第3話 所詮父親は娘に弱い
睨みあっていた父娘だったが、最初に口火を切ったのは泰蔵だった。低く威圧のある声が重々しくサロンに広がる。
「お前は…お前の軽率な行動の為に、どれだけの方々にご迷惑をおかけしたのかわかっておるのか?」
由華里は真っ向から対峙する。
「迷惑?確かに私達の急速な結婚話で周囲に混乱を起こしたのは認めます。ですけど、木暮…アーネストの話では、きちんとウイルバートン側できちんと対処をしているので、私達が謝罪する必要はないと言われているわ。
お父さんの言う「迷惑」は、お父さんの「体面を傷つけた」ことを言いたいのでしょう?」
「馬鹿者!!私の体面など!わからんのか!!田口君の事をいってるのだ!!今回の件で一番迷惑をこうむったのは彼だ!!彼に対してなんの謝意もないのか!!」
いきなりの爆弾投下に、由華里は真っ青になった。
「ここで…この家で…木暮の前で…田口さんの事を出すんだ…」
田口とは泰蔵が由華里の承諾なしに勝手に決めた、泰蔵の部下であった田口崇史の事だった。
有名大学卒、有名企業の出世コースに乗り、元ラガマーンであり身体的にも頑丈で好青年であり将来有望な男性であることは否めない。
だが、完璧に由華里との相性が最悪であり、そのことに泰蔵共々気づかない自己中な面も持ち合わせていた。
簡単に言えば、由華里が苦手とする父親の泰蔵とそっくりだった。
故に、由華里はその強引な縁談(他者による強制人生)から逃げるために家を出て、アーネストと出会った。
最終的に勘違いした田口が由華里を救出すべくアーネストの宿泊先に乗り込んで大騒動を起こし、結果、由華里にばっさり振られ、アーネストの仲を見せつけられ、翌日(ほぼ当日)にはウィルバートンの力で海外に「栄転」の形で飛ばされている。
田口の事は由華里にとっても黒歴史だ。
いかに無神経で強引で空気を読まない一方通行の男だったとしても、由華里の「婚約者」に数日でも収まっていた事実を許容できないアーネストを4人のブレーン達にコテンパンにされている彼の人生を思うと…多少は心が痛むのも事実だった。
つまりは、「田口崇史」という名前と存在は、このウィルバートンではタブーに近い言葉であり存在であった。
なのにその空気を読まないで平気で娘を攻撃するために名前を出すとは!!
由華里は怒りで頭が真っ白になりそうだった。
「お父さん…田口さんの件は確かにお気の毒とは思うけど」
「気の毒!?それが彼に対する言葉か!なんて薄情な娘なんだ仮にも彼は」
「やめて!田口さんを自分の婚約者と思ったことは1度もないわ!!お父さんと彼が勝手に決めて進めていた話じゃない!私は何度もお断りしているし、拒否したけど聞かなかったのは二人じゃない!!どうにもならなくて家出をせざるを得なくなったのは二人のせいでしょう!?それに対しては何とも思わないの?お父さんは?」
「自分勝手な行動を何故私がどうこう思うというのか!バカバカしい!」
「!!!」
「そういう自己中心的で我儘な事ばかりをしているから、こうしてウィルバートン氏にも多大な迷惑をかけているんだ」
「迷惑?」
「迷惑だ!!ウィルバートン家と平野家では家の格も違いすぎる!お前ではウィルバートン夫人等勤まらん!大財閥の夫人になるという玉の輿に浮かれているんだろうが、世の中そんなに甘くはない!今ならまだ間に合う!ここで反省し、謝罪し、今回の結婚はなかったことにし日本に戻るんだ!謝罪として知り合いの尼寺で各方面にかけた迷惑の詫びをするといい!」
由華里は泰蔵の言葉に驚愕の顔をして呆然と彼を見た。
「尼寺…本当に考えていたんだ…」
そして、ふらふらとしたように傍の椅子に座り込むと、両手で顔を覆った。
「お父さんは何しにここに来たの?私達の結婚を祝福しに来たんじゃないのは…
今までの電話での会話で理解はしていたけど…まさか引き離すために来たの?結婚式は明日なのよ?
なのに…この結婚を壊すために来たの?私達を…引き離すためにきたというの?私を田口さんとどうしても結婚させたいの?
何故!?わからないわ!!!!」
そしていきなり爆発したように立ち上がり、大声で泣き叫ぶように泰蔵に訴えた。
「私が!自分で考え自分で判断して選んだパートナーよ!家の格だのなんだの生きている世界が違いすぎるだのなんだの!!お父さんやいろんな外野に言われなくても!!
わかってます!!
それが勝手な判断だっていうのよ!分相応って何?それはお父さんの価値観と判断の物でしょう!?私のではない!」
「自立も何もできていない娘が偉そうに!」
「!!家に閉じ込めたのは!自由を奪っていたのはお父さんじゃない!」
「判断力もない娘を保護していた親の愛情だ!」
「違う!!お父さんは!いつもいつも…自分の思い通りに私をレールに乗せて、私の人生を全部決めてしまう。私の意思も何も聞かないで!お父さんにとっては私は単なるお父さんの人生の駒なのよ!自分の為のお人形でしかないんじゃない!
