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海を越えた梢の花とウィルバートン家の呪い  作者: 高台苺苺
第2章 ブライダルシャワーは金の雨
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第5話 ラズベリーの実は彼の手に落とされた

 時計を見ると4時少し前。

 

 起床予定は7時だから、随分と早く目が覚めてしまった。

 緊張しているつもりはないけど、やっぱり緊張しているんだわと、由華里は大きな天蓋付きのベットの上で伸びをした。


 白々とした朝日が差し込む静かな部屋に、テラス脇の蔓薔薇の影がレースのカーテン越しに揺れる。起き上がり、窓を開けると、既に活動を始めている人々の気配がさわさわと聞こえてくる。


 メイドが起こしに来るまで、まだまだ時間がある。

 今日の晴天を約束するかのような爽やかな朝の空気を吸い込み、こんな清々しい朝を逃す手はないわねと、ワードローブを開いた。


 だけど朝の散歩にあう服が見つからない。


 この膨大な量の服は、全て自分で選んだものではなく、管理すらさせてもらえない。

 自分の服が何が何処にあるのかさえ分からないジレンマにため息を着きながら、一番シンプルなワンピースを取り出し、シルクの寝着を脱ぎランドリーケースにいれ、同じ総シルクの下着を付けてワンピースを被った。


 髪を手馴れた手つきで三つ編みにし、頭に巻きつけて行く。

 軽くお化粧をして、そーっと部屋の外に出た。


 大丈夫、まだ誰も居ない。


 一階に降り、誰も居ない客間に入り、庭に続くテラス窓を開けると外にでた。清々しく瑞々しい空気が冷たく肌に心地よい。


 ふと、視線を感じて見ると、大きな黒いドーベルマンが立っていた。


 由華里は微笑んで手を差し出す。ドーベルマンはついと由華里の手に黒い鼻先を押し付け、無言で見上げる。

 しーっと、口に指を当てて、ゆっくりと芝の上を歩きだした。その後ろから、黒い影のようにぴったりとドーベルマンが付き添う。


 今日の結婚披露宴パーティーの為に、早朝からスタッフは総出で準備や飾り付けに追われていた。


 手際よく並べられるガーデンテーブル。

 白と緑のストライプの天蓋。

 テーブルを拭き、大きなクロスを広げ、花瓶を並べて行く。


 ふと、花瓶のカサブランカの位置を直すメイドの目がとまり、そばでナプキンを畳んで積み上げるメイドを肘で突いた。


「ねえ、あれ?違う?」


 ガーデンパーティー用のパラソルを開きながら、メイドの一人も、テーブルを運ぶボーイも顔を向ける。彼等は彼女の示す方を見る。


 広大な芝の庭を、黒い影を従えるように、青いワンピースの女性が、ゆっくりと小川のある森の方に歩いていく姿が小さく見えた。


「あ!本当だ!こんな時間にあんな所を歩いていいのか?」


「いいわけないじゃない。誰か言って呼び戻さないと、キーソン夫人が大騒ぎ始めるわよ。今日の主役がいないって」


 誰が行くかと顔を見合わせる使用人達の後ろから、「僕が行くよ」と声が上がった。


 まだセッティングの終わっていないガーデンチェアーに座っていた若い男が立ち上がった。

 彼は青い瞳を笑わせてウインクした。ハンサムな彼に、思わずメイドは頬を赤らめる。彼は軽く手を挙げ、真っ直ぐに由華里を追いかけた。


「誰?」


 尋ねるボーイに、メイドが怪訝な顔で他のボーイやメイド達を見る。

 全員が怪訝な顔で見つめあう。途端に、彼がスタッフの制服を着ていなかったことに気づき、彼等は慄然とした。


 今日のお客がくるにはまだまだ時間があるし、屋敷に滞在している客の中に彼の顔は無かった。


「誰かセキュリティーに連絡をしろ!!」


 ガーデンチェアーを放り出し、ボーイが専用携帯をコールする。メイドがキーソン夫人を連れてくるわと叫び、専用携帯をコールしながら屋敷の方に駆けだした。



 早朝の森の中は静かな空気に満ち小鳥の声が透き通るように響き渡る。

 朝露に濡れた枝や葉を巧みに避けながら、彼は青いワンピースを探して辺りを見まわした。


 確かにこっちの方に歩いていった筈だが…。


 ただ灌木がまばらに点在する森の中のぽっかりと開けた空間を見回し、彼は首を傾げた。


 見つからない?おかしいな?


