第1話 デートの始まり
そして土曜日、デート当日。
俺が起きた時には、飾はすでにキッチンで朝食を作っていた。
いや、朝食ではなく、デートに持っていく弁当を作っていた。
俺の希望通り、サンドイッチの準備をしている。
耳を切り落とした食パンに具材を挟んでいるところだ。
今やっているのはBLTか。具材を、ああでもない、こうでもないと何度も並べ直している。
切った時にキレイに並ぶように、できあがりを想像しながらやっているのだろう。
「うまそうだな」
「当然。こっちはるぅが起きてくるずっと前に起きてこれやってるんだから。それでイマイチとか言われたらガチギレするわよ」
飾の料理はいつもおいしいよ……せっかくのデートなんだから、なんて甘いことを言ってあげてもいいのだが、割と普通に失敗するんだよな。
新しい料理に挑戦した時とか特に。
「ちなみに、卵サンドは?」
「今ゆでてる」
と、飾は鍋を指差す。そこには、思ったよりたくさんの卵が入っていた。
「るぅは卵サンド好きでしょ。だから多めに作る予定」
「さすが飾さん、俺の好みをよく理解してらっしゃる」
「そりゃ何度も卵サンドを奪い合ってケンカしましたから」
そういえば、小さい頃は、コンビニのサンドイッチの袋にひとつだけ入っている卵サンドを巡って頻繁に争ってたっけ。
さすがに今は食べ物でケンカまではしないが、好きなものがたくさん入っているお弁当は楽しみだ。いや、好きな人が作ってくれる弁当が楽しみで、好きなものが入っているからさらに楽しみだ、と言うべきだろう。
「おや、サンドイッチか? 休日に珍しいものを作ってるな」
話していると、父さんが起きてキッチンに入って来た。
あれ、そう言えば……。
「朝からサンドイッチなんて作って、弁当でも作ってどこかに出かけるのかい?」
「うん、そうだよ」
「学校の友達と?」
「るぅと」
「ふたりで?」
「うん」
「弁当を持ってふたりでなんて、まるでデートみたいだね」
「…………あ~、うん」
俺が飾のことを好きなのって、父さんからするとどう見えるんだろう?
兄妹なのに……って思われるだろうか?
「高校生になってもふたりが仲良くて、お父さんは嬉しいよ。普通はそれくらいの年齢になると、兄妹で遊んだり、まして一緒に出掛けたりなんてなかなかなくなるだろうから」
「ま、まぁあたしたちは、昔から兄妹であると同時に親友だから。ね、るぅ?」
「あ、ああ、そうだよな」
「うんうん。法律的には、ふたりはもう兄妹じゃないし家族でもないけど、心はいつまでも一緒。仲の良い家族だよな」
「そ、そうだね……」
「俺たちはいつまでも仲良し兄妹だよな」
どうやら仲の良さを怪しまれている気配はなさそうだ。
今日のところは大丈夫そうだが……いつまでも黙っておくことはできないよな。
今みたいな関係ならともかく、本当に付き合うとなったら、必ず説明をしなければいけない。
血の繋がりはともかく、兄妹として育った人と付き合うとなると、やはり変に思われるだろうか? 反対されたりとかは――、
「このままふたりがずっと仲良くて、一緒にいてくれたらいいのになぁ。それで、また飾が娘になってくれたり……ああ、今のは聞かなかったことにしてくれ。余計なお世話だよな」
いや、今のって、俺と飾が結婚したら……的な意味だよな?
そっか、そうだよな。父さんも飾のことが大好きだから、今のような曖昧な関係ではなく、親子に戻りたいと思っていてもおかしくない。
そして、父さんと飾を再び親子にしてあげられるのは、俺だけだ。
待っていて、父さん。
すぐになんてムリだけど、いつかまた飾のことを「うちの娘」と呼べるようにしてあげるから。
「それじゃ行ってきます」
「今日はちょっと遅くなるから、晩ご飯はひとりで食べてね。お酒飲みすぎちゃダメだよ」
父さんにそう言い、家を出た。
家を出てすぐというのはさすがに気が引けたが、数分ほど歩いたところで、飾の手を握った。
今日は振り解かれなかった。
「今日はいい日?」
「デートなんでしょ。ならいいわよ」
お許しをもらえたので、指を絡ませしっかりと握る。
こうして歩くと、いつもの景色でもなんか違って見えてくる。
目をつぶっていても歩ける地元の道が、なんかキラキラ輝いて見える。
「デートって楽しいなぁ」
「早い早い。まだ家から一キロも離れてない」
「近所でもこれだけ楽しいんだから、遠くまで行ったらすごいことになるぞ」
「すごいことになっちゃいますか……テンション上がりすぎて変なことしないように」
「変なことって? 靴の裏にマヨネーズ塗るとか?」
「それはすっごい変なことね。絶対にしないで。マヨネーズで足跡つけながら歩く人の横なんて、死んでも歩かないからね」
「……なんかデートなのに、いつもみたいなノリで話しちゃってるな。もっとデートっぽい話題とかないかな?」