田口さんまで巻き込んで…田口さんをどんなに傷つけたのかなんて…
そんなの!!私が!私が一番知っているわ!
私と田口さんの事ですら!お父さんは何にも知らないくせに!私達の間に何があったかも何も知らないくせに!!
私と小暮がどんな思いでこの結婚を決めたのかも!!
全然知らないくせに!!
みんながどんなに私達の為にしてくれてたことも思いも!!!
なんにも知らないくせに!!!
私は!!」
身体を震わせ嗚咽する由華里を、アーネストが立ち上がり抱きしめる。
「由華里さん…」
「だから…だから嫌だって言ったのに!会うのはいやだって!!お父さんは絶対に私達の事なんか理解してくれない!私が!私が…どんな気持ちで…木暮に着いて来たのかなんて!
木暮がどんな気持ちで、あの時に私を自由にしてくれようとしたかなんて!!絶対にわかんない!」
「由華里さん」
「私は!木暮に出会うまで息をしていなかった!木暮に会うまで、人を愛する気持ちがどんなに苦しいかなんて知らなかった!愛しているから諦める事も、手を離す勇気も何も知らなかった!
木暮が!どんな思いで私を愛してくれたのか!
私達二人がどんな思いで!!
一緒に生きていくかを決めたのかなんて!!
絶対にお父さんにはわかんないわ!!」
号泣する由華里を強く胸に抱きしめ、苦しげにアーネストは言う。
「由華里さん…もういいから…いいですから…貴女の気持ちは一番私が理解している。それだけでいいでしょう?泣かないで、もう泣かなくていいのです。あまり泣くと、また顔が腫れ上がって、折角のエステ効果が台無しだとアニカが激怒しに来ますよ?」
ぷっと、由華里は吹き出し、ぐちゃぐちゃになった顔で見上げた。優しい金茶の瞳が心配そうにのぞきこんでいる。
「ごめん…ごめんね木暮…ちゃんと耐えるって言ったのに。滅茶苦茶にしちゃった…」
アーネストは優しく笑った。
「いいですよ。貴女はこの数か月、私の為にとてもがんばってくださった。それだけで十分です。もう泣かなくていいのです。貴女は、明日世界中で一番幸せな花嫁になっていただかないと。私が必ずしてあげますから…だから
泣かないで」
号泣する由華里を胸に抱きしめて、アーネストは泰蔵をまっすぐに射るように見据える。
その目にとらえられ、蛇に睨まれたかえるのように泰蔵は微動だにできずに畏怖に震えた。アーネストの冷ややかな厳とした声が、サロンに響き渡る。
「平野氏、この数か月、私も事情説明に手を尽くしたつもりでいましたが、どうも行き違ってしまったようですね」
「いや!!その・・・・あの…ウィルバートン氏…あの」
泰蔵は冷ややかなアーネストの態度と声に狼狽えた。
「自分の決めた婚約破棄の話しに、いきなりの他の男との結婚話に平野氏が立腹するのは御もっとも思い誠意を尽くしたつもりの結果がこれですか?」
「いや…あの…」
「昨夜も言いましたが、もう一度言いましょう。何度でも言います。
平野氏。
例え神であろうと悪魔であろうと…私は由華里さんをもう誰にも渡すつもりは私は無い。
彼女は…私の為に自分の命が危険に晒されても構わないと言ってくれた。
ウィルバートンの名を背負うリスクを承知で…
私の生きる世界の過酷さを承知で、
私と共に生きていくと言ってくれた。
その彼女を…私は今後一生涯離すつもりは絶対にありません。」
泰蔵は気まずく床に視線を落とし、がっくりとしたように肩の力を落とした。華代が立ち上がり、本当に仕方のない人と呟きながら、ぽんぽんと泰蔵の背中を叩く。
「あなた、日本を発つときに納得なさってここにきたのではありませんの?」
泰蔵はアーネストにしっかりと抱きしめられ、嗚咽を堪える由華里を悲しげに見た。弟の泰男もそばに来て、「お父さん!」と力強く背中を押す。
「由華里…」
泰蔵の小さな声に、由華里は涙を拭いて顔を向ける。今にも泣きそうな顔の泰蔵が、目頭を抑えて言う。
「すまん。その…泣くな!その…田口君の事は…彼からの説明でも理解はしておった。彼は自分がお前に相応しくないからと、あの結婚話は無かった事にしてくれと儂に婚約解消した事を申し出てくれた。だが…その…儂としては…」
「お父さん、ここに来た目的を忘れないでくださいませな」
華代の言葉に泰蔵は言葉を濁らせ、そして大きくため息を着いて由華里を見た。
「わかっておる!!その…なんだ…由華里…。明日の結婚式の練習をしなくてはならないのだろう?その……儂が…お前を…ウイルバートン氏の所まで…連れていかなくてはならないのだろう?」
由華里はびっくりした顔をアーネストに向けた。不思議な金茶の瞳が笑う。ほらね、大丈夫でしたでしょう?と笑う。
