第11話 ダンスは誰と?
アーネストの父の妹であるキャスーン・マーグリットの一人娘であり、アーネストの唯一の従姉妹である、アンナ・マーグリットは悠然とした笑みで由華里を見る。
そして由華里は気づいた、彼女のドレスが真っ白な長い裾のドレスであることに。
瞬間、周囲がざわつき非難めいた視線が彼女に集中した。だがそのタブーともされる嫌味なドレスを翻しながらアンナは誇らしげに周囲に向かい言う。
「素敵なドレスでしょ?花嫁のドレスに被りそうでいて、実は淡いブルーなの。光で反射して白にもブルーにも淡いライトブルーにも見えるドレスなの。とても綺麗で上品でしょう?」
そう言いながら周りの者達を一瞥する。
彼等はその威圧に「まあ…確かに」と言いながらも、気の毒そうに側に立つ真っ白なウエディングドレス姿の由華里を見る。
その段になって、やっと気づいたようにアンナは嘲笑めいた声で言う。
「まああ!由華里!お久しぶり!お元気?今日はとても綺麗なドレスを着ているのね!」
そのまま由華里からぞんざいに視線を外すと、「踊って頂戴」と、アーネストの耳元に囁くアンナの口の端が嫌らしく笑った気がした。
「アンナ、来てくれてありがとう。まずは花嫁の由華里さんに挨拶をしてくれ」
冷ややかに言うアーネストの言葉に、
「あら!ごめんなさい!」
と笑いながら、アンナはさらりと由華里と抱擁を交わす。そして、楽団の方に目をやる。
「アーネストを少しお借りしてもいいかしら?おめでたい席だから踊りたい気分なの!」
こんな場所で嫌だとはいえないじゃない!と、心の中で絶叫しながらも、由華里はにこやかに頷いた。アンナ・マーグリットは強引にアーネストをダンスの輪に引っ張って行く。
由華里は不安げに立ち上がった。苦笑するアーネストが、少しだけと言うように由華里を見る。
アンナはアーネストの唯一の従妹であり、周囲からアーネストの花嫁に、次期ウィルバートン夫人にと望み押す者が多かったと聞く。
だが周囲の思惑は大きく外れ、アーネストは由華里を妻に選んだ。
アーネスト自身は彼女を妻に等は望んだことは一度もなく、またマーグリット夫妻も同様に考えていたとも聞かされてはいた。
でも。
アンナはアーネストの事を異性として愛していたと由華里はわかる。
約1か月程、ウィルバートン家の出であるキャスーン・マーグリットからしきたりだのなんだの学ぶためと、ウィルバートン邸が改装工事の間に滞在してたマーグリット家で彼女から受けた仕打ちの言動の端々で感じることができていた。
彼女にしてみれば由華里にトンビに油揚げを浚われた物の様なのは理解できる。
だから由華里に辛辣に当たるのも。
それに命を狙われるわけではないし、これくらいの嫌がらせはどこにでもある物だと達観しようとして流してきた。
でも。
その事実は限りなく由華里を不安にさせる。自分は知らない二人の長い間の時間が不安にさせる。
そんなことはあり得ないとアーネストは笑って言うが…アンナのあの笑顔と挑戦的な目は例えようもなく不快で
怖い
だから
お願い…行かないで…
不安げに彼を目で追う由華里の後ろで、くすくすと笑う声がする。
「まあ、見て。やっぱりあのお二人のお似合いな事」
「本当ならば、今日の花嫁はアンナが…」
「しつ!花嫁がいるわ」
「でもやはりアンナの方が…」
由華里は顔に手を当てた。
お願い、今はやめて…。
だが聞きたくもない言葉や空気だけはこういう時に限ってどうしょうもなく耳に入ってくる。
何故今?何故?今は一番幸せな花嫁であるべきなのに…何故?
それはこの世界がそういう世界だから。
それを理解し覚悟を決めてここにいる筈。
わかっている。
でも…
「由華里様?」
すっと出されたシャンパングラスに、驚いた顔を向けると、マークが笑いながら見下ろしていた。
「あ…ああ…マーク、びっくりした。ずっとそばにいたの?」
「もちろんです。貴女のボディーガードですから。どうぞ?気分がすっきりしますよ?」
差し出されたシャンパンの甘い芳醇な香りに、由華里はホッと息を着いた。酸味と炭酸が気持ちをすっきりとすべての嫌な物を洗い流していく。
やっと由華里は心からの笑顔を浮かべてマークに微笑みかけた。彼も嬉しそうに笑うと、すっと身を屈めて優雅に腕を差し出した。
「踊りませんか?」
恭しくお辞儀をするマークに、由華里はおかしそうに笑った。彼の手を取り立ち上がると、周りの者達の目が一斉に注がれる。
だけどなんだかそれは気にならない気がした。マークが笑い、自然に由華里の手を取り腰に手を回すと、優雅に踊りの輪に入った。
以外にもマークのリードはソフトで巧みだ。
「ワルツは少し苦手だけど、楽しいわ」
と由華里が囁くと、彼も
「実は僕もダンスは苦手なんですよ」
と笑う。
二人はおかしそうに笑いあった。
翻る花嫁のベールとドレスと、滑るように踊る二人に、羨望ともつかない声が周りに広がる。数人の男性達が、すれ違いざまに「次は私と」と、言うように会釈をするのを、由華里は笑いながら頷いてターンをしていく。
だが、踊る目の端に華代がジョージに絡まれているのが目に入った。華代は昂然と頭を挙げて冷ややかにジョージの戯言を聞き流しているようだ。
「お気になさらないで。お母様の方が上手です。やり過ごされますよ」
囁くマークの言葉に、でも…と、由華里は振り返る。