「デートっぽい話題ってなによ。あたしたちが楽しい話をすればそれでいいんじゃない?」
「まぁそうだな。初デートだからって構えることはないよな」
一緒にいるといつも楽しいのだから、今日もなるべくいつも通りを心掛けるべきなのだろう。
そう思いながらも、飾の手をきゅっと強く握りしめた。
すると、飾も強く握り返してきた。
「これはデートっぽいな」
「手を握ったらデートになるなんて、安上がりな男ね」
「じゃあ、飾は手を握って歩いてもデートっぽく感じないのか?」
「まぁどちらかというと……デートっぽく感じるかな。いつもとは違う特別なことしてる気分にはなる」
「安上りな女」
「お高くとまってやろうか?」
「いえいえ、今のありのままの飾さんが好きなので」
「ふふっ、それはどうも。あたしも安上りなるぅが好きよ」
なんというか、本当にいつも通りだな。
普通なら、意中の相手との初デートなんてもっと緊張するものだと思うのだが。
まぁ、気張らずにリラックスした空気を共有できるからこそ、飾のことが好きなんだろうけど。
手を繋いだまま駅前まで行った。
以前に話したように海に行くつもりだが、その前にひとつスケジュールを消化する必要がある。
まずは駅前の映画館で映画を観るのだ。海に行くのはその後。
チケットはすでに購入済み。
あとはただ座るだけ――だったのだが、映画館のロビーで知っている顔に出会った。
尊と三島さんだ。
「なんだ、涙衣たちも来てたのか」
「尊たちも……っていうか、バスケ部は土曜日は部活で忙しいんじゃないのか?」
「今日は午後からなんだよ。だから午前中は暇で、ってオレたちのことはいいんだよ。なんだよ、今日のふたりは、いつにもましてずいぶん仲良さそうじゃないか」
尊の視線が、俺たちの顔ではなく、握っている手に向いている。
三島さんも俺たちの手を見て、それから飾の顔に視線を移動させた。
「それになかなか気合の入ったメイク。うんうん、そこそこ上手にできてるよ。この前教えた甲斐があったよ。そっかぁ、今日のためにちゃんとしたメイクを覚えたかったんだね」
「それは今言わなくていいことだよ、紬ちゃん」
「いやぁよかったねぇ、涙衣くん。飾ちゃんも、なんだかんだ言いつつ気合入ってるみたいで。きっと下着は勝負用の――あいたたたたっ」
「ちょっと黙ろうか」
飾が三島さんの手の甲の皮膚をつねった。
離した時には結構赤くなっていたから、どうやら遠慮なしで強くつねったみたいだ。
「ごめんごめん、あまりにかわいかったから、からかいたくなっちゃった。私らはもう行くから、ふたりはふたりでごゆっくり。今度、今日の話聞かせてね」
ひらひらと手を振りながら、尊たちは俺たちのとは違うシアタールームに入って行った。
「あと五分遅く来てれば遭遇しなかったのに」
ぐぬぬ……と、飾は唸りながら言った。
「まぁ割と近所だからな。知ってる顔に遭遇するのはしかたないよ」
「たしかにね。尊くんたちでよかったと言えばよかったんだけど……」
「ところで」
「ん?」
「勝負下着なんですか?」
「な゛っ゛…………あんなの紬ちゃんが適当に言っただけだから真に受けないで!」
「あはは、まぁそうなんだろうなとは思ったけど」
そう言いながらも、頭ではついつい想像してしまう。
飾の勝負下着はどんなだろう――と。
赤、かな。
今の顔みたいに、真っ赤なのが似合うんじゃないだろうか?
いや、セクシーな黒も。
シンプルイズベスト。白も捨てがたい。
「あたしの下着姿を想像してないでしょうね?」
「いえいえ、まさかそんな」
「どうだかね。まったく……初めてのデートでそんなことあるはずないでしょ。だいたい、勝負下着を見せる時間なんてないくらい予定詰め込んだのは誰よ」
「たしかに。もっとゆとりあるスケジュールにするべきだったか」
「だからないって言ってるでしょ。ほら、バカなこと言ってないで、飲み物を買いに行きましょ」
それから映画を観て、駅に行って電車に乗った。
ボックス席の座席に向かい合って座る。
「海に行くのは久しぶりだな」
「そう言えばそうね。中二の夏って、たしか一度も行かなかったわね。だから中一以来……三年ぶり? うわぁ、もうそんなになるんだ」
「波音がどんなのかももう忘れちゃったよ」
「あたしも。でも、きっと聞けば懐かしく思うんだろうね」
「そうだな」
海水浴、潮干狩り。以前は、家族で年に何度か海に来ていた。
中学に入って以降はそういう機会が急に減り、去年の父さんたちの離婚でそんな機会はもうなくなるかと思ったが――まさか飾とデートという形で来ることになるなんて。
一年前は想像もしなかったな。
でも、一年後の想像ならできる。
きっと来年もデートで海に来ているのだろう。




