第11話 無自覚羊とパーティー会場の狼達
その日の夕刻はD大使館の立食式のパーティーに参加だった。
早々に木暮は著名人達に囲まれてしまい、由華里は他のVIPの秘書達と一緒に少し離れた壁際ににこやかに立って待機していた。
「失礼、貴女も休憩ですか?」
途端に声を掛けてくる他の秘書達に由華里はにこやかに返す。英語で。
―ええ。貴方もですか?
―はい。失礼ですがどちらの方の秘書でいらっしゃいますか?お初にお目にかかりますが?
由華里は今朝支給されたイニシャルの刻印入りの銀の名刺入れから、同じく今朝支給された名刺を取り出し差し出した。
途端に数人の者達が名刺を取り出し交換を要求してきた。
一人が名刺に目を通し、ほう!と感嘆の声を挙げた。
―Mセレクタリー派遣会社から派遣されているのですか?Mis平野?
言われて由華里は苦笑した。ホテルを出る前に渡された臨時の名刺にはそう書かれていたのだ。
Mセレクタリー派遣会社と言えば世界的に有名な秘書手配や派遣会社である。
どっからそこの会社の許可を得たんだろうかと思いながら。
―ええ。私はMr木暮の臨時秘書をしております
―そうですか、驚きました。お仕事ぶりを拝見して居ましたら実に息が合っていて見事な物でしたので、専属秘書の方だとばかり。ほほう。
少し老齢の男性がニコリと微笑むと一枚の名刺を手渡した。
―臨時秘書ならこういう話をしても失礼ではないでしょうなあ。実は当社でも数カ国語を喋れる女性秘書を探しているのですが、もしも現在の仕事が終わりましたら、当社にいらしていただけませんか?
由華里は突然の話にびっくりした。
―私が?
―ええ。貴方の様に華やかさもあり有能な方なら大歓迎です。
改めて彼の名刺を見て驚いた。
日本の数ある財閥の中でもトップクラスの会長付き秘書筆頭頭だった。
―え…ええ…それは大変ありがたいお話ですが。でも、私は秘書としてそんなにキャリアはありませんよ?
―キャリアは関係ありません。素質とやる気です。それらは一目見ればわかります。では、このお仕事が終わりましたら是非、こちらにご連絡ください。
彼はにこやかに会釈して自分のボスの元にゆっくりと向かった。そしてまた数人の有能そうな女性秘書や男性秘書達に声を掛けて、数人に名刺を渡していた。
「凄い。こんな所でも引き抜きするのね。」
思わず呟く由華里に、隣にいた男性がおかしそうに笑って言う。
「当たり前ですよ。チャンスはいろんな所に転がっています。ええと…ミズ?」
そうにこやかに声を掛けて来た男性は、ちらりと由華里の指を見る。
由華里は苦笑して手を差し出した。
「由華里 平野です。木暮雅人氏の臨時秘書をしております」
「マーカサス・ハミルトンです。T社日本支社総支配人ジョー・カザサの第一秘書をしています。日本の方でしたか?数カ国語お話されていましたが?」
どいつもこいつも鵜うの目鷹の目なのね。。
―ハミルトン氏も流暢りゅうちょうなイタリア語で話されていましたね?
イタリア語で返しながら、ちらりと由華里は隅の方で女性達と陽気に話すイタリアの有名メーカーの来日中の副社長とその秘書を見た。
ハミルトンはおかしそうに笑う。
―母がイタリア系なのですよ。まさか貴方も?
いいえと由華里はにっこり笑みを返すと、ハミルトンは少し嬉しそうに由華里の腕に腕を回そうとした。
―Miss平野、少しテラスの方でお話をしませんか?私はまだ日本に不慣れで色々と教えていただけると嬉しいのですが。
「由華里様!!!」
ハミルトンが由華里の腕に腕を滑り込ませて手を握るより早く、誰かがいきなり由華里を強く引き戻した。驚いて振り返ると、血相を変えたアニカが由華里を引き寄せ、凄まじい剣幕でハミルトンを睨みつけた。
その気迫にハミルトンや他にも実は群がろうとしていた男性達は一斉に引き下がった。
「ア…木暮様が由華里のお姿が見えないとお冠になられていますわ」
「え!?えええっ!?私は私で秘書同士の情報収集しようとしていたのよ?」
アニカは嘆息した。
「由華里はただの秘書ではありませんのでお立場を理解していただかないと」
「立場?ああ!臨時秘書として逸脱した余計な行為はしないつもりよ。安心して」
アニカはまた嘆息した。
「いえ、そうではなく…とにかく由華里はアー…木暮様のお傍にいらしてください」
「どうして?彼はまだみなさんとお話ししているわ。私などが行くのは不自然じゃない?」
ああ!とアニカはがっちり由華里の腕を取ると側にひきよせ、近づいてきた男性を一瞥して下がらせる。
「言葉、間違えました。私と一緒に居てください」
「?構わないけど…アニカ、なんだか凄い剣幕よ?眉間に皺がよっている」
眉間の皺をぐいっと人差し指で伸ばして、アニカはまた近づいてくる男性をギロリと睨んだ。
「皺は構いません!とにかく!私の側に居てくださいませ!」
アニカはとにかく焦っていた。
まさかこんなに群がる蠅が多いなんて思いもしなかった!
