第20話 秘密
「まあ!」
巨大なパノラマの夜空に広がる大きな花火に、目を見張り由華里は顔を挙げた。
「えーこんな時期に花火大会あったかしら?」
ハハハハハと木暮は笑う。
由華里はその泰然とした態度の彼を見上げて、まさかね…と肩を竦めた。
確かにここ数日で彼がただの会社経営をする男性ではない事は…なんとなくわかっている。どうやら「財閥系」の大きな組織を動かしている事も、あの父親の平野泰蔵の態度からもうかがえる。
けど、「それ」は私には教えてくれないのよね…。
由華里はずっと感じている、どこか柔らかな壁の様な隔たりを少し寂しく思った。それは当たり前なのに。
私は臨時の緊急の代理秘書だから。
代理秘書と言うより、なんだか喧嘩相手っぽい感じするけど…。
それもでも何か肝心な事は話してはくれない。
それが少し寂しいような気がするのはなんでだろう?
花火…。
花火を見たら…あとは別れて帰るだけ。
だから花火大会は華やかで楽しくてわくわくするけど、その後の別れが物悲しい気がする。
これも暗示なのだろうかと由華里は思う。
唐突なこの出会いの別れの時期が近い事への。
「冬の花火も綺麗ね」
「そうですね」
「木暮さんの側に居ると、本当に魔法の様に色んな事が起きるのね。この数日は、本当にまるでドラマか映画みたいな毎日で楽しかった」
「そうですか?」
「そうよ。私の日常は本当に平凡だから…こんなに色んな事が起きたのは初めて」
「怖いですか?」
「何が?」
「私の側に居る事が」
由華里はきょとんとした。
「なぜ?」
「なぜ?」
問い返す木暮の瞳が一瞬不安げに揺らいだような気がした。
変なの。
由華里は微笑む。全てを手にしていて強引で傲慢で自信に満ち溢れている人なのに、この人も不安になる事あるのかしら?と、由華里はなんだかとても愛おしい気分になって優しくにっこりと笑って言った。
「怖くないわよ。木暮さんの側なら大丈夫」
彼の金茶の瞳が大きく驚きに見開かれる。
変なの。
由華里はおかしそうにクスクス笑う。暗い室内の遠くの花火の光が瞬き、なんだかとてもフワフワして気分がいい。なんだかおかしい。
由華里はそっと木暮の腕に凭れ掛かって微笑んだ。
「うん、大丈夫…きっと大丈夫」
何が?
そう誰かが心の中で自問する。
何が?
何か大事な事に気付けと誰かが言う。
気づくなと引き留める者がいる。
でも…今はなんだか全部がどうでも言い気がする。
本当に今日は色んな事があり過ぎて疲れた。
だから少し休みたい。
安心できる場所で。
「由華里さん?」
最後の大きな花火が連続で打ち上げられ、静かになった室内で、急に腕の中の由華里が重くなった気がして、木暮は由華里を見おろした。
そして唖然とした。
由華里はスヤスヤと腕の中で、心地いい顔をして眠っている。
「由華里さん!!?」
慌てて身体を揺らして起こすがそれでも起きない。彼は顔に手を当て、フロア中に響く声で大笑いしだした。
これはどう取っていいのかが分からないと。
信頼されているのか、それとも単なる無防備なのか…
それとも…単に警戒する範疇にないと判断され対象外なのか?
「大丈夫…か…」
その言葉に何か救われたような気がした。何かに許された気がした。
木暮は由華里を軽々と抱き上げた。由華里の部屋のベットに降ろしても、彼女は起きない。
やれやれと木暮はため息を着いて軽く頬を叩いた。
「由華里さん、起きないと、本当に着物が皺だらけになり洗い張りに出さないといけなくなりますよ?」
ピクリと由華里が目を開け、むすっとした顔で起き上がった。
これは余程、母親の華代に口を酸っぱくして言われているなとおかしそうに木暮は笑った。
「由華里さん?一人で着替えられますか?」
うんと頷く由華里だが、また目を閉じる。どうやらブランデーが効いてしまったようだ。
「由華里さんはブランデーは弱いのですか?」
うんと由華里は頷く。木暮はおかしそうに笑い、由華里にキスをすると立ち上がった。すっと数人のメイド達が由華里を支えた。
―彼女の着替えを。それと、着物は明日にでも京都の呉服屋に送っておいてくれ。きっとこの惨状を見たら明日の朝からけたたましい悲鳴を聞かないといけなくなりそうだ。
それは勘弁してもらいたいと、木暮雅人はとても楽しい幸せな気分で笑った。
後の事はメイド達に任せて部屋をでると、壁一面の巨大窓の向こうに広がる東京の光の波の果ての暗い闇を見つめた。
―大丈夫
その言葉が、遠い海の彼方に置いてきた闇を払拭する。
―大丈夫
その言葉がこのまま自分自身に覆いかぶさる大きな闇と呪いにも似た宿命を吹き払ってくれる力がある事を確信している。その力が彼女にある事を確信している。
そうだ。
見つけた。
とうとう見つけた。
長い暗闇を吹き払ってくれる者を…。
だが…。
果たして「それ」が彼女の幸せになるのかどうなのか…
その宿命は彼女を見逃したのかどうなのか…彼にはまだ判断が出来かねていた。
だからこそ…全てを明かす訳にはいかなかった。
由華里の命を護るためにも。
なんだかんだ言いながらも由華里はアーネストのそばを安心できる場所と認識しています。でもお互い、何かがブレーキとなり先に進むことを躊躇しています。




