五話
「お祖母様! いらっしゃい!」
広大な緑の山河を見渡せる広いテラス。先に席に着いていたレイナウトは王妃ノールの姿を見ると、椅子から飛び出して駆け寄って行った。
「あらあらレイナウト、少し見ない間にまた大きくなったかしら?」
孫の手を握り、黒い頭を撫でながらノールは満面の笑みで話しかける。
「はい! ちょっとだけ背が伸びたんだ。こっち来て、一緒に座ろう!」
レイナウトは祖母の手を引き、両親のいる長机の席に案内する。
「お母様、元気にしていた?」
「ノール様、お変わりがないようで安心いたしました」
コルネリアとヘインがそれぞれ声をかける。
「ヘイン、あなたは娘のために陰日向になってやってくれているようね。これからも頼むわね。……コルネリア、心労など起こしていないようでよかったわ」
「陛下とは一定の距離を取るよう心がけているから」
「でも、レイナウトが成長してからは、頻繁に城へ呼ばれていると聞いているけれど?」
「目的は私ではなく、レイナウトだから、対応はレイナウトにほとんど任せているの」
「息子に丸投げとは……それで大丈夫なの? レイナウトに悪影響などない?」
「ないわ。それどころかレイナウトのほうが陛下を圧倒してしまうぐらいよ。この間も城内で行った演奏会を陛下が中止にしようとしたのを、皆が聴きたがっているからと続けさせたのよ。我が子ながら頼もしく見えたわ」
「まあ、あの人に逆らったの? ……すごいのね。怒られると思わなかったの?」
はす向かいに座る孫にノールは聞いた。
「何で? だって皆も僕も、音楽が聴きたかったんだもん。やめちゃうのは嫌だったから」
子供の純粋さにノールは思わず笑ってしまうのだった。
「……ところで、あの人は来るのかしら」
ノールの視線が長机の上座を見る。その席は空で、まだヴェンデルの姿はなかった。
「普段の昼食会では、私達が来る前に必ずいるのだけど、今回は足が重いのでしょうね」
「そんなに私と会いたくないのなら、呼ぶことなどなかったのに」
「そうはいかないのよ。レイナウトに次は呼ぶと言ってしまったから」
「私よりレイナウトのためなのね……まあ、それはそれでいいけれど、呼ばれた者の気持ちもわかってほしいわね。まるで招かれざる客のような気分よ」
「そんな後ろ向きにならないで。私達はお母様に会えて嬉しいのだから。それだけでいいじゃない」
ニコリと笑って見せた娘に、ノールも複雑な笑みを返す。
「そうね……あなた達がいてくれてよかったわ。せっかくの時間、楽しいものにしなければね」
そうして四人でしばらく歓談していた時だった。
テラスに接する部屋の扉が開き、そこから人影が入って来た。ノロノロと歩いて来ると、四人の座る長机に近付き、太陽の光にその姿をさらす。
「あ、陛下、お待ちしておりました」
最初に気付いたヘインが椅子から立ち上がり、出迎えた。他の三人もヴェンデルの登場に会話を中断させ、立ち上がる。
「公務が忙しかったのですか?」
「うむ、そうだな……」
娘の声に答えたヴェンデルだが、その表情は早くも険しかった。
「お祖父様、今日はお祖母様を呼んでくれてありがとう!」
無邪気なレイナウトが元気に礼を述べた。
「礼などいい。わしは、言ったことを守っただけだ」
孫に一瞬笑顔を見せるも、また表情を戻すと、ヴェンデルはうつむき加減に自分の席に着いた。その間、視線は一度もノールへ向くことはなく、それに耐えかねたのか、ノールは穏やかに声をかけた。
「忙しくするのもいいけれど、適度に休むことも大事よ」
「お前に言われずともわかっている」
低く小さい声で返したそれに、ノールを歓迎するような雰囲気は微塵もない。その微妙な空気を感じ取ったコルネリアとヘインは、いつもとはまた違う緊張を強いられるのだった。
全員が揃うと、テラスには次々料理が運ばれ、並べられた。皆はそれを食べながら互いの話題で笑ったり、驚いたりと、和やかな時を過ごしていく。いつもの昼食会の景色ではあるが、今回に限ってはその中心にノールがいた。久しぶりに呼ばれたことで、国王を除いた三人は彼女の近況を聞きたがったのだ。そうなると話題は自然とノールが中心となっていた。
「――なるほど。ではノール様は森林の保全に励まれておられるのですか」
「保全なんて大層なことではないわ。近隣の森の樹木を見て回って、少しだけ手入れしているだけのことよ」
「お祖母様が手入れすると、どうなるの?」