もっとも「彼」が見つけだした原石なのだから、目の肥えた社交界の者達なら直ぐにその価値に気付いて接近するのは至極当たり前のことなのだけど!
こうなる事は予測できたのに!
だからこそ今朝の会議も外部の目の届かないあのホテルの一室で行ったというに!
なのになぜ「彼」はこんな衆目の集まる場所に「彼女」を連れてくることにしたのか?
アニカは苛立たしげに、カクテルを手にしていそいそやってくる男性を睨み追い払う。
まあ…わかるけどねと、楽し気に華やかなパーティー会場を見回す由華里を見下ろし目を細めた。
彼女はシンプルなドレスを身に纏っていても、誰もが目を引くほどの輝くオーラを放っていた。
M商社で秘書をしていてこういう場には慣れていると言っても、この華やかさは天性の物だ。
そして嫌味なく誰とでも話せる力。引き寄せる自然な魅力。そうそう誰もが持ち合わせる物ではない。
アニカはシャンパンを由華里に渡して苦笑した。
「彼」は「彼女」を自分の側に居させることを望んだ。
出会ってすぐに。
まるで自分の目が届かないうちに、彼女がスルリとあのホテルから逃げ出すのを恐れているかのように。
でも!と、またアニカはシャンパンを3個抱えてにこやかに近づく男性を一瞥で追い払う。
昨日のパーティーで既に「彼女」の存在は瞬く間に有名になっている。しかも未婚だと言う事も広まっている。
なのにこの呑気な羊は自分の立場等てんでお構いなしと言うか、自分の存在価値を認識していない。目の肥えたオオカミ達は虎視眈々とこの羊を狙って接触を四方八方から仕掛けてきていると言うのに!
とにかく「狼」が多すぎる!これでは私一人では手に負えない!ホテルに帰させた方がいいかしら?でも今更それは不自然過ぎるだろうと、アニカは心の中で舌打ちした。
「由華里、本日いただいた名刺を全て私に下さい」
由華里は何の疑問も持たずに名刺を全部アニカに渡した。
その数の多さにアニカは絶句した。
この短時間に!油断も隙もありゃしない!!
全部ゴミ箱に叩き込みたい衝動を押さえ、バックにねじり込んだ。
由華里が慌てて数枚を抜き取ろうとする。
「アニカ、あのねこれとこれは返して欲しいの。次のお仕事に繋がりそうだから」
慌ててアニカは名刺を由華里から取り戻した。
「ああ!ええ!もちろんですわ!後でお返しします。こちらとしてはどういう者達が接触して来たかデーターを取りませんといけませんので」
「わかったわ。じゃあ後で返してね」
にっこり無邪気に笑う由華里にアニカはヒヤリとした。
背後の男性陣達から、ぱああっとその笑顔に反応した気配がゾッとするほど感じられる。
にじり寄る狼共の気配を察知しアニカは急いで由華里の腕を掴んでその場を離れた。
「アニカ?」
「あちらに参りましょう!あのテーブルに美味しそうなcakeが御座いましたよ?」
「あら、私はこういう席ではあまり飲食しないことにしているの。」
「私が食べたいんです!」
そういいテーブルに着くと、急いで適当にケーキをよそって由華里に手渡す。怪訝な顔で由華里は檸檬れもんスフレを口にし、まあ!とにっこり微笑んだ。
「本当!美味しいわこれ!」
由華里の笑顔に、アニカは心中悲鳴を挙げた。
あああ!そんな無防備な輝く笑顔をばら撒かないでください~~!と涙目になりながら、横を見ると既にその笑顔に引かれた男性がニコニコしながら由華里に声を掛けてくる。
それに愛想を振りまく由華里に…「彼」が彼女を拉致らちる様にホテルに押し込んだ理由が嫌というほど理解した。
この能天気のうてんきな羊をとにかく安全な場所に匿いたい!!
早くホテルに戻りたい!!
わかっていたけど、彼以上に人を引き付けるこのオーラはなんなの!
しかも無自覚!!
アニカは涙目になり額に手を当てた。
「あら?木暮さんが呼んでいるわ」
由華里の言葉にアニカが手の間から見ると、木暮雅人がおかしそうに笑いながら来るように合図を送っている。
アニカは心底安堵して、テーブルにケーキの皿を置く間も与えず、皿ごと由華里を彼の元に引っ張っていった。
木暮雅人に出会い、隠れていた由華里の才能や魅力がどんどん開花していきます。そのスピードに追い付けないアニカ。混乱が分かっているのに、うかれている木暮雅人。危機感ゼロの能天気由華里です
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