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海を越えた梢の花とウィルバートン家の呪い  作者: 高台苺苺
第2章 ブライダルシャワーは金の雨
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第6話 庭師トッド・オーク

 国家管理規模の温室を進んでいくと、奥に不似合いな美しい花々を纏めている老人が現れた。


「なんじゃ!またお前か!」


 その砕けた言い方に由華里は笑う。彼は驚いた顔で由華里と老人を見た。


「おはよう、トッド。素敵な朝ね」


「ああ…おはよう。まあな。いい天気だ。それよりなんじゃ?こんな朝早くに?」


「あのね、新しいラズベリーの茂みを教えて欲しいの。昨日教えてもらった茂みは、甘いのを食べつくしちゃったみたいなの。ね?」


 にっこりと由華里に笑い掛けられた彼を、ジロリと老人は睨むと、ふんと鼻を鳴らした。

 彼は苦笑しトッドに一礼した。


 まるで孫を頑なに護る頑固な祖父みたいだと思いながら。トッドは由華里の足元に、シーザーが欠伸を一つして寝そべったのを見て鼻を鳴らした。


「フン!シーザーが追い払わないんなら、こいつは大丈夫か」


 由華里は可笑しそうに笑って彼に言う。


「トッドが言うにはシーザーは私のガードドックなんですって。だから、シーザーが追い払わないなら、その人は大丈夫なんですって。面白いでしょ?」


「元々ウィルバートン家のガード・ドッグですよね?」


「そうよ。本当はセキュリティ課の人や犬係や木暮の言う事しか聞かない訓練を受けているんですって。でも、私、シーザーや他の犬達とはお友達なのよ」


 頭をなでる由華里を、シーザーは目を細めて見上げ、彼を一瞥して鼻を鳴らす。彼は苦笑した。


「トッドも私のお友達。ね?トッド?それで、彼は…」


 言って由華里は小首を小鳥の様に傾げて笑った。


「あら、そういえば名前を聞いていなかったわ?貴方のお名前はなんて言うの?私はユカリよ」


 彼は木苺を握っていない右手を差し出した。


「マーク・スタンナ―です」


「宜しく、マーク」


 マークは青い瞳を笑わせて、由華里のすべやかな右手を握りしめた。


 ほんのりと甘い香りがした。

 香水?

 薔薇の香りの香水?


 違う?

 この温室の香りか?

