大移動!めざすは「アザリア」
神獣ヴォルトラが消えた場所には、もう静寂だけが残っていた。
微かに漂うオゾンのような匂いが、さっきまでの超常現象が現実だったと教えてくれる。
「……現実味が、ないな」
俺、青山拓人、32歳。異世界でまさか神獣とお話しする日が来るとは。人生、何が起こるか分からないものだ。
だが、感傷に浸っている暇はない。
あの神獣が教えてくれた情報――アザリア村。それが今の俺にとって唯一の希望だ。
「アザリア村……」
その響きを噛みしめる。
人間がいる。
言葉が通じるかもしれない、俺と同じ存在がいる場所。
それだけで、心が少し軽くなるのを感じた。絶望的な状況でも、希望はある。
「よし……行くか!」
軽く頬を叩き、気合を入れる。
まだ少し足が震えているのは、恐怖のせいか、それとも単なる運動不足か……。まあ、多分両方だろう。32歳、体力には自信がない。
崖っぷちから離れ、安全なルートを探す。幸い、すぐに緩やかな斜面が見つかった。よしよし。
転ばないように、慎重に、一歩ずつ大地を踏みしめて下っていく。
見上げた空は、先ほどの雷雲が嘘のように快晴だ。
どこまでも青い、異世界の空。
でも、油断は禁物だ。ヴォルトラの忠告を忘れるな。「危険な魔物も多く生息しておる」……だったか。
つまり、ボーッとしてると死ぬぞ、と。しっかり心に刻んでおこう。
アザリア村を目指し、北へ向かう。
広大な草原を抜け、再び森へと足を踏み入れた。さっきまでいた森とは、少し木々の様子が違う。より高く、密集していて、少し薄暗い感じだ。
ヒュン! と、鮮やかな羽の色をした鳥が頭上を飛び去った。聞いたことのない鳴き声だ。
「……記録、しときたいよな」
すぐさま、そんな欲求が湧いてくる。バッテリー残量は気になるが、この世界で見たものは記録しておきたい。これはもう、性分なんだろう。
そう思っていたら、前方の茂みがガサリと揺れた。
「!?」
反射的に木の陰へ! 心臓がドクンと跳ねる。
頼む、変なのは出てくるなよ……!
息を殺して茂みを見つめる。
やがて、ノソリと姿を現したのは……。
トカゲ?
いや、体にエメラルドグリーンの羽根が生えている。なんだこれ?
「……また変なのが出たな。こんな生き物、見たことないぞ」
体長は50センチくらい。
乾いた鱗に覆われた体に、鳥のような羽根。奇妙な組み合わせだ。
地面をゆっくり這いながら、長い舌をチョロチョロさせている。
(……こいつは何なんだろうな)
地球にはいない、間違いなく異世界の生き物だ。
危険は……なさそうに見えるけど。
(いや、ホーンラビットの例がある。油断は禁物)
でも、やっぱり記録はしたい。
図鑑機能、使えるかもしれないし!
そっとポケットからスマホを取り出す。
頼むぜ相棒、出番だ。
カメラアプリ「共鳴録画」を起動し、写真モードに切り替える。
レンズを、ゆっくりと羽根付きトカゲ(仮)に向ける。
ファインダー越しにその姿を捉え、ピントを合わせようと画面をタップした、その瞬間。
ん?
画面の右上隅。通知バー。
見慣れないアイコンが点滅している。Wi-Fiマークっぽいけど、ちょっと違う……波紋みたいな形だ。
今まで気づかなかった。サバイバルに必死すぎて、スマホの細かい表示なんて見てる余裕なかったからな。
そして、そのアイコンの横には、小さな文字。
『新しいコメントがあります』
「……え? 新しい、コメント?」
思わず声が漏れた。
どういうことだ? コメント? まさか。
そもそも、なんで電波が繋がってるんだ? このスマホ、圏外表示どころか、明らかに異世界仕様のアプリ(エテルネット)がフォルダごと出現してる状態だぞ? 地球のネットに繋がるなんて、あり得ないはずだ……。
訳が分からない。
でも、指は勝手に動いていた。通知バーをタップする。
ピコンッ。
画面が切り替わる。表示されたのは……見慣れた、赤と白のロゴ。
―― I TUBE ――
「うおっ!? I TUBEのロゴ……!? コメントってI TUBEの!? それもなぜこのタイミングで!?」
頭が混乱する。なにがおきてるんだ?
アプリの起動アイコンが消えると――画面には、とあるI TUBEチャンネルの管理画面が表示されていた。
「デザインと日常のマイクロワールド」
これは元の世界で作った俺のチャンネルだ。
そして、一番上に表示されているベルマーク。そこに赤いマークがついていた。
これは新しいコメントが来てますよーってサインだ。
……だが確認するのを一瞬ためらってしまう。
(……いや待てよ。落ち着け俺。見間違いかもしれない。それに、仮にコメントだとしても、俺のチャンネルなんて……)
このチャンネルはフリーランスの傍ら、趣味と実益を兼ねて……なんて格好つけてたけど、結局は中途半端に投げ出して、燃え尽きて、更新もせず放置同然だったはずだ。そんなチャンネルに、今更コメント……?
半信半疑のまま、通知を開く。
そこに表示されていたのは、見覚えのあるサムネイル。
さっき撮ったばかりの、神獣ヴォルトラが雷光を纏っている、あの画像だ。
そして、その下に、一件のコメント。
『今回の神獣?みたいなやつ、マジでヤバかった! 雷のエフェクト、ハリウッド映画かと思ったわw 個人でこれ作れるの凄すぎだろ……。投稿主さん生きてる?w 無理しないでくださいね!』
「……………………は?」
コメントの内容。
それがついている動画。
理解が、追いつかない。
思考が完全にフリーズした。
「なんだ、このコメント……!? エフェクト? 作る? 生きてるかって……生きてるけど!」
いや、違う! 問題はそこじゃない!
「なんでヴォルトラの動画にコメントが!? というか、そもそもこの動画、俺、アップロードした覚えないんだけど!?」
もう頭の中は「????」状態だった。
まさか……。
「どの動画に、コメントがついてるんだ……!?」
俺は震える指で、メニューから「アップロード動画」の一覧をタップ。
次の瞬間、そこにズラリと並んだ動画のタイトルを見て、俺は言葉を失った――。