第23話 ウイルバートン家の呪い発動
「キャアアアアアア!!!」
「うわああああああ!!!」
東京駅前の丸の内のオフィス街に、場違いに響き渡る怒号と悲鳴に動揺した周囲の人々は、一斉にその騒動の元を確認しようと後方を振り向いた。
何?何が起こったの?
由華里も振り返るが、傘と人々の陰で何が起こっているのかが判別できない。周りの人々も何事かと、どんどん立ち止まり振り返る。
だが、次の瞬間、その視線の先、後方の色とりどりの傘をさして歩く人々が、けたたましい悲鳴と共にいきなり左右に分かれて広がり散らばりだした。
尋常じゃない悲鳴と怒号を挙げて。
そして悲鳴と怒号に引き裂かれる左右に分かれた人混みの間から、誰かが走ってくる姿がちらりと見えた。
それがフードを被った男で、何かを手にしそれを振り回しながら真っ直ぐにこちらに向かって突進してくるのが分かった。
そして、その手に光る物が由華里の目に飛び込んだ。
ナイフ!?
一斉に由華里の周りからも悲鳴と怒号が湧き上がり、滅茶苦茶に人々が逃げ出した。あっと言う間に逃げ惑う人々が暴徒と化し、滅茶苦茶に由華里を押しまくる。
由華里も慌てて流れに乗り逃げようとし、荒れ狂う流れから身体を支えようと街路樹に手を伸ばした瞬間!
誰かがいきなり由華里の背中を強く車道に向けて押した。
「キャ!ア…!!」
悲鳴を挙げる言葉を飲み込む瞬間!
目の前に車の眩いヘッドライトが飛び込んできた。
ウソ!!
由華里は湧き上がる恐怖と絶望に、ぎゅううっと目を閉じた!
凄まじい悲鳴、急ブレーキ、激しい衝突音が、丸の内のオフィス街に響き渡った。
「平野さん!!!大丈夫ですか!!?」
大きな声と鈍い痛みに由華里は目を開けた。
目の前に雨に打たれながら目茶目茶に踏み潰された躑躅の枝の植え込みが見えた。
「平野さん!?」
叫び呼ぶ声に瞬間、車道に目を向けた。
逃げ惑い車道に飛び出したらしき人々が数人、無残に車に曳かれて雨に撃たれ横たわり蹲っている。
由華里はゾッとした。
同時に、物凄い騒ぎと悲鳴の連続に、頭がわんわんする。
「平野さん!!大丈夫ですか!?」
再び掛けられる大きな声に、由華里は顔をあげた。
さっき助けてくれた男性が、蒼白な顔で由華里を見下ろしていた。そして由華里は自分が、彼に抱きかかえられるように植込みに突っ込んでいる事に気づいた。
「私がわかりますか?!」
由華里は頷いた。
彼ははーっと安堵の息を吐くと手早く由華里の身体を確認するように触った。それを不快と感じない自分に驚きながらも、由華里は震える声を絞り出した。
「私…」
「混乱した人々に押されて車道に押しやられたのです。大丈夫。植え込みがクッションとして受け止めてくれました。立てますか?」
滅茶苦茶に押し倒したつつじの茂みから立ち上がろうとしたが、あちこちから走る鈍い痛みに由華里は呻いた。
コートに服が木の枝に引っ掛かり裂けたのか滅茶苦茶になり、むき出しの腕や足が、あちこちすり切れている。
そして痛みを感じたと同時に、身体中に鋭い痛みが走った。
「く…!!」
だが同時に痛みを感じると言う事は、自分が生きているのだと言う事が分かった。由華里は泣きそうな気分で熱い物が溢れる瞼に手を押し当て、その男性に感謝の言葉を言おうとした。
「あ…ありが…あり‥とう…だ…」
恐怖で上手く言葉が出ない。大丈夫と言おうとして、足首に物凄い激痛が走りまた呻いた。
恐る恐る見ると、ヒールが脱げた足首がもの凄い色にみるみる腫れ上がっている。尋常でない痛みに、由華里は歯を食いしばり痛みを堪えた。
脂汗がどっと噴出した。
「どこか痛みますか?お怪我をされていますか!?」
彼は由華里の押さえる手を外し、その下の膨れ上がる足を見て顔を引きつらせた。
「触ります。痛かったら言ってください!」
彼は足首に手をまわし、確認するように触り捻った。凄まじい痛みが走る。
「ぐっ!!!」
呻く由華里に彼は手を離した。
「他に痛い所は?違和感あるところは?!」
足以外は大丈夫な気がする。だが、一気に湧き上がる安堵と混乱と恐怖に由華里は動揺し、激しく身体が震えだした。
歯がかみ合わない。
「足が痛い」と答えようとするが、言葉が出ない。
怖い。
一体何が起こったの?今起こっている騒ぎは何なの?
