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13/22

渇きと悪寒の狭間で

 どれくらい眠ったのか。

 意識がゆっくりと浮上してきたのは、体の芯まで凍えるような、強烈な悪寒のせいだった。


「……っ、さむ……!」


 ガタガタと歯が鳴る。自分の体じゃないみたいに、勝手に震えが止まらない。

 洞窟の中は、昨日よりは少し明るい。どうやら朝になったらしい。外の雨音も……弱まっているようだ。


 だが、そんなことより、自分の体の異常がヤバかった。

 悪寒だけじゃない。頭がガンガンと割れるように痛む。そして、胃のあたりが気持ち悪くて、吐き気が込み上げてくる。


(……マジかよ。最悪だ……風邪、ひいた……?)


 昨日、雨に少し濡れたのと、このジメジメした不潔な洞窟で寝たのが原因か。連日の疲労とストレスで、完全に免疫力が落ちてたんだろうな。


「……っ、くそ……」


 体を起こそうとするが、全身が鉛のように重く、力が入らない。

 寝返りを打つだけで、頭痛と吐き気が増す。視界がぐらぐらと揺れて、平衡感覚がおかしい。


(熱、絶対あるだろ、これ……)


 体は熱いのに、体の芯は冷たい。最悪のコンディションだ。

 薬なんて、あるわけがない。ポカリもない。


(このままじゃ……本当にマズい……!)


 なんとかしないと。このままじゃ動けなくなって、それこそ終わりだ。

 そうだ、薬草! この世界の植物には、薬効があるものもあるかもしれない!


 俺は震える手でスマホを取り出した。こいつの機能に頼るしかない!

 画面を点灯させると、まず目に入ったのは右上隅のバッテリー表示だ。


「うわっ……! もう28%!? ヤバいな……!」


 昨日の探索や動画チェック、隠し部屋でのライト使用で、思った以上に消耗していたらしい。充電手段がない今、この残量は生命線だ。これも時間との勝負だ。


(クソっ、早くなんとかしないと……!)


 焦りながら、カメラアプリを起動し、写真モードにする。

 動画モードはバッテリーを食う。今はそんな余裕はない。


 朦朧とする意識の中、洞窟の入り口付近に生えている苔にカメラを向け、シャッターを切る。ピッ。

 画面に『植物図鑑』の情報が表示される。


『イワダレゴケ - 食用:不可 / 用途:なし』


「……だよな」


 すぐに画面をオフにしてバッテリーを節約。

 次は壁にこびりついているカビっぽいもの。撮影。ピッ。


『カビ(種別不明) - 毒性:中 / 食用:不可』


 画面オフ。

 落ちていた枯れ葉も念のため……。撮影。ピッ。


『枯れ葉(混合) - 用途:燃料(乾燥時)』


 画面オフ。

 ダメだ。こんな洞窟の中に、都合よく薬草なんて生えてるわけないか……。

 この動作だけでも、頭痛と吐き気がひどくなる。


(水……水が飲みたい……!)


 喉が焼けるように渇いている。熱のせいか、意識が朦朧としているせいか、異常なほど水分を欲していた。

 そうだ、せめて綺麗な水を飲めば、少しはマシになるかもしれない。

 昨日採ったファイアベリーは……ポケットを探ると、潰れた一粒しか残っていなかった。これを舐めても、気休めにもならないだろう。


 俺は最後の気力を振り絞り、壁に手をつきながら、なんとか体を起こした。

 足元がおぼつかない。一歩踏み出すたびに、頭に激痛が走る。


「……外に、出るしかない……」


 この洞窟にいても、状況は悪くなる一方だ。

 嵐が止んでいるなら、外に出て、綺麗な水場を探すんだ。


 ふらつく足取りで、洞窟の入り口へ向かう。

 外の光が眩しい。雨は……完全に止んでいた。嵐の後の、湿った空気と土の匂いがする。


(水場……どっちだ……?)


 方向感覚が鈍っている。だが、耳を澄ますと、遠くから微かに、滝のような水の音が聞こえる気がした。あっちか……?

