第22話 執事チャールズ・オーソンの思い
6月の晴天の日、ウィルバートン邸では、アーネストと由華里がハネムーンから戻る出迎えの最終チェックにスタッフ達が走りまわっていた。
その様子を、バーカウンターでデニスはコニャックをあけながら他人事のように、ピンクとブルーの花束を満足げに見ていた。
「デニス様、アニカ様達はこちらにいらっしゃるのでしょうか?それとも空港に行かれるのでしょうか?」
屋敷中をくまなくチェックしていたオーソンは、デニスを見つけるとタブレットで進行状況を確認しつつ質問した。
「ウィルは空港で出迎えると言っていたが、アニカとニックは直接こっちで出迎えると連絡がきているな」
携帯電話でメッセージを確認しながら、ニックがきびきびと言う。
「ありがとうございます。ニック様、まだ日が高いのであまりお酒臭いのは、由華里様に嫌われるかと思います」
そう忠告すると、ニックは慌てて水を飲みだし、シャツを摘まんで臭いを嗅いでシャワーを浴びたい!と部屋を慌てて出て言った。
やれやれと肩を竦め、廊下を走るように大きな花瓶を抱えていた、花係のキラソを捕まえて尋ねた。
「キラソ?屋敷中の花が、今日はやけにオレンジやピンクに黄色の花が多いが?どうなっているんだ?いつものシックな配色にしないのかね?」
ああ!と、キラソが笑う。
「トッドが今日は絶対に華やかな色合いの花じゃないとだめだとウルサイのよ」
「トッドが?」
「ええ!なんでも由華里様の御所望らしいわよ?」
「由華里様?何時、彼は由華里様から承ったのだ?」
自分ですらハネムーン中のお二人とはご連絡を控えていたと言うのにと、オーソンは珍しくむっとした。キラソは笑った。
「お二人が教会から戻られた後からよ。あの時、珍しくトッドは私達の後ろで一緒にお出迎えをしてていたのよ」
「トッドが?」
「そうよ。びっくりでしょ?トッドが自分のテリトリーから出てくるなんて、初めてじゃない?
で、ベールを上げられた由華里様がロールスロイスから降り立たれた後から、
トッドが急に言い出したの。
お二人がハネムーンから戻られる時は、オレンジを中心にした花で飾れって。
そして、急いで「花の準備をする」って、物凄い形相で戻って行ったわ。
あとでわかったけど、その時準備したお花は、翌日に由華里様にお届けする花の事だったのよ 」
翌日の花?
「先代ウィルバートン夫妻への献花の花の事か。あれも珍しくトッドが気を効かしたと驚いたのだが」
「そうでしょ?その花をちゃんと由華里様が受け取られて、献花して下さったのも驚いたわ。大体、アーネスト様にでなく、由華里様にってのが不思議よね?由華里様はトッドの事を御存知なのかしら」
「ウィルバートン邸で働くスタッフは全員、由華里様に御挨拶をしているので、御存知であるのは当たり前だろう」
「そうだけど…その程度の認識じゃトッドがああいう行動はしないと思うわ。由華里様なら誰にでもフレンドリーで直ぐに馴染む方だから不思議はないけど。
トッドからと言うのが驚きでしょ?
そうそう、そういえば…披露宴パーティーでの由華里様の花束も、
最初は白系でまとめていたのに、オレンジを基調にしたのを寄こしたわねえ。
土壇場の変更を嫌うトッドが急に、「これに変えろっ」て、凄い剣幕で。
それからかしら?
いちいち屋敷に飾る花を今風にしろだの、明るくしろだの五月蠅くいいだしたの」
キラソ不思議そうに首を傾げると、腕時計を見て大慌てで「間に合わないわ!」と手を振り、廊下を走るように去った。
その後ろ姿を見ながら、あのトッドが?と、オーソンは訝しがった表情をした。
由華里様ならトッドにも物おじせずに「明るい色の花が欲しい」と、言っても確かに不思議ではない。だが…そんな時間がいつあったのだろうか?
でもあの方なら、人間嫌いのトッドをてなづけてしまう…そんな魔法の様な事も出来かねる方だと、オーソンは苦笑した。
天井までの大きな窓が連なる廊下には、シックな色合いのローズ・ピンクの重厚なカーテンから光があふれている。窓は隅々まで磨かれ、等間隔に置かれる調度品や台も磨きこまれている。完璧なまでの屋敷の状態に、オーソンは満足して見まわした。
このお屋敷も…この3か月程の間に随分と変わった。
そう…アニカからの一つの電話から。
あの日、陰鬱な雲が垂れ込める空に覆われた屋敷で、オーソンはいつも通りに淡々とした日常の中で仕事をしていた。
会話の少ない屋敷。
規律正しく。
正確な仕事を望むアーネスト様のご希望通りに。
淡々と粛々と使用人達は寡黙に仕事こなしていた。
深夜、突然電話が鳴り、珍しくアニカが自分に電話を掛けて来たのだ。興奮した声で。大笑いしながら。
―オーソン!直ぐに屋敷の改修工事を手配して!屋敷中の鬱陶しいカーテンを全部新調して、壁紙も明るい色に全部変えるのよ!重ったらしい可愛くない調度品も、全部!倉庫に放り込んで!今すぐに!いい?ビックニュースよ!!!
「アニカ様?」
―アーネスト様が!!花嫁を見つけたの!
