七話
この日もヴェンデルと会うために、コルネリアに連れられて城へやって来たレイナウトだったが、まだ公務が終わらず、待っていてほしいと伝えられ、二人は庭でも見に行こうと廊下を歩いていた時だった。
「出て行け!」
聞き覚えのある怒鳴り声と共に、扉が勢いよく開いた音がして、二人は廊下を振り返った。その先には知る顔の男性がヨロヨロと部屋から出て来る姿があった。
「……あれは、宰相のロイテルかしら」
「ねえ、あそこってお祖父様が仕事する部屋じゃない? 何かあったのかな」
息子に言われて執務室だと気付いたコルネリアは、よからぬ空気に嫌なものを感じつつも、見て見ぬふりもできず、レイナウトと共に引き返して様子を見に行った。
「陛下、どうか……」
「わしに逆らうことは許さんぞ! 貴様は処刑だ!」
部屋の入り口に仁王立ちしているヴェンデルは、恐れおののくロイテルに容赦ない言葉と怒りをぶつけた。そのあまりに穏やかでない様子に、コルネリアは自身も恐れながら父に声をかけた。
「陛下、一体、どうしたのですか?」
横から現れた娘に、ヴェンデルは吊り上がったままの目を向けた。
「お前には関係のないことだ」
「そうは言っても……ロイテルに処刑と言っていましたよね? 何があったのです?」
「こやつがわしに、生意気にも逆らうからだ」
「逆らったわけではございません! 私はただ、恐れながらご忠言をさせていただいただけでして」
「忠言などいいふうに言いよって……とどのつまり、わしのすることが気に入らずに逆らったのだろうが!」
「そのような意思はございません! 陛下に今一度、ご深慮をお願いしたく申し上げた次第でございます。逆らうつもりなど毛頭ございません!」
「わしに嘘までつくか! もう貴様など必要ない! コルネリアよ、衛兵を呼べ。こやつを処刑場へ連れて行かせろ!」
乱暴な指示を受けてコルネリアが困っていると、その前にレイナウトが顔をのぞかせ、二人の間に入るようにやって来て聞いた。
「お祖父様、何でそんなにロイテルに怒ってるの?」
孫の存在に気付いたヴェンデルは、その顔を見下ろすと瞬時に表情を緩め、口調も穏やかに言った。
「おおレイナウトよ、お前もいたのか。こやつはな、わしに逆らい、文句など言ってきたのだ。国王のわしにだぞ? 許されぬことだ」
「ふーん……何で文句を言っちゃったの?」
レイナウトの視線が萎縮するロイテルに向く。
「文句など申し上げたつもりはございません。私は、以前の会議でお約束されたことを、お守りいただきたくて……」
「約束って、どんな?」
「陛下は現在、国境整備を進められており……特にダーメル王国との国境では、同時に軍備も並行して整えられ、それらの九割ほどが終わっているのですが、陛下はまだ不十分だと……」
「ダーメルは笑顔を見せながら、腹の底では何をたくらんでいるかわからないやつらだ。いつ、どのようなことが起きても、我らは対処できる備えをしておかなければならないのだ」
またかという言葉を飲み込み、コルネリアは言った。
「陛下、ダーメル王国との争いは二十年以上も昔のことです。今はあちらも友好的ですし、過度に警戒をする理由などないのでは……?」
これにヴェンデルはジロリと娘を見やる。
「お前もやがてこの国を導く者になるのだ。そんな人間が平和ボケなどしていてどうする。ダーメルにはいかなる時も隙を見せるな。針で開けた穴からでも、あやつらは手や身体をねじ込み、密偵として侵入して来る。だから周りにいる者達も信用し過ぎてはならないぞ。こやつのようにな……!」
睨まれたロイテルは肩ををすくませ、うつむく。
「それで、約束って何なの?」
それた話をレイナウトが振ると、ロイテルは弱々しい声で話す。
「国境整備のための資金として、民に課した税率を一時的に上げているのですが、陛下は今しばらく、税率をお戻しにならないと仰り……」
「終わってないなら戻せないんじゃないの?」
「整備は予定通りに行われております。ですので完了までの資金も十分残っております。この国境整備を話し合われた際、陛下は資金の目処がついた時点で税率を元に戻されると私共に仰いました。ですが本日うかがったところ、軍備増強を理由に今しばらく続けると仰られ、私はお話が違うのではと……」
