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海を越えた梢の花とウィルバートン家の呪い  作者: 高台苺苺
第一章 梢の花は海を越えて富豪と家出
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第1話 とりあえず家を出た

 平野由華里(ひらのゆかり)は窓の向こうで春を告げる梅の花びらが、ひらりと舞い散るのが見つめていた。

 寒々とした2月の庭の中で色鮮やかなその光景に、一瞬春の訪れを感じて胸が高鳴った。

 同時にこれからの計画を思うと手に力が自然と入る。


由華里(ゆかり)、お茶が入ったわよ」


 振り返ると母の|平野 華代(ひらの はなよ)が綺麗な手つきで梅の透かし模様の入った青磁の茶器に、煎茶を注いでいる。


 二階部分が吹き抜けている天井は緩やかな勾配でこの広いリビングを覆い、四季を彩る庭を一望できる窓の方へ流れていく。窓の向こうにはテラスのような細長い縁側と、障子のようなデザインの窓が並んでいるが今はそれが開け放たれている。


 リビングの窓から縁側越しに見える庭は、完璧な計算で作られた日本庭園。

 今の時期はモノトーンの寒々とした中に、紅白の梅の木が一対の明るい色彩と光を放っている。

 まさしく日本画のよう。

 

 その庭から冬の光がいっぱいに入るリビングで、優雅な佇まいの母親の姿は、背後の生け花との相乗効果で、まるで高級婦人雑誌の1ページのように美しく完璧だった。


 この家に来る客来る客は、有名高級旅館やホテルのようだ、迎賓館と言っても過言ではないと褒め称える。

 それはそうだろう。

 この家屋も庭も、すべては父親の平野 泰蔵(ひらの たいぞう)が、まだ駆け出しであった各専門家に「実験的に好きにデザインして製作していい」と造らせた物だ。


 不思議と父はそういう先見の明と言う物があり、父のお眼鏡にかなった者は必ず大成している。

 不思議な人だ。

 だからこの家屋、庭の設計者、調度品製作者の全てが、価値が制作時の何倍、何十倍以上にも跳ね上がっている芸術品に近い。

 だから自然と父の周りには、この家には、そういう若々しい将来性のある者達や、成功した者達が自然と集まった。


 だから・・・

 娘の自分も、父が構築した安定したこの世界とレールの上を歩くのは当たり前のことだと思い込んでいた。


 なんの疑問もなかった。

 でも・・・


 またひらりと何か白い物が舞い落ちる。


 雪?鳥の羽?それとも枯れて落ちた葉なのかしら?

 その不確かな白い所在なさげな物に、由華里は今の自分を重ね、陰鬱な気分になった。


「由華里?お茶が冷えているわよ?」


 シンプルだが贅を尽くした和風家具の青い背もたれのソファーに座りながら、由華里は不意に現実に引き戻されたように顔を上げた。


 向かいに座る母親の華代が一口優雅にお茶を飲み干し、それから立ち上がると、帯を軽く直して髪をなでつけ身支度を整えた。


 友人達と歌舞伎を見に行くのだ。

 予定通りに。

 

 自分も立ち上がる。

 一緒に外に出るから。


 そのまま二人は無言で玄関に向かい、お手伝いの安子(やすこ)さんもお見送りに出てきた。

 そして外に待機していた黒塗りのハイヤーに母親の平野華代ひらのはなよは乗り込んだ。


「由華里、同じ都心に行くのですから、乗っていけば?荷物もあるのでしょう?」


 ちらりと、華代は玄関先に用意してある銀色のキャリーケースを見た。由華里は無表情に首を横にふる。


「大丈夫。真理子さんと秋江さんと新宿で落ち合うことにしているから」


「秋絵さんは新宿のタワーマンションにお住まいだからかしら?」


「ええ。結婚祝いを渡しに行くのよ」


「金沢のご出身の方で、あちらでの結婚式だったのでしょう?素晴らしい打ち掛けを着られたそうね」

「打掛?」

 

 唐突な華代の言葉に、由華里は目を瞬いた。


「ああ…ええ、そうね…。秋絵さんの|お祖母様(おばあさま)からのプレゼントの打掛ね。秋江さんにとてもお似合いでした」


「真理子さんは成城にお住まいね。秋江さんはともかく、真理子さんはお車かしら?」


 また唐突に話題を変えるのねと、由華里は苦笑する。


 なんだろう?