 カンが鈍ったのかと訝しがると、ふと、右後方から微かな人の動く気配がした。

 彼は腰の銃に手を添え、そろりと足音を忍ばせて茂みを覗き込んだ。

 樫の木の細い幹の脇に、ブルーの服が見えた。


 居た。彼女だ。


 彼は気配を消して近寄る。

 ピクリと、彼女のそばの黒い塊が動き、低く唸る。大きなドーベルマンが歯をむき出して彼を威嚇してきた。


「どうしたの?シーザー?」


 ドーベルマンの唸り声に、由華里は俯いていた顔を彼に向けた。

 大きな黒い瞳が、真っ直ぐに彼をまじろきもせずに見上げてきた。


 まるで黒曜石のようだ。

 それとも月の光を浮かべる森の奥の澄んだ夜の泉ような静かな瞳。


 全身から感じる気配は、彼女は自分が何者かなど、これっぽっちも疑ってはいなさそうだ。


 クスッと笑う彼を、由華里はきょとんとした顔で見つめたまま、すっと優雅に立ち上がった。

 

 華奢な身体。間近で見ると更に頼りないような感じを受ける。

 グラマーだのなんだのと言う部類からは遠い感じの女性だ。


 由華里はにっこりと微笑むと、しーっと口に指を当ててドーベルマンの頭を撫でる。途端に犬は大人しくなった。


「おはよう。もしかして、私を探しに来たの?」


 無防備に笑う由華里に、彼も苦笑を返す。


「ええ。メイド達が騒いでいましたよ。キーソン夫人が騒ぎ出すと」


 ああと、由華里は顔をしかめた。


「起床時間にまだ時間があるから大丈夫かと思ったんだけど、もう見つかっちゃったのね?」


「何をなさっていたんですか?」


 由華里の持つハンカチが、武骨な形に膨らんでいる。由華里は笑って言った。


「早なりのラズベリーを摘んでいたの?」

「は?」


 クスッと笑い、由華里は白いレースの縁取りの優雅なハンカチを開くと、真っ赤な宝石の様な輝きの中身を取り出して彼に一つ差し出した。


「はい。甘いわよ」


 ニッコリ笑いながら由華里は、彼の掌に赤い宝石のような実を沢山落した。そしてハンカチから一粒取り出し、自分の口に放り込んで「甘いわ」と目を笑わせる。


 彼も苦笑しながら、掌の実を一粒口に入れる。


「酸っぱいですよ?」


 黒曜石の瞳がくるっと回る様に驚きの目に開かれる。なんだかリスみたいだなと彼は微笑んだ。


「うそっ。ホント?コッチを食べてみて」


 彼の口元に無防備に白い指が赤い実を摘まんだまま差し出された。

 戸惑う彼に、由華里は「はいどうぞ」と、ニッコリ笑う。仕方なく彼は口を開くと、その口の中にぽいっと赤い実が飛び込んできた。


 ほんの少しだけ、彼女の指先が唇に触れた気がした。


 赤くなりそうな顔を隠す為、彼は反射的に顔を顰めた。

 彼女の目は「ええっ?」と言う感じに見開かれる。

 ホントにリスみたいな人だと彼は苦笑しながら由華里を優しく見下ろした。


「スッパかった?」


「はい。早すぎないですか?」


「じゃあこれは?これも酸っぱい?」


 由華里は彼の掌の上に次々と赤い実をこぼれる様に落として行く。彼は苦笑しながら、その実を潰さないように優しく手の中に押しとどめた。


「もういいですよ。貴女の食べる分が無くなる」


「ありがとう。でも私はいいの。いつも食べているし。それに、トッドが新しい茂みを教えてくれると言っていたから。そうだわ!トッドに新しい茂みを教えて貰いましょう。ここのラズベリーはホントは美味しいのよ。スッパイなんて思われちゃ可哀想だわ」


