5話 小さな家族
夜の『ひだまり亭』。
キッチンに立つニナは、小さな体でコンロと戦っていた。
子供用の踏み台に乗り、猫マークが描かれたエプロンを身に着けている。
「お肉と卵焼きと……そろそろパンを焼いておこうかな?」
慣れた手つきで料理を進めていく。
ふわっと上がる湯気と優しい香り。
「よし、バッチリ!」
にこにこ笑って調理を続けるニナだったが、今日から三人分のため、少し手間取っている様子だ。
額に汗が浮かんでいる。
……その様子を、キッチンの入り口のドアの隙間からガルドが覗いていた。
完全に覗き魔である。
ただ、本人は、いつも娘のフィーネにしていたことなので、これが世間一般的にまずい絵面であるということにまったく気づいていない。
「むむ……」
「むむ、じゃないですから。なにやっているんですか、先輩」
「セルカ、見てみろ。ニナは、たった一人で三人分のごはんを作っているぞ!」
「それは、そうでしょう。私達、今日から泊まるんですから」
「……手伝った方がいいのではないかと思うのだが、どうだろう?」
「いいと思いますよ。でも、先輩がまともなことを言うと怖いので、あまりまともなことは言わないでくださいね」
なぜか酷いことを言われたような気がする。
はて? とガルドは首を傾げつつ……
それよりもニナの手伝いだ! と、キッチンに突撃した。
「ニナ!」
「ガルドさん? それに、セルカさんも……どうしたんですか?」
「俺達にも手伝わせてくれないか?」
「え? で、でも、お客さんにそんなことをさせるわけには……」
「あー……実は、腹がすごく減っていてな。早くごはんにしたいんだ。だから、そのために手伝わせてほしい」
「えっと……?」
ニナが困った様子でセルカを見た。
セルカは苦笑しつつ、頷く。
「……わかりました。じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「ああ、任せておけ!」
ガルドは笑顔で、どんっと自分の胸を叩いてみせた。
「ところで先輩。先輩って、料理なんてできたんですね。そんなイメージ、足の小指の爪の欠片の先ほどもないから、びっくりしました」
「いや、料理の経験はない」
「えっ」
「しかし、俺は聖騎士であり、父親だ。なればこそ、できないことはない! 愛情と火力があれば、料理なんて簡単にできるはずだ!」
「『火力』ってなんですか!? その言い方やばくないですか!?」
「さあ、いくぞ!」
ガルドは謎の自信を出して、ぐつぐつと肉が煮込まれている鍋の前に立つ。
右手を鍋に差し出すようにして……
「ファイア!」
ゴオオオッ!!!
ボンッッッ!!!
鍋が豪快に爆発した。
天井まで焦げが飛び、コンロは黒焦げ。
ニナは悲鳴。
セルカは無言で剣の柄に手をかけた。
さすがに、これは失敗と理解できたらしく、ガルドはだらだらと汗を流す。
「……ちょっと火加減を間違えたようだな」
「ちょっとどころじゃないですよ! 鍋、消し飛びましたよね!?」
「しかし、フィーネが昔、言っていた。『料理は愛と炎だ』……と」
「そんなセリフ、言ってませんでしたよ!? 捏造しましたね!?」
チラリと、セルカは剣を半分まで抜いて刃を見せた。
あわや刃傷沙汰……
と思われた時、ニナが特に怒っていない様子で、笑顔で言う。
「また作り直せば大丈夫ですよ。誰にでも失敗はありますから」
「でも、ニナちゃん……」
「さ、がんばって作りましょう! お腹、減っているんですよね?」
「……そうね。先輩、今度は、なにかする前に、一つ一つ、私達に確認して、許可をとってくださいね?」
「むう……わかった」
色々と不満のある様子のガルドではあったが、鍋を消し飛ばしたのは事実。
逆らえるわけもなく、渋々と頷くのだった。
「さあ、ニナちゃん。一緒にがんばりましょう!」
「うん! 私、セルカお姉ちゃんと一緒に料理できるの、楽しみ!」
二人は仲のいい姉妹のようだった。
――――――――――
……そして、夕飯ができた。
肉を特製のソースで煮込んだもの。
野菜のサラダ。
それと……
卵をたくさん使った、ふわふわの卵焼き。
「で、できた……俺の『最初の料理』が!!!」
ケーキを作ったガルドは、ちょっと泣きそうになっていた。
ちょっと焦げている。
盛り付けも不格好。
でも、愛情のこもった一品だ。
セルカとニナは、まず最初に卵焼きを食べた。
「味は……まあ、がんばった方じゃないんですか?」
「うん! ちょっと焦げてるけど、でも、すごく美味しいよ!」
「セルカ、ニナ……ありがとう!」
「なんで泣いてるんですか!?」
「すまないな。少し、フィーネのことを思い出してしまった」
「……先輩……」
静かな余韻が流れるなか、三人はテーブルを囲んだ。
ひとつの小さなテーブルに、三人分の料理。
