第21話 新しい住まいと会いたくなかった人
家出4日目。
由華里はガンガンする頭を抱えてベットの上で呻いていた。
花火を見た所まで覚えているのに、その後の記憶が無い…。
そして、部屋を見渡しても着ていた筈の着物が跡形も無くて、しかも自分は見慣れない最上級のシルクの寝間着を着て呑気に寝ている…。
どうやって着替えたんだっけ?
冷や汗をかきながら必死で記憶を手繰り寄せる由華里を見て、クラリサがおかしそうに笑って薬と水を渡して言った。
―由華里様?覚えていらっしゃいませんか?私とマギーとリザの3人でお着替えをお手伝い致しました。
由華里はさーーっと血の気を下げた。
―うそっ!私、醜態を見せちゃったの!?
―いえいえ、由華里様は眠っていただけですよ?暴れたりなどしていませんからご安心を。キモノはキョウトのゴフクヤと言う所にアニカが送ったようですが。
ウソーーーーーッ!!と、由華里は恥ずかしくてベットの上でじたばた悶絶した。そんなに飲んだ覚えもないのに!どこで気が緩んだのかしらと、泣きたい気分になった。
けど、そう何時までもじたばたしていられない。由華里がベットから出ると同時に、今朝もバスルーム争奪戦が始まり、今日は由華里の勝利で終わった。
ダイニングルームに行くと、既に清々しい程に爽やかな笑顔の木暮雅人が満面の笑顔で朝の挨拶をしてきた。
あんなに飲んだのに!!
あんなに酔っぱらっていたのに!ずるい!
と、むかつきながら由華里は席に着いた。
テーブルには既にアニカ、ニック、ウィル、デニス、の4人が座っており、なんだかにやにやしながら由華里を見ている。
何!?
由華里はぶすっとした。
―みなさん…昨日はお帰りが遅かったのですか?
夕べあんなに助けを求めたのに誰も助けに出てきてくれなかったと、由華里は恨みを込めてアニカ達を見まわした。が、デニスがそんな空気をぶった切り、物凄く愉快そうに笑いながら言う。
―当たり前ですよ!由華里様!早くに戻るなんてそんなヤボな事!我々はしません!明け方まで六本木のバーで4人で飲み明かして…イテッ!!
テーブルの下で誰かがデニスの足を蹴ったようだった。
涙目で悶絶するデニスを無視して、アニカはにこやかに一同を見まわす。
「これで全員が集まったのでこれからの計画がスムーズに進みますわ!」
「何の計画?」
トーストにアプリコットジャムを塗りながら聞く由華里に、アニカがあわわわ!と口を押さえる。
―今日の予定です!デニス、ニック、ウィル、各自私のしていた仕事を分担していただくわ。OK?
―OK!
3人は楽しげに頷いた。
―アー…木暮様は本日も数社の取締役、社長、それから各国大使と各省庁の方との会合に、由華里さ…由華里と私と出席してもらいます。いいかしら?由華里?
由華里は丁度その時来たメッセージに気を取られていた。ああ!と顔を挙げて由華里はにっこりと笑う。
―OKよ。ただ…ごめんなさい。このランチ会合の時は私は同席する必要はないですよね?
―ええ。トップ会談になるので、秘書や随行人は別室待機よ。
―この時間の間、少し時間いただけるかしら?
一同はおや?と言う顔を由華里に向けた。少しどぎまぎしながら由華里は思い切って言った。
―私用で少しお時間をいただけたら助かります。もちろん、無理にではないのでお仕事優先で。
ちらっとアニカは木暮を見る。彼は頷いた。アニカは由華里を見て頷く。
―OK。では、11時30分の会議開始から終了予定の2時30分までの間なら自由にしてもいいわ。ただし!緊急対応の為にも都心以内のみ。移動はタクシー利用で。定時報告を忘れないで。
2時20分までにはMビル55Fのレセプションルーム待機室に居てください。
OK?