 確証はない。でも、今はそれに賭けるしかない。


 俺は、その音が聞こえる(気がする)方角へと、足を引きずるように歩き始めた。

 森の中は、昨日の嵐でめちゃくちゃになっていた。折れた枝が散乱し、地面はぬかるんでいる。歩きにくいことこの上ない。


「はぁ……っ、はぁ……っ……」


 息がすぐに上がる。視界が霞む。

 頭痛と吐き気、悪寒が断続的に襲ってくる。

 何度も木の幹に寄りかかり、嘔吐きながら、それでも足を止めなかった。


 喉の渇きが、もう限界に近い。

 唾を飲み込むことすら辛い。


 その時、足元のぬかるみに、雨水が溜まってできた小さな水たまりが目に入った。

 泥水に近い、濁った水だ。木の葉や土も混じっている。

 普段なら絶対に飲もうとは思わない。


 だが、今の俺には、それが命の水に見えた。


(……飲むか……? これを……?)


 本能が危険信号を発している。こんな汚い水を飲んだら、腹を壊すどころじゃ済まないかもしれない。

 でも、喉の渇きは耐え難いレベルに達していた。意識が朦朧として、正常な判断ができない。


(……そうだ、一応、写真……撮って……)


 震える手でスマホを取り出し、水たまりにカメラを向ける。

 これで何か情報が……。ピッ。


 画面に表示されたのは、特定の図鑑情報ではなかった。無理もない、水専用の図鑑なんてないんだから。

 だが、センサーが何かを検知したのか、簡素な分析結果のようなものが表示された。


『液体サンプル - 成分:水(H2O)、土壌粒子、有機物(腐敗物含む)、微生物多数 / 毒性:微少(推定) / 飲用:非推奨』


「……毒性、びしょう……?」


 頭がうまく働かない。非推奨……でも、猛毒じゃない……? 微少って、どれくらいだ?

 腹痛くらいで済む……のか? いや、でも……。


(……もう、どうでもいいか……)


 思考が放棄される。目の前にあるのは、ただの水。喉を潤すもの。

 腹痛? 下痢? ……上等だ。今、この渇きで死ぬよりはマシだ。


 俺は、ほとんど無意識のうちに、その泥水に顔を近づけていた。

 わずかに残った理性が「やめろ」と叫んでいる気もするが、もう聞こえない。


 両手で濁った水をすくい、口元へ運ぶ。土の匂いが鼻をつく。

 そして、覚悟を決めて、それを一気に飲み干した――!


「……うまい……。まさか泥水をご馳走に感じる日がくるなんてな……」


 自嘲気味な呟きが漏れる。喉の渇きは、ほんの一瞬だけ和らいだ気がした。

 だが、体が求めている水分の量には、到底足りていない。根本的な渇きは、まったく癒えていなかった。


(死ぬ……こんなところで……死ねるか……っ!)


 生への執着が、再び俺を突き動かす。

 もっと綺麗な水がある場所へ……! あの滝の音がする方へ!

 意地だけで、ふらふらと歩き続ける。


 ザアァ……ザアァ……


 滝の音が、だんだん大きく、はっきりと聞こえてきた。

 近い! もうすぐそこだ!


「はぁっ……はぁっ……!」


 最後の力を振り絞って、ぬかるむ地面を進む。

 木々の切れ間から、光が差し込んでいるのが見えた。開けた場所に出る!


 そして――。


「……あ……」


 森を抜けた瞬間、目の前に広がった光景に、俺は息を呑んだ。

 穏やかな湖。太陽の光を浴びて、キラキラと輝く水面。

 求めていた、清らかな水がそこにあった。


「みず……きれいな……みず……」


 渇望していたものが、すぐそこにある。

 俺は、もつれる足を必死に動かし、水辺へと歩み寄った。


 ザブン、と岸辺に膝から崩れ落ちる。

 目の前には、透き通った水面が広がっている。

 助かった……! やっと、綺麗な水に……!


 そう安堵した、まさにその瞬間だった。


 プツン、と意識の糸が切れた。

 限界を超えて動き続けた体は、もう動かなかった。

 ぐにゃり、と視界が歪み、俺の体はゆっくりと岸辺に倒れ込み……。


(……みず……)


 最後にそう思ったのを最後に、俺の意識は完全にブラックアウトした――。

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