第32話 貴女が望んだ場所 自分が望んでいた場所
突然、自分が契約したアパートメントを解約され激怒し、
突然、そのアパートメントの踊り場から放り出されて殺されかかれ救出され
突然、木暮雅人から怒られキスをされて押し倒されて、
突然、ここにつれてこられた
アニカが由華里を連れてきた場所は、由華里が契約して木暮に契約を勝手に解約されたアパートメントにほど近いビルの最上階だった。
完全オートロック。24時間オートと警備員警備。コンシェルジュ常駐の最高級マンション。
あのホテルと同じ眼下に東京の街が一望できる広いリビング。アニカはリビングに隣接するドアを開けていく。
2ベットルーム。高級家具付き。大型家電付き。観葉植物も置かれ、ベットメイキングまで済んでいる。いつでも住める状態になっている。
「ここは?何?」
「由華里様が契約したアパートメントをこちらで勝手に解約したお詫びのお部屋です。代わりにこちらをお使いください」
由華里は眉根を寄せた。
一人で暮らすにはあまりにも広すぎる室内に、曇り一つない窓の下に広がる夕暮れに向かう東京の街と、遠くに瞬く新宿の高層ビル群を見つめて、由華里はアニカを振り返った。
彼女は無言で一通の手紙とペーパーナイフを差し出した。
見覚えのある蝋印。中身の簡潔な文章に目を通すと、真っ直ぐにアニカを見た。彼女は泣いているかのようだった。
「アニカ…こんなアパートメントは受け取れないわ」
「そこにも書かれておりますように…由華里様はしばらくの間…お命を狙われる可能性があります。ですから、こちらが手配しましたアパートメントで暫くお過ごしください。セキュリティーは完璧です。あの二名のボディーガードも、おそばに置かせていただきます」
「どうして?私の為にそこまでするの?どうして私が命を狙われるの?」
アニカは美しい顔を苦渋に歪ませた。
「それは…由華里様が一番ご存じなのではないのですか?」
「わからない。わかんないわよ!!だって!!私は彼の事を何も知らないもの!!出会ってまだたった5日よ!?その彼しか知らない!何も知らない!!だって何も教えてくれないじゃない!
彼はなんでも私の事を知っているのに!!」
「知りたいですか?」
キッ!と、由華里はアニカを睨んだ。
「教えてくれるの?」
アニカは悲しげに目を伏せた。
「知ったら…由華里様は逃げられなくなりますよ?」
逃げる?
「なによそれ、私がまるで逃げ出そうとしているみたいな言い方じゃない」
くすっとアニカは笑う。まるで木暮と同じような、自嘲したような笑みを浮かべた。
「違いますか?」
「ちが…違う…違うわ」
言いながら何故か物凄く後ろめたい気分になり由華里は戸惑った。何?この気持ち。
「では、アーネスト様の事をお話してもいいですか?」
「全部話してくれると言うの?」
「話せません。それはアーネスト様がお話すべきことで、私の口から言うべきことではない」
「ほら!!アニカも隠す!木暮さんだっていつもそうじゃない!いつも!!いつも何か隠して話さない!
そうよね!私は臨時のバイトで、貴方達のメンバーじゃないもの。ただの仕事で来た異国に住む無関係な女だものの!
貴方達とは生きる世界が…私達は生きる世界が違うんだもの!!」
「本気で?本気でそう思っていらっしゃいますか?」
由華里は突き上げる胸の痛みに顔をしかめた。足の痛みより酷い痛みに震えた。
何が悲しいの?
