第3話 家を出たはずなのに出られない
この男は何をバカな事をいっているのだろう?
数時間前に会ったばかりの全く面識のない男の部屋に?未婚の(既婚でも!)女性に自分の宿泊先のホテルでお茶飲みましょうなんて!!
そんなナンパ聞いたことないし、非常識すぎる!!
あり得ない!
バカじゃないのこの人!!
由華里は引きつり思わずにじり下がる。
「何をバカな事を言っているんです?あり得ないでしょう?
全然知らない男性の部屋でお茶?ないない!!あり得ません!!
とにかくロビーにいます!」
「ロビーで待つも、部屋で待つも同じですよ」
由華里は真っ赤になった!何を言ってるのこの男!
「ああ!失礼、そうか…言い方が間違えていました?」
由華里ははっ!とした。あ、そうかこの人はネイティブじゃない。
そうか、言い方を間違えたのね。そう思い直してニコリと笑うと、彼もニコリと笑う。
「そういうご心配をなさって心配をなさっているのですか?でしたら大丈夫ですよ。私はワンフロア借り切っています」
「は?!」
「ですから、個室だけではなく、共有の見晴らしのいいリビングもあります。専属のメイドもいます。ボディーガードもいます(同じエレベーターの3人の男性達が頷いた)他にも大勢メンバーがいますから安全です。
で?由華里さんは紅茶がお好きですか?コーヒーの方がお好きですか?」
由華里は唖然とした。この人は何を言っているんだろう?理解できない!!
「紅茶がいいとか!コーヒーがいいとか!の話じゃなくて!!
ああああ!もういいわ!とにかく途中の階でいいから降ろして!!
あっ!なにコレ!直通じゃない!!」
「ええ、フロア専用エレベータですから直ぐにつきますよ」
由華里はぎょっとした。
専用エレヴェーターのあるフロアを丸ごとと借り切っている?!
それって、VIPもVIP!特上フロアと言う事じゃないの!そんなフロアを借り切るなんて、ただの一会社役員クラスってことではないって事よね!?
この人!?一体何者!?
由華里の心は木暮雅人に対する猜疑心でいっぱいになった
今すぐここから逃げ出さないと!なんだか大変な事になる予感がする!
「木暮さん!とにかく私をロビーに戻してください!!」
「ですから無理です。このエレベーターはフロア直通ですので、途中では停まりません。とにかくまずはお部屋で待っていただいて。」
「停めて!」
「貴女はそればっかりですね。先ほども同じ行動で危うい事態になったのを、もう忘れたのですか?」
由華里はドアにへばりつくのをぱっ!とやめて、一歩後ろに引いた。そして冷や汗書きながら、必死で逃亡する方法を考え出した。
とにかくドアが開いたらダッシュで非常階段まで逃げて下の階まで降りてエレベーターに乗る!
もしくは誰かの部屋にかくまってもらう!?
誰か他の人の居るところまで逃げないと!!
細かい和風の寄木細工の施された高級なドアの前で必死の形相で思案する由華里を見ながら、木暮雅人は可笑しそうに笑いを堪えていた。
「それに由華里さん、荷物をお忘れではないですか?」
由華里は素っ頓狂な声で叫んだ。
「荷物!後部席に置きっぱなしだわ!!」
「そうですよ。荷物は係の者が部屋まで運んできます。ですから、やはり部屋に…」
チンと鳴ってドアが開く。
荷物はもう後でもいい!とにかく逃げないと!
外に飛び出した瞬間、まるでモデルの様に美しいプラチナブロンドの女性が両腕を広げて満面の笑顔で待ち構えていた。
「きゃあ!」
止まることもできずに飛び出した反動で、由華里はその美女の腕の中に飛び込んでしまっていた。
「Ye~~~s!!」
美女はガッツポーズをして嬉しそうに高らかに笑いだし、ぎゅうううう!っと由華里を抱きしめた。
何!?何が起こったの?唖然と彼女を見上げる由華里に、木暮雅人は可笑しそうに英語で言う。
―アニカ?何時の間に戻っていたのかね?
ホホホホと高らかに笑うプラチナ・ブロンドの美女は、にっこりと微笑んで言った。
―それはもう!先回りする為にカーチェイスをしてまいりましたわ!
―あの高速道路でか?