 いや…違う。

 さっき風と共に流れてきた、彼女の香りだ。


 彼は堂々巡りの考えに苦笑した。いずれにしても甘い心地よい感じの花の香りがする。


 マークは今度はトッドに右手を差し出した。その手をぞんざいに握り返し、トッドは鼻を鳴らして不機嫌そうに言う。


「今日は忙しい。ベリーの新しい茂みは明日にしろ」


「まあ残念。でもそうね…確かに今日は忙しいもの。ところでトッドはさっきから何をしているの?」


 彼の手元を覗き込む由華里に、トッドは真っ白な大輪の薔薇を見せた。


「棘をとっておる」


「棘を?薔薇の棘を?一つ一つ?どうして?」


「どうしてって…馬鹿かお前さんは!!今日はアーネスト様の結婚式の日だぞ?これはアーネスト様の花嫁のブーケの薔薇だ。棘を取らんと、花嫁が血だらけになるだろうが!」


「ああ!そうね!」


 由華里は嬉しそうにトッドに笑い掛けると、彼の太い首に抱き着いた。


「ありがとう、トッド」


 トッドは鼻をまたフンと鳴らす。


「今日は…どうした?こんな時間に?」


「目が覚めてしまったの。起床時間までにはまだ時間があったんだけど…」


 籠の中に丁寧に薔薇を入れながら、トッドはちらりと由華里を見る。


「なんじゃ…またお前さんを悲しませるような奴がいたのか?誰だ?」


 由華里は優しく笑う。


「ああ…この間、私を凹ませた奴はここのお屋敷の人じゃないわ。お客様の一人よ」


「ふむ。ここには上流階級の客が大勢来るからな。確かに奴らはいけ好かない奴らばかりだ。

 だが…まあ…お前さんならここで上手くやっていけるさ。その内、そういうやつらのあしらいも上手くなる」


「ホント?」


「本当さ!この屋敷で一番古い儂が言うんじゃ、間違いはない」


「一番古いのはオーソンじゃないの?」


「ふむ、アイツも古いな。だが、儂の方が1日早くここで働いておる」


 似たような物じゃない?と由華里は笑うと、トッドは薔薇で頭を小突いて一輪渡した。


「そろそろ屋敷に戻れ。今日は一日忙しいはずだ。結婚式に花嫁、披露パーティー準備に昨日から屋敷中ひっくり返ったような騒ぎだ。お前さんも忙しいんだろう?」


「ええ。朝から予定がぎっちりよ。ねえトッド?これはなんと言う薔薇なの?とてもいい香りね。私、好きだわ」


 受け取った薔薇の香りを嗅いで由華里は白いバラの山を指差す。


「ティケネとウエンディネ。代々のウイルバートン家の花嫁のブーケはこの温室のこの白バラと決まっておるんだ。

 そら、ブーケの花束分が出来た。

 これを花係のキラソに得渡してこい!丁寧に運べよ!」


「ハイハイ。ねえトッド、ああいう薔薇は入れないの?私はああいう明るいのも好きだわ」


 白いバラの波の隅に群れ咲く色鮮やかなオレンジの薔薇を由華里は指差した。


「トレザーとロジータミコーレか。お前さんと同じ丈夫な花だ。ふん!余計な事をしゃべくっておらんで仕事に戻れ!」


 ハイハイと由華里は立ち上がり、またねとトッドのガサガサした頬にキスをした。フンと鼻を鳴らして、彼はハンティング帽子を被った。


「屋敷の者達は…お前さんに優しくしてくれてるか?」


「ええ。大丈夫。みんないい人ばかり。私は幸せよ」


「そうか…ならいい。まあ、また暇な時にここに来い。またいい茂みを教えてやる。ベリーでもなんでもな」


「トッドは今日は屋敷の方には来ないの?花嫁を見に来ないの?来てくれたら私は嬉しいんだけど」


 彼は鼻をこすって言う。


「儂は…ああいう華やかなのは苦手でな。まあ…こっそりとどこからかお前さんの働きぶりくらいはのぞきに行ってやるさ。さあ!もう行け!!」


 ありがとうと微笑んで、由華里は籠を下げると温室の出口に向かった。マークは軽くトッドに会釈をして由華里の後を追った。二人の後ろ姿を見ながらトッドは呟いた。


「ふん!胡散臭い若造だが、なかなか似合いじゃないか。あの娘は運がいい。いい仕事場にありつけ、味方につける人を引き寄せる才能に長けておる。それだけでも、十分この屋敷では上手くやれるさ」


 そしてトッドはそばの花鋏を取り上げ、真っ直ぐにオレンジの薔薇の群れに向かった。


 温室の外の冷たい空気を吸い、二人は可笑しそうに顔を見合わせ連れ立って歩いた。

 マークはさりげなく、由華里の籠を持った。そのさりげなさに、由華里はありがとうとにっこり笑う。


「彼は、貴女がウィルバートン夫人だと気づいていないようですが?」


 由華里はマークの指摘に頷いておかしそうに笑った。


「ええそうね。私、このお屋敷で暮らすようになったのは、ここ1か月くらいだし。トッドは余り屋敷の人達とはしゃべらないし、近寄らないからかな?私の事を新人のスタッフの一人だと思っているみたい。でもいい人でしょう?」


「そうですね。このお屋敷に来たのが1か月前ですか?」


「そうよ。ここに来たのは4か月前だけど、直ぐに行儀見習いでマーグリット家やラスマス家に行っていたの。ここの改修工事とか色々あったのも理由なんだけどね。聞いているでしょ?」


「…ああ…成程。そうですね。マーグリット家に花嫁修業に行かれていましたね」


「そうよ。大変だったんだから!マーグリット夫人はとても素敵でいい方だけど…娘のアンナは苦手だったわ。なにかと言うと私を目の敵にして、ねちねちねちねちウルサイの」


 アンナ・マーグリットの事か?