何がこんなに悔しくてやりきれないのが分からない。
その由華里の背に、アニカが静かに言う。
「由華里様…私は…この数日間…とても楽しかった」
「うそ」
「いいえ…きっとアーネスト様も同じ思いです…いえ…きっとそれ以上の」
「うそ!」
「私は…あんな表情豊かな…アーネスト様を見たのは初めてでした。あんなに大声で怒鳴り、笑い、ふざけて…激しく感情的になり…見苦しく貴女に振り回される…。
何も知らない貴女だから…
アーネスト様の本当の姿を知らない…
最初からただの一人の男性としか見なかった貴女だから…だから…だから…」
アニカは真っ赤な瞳を由華里に真っ直ぐに向けた。
「これはアーネスト様がお決めになった事です。
貴女の為に、貴女の幸せの為に最善だと思われてお決めになった事です。
だから…私からは何も申しません。
でも!!
でも由華里様…私は…私達は全員…貴女の側にもう少し居たかった。例えどんなに今まで生きてきた世界が違おうとも、それを軽々と超えられた貴方達なら、もしかしたらと…希望を抱いていました。
アーネスト様のそばでアーネスト様を幸せそうに困らせる貴女を…
ずっと…ずっと私達は見ていたかった…」
「…何を言っているの?何のこと?」
「もう…わかっているはずです」
ぎゅっと由華里は唇を噛みしめた。
「わかりません」
「…残念です」
アニカは一礼して、部屋を出て行った。
一人残された広い部屋に、由華里は膝を抱えて座り込んだ。他の部屋などを見て回ろうと言う気も起きなかった。ただ…瞬く高層ビル群を見つめていた。
一体何が起こったのか、何が原因なのか、なぜここにいるのか、どうして自分はこんなに苦しくて痛い足を抱えているのか…全てが混沌としていて理解が出来なかった。
ぐちゃぐちゃだ…
由華里は頭を抱えてそのまま蹲った。物凄い虚脱感に、茫然としたようにただ蹲った。
どれくらいの時が立ったのか、昼から何も食べていない事に気づき、由華里はのろのろと立ち上がった。
巨大な冷蔵庫を開けると、中には誰が消費するのかわからないほどの食材が詰め込まれていた。こんなものまで完璧に用意してたんだ。
それとも、本来は誰かが住むべきマンションだったとか?
それすらもう確認する術は無い。
私は一人…放り出されたんだ。
あの人達の中から。
外に。
あの居心地のいい空間の中から締め出された。
…違う。
由華里は悲しげに顔を歪めた。
違う。
自分で逃げ出したんだ。
アニカの言う通り。真実を知るのが怖くて。現実を見るのが怖くて…。
無意識に食材を出し、鍋を出し、黙々と大鍋にいっぱいのシチューを作った。柔らかいハーブとクリームの醸し出す香りに、由華里は涙を流した。
何が悲しいのかわからない。
何が悔しいのかわからない。
ポケットの中の手紙に気づき、由華里は取り出すと、そっけない文章に目を通してくしゃくしゃにしてゴミ箱に叩き込んだ。
「何よ!!散々言いたい放題したい放題したくせに!最後にこれ!?バカじゃないの!!?」
何を泣くの?何がこんなに苦しいの?何がこんなに辛くて悲しいの?
膝を抱えて由華里は闇に浮かぶ高層ビル群を見上げる。瞬く赤い光。光輝く街の灯り。洪水のような光の海。
ふと…
その光の海の中で、ぼんやりと窓を見る木暮の姿が浮かんだ。
きっとまたあの不機嫌な顔でいるんだ。
つまらない顔で。
―睡眠?取りますよ。必要最低限の睡眠はね。
淡々と言う感慨のない言葉を思いだし、バカじゃないのと由華里は呟く。
ふと思い出したように携帯電話を取り出しチェックをした。仰天した!
物凄い数のメールと着信が入っている!!
ぎょっとして、アドレスをスクロールした。ほとんどが田口だ。仕事の合間合間に送ったような着信時間。最初のメールを開く。
「連絡をください」
「お話したいことがあります」
「お電話をください」
「お願いします。連絡を下さい」
由華里は着信とメールの全てをスクロールして一括で消去した。
あったま来る!なに考えているんだか!?
大体こんな事になった一因には田口も原因があるんじゃない!
なのに人の気持ちも考えないで好き勝手ばかり言って!!