「え?」
―ええそうよ!今よ!間違いないわ!!後で写真を送るから!ああ!お二人の車が出ちゃうわ!追いかけないと!絶対に連れ帰るから、待っていて!!
けたたましく一方的に喋りまくったアニカ・オーウエンは、掛けてきた同様にいきなり電話を切った。
花嫁?アーネスト様が見つけた?何を?花嫁を?誰の?
アーネスト様がアーネスト様の花嫁を見つけた?
冗談を言っているのだと、オーソンは一蹴した。しかし、直ぐにメールで送られてきた写真を見た瞬間、湧き上がる震えが止まらなかった。
見知らぬ異国の街角、驚いた顔で見つめあうお二人の横顔の写真。まっ直ぐにお二人は互いを見つめあっている。
アーネスト様が、見たこともない優しい瞳で…
驚いた顔と共に…
微笑んでいる。
微笑んんでいる。
優しい瞳で。
不覚にも涙がこぼれた。涙が止まらず、身体の震えが止まらなかった。
ああ!間違いない!この方だ!
あのカリブ海の惨事。バカンスにご両親と共に、無邪気に笑って出かけられた少年は、あの惨事の後、全ての喜びも笑顔も感情を失ってしまった。
瞬く間に大人になり…奪われた全てを冷徹に取り戻す、感情のない企業家になった。
あの笑顔はもう二度とこの屋敷で見ることはできないのだと。このお屋敷で、再び幸せな笑い声が響く事は…もう決して無いのだと覚悟を決めていた。
アーネスト様を、取り巻く闇から救い出す事は出来ないのだと…諦めていた。
だが、この方が、この瞬間にアーネスト様を暗闇から連れ出してくださった。
明るい未来に。
笑い声のある未来に。
この方が…由華里様が…この一瞬で…。
それでも不安だった。
本当にこの方はくるのか?この陰鬱とした屋敷に来るのか?
いらしてもアーネスト様と同じく、瞬く間にこの陰鬱とした重い屋敷に笑顔を失わられるのではないか。
電撃的な婚約発表から数週間後に遠い異国から来た花嫁を乗せた、空から舞い降りるヘリを見上げながら、震えるほどの不安に打ち震えていた。
本当に乗っているのか?
それとも上空から見降ろしたこの屋敷に畏怖し…逃げ帰られるのではないか…。
だが、降り立った由華里様は、まるで花を振りまき光をこぼすような笑顔で笑って、私に抱き着きいた。
「よろしくね」と。
苦笑するアーネスト様が、由華里様を抱き上げ、花嫁の様に屋敷の中に抱きかかえて入られた瞬間…色を失っていた屋敷中に、明るい春の優しい色が広がって行くのを見た。
陰鬱な空気が、由華里様が通るだけで吹きはらわれていくのを見た。
なんにでも無邪気に感動し、笑い、喜び、怒り、むくれて、笑顔で走る。
真っ直ぐにアーネスト様の所に、花びらを振りまくように屋敷中に明るく暖かい灯りを付けて行く。
由華里様に振り回されるアーネスト様に驚いた。
常に優しく笑うアーネスト様に驚いた。
本気で由華里様と喧嘩をし、声を荒げ、そして直ぐに仲直りをされ幸せそうに
寄り添いあわれる。
たった4か月で…このお屋敷は変わられた。
最も…振り回されているのはアーネスト様だけだはないが…。
オーソンは苦笑し、時刻を確認した。時間だ。
ヘリポートに向かうと、既にヘリポートには、二人を出迎える者達が手に手に色とりどりの花束を抱えて空を見上げている。
アニカやデニスが、一際大きな花束を肩に担いで遅れてきたニックと共に笑いあう。ラーナも大きな花束を小脇に抱え、メイド達と共に腕を組んで待ち構えている。
ラーナの様子だと、直ぐにでも由華里様を着替えさすつもりのようだ。
遠くの花壇には不自然に花の手入れをしているトッドの姿。側に来て一緒に出迎えればいい物を…素直では無いなとオーソンは苦笑する。
屋敷の窓にも、スタッフ達が空を見上げ、今か今かと待ち受けている。
途端に、一際高い歓声を挙げて、一斉にスタッフ達は遠い空の彼方を指を指す。
遠くの空に機体が光り、真っ直ぐに青い機体が舞い飛んでくる。その機体の横にウィルバートン家の紋章を確認し、一同は急いで配置に着く。
爆音を上げ風を巻きあげながら、ゆっくりと舞い降りる機体を見上げ…一瞬、オーソンは遠い記憶を呼び戻した。
―オーソン、カリブのお土産は何がいい?お面?槍?それともカリブの海賊の財宝?
笑って見上げる金茶の瞳の少年が大きく手を振りながら去る、そして喪服を着た陰鬱な顔の少年となって戻ってきた。
不安が…また彼の胸に去来する。
ヘリが緑のヘリポートに降り、ドアが開けられ駆け寄るスタッフに助けられて降り立つ二人。
由華里は真っ白な花束を手にし、舞い上がる風にスカートを押さえて笑う。
声を挙げて笑う。
そしてオーソンに気づいて大きく手を振る。
その後ろには困った顔で由華里を抱きとめるアーネストの姿があった。
オーソンは、何か…万感の思いが彼の心の中に溢れて、不意に目頭が熱くなった
ウィルバートン家の人達は全員アーネストが好きです。その中でも赤ちゃんの頃からアーネストを知るオーソンとマキーソン夫人が一番彼を心配し愛しています。




