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海を越えた梢の花とウィルバートン家の呪い  作者: 高台苺苺
第3章 いつもと同じ朝を貴方達と共に・・・
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第10話 悲劇の幕開け


 驚愕に顔を挙げると同時に、アーネストが強く抱きしめてきた。

 折れるほどに強く。息ができない程に強く。


「私は貴女を守りたい。だが、常に貴女を守る事は出来ない。不条理な運命は無情に貴女を奪い去る。それは誰も抗う事はできない。

 だから、貴女も自分を守る術すべを認識してほしい。

 貴女自身がその運命の力から逃げられるように!

 貴女は私の為に死なないと、ウィルバートンの名の力に殺されはしないと誓ってくれた。なら!

 思い出してください」


「何を?何を思い出すの?」

 何を?何か大きな不安な影がアーネストの後ろで腕を広げている気がする。

 由華里は身を強張らせた。


 それに気づいて、アーネストは更に強く抱きしめた。


「キーナの街は貴女の運命の逃げ場にはならない。更なる混乱を引き起こすだけです。あの時と同じ事が起きないとも限らない。その時…貴女の心は完全に壊れてしまう。それがわたしは恐ろしいのです」

「え?」

「貴女を狙う者は貴女の気持ちも都合も考えてはくれない。この間の事件は貴女には直接は関係の無い事であった。だが!ああいう事は多かれ少なから起こり得る事件です。

 目を瞑ってばかりでは自分で自分を守れない。

 私達も無防備に危険に飛び込む貴女を守りきれない。


 だから…

 思い出しましょう由華里さん…自分で自分を守る為にも。逃げないで」

「え?」

「私がいます。必ずいる。必ず守る。だからあの時…

 貴女に銃を向けた者を!」


 何か…忘れている…大事な事…そうだ…木暮を悲しませたくない…だから…

 だけど…ああ!!だけど!!


 声にならない悲鳴を挙げて、由華里は記憶の奥の黒い海に沈む物を見た。


 華やかなガーデンパーティー。笑いさざめく人々。なんの変哲もないパーティー。笑う人々。交わされるグラスに明るい話題。

 

 響く銃声。


 振り返る人々。間近の緑の芝に倒れ伏す。主催者の女性。広がる赤い…血。真っ赤な地。傍に立つ男は銃口を動かない彼女に打ち込む。とどめを刺すように…何度も何度も何度も…。

 

 無表情に。


 間を置いて響き渡る悲鳴。恐怖が広がり逃げ惑う人々。

 