こんなに非常識な量のメールや電話をして!ストーカーみたいじゃない!
いい歳した大人が馬鹿みたい!!
…あれ?
由華里はハッと気づいて、もう一度携帯電話を見た。
凄い数の着信件数だった。
多分、田口は昨日の事件の後から連絡をしてきていたはずだ。そう、だって田口もあの現場にいたのだから心配して連絡を取るのも頷ける。
あの田口だし。
だけど…今朝、確認した時には田口からのメールも着信件数も、何も入っていなかったわよね?
一件も…。
由華里は立ち上がった。
あれっ?私…夕べから携帯電話をどこに置いた?
てか、事件の後、携帯電話をどうしていた?
ずっと病院に居て検査を受けていて…
警察の事情聴取受けて直ぐに解放されて…
検査報告がOKだからホテルに戻って…。
そして母親に電話を掛けて…
その後に木暮が電話に出て部屋を出て…。
あれ?
その後彼から電話を返してもらったっけ?
どうした?
由華里はさーーーっと血の気を下がらせた。
その後の記憶が無い。
それにあの手紙…誰があそこに置いたの?
いやいや、朝に起きたときに部屋に漂っていたコロンは誰のだっけ!?
まって!その前の!夕べのアニカ達の会話。
―彼もあの場にいたので…これが…
―全て消去しろ!
朝、自分が寝ている部屋に入り込んだのは誰?
当然のような顔で入り込んで、アイツ!何した!?
そして私の携帯を見たんだわ!
そして…勝手に消した!!!??
由華里は愕然とした。
私の携帯の着信とメールやメッセージを見て消したんだ!!勝手に!!
どうやって!?プロテクト掛けているのに!?
だがそんな稚拙な由華里のプロテクト等、彼にとっては解除は朝飯前の様な気がする。あの忠実なブレーン達がお茶の子さいさいで平気で解除しそうな気がする。
絶対にしたんだ!!
でなければ!あり得ない!!
猛然とした怒りが湧き上がってきた。
大体!!あいつ何よ!人を勝手に引っ張りまわして、散々かき回して!
怒らせて!
あんな事して!(由華里は耳まで真っ赤になった)
そして話もナシにコレ!?
これで終わり!?
終わりにするつもり!?
頭を突き抜けるような激しい怒りが体を貫いた。
人の事を散々辻褄が合わないだの、迂闊だのなんだの言いたい放題罵ってくれたけど、木暮自身だってわけわかんないじゃない!!
私の事を全部知っているのに、木暮自身の事は内緒って!?何?
あり得ないでしょう!?
と、言うか私!!!何を大人しく引き下がっているの
バカは私だ!!
由華里はバックを猛然とかき回し、支給された携帯電話を見つけて、木暮の直通をコールした。
出やしない!!
床にたたきつけようとして思いとどまり、キッチンに行き、かたっぱしから開けて行く。
あった!
由華里は保温できる鍋を取り出すと、作ったシチューを全部移し替えた。リビングに放りだしたままのキャリーから大判のストールを取りだし、鍋を包むと抱えた。
松葉づえが付けない!
そろそろと足を引きづって行けば歩けない事もない。バックを斜め掛けに掛け、玄関のドアを開けると大声で叫んだ。
「いるんでしょ!?出てきなさいよ!車だして!!あのバカに話を付けにいくから!!」
直ぐにボディーガードが柱の陰から現れた。
彼に鍋の包を押し付けると、憤然とつえで足を引きずりながらエレベータに向った。ボディーガードは携帯電話を取り出し、怪訝な顔で包みを見おろしながらどこかに連絡を取りながら、由華里の後を追った。
なんの説明もなくいきなり放り出されたと感じる由華里。でもそこは由華里が最初に望んだ自立の為の場所。(かなりグレードアップしてますが)アーネスト達は由華里の為を思い、自分達と人生を切り離すため、いろんな説明はなしで彼女を解放しました。が 由華里は不満満々です。