「そうね、簡単に言えば、樹木がより健康になって、森に生きる動物も暮らしやすくなるのよ。そうすると森に入る私達も、その恩恵にあずかれるわ」
「へえ。じゃあいいことしてるんだね」
「でも、そんなことをお母様がしなくても、地域のきこりや他の者がやってくれるのではなくて?」
「別荘の周りは広大な森林地帯なの。きこりだけではさすがに隅々まで見て回れないわ。だから私の目が届く範囲だけでも手伝おうかと思って」
「妃殿下であらせられながら、民や地域のためにご尽力なさるとは、私も見習わなければ」
「ヘイン、あなたにはあなたのやるべきことがあるわ。まずはそちらを頑張りなさい。私には時間があるからこういうことをしているというだけで、半分は趣味みたいなものよ」
「だとしたら素晴らしい趣味と言えますね。私には熱中できるほどの趣味はないもので」
「そうなの? 以前に陛下と鹿狩りへ行かなかった? あれは趣味にならないの?」
「とんでもございません。私の腕では陛下の足を引っ張ることしかできませんので」
「あら、自信を失うほどの出来だったの? ……陛下、実際に見て、ヘインの狩りはどうでしたか?」
ノールは会話の自然な流れでヴェンデルに問いかけた。ここまで黙々と食事をしていたヴェンデルだが、皆の視線を受けると一旦手を止めて口を開いた。
「……そんなことは憶えていない」
「む、無理もございません。鹿狩りは婚姻前のただ一度のことで、十年以上昔のことですから……」
気遣うようにヘインは笑顔で言う。
「けれど、少しぐらいは憶えてい――」
ガチャンと大きな音を立ててヴェンデルはフォークを皿に置いた。この音で場が黙ると、苛立ちのこもった眼差しで家族を見回し、そして言った。
「やかましくて何も美味しくない」
やはり、と言うか予想通りに、ヴェンデルは苛立ちを見せた。原因はもちろん妻ノールだろう。団らんの空間がピリッと張り詰める。
「陛下のお気に召さない話でしたか? では別の話を――」
「そうではない。お前がベラベラとやかましいのだ!」
怒鳴られることには慣れているのか、ノールは困ったと言いたそうに溜息を吐く。
「お祖母様、そんなにうるさかった?」
不思議そうな顔でレイナウトが横から聞いた。
「ああ。うるさくて食欲が失せる」
「僕達、普通に話してただけだけど」
「声がうるさいのだ。聞いているだけで気が滅入ってしまう」
「それは、申し訳ないわね」
ノールが少しおどけたように言うと、それにヴェンデルは苛立った眼差しを向けた。
「そういうところが気に入らないのだ!」
怒鳴ると、ヴェンデルは椅子から立ち上がり、席から離れようとする。
「お祖父様、どこへ行くの? まだ料理が残ってるよ?」
「やはりそやつと共にはいられない。悪いがわしは退席させてもらう」
溺愛する孫がいながら、それでもこの場を離れたがるというのは、ヴェンデルにとってよほど妻の存在が目障りで鬱陶しいのだと皆が思えた。コルネリアは今回の昼食会で、両親の仲が戻ることをわずかに期待していたのだが、それはもはや叶いそうになかった。
けれど、国王の逆鱗を恐れずに、疑問を問いかけ続ける者がここにはいる。
「お祖母様のこと、嫌いなの?」
孫からの質問にヴェンデルの足が止まる。
「やかましいところは、嫌いかもしれないな」
「お祖父様はそう言うけど、どこがうるさいって思うの?」
「どこって、聞いていればわかるだろう」
「僕、わかんないよ。だってお祖母様は普通の声で話してるだけで、叫んだりしてないよ? お祖父様の怒鳴り声のほうがうるさいと思うけどな」
これにヴェンデルは、ウッとばつの悪い表情になる。
「うるさいというのは、そういうことではなくてだな……」
「じゃあどういうこと?」
「だから、つまり……」
ヴェンデルの目が泳ぐ。妻と娘夫婦に注目される中、どこか言いにくそうにしながら口を開く。
「……わしは、出しゃばる態度のことを、言っているのだ」
「出しゃばるって?」
首をかしげるレイナウトと同じように、ノールもまた首をかしげた。
「皆がいる場に出ると、そやつはわしを差し置いて勝手に話し出すのだ。今のようにな」
「お祖父様より先に話すのが、嫌なの?」
「そういうこともあるが、一人で勝手に――」
「それは心外だわ。私はただ久しぶりに会う家族との会話を楽しんでいるだけよ? それを出しゃばりと言われては、私はもうこれ以上娘達と話せなくなるじゃない」