レイナウトは小首をかしげて母を見た。
「……母上、どういうこと?」
「つまり、陛下は国境整備の資金が溜まったら、民の税を元に戻すと言ったのだけど、それが溜まっているのに、税は戻さず別のことに使うと言っているのよ。それにロイテルは、最初の約束と違うと思っているわけね」
仰るとおりですとロイテルは頷く。
「確かに最初と違うね。お祖父様、約束したことは守らないと駄目だよ」
「あれは約束ではない。わしは予定を言ったまでだ。約束だと思い込んでいるのはこやつだけだ」
ロイテルは呆然とヴェンデルを見つめた。
「そ、そのようなことは……陛下は私共の前で、その時は税率を戻すことを約束すると、そう仰られ、ですから皆――」
「くどくどとやかましいわ! わしは約束などしていない! 予定を言ったのだから、都合や状況で変わることもあるだろう」
「では、税率はいつ戻されるのでしょうか。このままの率を保たれれば――」
「貴様などに言う必要はない。それはわしが然るべき時に指示する」
「民の暮らしは困窮しております。軍備も重要なこととは存じますが、すべては民あってのことです。何事も民が苦しんでいる状況で――」
「黙れ! 今は民より、この国を守ることのほうが重要なのだ! そのためにわしは必要なことをしているまでだ!」
ヴェンデルは向きになるように怒鳴った。その言葉を聞いたレイナウトは、先日見た陳情に並ぶ民達の光景を思い出す。皆生活の中で何かしらに困り、助けを求めていた。その民達がさらに苦しんでいるのかと思うと、レイナウトはヴェンデルの言葉に頷くことはできなかった。
「ねえ、お祖父様は何で民に冷たくするの?」
思わぬ質問にヴェンデルは一瞬たじろぐ。
「つ、冷たくしているのではないぞ。わしのしていることは国を守ることであり、ひいては民のためにもなることなのだ」
「でもロイテルは民が苦しんでるって言ってるよ?」
「苦しいなどと言っているのは、税を納めたくない一部の卑劣な民に過ぎない。大半の者は納めているのだ」
納税をしなければ長い間牢から出られず、最悪死ぬこともあるから皆、苦労しながらも納めているのだ――そんな反論をロイテルはしたかったが、処刑と言われた身では、そんな勇気はもう出せなかった。
「本当にそうなの? お祖父様は皆が困ってること、知ってる? その中には税のこともあったよ。多く取られたとか、払えないから期間を伸ばしてほしいとか、いろいろ聞いた」
「聞いた? 誰に聞いたというのだ」
不思議そうに聞いたヴェンデルをさえぎり、コルネリアは慌てて息子に言う。
「レイナウト、その話はしなくていいから……」
「コルネリア、お前が吹き込んだのか?」
疑念の目に睨まれ、コルネリアは話すしかなかった。
「……違うのです。実は、先日、レイナウトが陳情の列を見に行ってしまい――」
一連の出来事を話して聞かせると、ヴェンデルは驚きに瞬く。このことは城内に知られてはいたが、国王までには伝えられておらず、ヴェンデルは初耳の話だった。聞き終えると険しくなった顔が娘を見つめた。
「お前は何をしているのだ! 幼い王子をほったらかしおって!」
「すみませんでした……」
「そんなところに行かせるなど、侍女はクビにしたのだろうな?」
「それは、こちらで済ませましたので……」
クビにしていないことを言えば怒り狂う様を想像し、コルネリアは嘘で流した。
「レイナウトは我が国にとって大事な存在なのだぞ! 信頼する侍女とは言え、すべてを任せることは愚かだ。母親ならば責任を持って面倒を見ろ」
「気を付けます……」
うつむき、謝る母を横目に、レイナウトは言う。
「でも、イエッテのおかげで僕は民が困ってることを知れたんだよ。お祖父様は知らないでしょ?」
「う……まあ、そうだな。民から直接聞いたことはないが」
「皆困って、だから城に頼みに来てるんだ。王様はそういう人達を助けなきゃいけないんでしょ? お祖父様は助けてあげないの?」
「だ、だから言ったではないか。わしのしていることは将来、民を助けることでもあると」
「将来っていつ? 困ってる人はずっと待ってられないよ。すぐに助けてほしいんだから」
「そうは言っても、計画的に備えておかなければ、国は守れないのだ」
