第38話 遅すぎた本当の気持ち
口は全く人の話を聞こうとする気配がない。
そして頓珍漢な質問までする。
由華里は眩暈を起こしそうになった。
「田口さん…どうしてここで木暮が出てくるの?」
由華里はあきれた顔で田口を見る。
その由華里を、田口も「え?」と見る。
そして 田口は馬鹿みたいな顔でアーネストやブレーン達の方を見る。
彼等はそれを我々に聞くなと言う顔で目線を逸らした。
田口は愕然としたように叫んだ。
「僕には話せない事をウイルバートン氏には話しているんですよね?彼には!!」
「雇用主ですから」
「由華里さん!普通、一従業員、しかも臨時従業員に対して雇用主は従業員の住居に関してそこまでの配慮はしません!
社宅等の提供義務があるのなら別ですが、貴女は期間限定の臨時社員だ。CEOであるウイルバートン氏がそこまでする義務は普通はないんですよ!?
その意味がわかないんですか!?」
-Mrタグチ。
冷ややかなアーネストの声に、田口はびくりと身を強張らせた。
―君は、ここに何をしに来たのだね?我々の報復も顧みずに、
勘違いとはいえ、由華里さんを救出したいという君の心意気を買って、
こうして彼女と話をさせているのだが…
先程から聞いていれば、どれだけ君は彼女を愚弄すれば気が済むのかね?
君は、一体、何の回答を彼女から引き出したいのかね?
不愉快だ。
すっとアニカが前に出て田口を冷ややかに見据えて言う。
―Mrタグチ。
由華里様のアパートメントについては邪推がひど過ぎます。
彼女は当社に臨時社員として勤務して直ぐに、昨日の事件に巻きこまれています。
当社とは関係のない事件とはいえ、彼女はM商事の平野専務のお嬢様であり、
当然、当社としては彼女の安全確保が急務になります。
故に、由華里様の契約したアパートメントにセキュリティーで問題があったため、
代用のお部屋を用意したまでの事です。
部屋にいる全員からのすさまじい怒りの圧が田口に向かう。彼はは口を閉ざし嫌な汗をかいた。
「私は…本当に由華里さんの身を案じてここに来ました。
確かにそればかりに意識が向きすぎて視野が狭くなり、
みなさんに失礼な言動をとってしまったことはお詫びいたします。
ですが!!ウイルバートン氏!
由華里さんは本当に普通のお嬢さんなんです。世間知らずで人の悪意をしらない、誰かが守らないといけない弱い人なんです!」
アーネストが笑いを堪え、不機嫌な顔をしている由華里を見た。
―貴女は弱い人なんだそうですよ、由華里さん?そんなことはあり得ませんよね?
由華里はむすっとして腕をさするアーネストを睨み、田口を睨む。
―Mrタグチ。由華里さんは弱い人ではありませんよ。
芯の強い行動的な女性です。
しかも意見もはっきり言うし、嫌な事は徹底的に抵抗します。
君はどうも彼女を自分のカテゴリーに嵌め込んでがんじがらめにしたいらしい。
―それは貴方も同じではないのですか?ここに彼女を縛り付けている。
―彼女は自由ですよ?ね?由華里さん?
はあ…と由華里は嘆息した。
―田口さん、私があなたとの結婚を拒む理由に、どうしても木暮さんを理由にしたいのですね?
私と木暮さんがそういう関係であるとか、そういってもらいたい?
―違うのですか?
―違います。
「「「「「「ええええええ!?」」」」」」
アニカ達全員が素っ頓狂な声を上げて、由華里はびっくりして彼等を見た。アーネストは静かな笑みを浮かべて視線を外した。
―何度も言いますが、木暮さんと私は単なる上司と臨時社員。
雇用関係のみです。
確かに父との関連で普通の臨時社員よりは優遇されていると思いますが、
ただそれだけです。
田口さんがイメージしている私は、今までずっと父の庇護下の籠の中の鳥の私です。
籠の中に居る事すら認識できない、世界を知らない、
自分の意見すらもまともに言えない愚かな鳥。
でも…
家を出て木暮と出会って、彼の傍で働くことになって‥‥
私はみんなからいろんな事を学んだと思います。
それに木暮さんは、あなたが想像している甘い関係ではありませんでしたよ?