困惑の口調でノールは夫に言うが、ヴェンデルは顔をしかめ、苛立ちを見せる。
「お前は話すことに夢中で周りを見ていない。自分ばかりが楽しんで、わしのことなど考えてもいないだろう!」
「周りは見ているわ。だから皆の話も聞いているじゃない。私の話が気に入らないのなら、あなたも会話に入ればいいでしょう? そうすれば私が多く話す必要もなくなるわ」
「わしは食事もしているのだ! その傍らでベチャクチャとやかましく、口を挟む暇もないではないか! この場だけのことではないぞ。謁見の場や報告会議の場でも、お前はわしより先に話し出すではないか! 国王はわしなのだぞ! それを出しゃばって……」
これにノールは深い溜息を吐いてから言った。
「あなたは、そんなふうに思っていたのね……私はあなたのためのつもりだったのに」
「わしのためだと? どこをどう取ればそうなるというのだ!」
ノールはフォークとナイフを置くと、両手を膝に戻し、夫を見やった。
「黙っているあなたに代わり、私は率先して話すように努めていただけ」
「何? わしが話さないと、お前が話さなければならないのか? 一体どういう論理で――」
「気付いていないでしょうけどね、あなた、皆に怒鳴る時と同じぐらいに、黙っている時も周りを萎縮させているのよ」
ジロリと見つめられたヴェンデルは、眉をひそめてわずかにたじろぐ。
「……萎縮? だ、だから何だというのだ。そんなもの、そうなる者が悪い」
「いいえ。萎縮させるあなたが悪いわ。不機嫌な顔で怒声を浴びせれば、誰だって怖がってしまうでしょう。そうなれば兵士や臣下達はあなたの顔色を常にうかがって、議論すべき場でも正直な声を出せなくなってしまうのよ。あなたがそんな態度を繰り返しているから、無表情で黙っているだけでも恐れられてしまうの。それは内政にとって大問題よ。だから私はあなたに代わり、場が少しでも和むように皆に話しかけていただけ。すべては意見を心置きなく交わしてもらうためのことだったのよ」
唖然とした顔でヴェンデルは妻を見る。
「……それが、出しゃばる理由なのか?」
「その言い方はやめてちょうだい。私は話したくてそうしているのではないのだから」
妻のうるさかった理由を知り、ヴェンデルは自分の気持ちをすぐには整理できず、黙り込む。
「お祖母様はお祖父様のために皆と話してて、出しゃばってたわけじゃないんだね」
レイナウトがそう言うと、ヴェンデルは我に返ったように口を開いた。
「……い、いや、たとえそうだとしても、国王であるわしを差し置いて話し始めるなど、あり得ぬことだ! お前はわしの面目を潰して――」
「じゃあさ、お祖父様がもっと笑えばいいんじゃない?」
「ん? 笑う……?」
「だって、お祖父様が怖い顔で皆を怖がらせてるから、お祖母様が代わりに話してるんでしょ? それならお祖父様がニコニコ笑って皆と話しやすくなれば、お祖母様は代わりに話さなくて済むんじゃない?」
「それはいい考えね。あなたが常に笑顔でいてくれたら、私は話さなくて済むし、あなたに煙たがられることもなくなるわ。どう?」
顔をしかめたヴェンデルは妻と孫を見る。
「皆の前で、笑っていろと……? そ、そんなことできるか! 先代の王にも言われている。国王は臣下に軽んじられてはいけないと。皆の前では常に厳しく、威厳を保たなくてはならないのだ。笑顔を見せて過ごすなど、陰で笑われることはできない!」
「笑ったりなんかしないよ。僕は怒ってるお祖父様より、笑ってるお祖父様のほうがいいと思うな」
「そうよ。誰も怖がらせないあなたのほうが、皆より親近感を抱くわ」
「親近感などどうでもいい。わしは軽んじられてはならないのだ。この王国を治める者として、強く厳しくあらねば――」
「厳しさばかりでは臣下達は付いて来てくれません。恐怖で縛ればより心は離れるわ。国王に媚びへつらう者しかいない国など、将来に待つのは闇だけよ」
「では何か? お前は臣下達に、わしへ口答えしろと言いたいのか?」
「口答えではなく、お互いが腹を割った議論をしてもらいたいのよ。そうすることで問題を理解し、解決策を吟味して、この国をよりよく導いて行けるでしょう?」
「ふんっ、わかったふうなことを……王国を導いているのは、このわしだ! 出しゃばるお前の意見など聞く気はない!」
怒りを見せたヴェンデルは席から離れ、テラスから出て行こうとする。
「陛下……」
