九話
「おお! よく来たな!」
部屋に入って来たレイナウトをヴェンデルは両手を広げて迎えた。
「お祖父様、最近会えなかったけど、何してたの?」
「もちろん仕事だ。我が王国のために、やらなければならないことが山ほどあるのだ。遊んでやれず悪かった。寂しかったか?」
「ちょっとだけね」
「ちょっとか。それはそれでこちらが寂しいな」
はははと笑うヴェンデルの横にいた男性が、小さくおじぎをして言う。
「それでは陛下、私は失礼いたします」
「ああ、ご苦労だった」
遅れて部屋に入って来たコルネリアとすれ違った男性は、丁寧に挨拶してから部屋を後にした。
「……陛下、あの者はどなたです?」
「ん、コルネリアか。あれは宰相のトゥーニスだ」
「宰相? ロイテルはどうしたのですか?」
「あやつは外した。口うるさいのが直らないのでな。処刑はしていないから安心しろ」
国王の右腕となる宰相をそんな理由で変えてしまったことに、コルネリアは唖然とした。
「お祖父様、ロイテルをクビにしたの?」
「ああ。黙れと言ってもあやつは黙らないのだ。だから城から追い出した」
「民思いのいい人だったのに、何で?」
孫の質問にヴェンデルは眉をひそめながら答える。
「わしに注意ばかりしてきて、やるべきことが何も進まないのだ。ことあるごとに慎重にと、口癖のように言ってきて、やかましいことこの上ない。あやつが側にいては、いつまで経っても何も決まらないだろう。わしのすることを邪魔するやつは、この城にはいらない」
「邪魔はよくないけど、でも城から追い出すのは可哀想だよ」
「そうです陛下、ロイテルは有能な臣下で、長年仕えてきた者でもあります。宰相の任を解くにしても、別の役職を与えるべきでは? 彼にはそれだけの能力があると――」
「誰にどの仕事をさせるかはわしが決める。娘のお前であっても意見は聞かない。臣下のことはわしのほうがよく知っているのだ。それ以上やかましく言うのならば、この部屋から出て行ってもらうぞ」
父にジロリと見られたコルネリアは、もう口をつぐむしかなかった。意見を続ければ、睨まれるだけでは済まなくなるのは明らかだった。
ヴェンデルは表情を緩ませると孫へ向き直った。
「……ではレイナウトよ、今日は何をしてあそ――」
「お祖父様、僕この前、城下町へ行ったんだ」
唐突な話に、ヴェンデルはきょとんと見つめる。
「ほお、そうなのか。何か見て来たのか?」
「町の中と民の暮らしを見て、そこで話も聞いたんだ」
「どんな話を聞いたのだ?」
「王様は町や自分達のために何もしてくれないって。だから不幸だって言ってた」
コルネリアは背筋に嫌な汗を感じ、固まった。ここでレイナウトを止めるのも逆に気まずく、そっとヴェンデルの様子をうかがい見る。その顔にはまだ読み取れる感情はなく、真っすぐな視線はレイナウトを見つめ続けていた。
「お祖父様のこと、嫌ってるみたいだった。皆に優しくしてあげないと、お祖父様、もっと嫌われちゃうよ? 僕そんなの嫌なんだ」
こんな言葉はまさに孫のレイナウトしか言えず、ここまでどうしていいかわからない空気もコルネリアは初めて感じるものだった。下手に口を出せばヴェンデルの逆鱗に触れてしまいそうで、父と息子とに視線を動かしながら、二人の成り行きを見守る他なかった。
するとヴェンデルは、張り詰めた空気を緩めるように笑みを見せると、おもむろに口を開いた。
「お前は優しい子だ。わしにそんな心配をしてくれるとは。だが要らぬ心配だ。嫌っているのならそうさせておけばいい。民はわしのことなど知りもしないし、知ったところで理解もできないだろう。そんな者らにどう思われようとも、わしは痛くも痒くもない。レイナウト、お前に好かれてさえいれば、それで満足よ」
言いながらヴェンデルは孫の頭を優しく撫でる。
「でも僕は嫌だよ。お祖父様のこと、皆にも好きになってほしいんだ。嫌いなままでいてほしくない。だから話を聞いて、優しくしてあげてほしいんだ」
真面目に言うレイナウトを、ヴェンデルは困り顔で見返す。
「民の話や要望は定期的に上がってきたものを聞いているぞ?」
「それでも嫌ってるってことは、まだ足りないからだよ。もっとたくさん聞いてあげればいいんじゃない?」
これにヴェンデルは首を横に振る。
