよな?」
「わからなかったらやべぇでしょうよ。ほんと、るぅはずいぶんキスしたがりね」
「好きな人とはしたくて当たり前じゃないか? むしろ我慢できてる方だと思うけど」
「そうなの?」
「イヤならはっきり断ってくれていいよ。次の機会でも、その次の機会でも、いくらでも待つから、そういう気分じゃないならズバッと断ってくれていい」
「そう。なら遠慮なく」
ずいぶんあっさり断れたな。
やっぱりキスは簡単にはさせてくれないか。
と思ったのだが――
「ちゅっ」
と、音がして、唇に柔らかな感触がした。
うっすらとした月明りに照らされ、暗闇でもわかるくらいに飾の顔が赤くなっている。
「遠慮なく――このくらいならしてあげる。キスしてもいいかなって思えるくらいの一日だったからね」
「……………………」
「なんか言いなさいよ。黙っていられると恥ずかしいじゃない」
「……いや、感動しちゃって」
「そ、そう。喜んでもらえたならよかった」
「でも、今の一瞬のだけじゃ物足りない。今度は俺からしていいかな?」
「ん~……どうしようかな?」
飾はにやっと笑う。俺の様子を見て楽しむかのように。
きっとさぞや楽しかっただろう。
うん、と言ってもらいたくて、これ以上ないほどそわそわしていたのだから。
「しかたない。いいよ」
ちょうど月に雲がかかり、さらに暗くなった。
なので、外だけど、ふたりだけの空間にいる気がするほど周囲の気配がわからなくなった。
そして、楽しかったこの一日を締めくくるためのキスを、たっぷりとした。