「お父さん…」
泰蔵は目頭を抑えたまま、早く顔を洗って来い!と怒鳴る。その泰蔵の手をアーネストが握る。
「お義父様、由華里さんを…貴方から奪う私を許してください」
アーネストの手を一瞬、強く握り返し、恐縮したように泰蔵も言う。
「娘可愛さに…つい大変失礼な言動を取り申し訳ない」
「大丈夫です!その父親の気持ちは私も理解しています!」
本当か?と言うような疑う視線を一瞬だけ見せた泰蔵は、ふうと大きく息を吸い込み深々と頭を下げた。
「ふつつかな娘です…。ですが…ですが…どうか…宜しくお願い致します」
「お義父様。お顔をおあげください。由華里さんは必ず私が守ります。全ての事から…必ず。私の大切な妻を守ると約束します」
「妻?」
鼻を噛みながら、由華里は可笑しそうに笑った。
「木暮、気が早いわ。お式も婚姻届も明日よ?」
アーネストはなんだか悪戯っぽく笑うと由華里を引き寄せるように抱きしめ、勝ち誇ったような笑みを泰蔵に向けた。
あ、なんだか嫌な予感がすると、由華里は蒼くなって泣くのを止めた。
アーネストがこういう顔をする時は、相手を完膚なきまでに叩き伏せるか負かせる時の顔だと言う事は、この短い数か月で嫌というほど見て来た。
アーネストは胸ポケットから一枚の紙を取り出し嬉しそうに言うと広げた。
「ああ、言うのを忘れていました。お義父様!お義父さまがどんなに頑張ろうとも、絶対に由華里さんを連れ帰る事も尼寺に押し込むことなどもできません。
なぜなら、由華里さんは既にユカリ・ヒラノではなく、
アメリカ国籍のユカリ・ヒラノ・ウイルバートン、
既に私の妻であり、
正式なウイルバートン夫人なのですから」
由華里はポカンとした顔でアーネストを見上げた。
「え!?何言っているの!?婚姻届は明日の結婚式の前に出す予定じゃなかったの!?」
仰天して言う由華里に、アーネストはしらっとして言う。
「NYに戻って直ぐに、私のオフィイスで、弁護士団と立会人であるラスマス夫妻の前で、貴女は婚姻届を読み納得しサインしましたよ?」
由華里は唖然とした顔をした。確かにバリから真っ直ぐにNYに来て、直ぐにマンハッタンにあるウィルバートン本社に向かい、その総裁室に居並ぶ面々を紹介され何か色んな書類にサインをしたのは覚えている。だけど!!
「あれは!結婚する為の手続だとか言ったじゃない!」
「だから結婚する為の正式届出書だったのです」
「そんな簡単に色んな書類を出せるわけないじゃない!!!」
「私を誰だと思っているのです?」
由華里は頭を抱えた。そうだった!こいつは父親の泰蔵なんか足元にも及ばない、自分勝手で独善独断的で用意周到な上に策略家な男だったのをすっかり忘れていた。
「由華里さんは弁護士から聞いた様々な事に納得し、理解しサインをしましたよ?なんならその時の録画映像があるので見せましょうか?」
アーネストが手をあげると同時に、オーソンは壁の一部に巨大なパネルスクリーンをおろし部屋の灯りを消した。直ぐにあの2か月前のアーネストの総裁室が映し出され、ドアが開くと同時に少し疲れた顔の由華里を伴うアーネスト達が入室してきた。
部屋には10数名の男女が椅子から立ち上がり、順次紹介されていく。そして慌ただしく、弁護士軍団がデスクに座らせられた由華里の前に、物凄い数の書類を並べ端から説明していく。
だが、半分眠たげな由華里は、どうみても半分も彼等の話しを効いている様子は無い。
可笑しそうにアーネストが横から簡単に説明していくのに、由華里は頷いている。
そして言われた通りにサインをしていく。
「あの書類が婚姻届です。由華里さんが自ら納得しサインをしています。貴女は、2か月前から私の正式な妻だったんですよ?」
アーネストの差し出す結婚証明書を見て、由華里とアーネストを見て、由華里は信じらんない!と地団駄踏んで喚きだした。
「酷いわ木暮!!あれはどうみてもだまし討ちじゃないの!!私!あの時、長期フライトとその中での花嫁修業と空港での物凄い報道陣の取材攻勢にへとへとだったのよ!!あの時に判断能力なんて無いわよ!」
「貴女も馬鹿じゃないんだから、書類に記載されている簡単な英語の文言くらいは疲れていても読めたはずです」
「読めたわよ!理解していたわよ!でもそれは!!」
ギャアギャア言い合う2人の後ろで、泰男が異変に気づいいて叫んだ。
「姉さん!お父さんが!!」
え?と、振り返った由華里とアーネストの真後ろで、泰蔵が泡を吹いてドサリと床に倒れ込んだ。
一番の策士はアーネストでした。