「民のすべての要望に応えていては、この国は立ち行かなくなってしまう。民からの願いは際限がないのだ。声や顔色をうかがったところで、それはかえって民を苦しめることになるだろう。だからわしは、民の命や財産を守ることを優先した仕事をしているのだ」
「皆のことを、守ろうとしてるの?」
「そうだ。国境を整備し、軍備を整え、我が国を攻め落とそうとする隣国から守っているのだ。この地を脅かされれば民も平和に暮らせない。我が国を守ることは、民のためでもあるのだぞ」
自信満々に話すヴェンデルを、コルネリアは冷めた気持ちで見ていた。隣国とはダーメル王国であり、かつて戦った国ではあるが、現在は友好的な関係になっている。それにも関わらず、ヴェンデルは今もダーメル王国に敵対心を持ち続けていた。戦争があったのは二十年以上前、ヴェンデルが三十代の時であり、その頃に刷り込まれた敵がい心が消えずに残っているようだった。コルネリアを含め、臣下の誰もがダーメルとはいい関係を築きたいと考えているのだが、国王ただ一人が反対し、騙されるなと警戒し続けている状況があった。必要のない軍備を整える金銭があるのなら、もう少し民や町村のために役立てるべきではと思っても、口に出して言える勇気を持つ者はなかなかいない。が、ここにきて初めて九歳の王子が言ってくれた。
「だけど、皆は隣国のことより、自分達の生活のことで困ってるんだよ? それがよくならないと幸せに暮らせないよ」
よくぞ言ったとコルネリアは内心で息子を褒めた。孫に言われてヴェンデルは多少なりとも考えを変えてくれるかと期待したが、それはすぐに砕かれた。
「それは違うぞレイナウト。民が幸せに暮らすにはまず、この国が安全でなければならないのだ。その根幹があってこそ、民の暮らしに幸せが生まれるのだ。国の安全を保つのは、このわしにしかできないことだ。そのためにはあらゆる障害を取り除かなければならない」
「皆が困ってるのを、無視してでも?」
「ああ。国を守るというのは、とても大事なことで優先させなければならないのだ。ある日隣国の者らがやって来て、住む場所を奪われたら、お前も困ってしまうだろう? そうならないためにわしは頑張っているのだ。その中には民の嫌がることも含まれているかもしれないが、すべては幸せの根幹を築くためなのだ。それを果たすまで、民には辛抱してもらうしかない」
レイナウトは小首をかしげると、上目遣いに聞いた。
「でも、隣の国の人達は、本当に僕達の国に攻めて来るのかな……」
「今はそんな様子も気配も見せてはいないが、それこそがやつらの手法なのだ。友好を装い、こちらの気を緩ませたら、内部へ静かに入り込み、中から崩し始めるのだ。何を言われようと、決して聞いてはいけないし、油断もしてはならないぞ」
「仲良くしちゃ駄目なの?」
「表面上だけに留めるべきだ。気を許せばどんな攻撃をされるかわかったものではない」
「近くに住む人とは、仲良くしたほうがいいと思うけどな……」
「向こうにその気がないのだ。ならばこちらもそうする理由はない。……いつの間にやら硬い話になってしまったな。こんな話はもうよそう。さあレイナウトよ、向こうにオレンジジュースと菓子を用意してあるぞ。食べに行こう」
そう言ってヴェンデルは先に机とソファーの置かれたほうへ歩いて行く。しかしレイナウトはすぐにそれを追わず、後ろに立つコルネリアに振り返って聞いた。
「ねえ母上、隣のダーメル王国って、僕達と仲良しなんだよね……?」
「ええ、そうね……ほら、陛下の元へ行って。待っているわよ」
背中をそっと押し出すと、レイナウトは疑問の残った顔のままソファーのほうへ向かった。母として、あなたは間違っていないと言ってやりたいコルネリアだったが、ヴェンデルの前では言えるはずもなく、曖昧な態度を取るしかなかった。彼女個人としても、隣国との友好を深めることは進めるべきと考えており、ヴェンデルとは真逆の気持ちを持っていた。娘から見ても、父のダーメルへの敵対心は病的とも思えて、戦を経験しているとは言え、なぜ今もそこまで目の敵にするのか、理解に苦しむものだった。レイナウトが王国を治める時代まで、このまま平和を維持したいものだが、ヴェンデルの言動は周囲の者達に一抹の不安を感じさせてくる。これ以上、陛下の敵対心が強くならなければいいが――怒りを恐れて直言できないコルネリアは、そう心配するのだった。
だがヴェンデルが作り出す不穏な気配は、ますますこの国を覆っていくことになる。