―ええ!スリリングで楽しかったですわ!おかげさまで、こうしてお出迎え出来まして大変満足しています。ア・・・
ゴホンと咳払いし、木暮雅人はアニカの言葉の先を封じる様にウィンクした。アニカは何かに気づき、くすっと笑う。二人の会話にポカンとしている由華里を受け取り、彼は優しく言った。
―ユカリさん、ご紹介いたします。私のブレーンの一人のアニカ・オーウエンです。アニカ、彼女がユカリ・ヒラノ嬢だ。丁重におもてなしをしておくように。
―木暮さん!!私は!!
木暮雅人は着替えにいくと言い、さっさかとボディーガードの一人を連れて、右側の通路の奥に行ってしまった。
慌てて呼び止めようとした由華里の前に、さっ!と、アニカが美しいシミ一つない綺麗な右手を差しだし、超絶綺麗な笑顔で笑う。
―アニカ・オーウエンです。初めまして。
―ユカリ・ヒラノです。よろしく。
と、反射的に微笑んで自己紹介を返してしまう。何しているんだ自分!!と、由華里は激しく心の中で罵った。こんなことしている場合ではなく!非常階段に!!
だが、ホールを見まわして愕然とした!
そこはエレベーターホールではなく、真正面の壁一面ががらず窓の、眼下の東京の街並みを180度一望できるパノラマが広がる巨大なリビング・ルームだった。
だから専用エレベーターだったのだ!
部屋の中央には巨大で真っ白な上質な革張り半円形ソファーが、窓に向かいシンメトリーにバーン!と置かれている。
これはあの上流階級向け雑誌で見たことのある、超高名デザイナー家具職人の作品だ!
周囲の家具も全て彼のデザインの物であり、真っ白なシミ一つない家具が窓からの光にきらきらと輝いている。
沢山の花が飾られた高級花器に、様々な大きな観葉植物があちこちにさりげなく置かれ、まるで天空の温室かサロンのようだった。
緑の大理石のテーブルに置かれた紅茶も最上級の茶葉のアールグレイであり、茶器はマイセンのフルセット。だがどうみても特注デザイン。どこかの家紋がポットに、カップの横に金色に輝いていた。
どこかで見たことのある家紋だけど…どこだったかしら?
はっ!としてカップから目を離し、非常階段を探した。左右には重厚なドアがずらっと並ぶ廊下が微妙な曲線を描いて伸びている。そのため端が見えない。
どれだけ大きいの…。
その廊下の中央あたりに、それぞれ非常階段のライトがみえる。が、その前には先ほどのボディーガードだとういう、先ほどエレベーターで一緒だった男性達がそれぞれ仁王立ちで立ち塞がっていた。エレベーターの前にも違う男性が立ち塞がっている。
逃げ場がない!?
呆然と立ち尽くす由華里に、アニカがニコニコニコニコしながら、自分の前の席をどうぞと勧める。
渋々席に着く由華里。祖母の形見のヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計で時刻を確認すると、pm3:00になろうとしていた。まさしくお茶の時間ではあるが…。
由華里はそわそわと落ち着きなくだだっぴろいリビングを見まわした。
とてもホテルとは思えない。どこかの高級高層マンションのようだ。
アニカは美しい手つきで紅茶をカップに注ぎ渡す。動作一つ一つに華があり上品だ。
母親の華代とはまた違う目を引く所作の美しさがあった。感心していると、メイドがカートに沢山のケーキを並べて運んできた。
あ~~~何がなんでもここでお茶をさせる気なのか!
由華里は腹をくくり、フルーツ系のタルトとムースとケーキを指さした。メイドはニコリと微笑み、美しい絵皿に美しくケーキを盛り、カットフルーツにソースや細かいナッツ等で芸術的に盛ってテーブルに並べた。
凄すぎる…。
お茶もケーキも流石Fホテルと思わせる度に美味しい!
だが、その由華里の動きをアニカ・オーウエンがニコニコしながらいちいち目にしている様子が不愉快だった。何故そんなに見てくるのかしら?
由華里は一気にアールグレイを飲み干すと、マイセンのカップをキチンと揃えて置いて立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
そしてにっこりと微笑んだ。
「お茶もいただいたので、これで失礼します。木暮さんには宜しくお伝えください」
そして踵を返してスタスタとエレベーターの方に向かうと、がしっと誰かが腕を掴む。
あいつだ!!