彼は私の事を叱ってばかり。怒ってばかり。
ぽんぽん失礼な事ばっかり言うし、すぐ喧嘩吹っかけるし…。
生きる世界が違う?そんな事、重々わかっていますよ。
こんな非常識な人、私達の世界ではあり得ないじゃないですか。
私達と全然真逆の人間です。
でも…きっと違う人間同士だったからこそ…
こうしてぶつかり合い、
喧嘩して、
笑って、
許して…
お互いの悲しみも苦しみも理解して…
お互いを知って…
思いやる気持ちを知る事ができた。
そう…私は…家を出て、
木暮さんに…木暮達に出会って…初めて。
由華里は大きく目を見開いた。目の前に何かが広がり開けたのを感じた。
今まで目を閉じ、心に押し込めていた何か。
光り輝く彼との暖かな未来の世界が…今…自分の手で開けられたのを…見た。
拒んでいた…本当の気持。
「私…私は…木暮と出会い…息をすることを知った。
生きる事を、意味を…知った…。
始めて見た外の世界は広くて途方も無く広くて…
未知に満ちていて…悪意に憎悪にも絶望に満ちている。
私の命を奪おうとする恐ろし事もある…。
でも…
どんなに怖くても大丈夫。自分で選んで歩いて行ける。大丈夫…
だって…」
彼が側にいるから。
由華里は言葉を止めて振り返った。
深く椅子に体を預けるアーネストが、ゆっくりと目を開く。真っ直ぐに由華里を見る。あの不思議な金茶の瞳で。初めて心を捉えたあの瞳で。
由華里はやっと静かに悟った。本当の自分の気持ちに。逃げてばかりいた気持ちに。
今頃になって…。
でも…もう遅い。
だからこれは…その罰なのだ。
目を背け続けた自分への罰。
気付かず逃げ続けた…私への罰…。
田口に振り返った由華里の目から、無意識のうちに大粒の涙がこぼれた。
一筋。
真っ直ぐにそれは頬を伝い流れ落ちた。
その美しさに、田口は息を呑み…彼も悟った。
彼は自嘲気味に笑いを漏らした。
「僕の…一人相撲だったんですね…」
「?」
「今理解しました。僕はかなり…独りよがりだったんだと。
由華里さん…
僕は…怖かったんです。
木暮雅人なる人物と出会い、どんどん変わる貴女が怖かった。
丸の内で生き生きと輝いて走る貴女の姿を見つけたとき…
今にも貴女は遠くに飛んでいきそうなくらい見たことも無い程美しく輝いていた。
だから…この手の中に…押し付けて抑え込んでおきたかった…。
確かに、私は貴女を偶像化していたのかもしれない。
だが…本当に好きだったんです。
貴女が手の届かない遠い所に連れ去られるのを見るのが嫌だった。
奪われたくなかった。
貴女は…私達と同じ世界に生きるべき人なのだから、だから…」
田口は顔を挙げ、真っ直ぐにアーネストを見た。決然とした瞳で。アーネストは悲しげに微笑んだ。
―Mr田口?誤解は色々と溶けたようですか?
アーネストは立ち上がった。
―では…私からも申しましょう。
彼は優しく由華里に微笑む。その瞳はもう何かを決心し決して揺るがない光を湛えていた。由華里は確信に瞳を閉じた。
―我々は明日、ニューヨークに戻ります。
由華里さん、貴女との約束通り、願い通り…私は帰ります。私のホームへ。
だからもう貴女とこうして喧嘩をすることも言いあう事もないでしょう。
残念ですが。
彼は由華里に手を差し出す。
―由華里さん、楽しい5日間でした。願わくば貴女の幸せな人生を…
ニューヨークから…祈っています。
由華里は立ち上がった。真っ直ぐにアーネストを見つめ返す。
彼も由華里を見つめ返す。この手を取れば終わりだと…理解している。
アニカも言っていた。お遊びは終わりだと。
出会う事のない二人が出会い、あり得ない日々を重ねた伽話しのような楽しかった日々は終わりを告げ、それぞれが元の世界に戻る。
魔法は全て解け…現実が目の前に広がる。
それぞれが、それぞれの世界で道を歩き出す。偶然重なった道は…別の方向に、
今、別れようとしている。
そう。
もう答えはだしたんだ。
二人で。
由華里は微笑む。輝く笑顔で精いっぱいの笑顔で。
自分の心の中で泣き叫ぶ自分を抑え込んで。
アーネストの不思議な金茶の瞳を見つめて…その手を握り返す。
―ありがとう。私も…祈っています。貴方に新しい家族が…早くできるのを。
貴方の幸せを…。
二人は笑みを交わしあい…
そして…手を離した。
「さようなら」と。
永遠の別れを告げて、二人は道を離れ互いの道へと分かれた。
散々かき回した田口ですが、その田口を説得しているうちに、はっきりとアーネストへの愛情を確認した由華里。でも…もう既に二人は別れをそれぞれ出していることにも気づきます。