 あの黒い銃口が自分に向けられる。

 間近に。


 そして自分の耳元で弾かれる銃と吹き飛ぶ男。血しぶきを挙げて無情な銃弾が打ち抜く。

 感情の無いマークの目が…銃口が‥真っ直ぐに自分を射ぬく。


「イヤ!嫌っ!!イヤアアアアアッ!!!」


 マークの後ろの影が大きく腕を広げて由華里を掴む。その幻影に由華里は怯えて叫んだ。


「由華里さん!!」

「イヤ!!イヤ!怖い!!」

「落ち着いて!!由華里さん落ち着いて!何が怖いのです?何が怖いのか言ってしまいなさい!」


 由華里はアーネストの腕の中でもがくように暴れ、顔を覆い縋り付いた。


「怖い!怖い木暮!私を殺そうとする力…私を守ろうとする力も!どちらも怖い!!怖いのよ!」


「守る力?マークがですか?」


 マーク?確かに怖い。あの目。なんの躊躇もなく引き金を引くあの目が怖い…


 でも違う…。


「違う…そうじゃない…怖いのは…」


 由華里は絶句してアーネストに取り縋った。


 あの銃口、マークの無感情な目。

 でも怖いのは…

 本当に怖いのは…

 マークの後ろのその背後に黒い翼を広げる巨大な力。


 わかっていたのに見なかった力。

 あの腕を広げているのは…。


 由華里は顔を挙げて、それを、見上げた。


「違うの…ごめん…木暮…ごめんなさい…」

「え?」 


 怪訝な顔のアーネストを見上げて、由華里は歯を食い縛るように言う。


「違うの…あの銃口もマークの銃口も怖かった…だけど本当に怖かったのは…

 木暮…あなたの私を守る巨大な力」


 驚愕の顔でアーネストが見下ろす。その瞳によぎる不安な影に由華里は震えた。


「由華里…さん?」


「私…酷い。わかっていたのに…なのに…木暮の後ろの大きな力が怖くなったの。

 なんのためらいもなく引き金を引くマークの無表情な目も怖い…

 でもその後ろの彼方の力が、それに飲み込まれそうな自分が怖くなった。


 私…繋いだ…この手を離して逃げ出したくなったの。

 その自分の心が…怖かった…。

 いつか…私達はこの手を離して別れてしまうのかと…怖かった…

 どんなに愛してもそばにいたくても…

 私達は…

 あの力に引き剥がされてしまうのではないかと…

 怖くて…忘れたかった…」


「由華里さん…」


「ごめん…ごめんね…ごめん…木暮ごめん…私…貴方から逃げたかった。

 ウィルバートンの名から逃げたかった。

 怖くて…貴方がいるのにそばにいてくれるのに…

 それでも…怖くて…怖くてそれから目を背けた。

 忘れたかった…

 酷い…約束したのに…私…私が一番酷い…」


 号泣する由華里の細い身体を抱きしめて、アーネストも心の中で泣いた。自分が由華里に背負わせた重荷の大きさに怒りを感じながら。


 由華里を追い詰めていたのは自分の力。

 誰もが畏怖するその巨大な力の大きさに、畏怖を感じ逃げだしたくなった。


 それから目を瞑り、現実から目をそむけ、心に蓋をしてベールで覆った。


 その重さが由華里を追い詰めた。

 だが…もう逃げ出したくとも逃げる事は出来ない。

 立ち向かわなくてはならない。


「由華里さん…酷いのは私だ。こうなる事を、貴女が死ぬほど苦しむのを承知で…貴女をこの世界に連れて来た」


「違う。それも違う。私は…私はそんなの覚悟していた。だから木暮のせいじゃないの。私の覚悟が足りなかったの」


「いいえ…それでも私は酷い男だ。たとえ貴女がどんなに苦しんでいても…この手を離す気がない…。だから私は平気で貴女を守る為に、心無い事も言う。

ウィルバートン夫人と言う鎧を纏った方が、貴女を守りやすいからだ。

貴女がそれを窮屈に感じている事も、違和感を感じている事も知っていた。

キーナの事も待ちたかった。

だが…世界は貴女が徐々にウィルバートン夫人に擬態するのを待ってくれないのです」


「世界?」

「そうです。私達を取り巻く全てが待ってはくれない」

「どういう…事?」

「それは…」


 ドンッ!と、鈍く低い振動音に二人はハッとした。


「爆発?」


 由華里を抱きしめて立ち上がるアーネストは、素早く辺りを伺い携帯でセキュリティーを呼び出した。


「何があった?」


―レタールームで爆発が…!今、確認を!…ラディナが!


「ラディナ?」


 ラディナは由華里付きのレター係だ。毎日届く由華里宛の手紙類を分別チェックしている。


「ラディナがどうしたの?」


 蒼白にアーネストを見上げる由華里の耳に、携帯から漏れる声が言う。


―ラディナが由華里様宛の手紙を開封しようとして…指を吹き飛ばしました!!


 いきなりアーネストの腕からするりと抜けて、由華里は書斎を飛び出し廊下を走りだした。


「止めろ!行かせるな!!」


 後ろから追うアーネストの声を振り切り、逃げ惑う人々を掻き分けて、由華里はレタールームへ走る。レタールームの前は白煙と黒煙が上がり、騒然と人々が走りあう。

 何かが辺り一面に舞い上がっている。

 スタッフが由華里に気付いて慌てて彼女を遠ざけようとする。


「いけません!由華里様!」

「誰か由華里様を安全な場所に!」


「でもラディナが!!」

「ダメです!!」


 もみ合う由華里とスタッフの後ろから、人混みを掻き分け追いついたアーネストが叫んだ。


「見せるな!彼女に見せるな!!」


 悲痛なアーネストの声が、由華里の腕を掴み引き戻そうとする。その胸に顔を押し付ける。


「見るな!!」


 だが、その直前、それは由華里の目に飛び込んできた。


 舞い散る手紙の数々。

 その中でまるで神からの啓示の様に舞いながら目の前に飛んで来た、大きく殴りかかれた文字。


 コロス ウィルバートン夫人


 その言葉は瞬時に由華里の心を引き裂き、そして同時にこの爆発が起った原因を由華里は理解した。


 ラディナが負傷した!?指を吹き飛ばされて!?

 誰のせいで!?

 私の…私宛に来た悪意の手紙で…

 関係ないラディナが…


 あの美しい指を吹き飛ばしてしまった!!!


 短い悲鳴を挙げる由華里を抱きしめると、急いでアーネストはその場を離れようとした。だが腕の中の由華里がずっしりと重くなるのに気付き、彼は蒼白に叫んだ。


「由華里さん!?」

「由華里様!!」

「誰か!!」

「マーク!!!来て!!」

「早くして!!」


 一斉にスタッフが駆け寄り、その中に駆けつけたマークが由華里を抱き上げようとする。それを制しアーネストは急いで抱きなおして抱えるとその場から離れた。



 由華里はゆっくりと…深淵の闇の底に…落ちて行った。

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