怖い…
とても怖い…
怖い…
怖い…
誰か…
誰か助けて…
「由華里!!!」
阿鼻叫喚の中から、突然…聞きなれた声が自分の名を叫ぶのを聞き留め、由華里は大混乱している人々の方に顔を上げた。
今、誰か呼んだ。自分を呼んだ。
あの声は…。
泣きそうな気持ちで由華里は声の主を逃げ惑う人々の間に探した。
―由華里ッ!!?由華里!?どこだ!?どこにいる!返事をしてくれ!!
その声の方に由華里が顔を向けると、助けてくれた男性が由華里を抱き寄せ、その声の方に大きく手を振る。
―こちらです!こちらにいらっしゃいます!!
人ごみを掻きわけて必死の形相で走ってくる姿を真っ先に見つけた。彼も由華里に気付き、見る間に真っ蒼になり周囲の人々を滅茶苦茶に押しのけ駆け寄った。
―由華里!!!
蒼白に駆け寄る木暮雅人に、由華里は顔を安堵でくしゃくしゃに歪め、そして助けを求めるように腕を彼に伸ばした。
「こぐ…」
最後まで名前を言う前に、木暮雅人は腕の伸ばし由華里をきつくその胸に抱きしめ抱き寄せた。
―良かった!!生きていて!!
彼の肩が手が小刻みに震えていた。押し付けられた彼の香りを胸の鼓動を感じてると、同時にほっとしたように力が抜けてきた。が、同時に姿勢を変えた事で足に重みが重なり痛みが激しく身体を貫き呻いた。
そのうめき声にギョッ!としたように木暮が身体を引き放して、由華里の全身を目まぐるしく確認する。
―怪我をしたのか!?
由華里は痛みをこらえながら顔をしかめた。
―足…。
―足!?
すぐさま彼は手で押さえる由華里の手を取りのぞいて、凄まじく腫れ上がった足首を見て顔を歪めた。
―車か?!
由華里を助けた男性が「違います」と即座に答えた。
―いいえ。車道から歩道に引きこんだ時に、足を打たれたのか捻られたのかと思います。
―骨は?
―異常はありませんが、至急搬送をされた方がいいいと思います。救急車を呼びました。
―そんなの待つ時間などない!
怒号を挙げる木暮雅人の声に気付いたように、人混みの中を走り回っていたアニカがこちらに走ってきた。
―アーネスト様!!!由華里様を見つけられたのですね!!
だが、駆けつけたアニカは無残な姿の由華里を見て息を呑んで悲鳴をあげた。
―由華里様!!お怪我を!!
彼女を制して即座に木暮は軽々と由華里を抱き上げ立ち上がり怒鳴る様に叫んだ。
―アニカ!車を回せ!急げ!!
瞬間アニカは顔を挙げると冷静な顔で四方を見渡した。
―あちらにウィル達が居ます!
―アーネスト様!こちらに!!
由華里を二度助けた男性が人混みを強引に掻き分けて道をつくり突き進む。その先に木暮の大型ベンツが停車しているのが見えた。
そのドアをデニスとウイルが囲むように開け、その中に滑り込むように由華里を抱きかかえたまま木暮は乗り込むと、大きな音を立ててドアが外から閉められた。
助手席に先程の男性が乗り込み、後部座席にアニカが素早く乗り込むと、ベンツは激しいタイヤ音を立てて急発進した。
その後をニック達が乗り込んだ白いBMWが追いかけて凄まじい勢いで追いかけて行く。
阿鼻叫喚が広がる通りの中で、刃物を振り回した男は駆け付けた警官隊達に取り押さえられた。
刺された者、切りつけられた者、逃げ出す時巻き込まれ転倒し怪我を追った者、車道に飛び出し惹かれた者等騒然とする中で応急手当てが始まった。
その大混乱の中、茫然と雨に打たれながら立ちすくす田口崇史が、走り去るベンツの後ろを姿を凝視して立ちつくしていた。
現場には冷たい冬の雨が、何かの証拠をかき消すように音を立てて激しく振り出し、遠くからおびただしいパトカーや救急車のサイレンが近づいてきていた。
とうとうウィルバートン家の呪いが由華里に降りかかり始めました。異国で由華里の能天気な明るさに当てられ危機感を失っていた一同は現実に引き戻されます。そして田口は蚊帳の外です。