「国を守るためなら、民は苦しんでもいいっていうこと? 王様は民を助けなきゃいけないんじゃないの? 苦しませてもいいの?」
「いや、苦しませているのではなく……」
「僕はロイテルが正しいと思うんだ。資金が溜まったなら、税は元に戻すべきだよ。それが最初に言ったことなんでしょ? 約束じゃなくても、言ったことならその通りに守る――」
「わかった! わかったから、もう勘弁してくれレイナウト」
真っすぐな疑問をぶつけられ続け、耐えられなくなったヴェンデルは諸手を上げて降参した。
「まったく……お前もなかなかにやかましくなったものだな。その成長が嬉しいやら悲しいやらだ」
「税を戻して、皆を助けてくれるの?」
孫の問いにヴェンデルは渋い顔で頷いた。
「本意ではないが、お前がそんなに言うのならば……仕方がない」
「ありがとうお祖父様! これで皆の困り事も減るよ」
喜ぶ孫の頭を国王は苦笑いを浮かべながら撫でる――コルネリアとロイテルは喜びと安堵でそれを見ていた。やはりレイナウトだけが国王の意思を変えることができるのだと改めて知ったのだった。
「じゃあ、ロイテルのことも許してくれる?」
自分の名が出て、ロイテルは戸惑いの目でヴェンデルを見る。あれだけ怒らせてしまい、今さら許す気などあるのか――わずかな希望を見い出したいロイテルは、胸の中で祈りながら国王の言葉を待つ。だがそんなロイテル見るヴェンデルの眼差しは明らかに冷たい。
「こやつは、わしに逆らったのだ。そう簡単に許すことは……」
「しかし、結局はロイテルの言った通りにするのですから、命を奪うなど、厳しい処分にすることはないのでは?」
控え目に言ったコルネリアの言葉に、レイナウトも頷く。
「そうだよ。ロイテルは困ってる人達のために言ったんだよ? いいこと言ったのに何でいじわるするの?」
娘と孫に言われ、ヴェンデルは不機嫌な表情をしながらも言った。
「うぅ……ならば取り消し、一ヶ月の謹慎に処する! これでいいか?」
「一ヶ月って長くない? まだいじわるだよ」
「では一週間だ! これ以上は譲らないぞ」
レイナウトはまだ納得してなさそうな顔でロイテルに聞いた。
「……一週間だって。どう?」
「従わせていただきます。コルネリア様、レイナウト様、そして陛下、その深いご慈悲のお心に感謝申し上げます」
「本当にいいの? 謹慎ってどこにも行っちゃいけないことでしょ? つまんなくない?」
子供らしい言い方に、ロイテルは微笑んで言う。
「この命を失わずに済むのであれば、一週間をつまらなく過ごすことなど何の苦にもなりません。……それでは陛下、私はご命令通り、反省の暇をいただかせてもらいます」
「しっかり反省をしてこい。こんなことは二度とするな」
ヴェンデルが睨むと、ロイテルは小さく会釈してから廊下を遠ざかって行った。
「ふんっ、やかましいのが消えて清々する」
小さくなる背中へ鼻を鳴らし、ヴェンデルは呟く。その様子からはまだロイテルを許していないようだったが、処刑という最悪の処分を避けられたことだけはよかったと言える。少なくとも、この後のヴェンデルとレイナウトの触れ合う時間を気分悪く過ごさずに済みそうだとコルネリアは思うのだった。
「……陛下、公務は終わったのですか?」
「ああ。あやつがわしに逆らわなければ、もっと早くに終わっていたわ。……さあレイナウトよ、わしの部屋で遊ぶか」
「はい! 今日は何しようかな」
「玩具もあるが、お前の好きそうな本も揃えておいたぞ。他にも――」
二人は並んで廊下を歩き出す。笑顔で話すヴェンデルに直前までのしかめっ面は微塵もない。そこには孫を溺愛する祖父がいるだけだ。常にこうであってほしいものだが、その姿はレイナウトの前にしか現れない。臣下達に対しても優しく接してもらえないかと思うが、レイナウトなしでは無理なのだろう。今は幼いから可愛がっているだけで、ヴェンデルの溺愛がいつまで続くかはわからない。成長して大人になったら関心を失うこともあり得る。その頃には国王を退位している可能性が高いが、ヴェンデルが玉座にいるまでは、レイナウトに周りの者達を助けてもらうしかなさそうだ――コルネリアは密かにそう思った。