―OKよ。
―支給してある携帯電話は常にONしておいてね。
―OK。
―では、その後の…
アニカはにっこり笑うと、てきぱきと次の今日の予定を告げて行く。
実は先程携帯電話に入ったメッセージは、母親の華代の友人の不動産屋からだった。
用件はアパートメンとの引き渡しと契約をしたいとの事。もしも気に入らない場合や不都合があれば、他も物件を見れるように手配してあるとの事。
至れり尽くせりで、華代の行動の速さと人脈の広さに感嘆するばかりだった。
午前中の仕事は何の問題も無く進み、11時30分に木暮雅人達をMビルで見送った後、由華里はフリーになった。
東京駅に人混みにもまれながら向かいながら、なんだか急に清々しい気分に自分でも驚いていた。
タクシーで移動と言われていたが、都心はJRや地下鉄での移動の方が早くて確実だった。なので、自然に由華里は駅に向かい改札を抜けた。
ホームに一人で立っているとなんだかおかしくなってきた。
そう言えば、4日前に人生最大の決心をして家を出たと言うのに、気付けば自分はこの4日間、一度も自立の為に向かった駅から乗る筈の電車にすら乗っていないのだ。
逃げ出したくてたまらなかったのが逃げられずにいたのが、今は自然に駅のホームに立っている。
考えれば人生なんてそんな物かもしれない。
今ある現状から逃げ出したくて、なんとかしたくてもがいてももがいてもどうにもならないときもあれば、こんな風に簡単にとんとん拍子に物事が進んでいく事もある。
時期って言う物が本当にあるのねえ…。
山手線の車窓から流れゆく景色を見ながら、由華里はクスッと笑った。
いずれにしても、家を出てから怒涛の様に木暮雅人の流れに押し流されていた感じだったけど、少しずつ自分の道に進めることになったのだと思った。
恵比寿駅の改札を出ると、待ち合わせした不動産屋が派手な不動産屋のバンの前で会釈してきた。
華代の友人である社長は所用で来れないというので、代理の者だったが問題はない。由華里は彼女達と簡単な挨拶を交わして直ぐに物件下見に向かった。
物件は駅から歩いて数分~15分以内に集中していた。
最初に通された部屋は、見晴らしのいい高台に建つ高層マンションの10階。室内はシンプルだがかなり広めの1LDK。でも仕切り方によっては2LDKにもなり得る。
窓を開けると都心の高層ビル群や点在する緑の公園が見える。風も気持ちよく入ってくる。駅前の喧噪もここまでは来ない。
居心地のいい空間に、由華里はすっかり気に入った。
他の物件の場所など資料を見たが、直感的にここより気に入る場所はなさそうだと判断し、不動産屋も驚く潔さでその場で契約書にサインをした。
既にガスも電気等インフラも使用OKであり、不動産屋は幾つかの家具のカタログを取り出し、簡単な家具であれば今日中に不動産屋が見繕って運び込んでくれることになった。
不動産屋から鍵を受け取り、彼女達が帰った後に、ガランとした部屋に座り、遠くに見える新宿の高層ビル群を見つめているのは、なんとも不思議な感じだった。
とにかく華代の言う通りに、まずFホテルから自分の荷物を運びだそう。そして木暮達に話そう。
この距離なら別にバイトに不都合はない。
ここから新宿のFホテルまでなら山手線で一本で行ける。
十分通勤圏内だし。
ただの短期間のバイトだもの。
何もあのホテルに固執する必要は確かにないし、最初から考えていた通りにおかしな話だもの。
これでいいんだわ。
よしっ!と、由華里は立ち上がり、手帳を広げた。
今日の予定を確認する。丸の内のMビルで木暮達と待ち合わせ。まだ時間は十分ある。電車で行こう。
由華里は立ち上がり、久しぶりに自分で部屋に鍵を掛けてエレベーターに乗り、マンションから出て駅に向かう。
とても自由だ。
由華里はなんだかおかしくなりくすくすと笑いだした。
少し遠回りしたけど、こうして新しいスタートを切れて本当に良かった。木暮雅人やアニカ達に出会い、色々と振り回されたことは、今思えばこうなることの布石だったのかもしれない。
多分…実家を出たままの由華里のままでいたら、こんなに即決で色んな事を決める事は出来なかったと思う。由華里は前向きな気分で機嫌が良かった。
空を見上げると高層ビル群の合間に見え隠れする空に、どんよりとした雲が広がりだしていた。コンビニかどこかで傘でも買わないと。
素敵なカラーの軽量カサがいいなと思いながら、東京駅のホームに降り立った。
駅ナカで気に入ったデザインの折り畳み傘を買い外に出ると、ぱらぱらと少し小雨が降ってきた。傘を指すほどでもないかと、由華里は何時でも傘を開ける状態にし、どんより鈍色に曇る空を見上げ、顔に手を翳して雨を避けながらレンガの歩道を足早に歩きはじめた。
大丈夫。待ち合わせ時間まで十分余裕がある。
Mビルに着いたらトイレで身なりを整えて、それから…
歩きながら考え事をしていた由華里は、突然、がしっ!と、腕を掴まれ仰天して振り返った。
誰!?
その腕を掴む人物を見上げ、由華里は驚愕に目を見開いた。
「田口さん…」
そこには父親の泰蔵が由華里の結婚相手として選んだ、M商事に勤務する田口崇史がひきっった顔で立っていた。
アーネスト達の永遠の目障りお邪魔虫空気を読まない猪突猛進田口登場です。
雲行きと同じく、嫌な予感の由華里です。




