脱出ショー
「えー……ねっ、というわけで、鳩なんか出してみましたけどもね、はははっ……えー、では次行ってみましょう。あ、ショウ!」
観客のせせら笑いと囁きが会場を満たし、どこかネジが緩んだような雰囲気が広がっていた。
それもそのはず、舞台上にいるマジシャンの男は、つい数日前に週刊誌で不倫を暴露されたのだ。
とは言っても、単なる穴埋め記事で、テレビなどに出ている人気者というわけではない。最近ジワジワと売れてきていた苦労人タイプの中年の男だ。
そのマジックショーのチケットが手に入ったので来たのだが、記事の影響のお陰だろう、会場は満員御礼。マジシャンはむしろ週刊誌に感謝すべきかもしれない。
本人は一切余裕がなさそうだが、それもまた無理もない話。その理由も、みんなが会場に足を運んだ理由も、記事にあったその不倫の相手というのが……
「それでは、クリちゃん、あ、いや、クリスティーナさん。ただの助手のね、いや、ただの助手っていうか、パートナー、いや、パートナーはその、違くて、信愛すべき助手というか、いや、愛というか、いや、愛してないというわけでもなくて、いや」
彼の助手なのだ。マジシャンと美人助手の不倫。まあ、それ自体はありがちな話なのかもしれない。そして、これもそうだ。
「で、ええとね、彼女が用意してくれたこの椅子にね、ええ、オホン。我が最愛の妻にね、座っていただいてね」
彼の妻も助手なのだ。
おそらく、今まで二人でコツコツとやってきて、売れてきたあたりから規模拡大ということで新たに助手を雇い、そして売れてきたゆえに調子に乗り、不倫を……と、実に想像しやすい展開だ。
「三、二、一、はいはいはーい! なんと、椅子を引いてもそのまま! 宙に浮いてますよって、ははは! いやーまるで天使のようですね! ね! ははははは!」
彼の心情もまた想像しやすい。本来は飾りかあるいはマジックに使うのか、胸ポケットに入れていたハンカチはただの汗拭き用になり、その色が汗で変わっているのが見て取れる。
妻に気を使い、不倫相手にも気を使い、ステージ上を右往左往。
助手の彼女、クリスティーナをクビにすれば済む話だと思うのだが、そうできない事情でもあるのだろうか。尤も、不倫するのも納得の若さと美貌。彼の横に並ぶ妻と見比べればその差は歴然。彼の妻もそれなりの美貌の持ち主だったのだろうと思うが、彼と同年代なのだろう、その美しさには陰りがある。
もしかしたら、彼の現在の人気は不倫相手の彼女の魅力のお陰なのかもしれない。まあ、『現在の』人気と言えば、それは週刊誌の影響が大きいのだろうが。
クスクスといった笑いに加え、時折『不倫!』や『ぺろぺろ~』『クリちゃぁーん!』『舐め舐めタイム!』など、彼が不倫相手に送ったメッセージ、週刊誌に暴露されたその文言が客の口から飛び出る。
そのたびに、彼の妻はキッと彼と助手を睨み、助手もまた自分が悪いと自覚があるゆえの開き直りか、フンとした顔をする。
締まらない空気の中、危なっかしく映る彼だが一応、マジックを成功させ続けるのはさすがプロと言える。ショーも佳境に入ったようだ。
「えー……、ここでお知らせと言いますか、こちらにいる、わが愛すべき、あ、いや、違くて、いや、そういうわけじゃなくて、嘘というわけでも、その」
と、もういいよ! ヤジを飛ばしたくなるような、しどろもどろな彼によるとどうやら、あの助手のクリスティーナという女性は本日で卒業らしい。つまり、雌雄を決したというわけだ。まあ、妻を選ぶのは当然と言えば当然か。
客席から『クリちゃーん!』『クリクリー!』とどこか卑猥な、また彼のメッセージの文言が飛び出し、彼の妻が顔をヒクつかせているが、その張り付いた笑みからは勝利した喜びが窺えた。
だが、彼女たちも知らないのだろう。実は彼の本命は他にあり、それは来週発売の週刊誌で明らかに――
「と、いうわけでね、このショーの最後のマジックです! さあさあさあ! 会場の皆さんにもご協力いただきますよぉ!」
と、会場が暗くなり始めた。そうもったいぶらなくてもどうせ……あっ。
ありがちな脱出マジックだ。箱の中に入った彼に向かって横から妻とクリスティーナ、さらに会場の客が舞台に上がり鋭い剣を突き刺していく。
「成敗!」と、お調子者の客が言い、会場は笑いに包まれた。
成敗成敗、いい気味だと、妻とクリスティーナが目配せしているのが見える。
いよいよ箱が開く。ああ、ありがちだ。
本物の剣が混じっていて、箱の中の彼は絶命。妻と彼女が共謀していたのだろうが、そう、ありがちだ。
……だが、これは予想外だったろうな。あの記者くんも。
驚く妻とクリスティーナ。そして、観客たちの悲鳴が会場に響き渡る中、私は客席でボソッと呟く「脱出大成功」と。