「別にいいですよ。ラズベリーを食べに来たのではないので。それより、トッドとは?」


「ダメダメ、こんな素敵な朝にスッパイラズベリーのスタートじゃ、つまんないわ。トッドはこっちよ、来て」 


 由華里は嬉しそうに輝く光の様に笑い、こっちと彼の手を掴んで引っぱる。


 驚くほど華奢で柔らかな手だ。


 歩く彼女の横を朝の風がすり抜け、後れ毛が朝日に揺らめくように輝く。


 細いうなじだ。一掴みで折れそうだ。

 それに何か…甘い香りがする。


 彼は辺りを見まわした。


「なあに?」

 振り向く彼女が笑う。あのロンボク島で「彼」に笑い掛けたのと同じ笑顔で。


「何か…花の香りがしますね」

「お花?」


 由華里は立ち止まり、吹き抜ける風の香りを肺いっぱいに嗅ぐと、うーん?と首を傾げた。小鳥の様だ。


「温室が近いから温室のお花の匂いかしら?あなたはお鼻がいいのね」

「はあ…」


「あら、こういう言い方は嫌い?」

「いいえ」


「まあ良かった。鼻がいいと特じゃない?美味しい臭いも素敵な香りも直ぐに嗅ぎ分けられてラッキーだわ」


「はあ…まあ…そうですねえ。ガス漏れなんかの時には便利ですね」


「ええええ?ガス漏れ?そんな怖い事、こんないい天気の朝に言わないでよ」

「すみません」

「いいのよ」


 二人は急にぷっと吹き出し、森に響き渡るような声で一緒に笑いだした。

 その笑い声をおうように、由華里の横のシーザーが顔を挙げてフンと鼻を鳴らした。


 茂みを抜けて行くと、大きな温室が現れた。これは相当金を掛けた本格的な温室だな…と、彼はざっと建物を見渡しながら、彼女と共に中に足を踏み入れた。


 むせかえるような薔薇の甘い香りが一気に襲うように押し寄せてきた。

 高い天井と広々とした温室は清浄な空気と、甘い花の香りに満ち、色とりどりの薔薇が満開に至る所に所狭しと咲き誇っていた。


「これは…凄いですね」


「凄いでしょ?温室は初めて?」


「ええ、ここは初めてです」


「うふふふ、そうねえ。みんな余り温室には来ないから仕方ないわね。でも素敵な場所でしょ?トッドがずーーっと先代のウィルバートン氏の時代から護り続けているのよ」


「ああ…トッドとはトッド・オークの事ですか?ウィルバートン家専属庭師の」


 由華里は嬉しそうに笑った。


「そうよ。トッドはとても優秀でいい人なのよ。少しぶっきらぼうで言葉が少ないから誤解されやすいけど。とっても優しいの。前に私が凹んで庭の土をいじっていたら」


「は?」


 唐突な話しに素っ頓狂な声を挙げた彼に、由華里はしーと口に指を当てた。


「私が土をいじっていたなんて内緒よ?そんな事がラーナに知られたら、また大目玉を喰らっちゃうわ」


「はあ…ああ…内緒にしておきます」


「良かった!ありがとう!でね、土をいじっていたら、黙って側に来て球根やお花を植えるのを手伝わせてくれたの。

 黙々と綺麗な花や可愛い球根を植えて行くのって、とても楽しいわよね?

 だからすっかり元気になっちゃったのよ。


 その時からまた凹んだらいつでも手伝いに来てもいいと言ってくれているの。トッドはこの庭…森?この敷地全部に植えられている植物を熟知しているのよ。

 昔からある森を利用して作られた庭だから、殆ど手つかずの所もあるし、美味しい木の実や可愛い花の咲く位置も沢山教えてくれるの。

 反対に危険な植物も場所も教えてくれるのよ。

 ええと…

 トッド―!!おはよう!!どこー?」


 奥の方から、しわがれた低い男性の声が響いてきた。


「こっちだわ」


 と、由華里は彼の手を更にギュッと握りしめて温室の奥に進む。


 光降り注ぐ花々の真ん中で、真っ白な薔薇が積み上げられた木のガーデンテーブルの横で、薔薇の花々とはあまりにも不釣り合いな老人が黙々と作業をしていた。

 彼は皺だらけの日に焼けた顔をあげ、由華里を見ると鼻を鳴らした。

由華里とマークの出会いです。ここから二人の物語もスタートします。

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