その掴み方で、もう誰だかわかるくらい何度も腕を掴まれている由華里は苦々しげに木暮雅人を振り返った。
ビックリするくらいカッコよくホワイト・タイを着こなす木暮雅人が、にこやかに笑って由華里を引き戻すと自然にソファーに座らせた。
「お待たせいたしました」
「待っていません!これから部屋を出るところです!!」
立ちあがる由華里を難なくまた座らせる。しかもにこやかに微笑みながら。
由華里は歯ぎしりしたくなった。
「由華里さんのお荷物が手違いでこちらに向かっています。ですのでもう少しこちらでお待ちください」
「荷物はもういいです。後で取りに来ますから、フロントに預けてください。私はこれで失礼します」
立ち上がり頭を下げる由華里を、また由華里を座らせる。
何なの!!!
「いいのですか?確か…ご友人のお祝いの品が入っているとおっしゃっていましたよね?プレゼントなのに、後でいいのですか?」
由華里はぎくりとした。
「えっと…その…」
彼はニコリと威圧的に笑う・
「ご友人のお話は、嘘、ですよね?」
「嘘じゃありません!」
由華里の剣幕にも動じないで、彼はにこやかな笑みに冷ややかな声で言う。
「実はこのフロアに運ばれる荷物はすべて、厳重なセキュリティーチェックを受けます。大変失礼ですが、貴女の荷物もX線で中身をチェックさせていただきました」
「なんですって!?何を勝手なことをするのよ!!」
「中身は小旅行に行かれるような小物と、数日間の服と・・」
「やめて!!中身をここでバラす必要ないでしょう!!」
「ご友人のお話は、嘘、ですよね?」
にこやかに微笑みながら、威圧駅に言う木暮雅人の横面を、グーで張り倒したい!!と言う怒りを必死で抑え込みながら、由華里はぎゅっと両手を痛いほどに握りしめた。
「嘘、ですよね?」
「はい…」
渋々と由華里は認めた。
「ではどちらに行かれるご予定ですか?」
「あなたには関係ないでしょう!」
「あります。私にはあそこで貴女を助けた以上、責任をもって目的地にお送りしなければなりません。お父様の平野泰蔵専務にも申し開きができませんしね」
「何故ここで父が出てくるんですか?父は関係ありません!」
「関係あります。仕事上のパートナー会社の一つですからね。ああ…それならお父様に貴女の今日の行動をお聞きするのも手ですね。
もしくは歌舞伎座にいらしているお母様にとか」
由華里は驚愕し絶句した。
完全に由華里の家の事どころか家族の動向まで把握されている!
「あなた…何者なの?私をどうしようというの?やっぱり…変態なのね!!!」
あはははははははは!!!!と、一斉にアニカやボディーガード達やその場の由華里以外の全員が、お腹を抱えて大爆笑しだした。
「な?なんなの?なんで笑うの?!」
「あははははは…すみません…いきなり思いもよらないことを仰るので…失礼」
一同は笑うのを瞬時にやめて背筋を伸ばした。
「由華里さん、私はそろそろ会場にむかわないといけません。ないので、続きは戻ってからにいたしましょう。挨拶を済ませたらなるべく早く戻りますので、ここでお待ちください。
それにお約束を忘れていませんよね?」
「約束?!」
なんだっけ??
「忘れてますね。今日の私の行動への謝礼に、ディナーをご一緒する話です」
「あ!そうだった!」
思い出した由華里の前席から、アニカが立ち上がり彼に一礼をする。木暮雅人は軽く手を上げると、エレベーターに乗り込んだ。
「まっ!待ってください木暮さん!!私も行きますから」
慌ててエレベーターに乗り込む由華里を、木暮雅人は軽く抱きしめて、その頬にキスをした。
ヒッ!と叫んで頬を抑えて後ろに下がると同時に、ドアが閉まりだし、彼はにこやかに手を挙げ、無情にドアは閉まった。
「あああああ~~~っ!何これ!?酷い!ちょっと!!バカ木暮!!開けなさいよ!!」
力の限りにドアをたたくが頑として開く訳もなかった。へなへなとその場に座り込む由華里に、アニカが心配いそうに駆け寄る。キッ!と由華里はアニカを睨んだ。
「彼は一体何者!?もしかしてマフィア!?」
ドッとその場に居た者達全員がまたゲラゲラ笑いだした。
家を出てお茶タイムにはホテルに軟禁状態の由華里。さて木暮雅人は何者か?アニカは何者か?楽しそうな二人と違い、パニック状態の由華里です。さて逃げられるか?楽しんでいただけると嬉しいです。