 母は何か時間稼ぎをしているのか?

 それとも何か目的があるのか?

 いずれにしても、その華代の思惑に乗ることはできない。


 由華里はニコリと微笑み返す。


「真理子さんも電車でくるそうよ。通勤で慣れているからその方が楽で早いんですって」


「…今はそういう時代なのね。でも?()()()()()()()()()()()んですもの。一緒に乗っていきなさいな。新宿は途中ですから大丈夫よ」


「私も少し前までは丸の内(まるのうち)までJRでちゃんと通勤していたのよ、大丈夫。荷物もお祝いの品だけだし、キャリーで運ぶから問題ないわ。」


 華代はなにかを言いかけ、言葉を飲み込んだ。

 多分いくら言っても娘はこの車には乗らないだろうと諦めたらしい。


「わかりました。真理子さんや秋江さんによろしくね。それと、疲れているようだからなるべく早く帰りなさいね?」


 そう言いい華代は軽く手を振った。由華里も少し微笑み手を振り返す。


 お母さん、冷たい態度でごめんなさいと心の中で呟きながら。


 大型の黒塗りのレクサスが角を曲がる。一緒に見送っていたお手伝いの安子さんが家の中に入り、車も彼女も戻ってこないのを確認すると由華里はきりっ!と先ほどの気力の無い様子を一変させた。


「安子さん、私も出掛けます」


 家の奥の方から安子が「はーい!ただいまそちらに…」と返事を返してきたのに、

「子供じゃないから見送りはいいですよ」と、返した。

 途端に、奥から安子の明るい笑い声と共に「行ってらっしゃいませ!」と返ってきたのに軽く返事を返し、ドアをカララララと締めた。


「よしっ!」


 ハンドバックを肩に掛け、キャリーケースを引いて由華里は元気よく駅に向かった。


 新しい人生の一歩を踏み出すために!

 今から自分はこの家を出る!

 大丈夫!!


 自分に呪文をかけるように何度も「大丈夫」と言いきかせながら、冷たい風が吹く住宅街を、淡いブルーのカシミアマフラーをきゅっと押さえ、由華里は前を向いて急ぎ足で駅に向かった。


 何故、この安定した家を出るのかと誰かに問われれば、この家から、強いて言えば父親か自由になりたかったからだ。

   

 全てにおいて完璧である成功者の父親。

 大和撫子らしく数歩後ろに引いて夫を立てて支える理想的な妻である母親。

 その二人が構築したこの安定した家庭。


 その夫婦の間に第一子と生まれた由華里の半生は、父が選んだレールの上に置かれたものだった。

 

 幼稚部から大学までの一貫女子高。

 周囲は完璧なほどに同じクラスの家庭の子女達のみ。

 穏やかな安定した世界。

 大学を卒業すれば、ヨーロッパのお嬢様大学に入学。

 卒業後は父が勤務するM商事の秘書課にすんなり就職。


 誰もが羨む順風満帆の半生。

 何の疑問も持たずに生きてきた。


 だけど、初めて社会に出て様々な価値観や生き方に出会い、視野が広がり考えが徐々に変わった。

 自分で考えて生きることができることを知った。

 それが当たり前なのだと初めて知った。

 楽しかった。

 わくわくした。


 でも…

 敷かれたレールは強固で、勝手に未来の先まで敷かれていることに、そこに自分の意志が一ミリも反映されないことに絶望した。


 ここに「この家」にいる限り、絶対に抜け出せない。

 その瞬間に道が二つに分かれて見えた。

 

 今のままか?

 それとも…この未知の道を行くか?


 安定か?

 予測のつかない未来か?