並ぶ料理はシンプルなものだけど、暖かさに満ちていた。
――――――――――
「……ねえ、ガルドさん」
食後、ニナが小さな声でつぶやいた。
皿を片付けながら、上目遣いで見上げてくる。
「今日のごはん、すっごく楽しかった」
「そうか。パパは嬉しいぞ!」
「パパじゃないでしょ!?」
「おっと、失敬」
ニナは、くすくすと笑う。
その笑顔に、ガルドはそっと真面目な表情になる。
椅子を引いて、まっすぐにニナを見つめる。
「ニナ……一つ、お願いがある」
「え? なんですか?」
「今日は、壁の補修をしたな。それから、料理を手伝った。自分で言うのもなんだが、聖騎士らしい完璧な仕事だった」
「最初は、完璧とは真逆でしたけどね。あと、DIYや料理に聖騎士は関係ないです」
「ただ、こう言うのは心苦しいのだが、この宿はまだたくさんの問題を抱えているように思える」
セルカの言葉をスルーして。
というか理解できないから聞き流して、ガルドはさらに続ける。
「ニナも……一人というのは心配だ」
「それは……」
「このアステナ村のことはよく知らない。衛兵の人と話しただけだ。ただ、雰囲気からして良いところなのだろう。それでも、子供が一人で過ごすというのは、とても難しい。俺は……ニナが心配だ」
「……っ……」
「ニナは、お父さんとお母さんとの思い出の宿を守りたいのだろう。そこに、ズカズカと土足で踏み込むような真似をするつもりはないのだが……しかし、それでもおせっかいを焼かせてくれないだろうか? 俺は、ニナを放っておくことができない……これからも、今日みたいに色々と手伝わせてくれないだろうか?」
「……」
静まり返る室内。
ニナは、大きな瞳を瞬かせていた。
ガルドの言葉の意味を、すぐには受け止めきれなかったようで。
でも、ゆっくりと、それがどういうことかを理解して……
「……いいんですか?」
ぽつりと、そう呟いた。
「私、まだ子どもだし。お料理も上手にできるわけじゃないし、字もあんまり読めないし……きっと、いっぱい迷惑かけてしまいますよ?」
「だからこそだ」
ガルドは優しく、けれど力強く笑った。
「迷惑をかけてもいい。できないことがあってもいい。それを受け止めるのが、大人の役目だ」
「……はい」
「俺にとってニナは、すでに、大切な娘みたいな存在だ。でも、ニナのお父さんとお母さんの代わりを務めようなんて、そんなだいそれたことは考えていない。俺も、フィーネという娘がいるからな」
「なら……」
「ただ……やはり、放っておけないんだ。ニナのことが心配で、気になる。だから、これから先、支えさせてくれないだろうか? 保護者として。そして……家族のように」
「……私、本当はわかっていたんです」
ニナは、ぽつりぽつりと言う。
「子供一人で宿をやるなんて、すごく無理な話で……実際、誰もお客さんが来なくて……寂しくて、辛くて。誰かが一緒にいてくれたらな、って」
「……ニナ……」
「だから……一緒にいてもらってもいいですか? 甘えてもいいですか?」
「もちろんだ」
「ありがとう!」
ニナは、ぱぁっと笑顔になった。
小さな両手で、ぎゅっとガルドの手を握る。
「これからも、よろしくね!」
「ああ、こちらこそ」
「私もよろしくしてくれる?」
「セルカお姉ちゃん……いいんですか?」
「私だって、先輩と同じ考えよ。先輩と同じ、っていうのがちょっと……ううん、かなり嫌だけど。でも、ニナちゃんと一緒にいたい、っていうのは本心」
「ありがとう、セルカお姉ちゃん!」
「これからよろしくね、ニナちゃん」
「うん! 私、セルカお姉ちゃんと色々してみたい! 一緒にお風呂に入ったりとか、おしゃべりもたくさんしたいな!」
ニナの花が咲いたような笑顔に、セルカも自然と笑顔になる。
「なんだか、二人目のお父さんとお母さんができたみたい」
「先輩と夫婦っていうのは、ちょっと……」
「セルカ!? 昼も同じことを言っていたが、俺は父親失格ということなのか!?」
「気にするところ、そこなんですか!? まあ、失格に近いですけどね!」
「なるほど……照れ隠しというヤツだな?」
「もうやだ、この先輩……」
セルカは、わりと本気で嘆いた。
「セルカ……ありがとう
そんなセルカに、ガルドはまっすぐに言う。
それはからかいでも茶化しでもなく、本心からの言葉だった。
「本当にありがとう。いつも助けられてばかりで、とても感謝している」
「……」
「これからも、ニナのために、一緒にいてくれないか?」
「……し、仕方ないですね。責任ってやつですよ、もう」
照れたように、セルカはそっぽを向いた。
ニナは楽しそうに笑って、ガルドもほっとした顔をする。
こうして、小さな絆ができて、ゆっくりと広がっていくのだった。
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