 彼は頭に叩き込んでおいた情報を思い出し苦笑した。まああの女ならそういう態度に出てもおかしくはないだろうが・・・彼女のこの天然ぶりは更にアンナの怒りと嫉妬心に火を注いだだろうな。

 いや油か?彼はぞんざいに肩をすくめる。


「そんな輩、今日の結婚式に呼ばなければいいじゃないですか」


 まさかと、由華里は笑う。


「アンナの嫌味は可愛い物らしいわ。もっと辛辣な事を平気で言う人は沢山いるから」


 少し元気なく言う由華里を、マークはちらりと見る。長いまつ毛が少し濡れているように見える。


「何か…ありましたか?」


「別に。少し緊張しているの。今日は…今日から…私はウィルバートン夫人として、本当に上手くできるかなって?」


「上手くやっているじゃないですか。大体、あのウィルバートン氏を怖がらない貴女が何を仰るんです」


 由華里は不思議そうにマークを見上げる。


「マークも木暮と同じことをいうのね?」

「コグレ?」


 そう言えば確かさっきも同じ言葉を言った。「コグレ」。データーに無い名前だと彼は訝しがったが、表情には出さなかった。由華里は気にせずニコニコと笑う。


「そうよ、木暮」

「誰の事です?」


「まあ!おかしなことを貴方は聞くのね。木暮は木暮じゃない。アーネスト…と、呼ぶより、そっちの方がしっくりするの、私」


「ウィルバートン氏の事ですか?なぜそんな呼び方をするのです?」


 悪戯っぽく由華里は笑う。


「内緒よ。これは木暮と私の秘密。もっともアニカ達は良く知っているけど」


 アーネスト・ウィルバートンの忠実なる4人のブレーン。彼等とも昵懇なのか。由華里は地面をみながら歩き、ため息を着く。


「不思議ね。みんな木暮の事を怖いと、そう言うのよね。どうして私は木暮を怖がらないのかと。

 木暮も一度だけ私に、どうして自分の事がなぜ怖くないのかって聞いた事があるわ。

 どうして木暮が怖いなんて、みんな言うのかしら?

 木暮は出会った時から優しかったわ。厳しい時や、本気で怒るときは怖いけど、そういう怖さを言っているのではないのよね?」


 初めて対面した時の彼の冷たい瞳と全てを委縮させる視線を思い出す。


「畏怖する怖さですよ」

「畏怖…そんなに木暮は威圧的?」


「威圧的です」

「マークは木暮が怖い?」


 マークは冷笑した。


「怖いですね。あの冷ややかな瞳の下で何を考えているのかが、全く読めない。彼の冷徹な事は仕事だけでなく、人間関係でも有名ですよ。唯一違うのが、4人の忠実なるブレーン達と…貴女だ。

 貴女は不思議な方だ。

 あの冷徹な男を笑わせる事が出来る。あなたみたいな女性が、どうしてあんな男の妻になる事を承諾したのですか?財産や地位目当ての打算的な結婚とは思えない」


 由華里はマークの青い瞳を真っ直ぐに見て言った。


「私達、似た者同志だから」


「似た者同志?生きてきた環境や世界が随分と違うじゃないですか?」


「違うけど…同じよ。私達、同じく寂しかったの。

 マークが言うみたいに、みんな木暮の事を怖いと言うけれど…そうじゃないの。私達…お互い出会うまで生きていなかった。出会えて私達は生きる喜びを知ったの。


 笑う事、

 泣く事、

 喧嘩すること…

 愛する事。


 本当の幸せが何か知ったの。だから、一緒に生きていくの。

 ずっと…」


「死が二人を分かつまで?」


 由華里は可笑しそうに笑い、首を振る。


「いいえ。そんな先の事は考えていないわ」


「ウィルバートンの名に殺されても?」


 マークの言葉に、由華里は足を止めた。


「え?」


「ウィルバートンの名の恐ろしさを貴女は知らないのですか?その名は、無邪気な貴女のその笑顔を砕く。貴女の心を、貴女自身を…いつか必ず殺しますよ?」


 由華里はその時初めて、マークがボーイの制服を着ていない事に気づいた。

 それより、彼はずっと自分の事を「ウィルバートン夫人」と呼んでいる。2か月前に籍を入れて、由華里が既にユカリ・ウィルバートンである事は、ごく一部の人間しか知らないはず。


 それに、

 この屋敷の者達は全員知っているはず。


 由華里がアーネストの事を「木暮」と呼ぶことを。

 だが、マークは…「木暮」が誰かを知らなかった。


 由華里は突然、足元を掬う恐怖に襲われた。

 本能的に後ろににじり下がると、マークの手がゆっくりと後ろに回る。由華里は大きく瞳を見開いた。


「貴方は…誰?」

ゆかりストの庭師トッド・オークじいさん登場です。

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