コルネリアとヘインは立ち上がってヴェンデルを呼び止めようとするが、怒りのオーラをまとった姿にそれ以上声をかける勇気はなく、黙って見送るしかなかった。
「あの人は……なぜこちらの気持ちを理解してくれないのかしら……」
溜息混じりにノールは落胆した顔で呟いた。家族揃っての昼食会は、ノールが招待されたことで初めから緊張感が漂ってはいたが、結局それを払拭することはできず、それどころか最悪の状態に変えてしまった。皆うつむき、暗い顔にならざるを得ない。
しかしレイナウトだけは違った。出て行く祖父を見ると、食事を止めて椅子から下り、その背中を駆け足で追った。
「レイナウト、待ちなさい。どこへ……」
母の声を無視して、レイナウトはテラスに面した部屋へ入ると、今まさに扉を開けて出ようとしているヴェンデルの腕をつかみ、引き止めた。
「お祖父様、まだ皆食べてるよ。どこ行くの?」
孫に聞かれたヴェンデルは振り向くと、険しい表情をわずかに緩めて見下ろした。
「悪いな。わしはもう食べる気がしなくてな」
「お祖母様がうるさいから?」
「……ああ、そうだ」
「でもお祖母様は、お祖父様のために言ってるんだよ? それはわかってる?」
見上げてくる目を見つめ、ヴェンデルは軽く頷く。
「わかっている。だが、わしは自分のやり方を変えることはできないのだ」
「どうして? 頑張ればできるよ。笑うだけだよ?」
「それが難しいのだ。この顔は生まれ付きだ。臣下に対して笑うようにはできていないし、笑うことも教わってきてはいない。先王の……父の言葉なのだ。いついかなる時も、決して油断してはならぬと。そして隙を見せてはならぬともな」
「笑っちゃ駄目なの? でもそれは臣下の前だけでしょ? 僕達の前ではいつも笑ってよ。怒ってるお祖父様と一緒にいても、僕、楽しくないし」
「レイナウト……」
「それに、お祖母様も可哀想だよ。全部お祖父様のためなのに……きっと心配なんだよ。だから嫌なことでも怒らないであげて。自分のために言ってるんだって思って、優しくしてあげてよ」
ヴェンデルはちらとテラスへ視線をやる。うつむいたまま座るノールの姿に、さすがにヴェンデルも申し訳なさを感じた。久しぶりに顔を合わせた妻……孫にさとされなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。
「あっちへ戻って、皆で食事の続き、しよ?」
腕をグイグイ引っ張られ、ヴェンデルは迷いながらも苦笑いを見せた。
「……仕方ない。お前には、敵いそうにないな」
テラスで待っていた三人は、ヴェンデルが戻って来た姿に驚いた。自ら立ち去った場にすぐ引き返して来るなどこれまでは考えられず、あり得ないことだった。そしてそのあり得ないことをさせたのはレイナウトであり、この光景によって彼への溺愛ぶりを強く再認識させられた。
「……何だ。わしが戻るのは迷惑か?」
驚きのあまり突っ立っていたコルネリアとヘインは慌てて自分の席へ座る。それを横目にヴェンデルとレイナウトも自分の椅子に腰を下ろす。
「私と一緒では、料理が美味しくないのではなかったの?」
ノールが少し険のある口調と眼差しを向けると、ヴェンデルはフンッと鼻を鳴らして言った。
「お前がわしのために話さなければ、そうとはならない」
これにノールは丸くなった目を瞬かせる。
「先ほどとは、随分と変わったようね」
「レイナウトに感謝しておけ」
素っ気なく言うと、ヴェンデルはフォークを握り、食べかけのサラダを頬張った。
「お祖父様、また顔が怖くなってるよ。笑う練習する?」
指摘されたヴェンデルは食べているものをゴクリと飲み込むと、困り顔を孫へ見せた。
「勘弁してくれ。それこそ料理が不味くなってしまう」
「じゃあ、練習はまた今度ね」
「こ、今度……はあ、お前が言うのなら仕方ないな」
孫に折れる祖父の姿に三人は微笑み、食事の場は一気に和んだ。その後は会話も弾み、昼食会は穏やかな空気のまま終了したのだった。
ちなみにノールは夫との誤解は解けたものの、別荘から城へ戻ることはなかった。森林保全の手助けを続けたいという本人の意志で、これからも別居生活は継続されることになった。しかし月に一度の昼食会には必ず呼ばれるようになり、本人も家族も寂しい思いをすることはもうなかった。その立役者であるレイナウトはノールから大いに感謝され、祖母にもその存在感を示すのだった。




