第8話 蟻地獄に嵌るとはこういうことを言う
「信じらんない!!!」
先にホテルに戻りなさいと、殆ど押しこまれるように強引に乗せられたロールスロイスの中で、由華里はパーティー会場での出来事を思い出して地団駄を踏んだ。
なんでこんな展開になるの?!
勝手に私の意思も確認しないでどういう事!?
あの男も!
お父さんも!!!
そうよお父さんよ!大体お父さんが絡むと大概こういうことになるんだわ!
こうなる事が嫌で家を逃げ出してきたのに!これじゃ今までと同じじゃない!!
冗談じゃない!馬鹿馬鹿しい!
由華里は次の信号で停まったら逃げ出そうと、ドレスの裾をまくり掴み、そしてドアノブに手を掛けて停車したと同時に開けようとした。
開かない!!!!
ドアは、がっちりと運転席からロックが掛けられ梃子でも開かない!
ぎっ!と運転席を睨むと、スモークのガラスが運転席と座席の間を仕切っていて目も合わせられない。
由華里はぎりぎり歯ぎしりし、それならホテルのエントランスに停車したと同時に逃げてやる!と、ダッシュで走る態勢でドアにピタリとくっついた。
煌びやかな光輝くエントランスに吸い込まれるように車は入り、ゆっくりと停車し、ドアマンがドアを開ける。
由華里は開けられたドアから飛び出すように降りた瞬間、ご機嫌な顔でアニカ達が仁王立ちして由華里を抱きしめるように捕まえた。
「なんで私より早く戻っているの!?」
叫ぶ由華里の問いを無視し、アニカは上機嫌に笑いながら強引にエレベーターに乗せる。
そしてあっと言う間に先程のVIPフロアに着く。
なんてこと!!
「アニカ!!これはどういう事!?」
「どうもこうも御座いませんわ。お仕事、お疲れ様でございました。アー…木暮様から詳細をお聞きしていますので…」
「ストップ!わかったわ!とにかく貴方に頼まれた事はクリアしたから!私はこのドレスを汚す前に着替えたいの!それで直ぐに予約してあるホテルに移動します」
「ホテルはキャンセルいたしましたから、お時間をお気になさらないで大丈夫ですよ」
「はいいいい!?」
着替えに先ほど押し込まれた部屋に向かった由華里は、驚愕のあまり廊下に棒立ちしてアニカを見た。
「は!?え!?どういうこと!?」
「ですから、由華里様が予約していたCホテルはキャンセルいたしました。ア…Mr木暮よりあなたととの臨時秘書としても雇用契約の連絡を受けましたので、こちらのホテルに部屋をご用意しました。
Mr木暮の秘書は迅速な行動が要求されますので、Cホテルでは遠すぎます」
あまりに驚愕過ぎて由華里はただただぽかんと口を開けるしかなかった。
「由華里様の部屋はこちらです」
むんずと腕を組んでアニカは中央の広大なリビングルームから右に伸びる廊下の方へ向かった。
その一つのドアを開けると由華里を中に押し込んだ。
「こちらが由華里様のお部屋で御座います。お荷物は既に運び込ませメイド達に整理させておきました。あと、僭越ながら、こちらで過ごすためのご用意も少しさせていただきました」
だだっ広い豪奢な部屋を見渡しながら、由華里は素っ頓狂な声で叫んだ。
「私の荷物をどーしたですって!?」
綺麗に片付けられている部屋を見渡し、由華里は嫌な予感がして、クローゼットをバッ!と開けた。そこにはバックに詰め込んでいた服や下着までもが全部綺麗にしまわられている。
おまけに新しい服やそれに合わせた靴まで揃えられ、鏡台の前にはいつも使用しているメーカーの化粧品が、新品でずらりと一式並べられている。
由華里は唖然とした。そしてくるりと振り返る。
「これ!?どういうことですか!?まさかこの部屋に泊まれと言うの!?」
「ええそうです。」
にっこり微笑むアニカに、由華里は眩暈を起こしそうになった。
あり得ない!