「大丈夫、もう少しでお開きになる。そうしたら僕があいつらをたたき出してやりますから」
驚いた顔をマークに向けると、彼はやっとこちらを見ましたねと笑う。由華里もつられて笑う。
「ありがとう…」
「どういたしまして。今日の主役は由華里様です。その主役が一番輝いて楽しんでいないといけませんよ?」
「うふふふ。本当にそうねえ。少し身構えすぎているのかしら?私」
「まあ、今日のパーティーは魑魅魍魎が多すぎますから。一般人の由華里様には毒の沼みたいなものですよ」
「人の結婚披露宴パーティーと毒沼だなんて失礼ねえ」
「でも存外当たってるでしょう?」
由華里はまるで花が咲いたように明るくおかしそうに笑い、マークも笑う。周囲の男性達の目が由華里に向けられる。マークはさりげなく彼等の視界から由華里の姿を外すようにリードした。
「確かに毒沼は失礼ですね。ここは楽園の様に華やかで美しい場ですから」
「そうよ。今日の為にみんなとても頑張ってくれたのよ」
「確かに。ではそうですねえ?ここはジャガイモ畑と思ってはいかがでしょうか?」
はあ?と由華里は変な顔をし、そしてまた明るく笑い出した。
「どうしてジャガイモ畑なの?」
「良く言いますでしょう?緊張した時や、周囲が酷く不愉快な者の集まりの場合は、周りは全部ジャガイモだと思えばいいと」
「まあ!」
「本日は御日柄もいい絶好のジャガイモ堀りの日だと思えばいいんですよ」
「まあ!私達の結婚披露宴パーティーをジャガイモ堀り大会だと言うの?」
「そうですよ。奴らはジャガイモ。そう思えば腹も立ちません」
「まあ!あははは。でも少し胸焼けしそうね」
「ではこのパーティーが捌けた後の内々のパーティーにはジャガイモ料理は禁止と言っておきますよ」
「あらマーク。でもデニスはジャガイモ料理が好きなのよ?」
「じゃ少しだけ」
「そうね。マークもちゃんと参加してね?」
「僕もですか?ですが僕は今日来たばかりで」
まあ!と由華里はおかしそうに笑う。まるで温室の中のあの薔薇達が一斉に花開いたようだった。何か甘香りが周囲に漂うな気配に彼はドキリとした。
「マークはもう私達の仲間でしょう?マークはもうみんなと同じよ」
彼の目が優しく由華里を見る。
「ありがとうございます」
二人は嬉しそうに微笑みあった。
「きゃ!」
不意に誰かに強く腕を掴まれ引っ張られ、由華里は驚いて振り向いた。少し強張った顔のアーネストが立っていた。マークは手を離し、一礼してすっと下がった。
「木暮?まあ?どうしたの?アンナは?」
ふうとため息を着いて、アーネストは由華里をきつく抱きしめる。その腕が微かに震えていた。驚いたように見上げる由華里に唇を重ねる。
「木暮?」
「踊ってくださいませんか?」
いいわよと、由華里は幸せに笑う。どこからか、アンナの激しい視線を感じながら。アーネストのリードは常に完璧だ。流れるように踊りながら、彼が耳元に囁く。
「お疲れになりましたか?」
「少しね…あと少しでパーティーも終わりでしょう?」
「そうです。そうしたら、内輪だけで楽しい続きを致しましょう。アニカとウイルとデニス、そしてニック」
アーネストの目線の先に、アニカ達がシャンパングラスを持ってこちらに合図をするように掲げるのが見えた。由華里は笑って手を振る。アニカ達も嬉しそうに手を振り返す。
「そうね。ラーナにオーソン」
由華里はダンスの輪の外で由華里達を見守るマークに軽く手を振り笑って言った。
「マークもね?」
不意にアーネストの瞳が陰った気がした。だが、由華里の目に彼の顔越しに見えたのは、ジョージにしつこく絡まれている華代の姿だった。不意に、言いようのない怒りが由華里の中で沸き起こった。
怒りの目を向ける由華里に気づき、アーネストも振りかえりジョージの愚行に眉根を寄せた。
シャンパンの瓶を持ったボーイが華代とジョージの間に入るのが目に入った。見かねたボーイがジョージに何か言っている。途端に激高したジョージが彼の胸を突き飛ばすと、バランスを崩したボーイの手の瓶から金色のしぶきがジョージの上に降りかかった。
「あ…」
由華里は足をとめ、身をアーネストの腕の中から乗り出した。
怒気を含んだジョージがボーイに掴みかかる。華代が止めに入る姿目に飛び込んだ瞬間に由華里はアーネストの腕の中で思わず叫んだ。
「皆様!!!」
響く花嫁の声に会場の全員が振りかえる。
「今日は!!おいでくださり本当にありがとうございます!!!」
叫んで、由華里は大きく腕を後ろに振り回し、まるで砲丸投げの様にオレンジの薔薇のブーケを遠く遠く高く放り投げた。
ブーケは青空の中を大きく弧を描いて、空を舞い遥か彼方の芝のフィールドに飛んでいく。
一斉に歓声とも悲鳴ともつかぬ声を挙げて、若い女性達がドレスの裾を捲し上げるように走りだした。
由華里はそのまま腕をテーブルに伸ばし、銀のアイスペールに入れられたドンペリの瓶を掴んだ。
アーネストが苦笑し、由華里の腰に回した手を放すと、両手を後ろに組んで後ろに下がった。
彼が完全に安全圏に下がるのと、由華里が瓶を大きく横にスライドするのが同時だった。
シャンパンの金色のしぶきが、
陽の光にクリスタルガラスの様に輝きながら、
招待客の頭上に舞い上がった。
シャンパン攻撃開始です。