 由華里は迷わず安定した世界を構築するレールから降りることにした。

 生まれて初めて、両親の考える道から逸れたのだ。


 大丈夫・・・きっとうまくいく。


 呪文のように唱えて、由華里は顔を上げる。

 

 チャンスは今日限りだ。

 父も母もそれぞれい他に忙しい集中することがある日。

 家族の意識が完全に自分から外れる、今日だけが、この家を出るチャンスなのだ。


 県庁所在地の駅にしてはこじんまりとした駅前。

 だがそれでも雑多に人々が大勢行き交う。 

 その駅前デパートの華やかなウインドーに映る自分の姿に目が行き、思わずたたずまいを確認した。


 少し地味な灰色のスレンダーなロング・カシミアコート。

 首元の淡いブルーのマフラーがアクセント。

 ブーツはシンプルな黒のハーフブーツ。

 立ち姿は生まれた時から仕込まれているので自然と完璧。

 長いよく手入れされた髪はいつものように三つ編みにして頭の上にくるくると巻いて固定した形。


 固い表情の自分の目を見つめ、思わず口角を上げる。


 大丈夫、きっと上手に行く。


 これからの予定を反芻し、気合をいれるように深く深く深ーく!息を吸い込んで吐いて深呼吸し、由華里はウインドウの自分にニコリと笑い掛けた。


 よし!行こう!!


 が!瞬間、由華里はギクリとして身を固くした。

 ウインドーに映る由華里の背後のロータリーに、父親が乗るベンツによく似た一台の大型ベンツが滑るように侵入し停まるのが見えたからだ。


 まさかもうバレたのか?!


 と、内心はパニックの嵐になったが、よくよく見れば、父の持つ車よりクラスが上のタイプだと気づくと、ホーーーーッと胸を撫で下ろした。


 大体、父は社用車で朝早くから仕事に出かけたし、こんなところにいるはずもない。

 由華里は安堵しながら、一瞬ドキリとさせたベンツをウインドー越しに睨んだ。 


 あそこは駐車禁止区なのに。マナーの無い運転手ね!


 半分八つ当たりでショーウインドウ越しに睨んでいると、運転席から薄い髪色の若い男性が降り立ち、そしてこちらを向いてきたのを見てギクリとした。


 まさか!悪態が聞こえた!?


 だが、その男性は何かを確認するように四方に視線を漂わせ、不意にこちら、つまりはデパートの方を見ただけだった。


 よかった。勘違いだったと、安堵し、思わずその男性をしげしげと反射するウインドウ越しに見た。


 凄い。

 まるでそこだけ空気が光が違うように、彼の周囲だけが特殊なオーラに満ちている。

 この雑多な駅前には不似合いな、まるで映画のワンシーンのよう。

 そこだけが浮かび上がったような華やかな光に満ちあれていた。


 芸能人?

 日本人離れした整った顔立ち。

 シンプルだが上品な身なりと身のこなし。

 自信に満ちた堂々とした態度。

(だからなのか?違法停車しているのに、斜め後方にある交番からはなんのアクションもない)


 行き交う無関心な人達も、流石にちらちらと彼に目を向ける。

 

 不意に、彼の目がウインドウ越しにあった。


 それは不思議な瞳の色に見えた。

 茶色?金色?

 そう、光の加減で光彩が金色を帯びているように見える。


 宝石みたいで綺麗。

 オレンジ・シリトン?琥珀…

 不思議な綺麗な、優しい瞳。


 懐かしい瞳。


 由華里は首を傾げた。懐かしい??変な感覚。

 そしてまるで何かに呼ばれたかのように目が離せない。


 だが、不意にその瞳の奥、いや、彼の背後にうごめく何か黒い影が見えた気がして由華里は身構えた。


 なんだろう?

 怖い。

 あの影が怖い。

 怖い…


 由華里はキャリーケースの取っ手を掴むと急ぎ足で駅改札の方に向かい歩き出した。


「こんにちは!!」


 突然、目の前に見知らぬ愛想のいい笑顔を張り付けた女性が立ちふさがった。


 しまった!!勧誘の人だ!


 こういう愛想よく強引に話しかけてくる人の対処が超苦手な由華里は内心パニックになった。

 

 急がないといけないのに!

 こんなところで目に付く行動したくないのに!

 どうする?どうする?


 うろたえている間に、女性はぐいぐい話しかけ、しかもキャリーケースを運ぶのを手伝うと取っ手に手をかけてきた。


「ユカリ!!遅くなってごめん!!」


 突然、名前を呼ばれて由華里は心底仰天して後ろを振り返った。

 先ほどの違法停車をしていたベンツの男性が、にこやかに笑い手を挙げて、軽々と(まるで映画のワンシーンのように!)ガードレールを乗り越え走ってきたのが見えた。


 え!?誰!?

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