「待って、待って!おかしいじゃないこんなの!ここはいわば木暮さんの部屋、フロアですよね?!ここに私が泊まる!?あり得ません!とにかく!!私は他の階の部屋に移動します!移動させてください!」
涙目で言う由華里に、アニカは美しい眉根を哀しげに潜めた。
「落ち着いてください由華里様。確かに、このフロアはアー…Mr木暮の貸切のフロアです。ですが、ここは単なる部屋ではなく、ワンフロア貸し切り、つまり個別客室が沢山あります。その一つがたまたま空いていたのですから、臨時秘書勤務となるあなたが使うのになんの不都合もありません」
「私が嫌なのよ!見も知らない男性と二人で同じ階に泊まる?ありえない!!」
「私達もこのフロアの同じ並びの部屋に宿泊しております。私の部屋は反対側の廊下の先の2番目の部屋です」
「そういう問題じゃなく!!」
「どういう問題なのですか?」
「じゃあ!私、アニカの部屋の隣がいいわ!」
「残念ですが、あちら側の部屋は会議室と、それと後からくるブレーン達の部屋になっております」
由華里は一瞬嫌な予感が頭をよぎった。
「待って!ねえ待って…あのね?…あの…この隣の部屋には…誰が宿泊しているの?」
まるで恐ろしい物でも居るかのように隣との境の壁を見る由華里を、おかしそうに笑いながらアニカは朗らかに言う。
「一つ部屋を置いて、アー…Mr.木暮が御宿泊です」
ばっ!と由華里はドレスの裾を捌いて境の壁に駆け寄ると、にへばりつくようにコネクト・ドアが無いか探しだした。
そしてない事を確認すると安堵の溜息を付いた。
「ここは完全に独立した部屋です。ですからご心配には及びませんよ、大丈夫ですよ?」
「何が大丈夫なの!?」
「誰も忍び込みません」
「当たり前です!!!!」
「では何をそんなに怒るのですか?」
「だって!この大量の服とか!化粧品とか!した…下着まで!!!誰が用意していいなんていったの!?」
「ああ、それはアー…秘書として当然の支給品だと思ってください」
「秘書?支給品!?」
「はい。Mr.木暮の秘書であるのならば、それなりの身支度をしていただかないと、恥をかくのはMr.木暮ですので。失礼ながらお荷物を確認させていただき、足りない物を用意させました」
アニカはにっこり微笑み由華里の言葉を遮った。
「それにお約束なさったのでしょう?木暮様とディナーをご一緒するまでは、逃げないと?」
あ!ぐっ!…と由華里は言葉を飲み込んだ。アニカはにやりと笑う。
「さっ、そのドレスをお着替えなさってくださいませ。その間に軽いお食事を用意させますので、今夜は私達とご一緒にお食事を致しましょう。お待ちしております」
ニッコリ笑ってアニカはドアを閉める。
そのドアに、ばっかやろーー!!と叫んで枕を投げつけると、キーーーッ!と由華里は地団駄を踏んでヒールの靴を部屋の隅に放り投げた。
どういう事?なんなのこの展開は!?一体どうしてこんなことになったの?
何故!?
何故なの???!!
事態がさっぱり飲み込めず、まるでアリジゴクに嵌ったありの様な気分で、由華里はその場に地団駄じだんだを踏み始めた。が、ふと何か視線を感じて振り向くと、揃いのメイド服を来た女性達が一斉ににこやかに微笑み会釈した。
「だ!?誰!?」
青い瞳の女性が胸に手を当て微笑んで会釈する。
―由華里様付ゆかりさまつきのクラリサ・サリフイトンと申します。
「はい?」
緑の瞳の女性も優雅にお辞儀をして会釈する。
―同じくお世話をさせていただきますマギー・エドバンズです。
由華里はぽかんとし、次いで素っ頓狂に叫んだ。
―私付き?何のことを言っているの?!
だが二人はにこにこ笑いながら由華里の問いを無視してにじり寄る。
―由華里様、まずは御召しおめし替えを。
―お風呂の準備が整っておりますので、まずは湯ゆあみを。
にじり寄る二人に、由華里は慌てて両手を出して押しとどめた。
―待って!お願い!まさか私を貴方達あなたたちで着替えさせる気!?
二人は顔を見合わせ、にっこり微笑むと問答無用で由華里の両側から腕を抱きしめてバスルームに向かった。
「待って!お願い!アニカ!!お願い!着替えくらい一人でできるから!助けてアニカ!!!」
ぎゃああああと悲鳴を挙げる由華里の声を、ドアの外でアニカが楽しそうに満面の笑みで聞き、何度もyes!と叫んでガッツポーズをすると鼻歌交じりにリビングの方に戻って行った。
どんどんウィルバートンに取り込まれる由華里。まさに蟻地獄状態です。




