後編
第二話
「田舎貴族の男爵騎士でもよければだけど」
アイザックはさらに言います。
「こんなときに冗談を言わないで。聖女は男性と枕を交わすと、力を失ってしまうのよ」
「だったら契約結婚だ。俺の領地は神殿がなくてね。聖女もいないし、君の預言と聖女力が必要なんだ。君は俺の領地に、聖女力を提供する。俺は君に宿と食事と男爵夫人の身分を提供する。交換条件だ。どうだい?」
「いいわね」
「ちょっと遠いんで、三日ほどの旅になってしまうよ。帰ったら、まずは父の病気を治療してくれ」
「わかったわ。場所を教えて」
「東の果てのアンワーヌ地方だよ。三年ほど前、地震で君が派遣されたところ」
「ああ、あそこ。あなたの領地だったの!? ぜんぜん知らなかった」
アイザックはそんなそぶり、少しも見せませんでした。
「仕事だからね。あんときゃ父が元気だったし、君はけが人の治療で大変だったろ。それどころじゃなかったからな」
「じゃあ、行きましょう。荷物ある?」
「ない。荷物は転移魔法で送ってもらった」
私はアイザックの手をつかんで中庭に出ると、記憶に残るアントワーヌを強くイメージし、呪文を唱えました。
「特級聖女ユリアより、女神エイシアに希う。ここよりアントワーヌへ、転移魔法発動」
「うわっ。くらっとしたぞ」
周囲の景色が歪むと、そこはもう川に水車、小麦畑のおだやかな田舎町。
私は地震で荒れていた村しか知らないので、のんびりした様子にほっとします。
「アントワーヌだ…!」
「転移魔法なんていつも使ってるでしょ?」
「聖魔具がないと無理だって言ってたろ」
「転移魔法って、魔力をけっこう使うのよ。災害派遣はけが人の治療がメインだし。一度行ったことのあるところしか行けないし。それに、せいぜい二人ぐらいしか運べないのよ」
「それでもすごいよ! 特級聖女ってこんなこともできるのか……」
「アイザック様だっ! おお、立派になられて」
「聖女様もご一緒だ」
「聖女様ーっ。お久しぶりです。ボク、元気になったんだよ」
「お元気でしたか? 聖女様」
めざとい村人が、私たちに気付いて走り寄ってきました。アイザックと同じ、黒髪黒瞳の人ばかり。彼は確かにこの領地の出身です。私がケガを癒やした子供もいます。
「その恰好は?」
アイザックは正装、私はウェディングドレスです。
「俺たち、結婚したんだ」
アイザックが言うと、村人がスンッと沈黙し、次にうぉーっと歓声が響きました。
「すごいっ。おめでとうございますっ!」
「わぁあっ。これでアントワーヌも安泰だーっ」
「領主様に知らせないと」
「お城まで早馬を出そう」
高台に小さなお屋敷が見えます。領主の屋敷のようです。
「馬車を貸してほしいんだ」
「大丈夫ですよ。アイザック様」
「ようこそ。聖女様。……じゃなくて、男爵夫人」
歓迎されて当惑します。
ごめんなさい。みなさん。私、王都を追放されたハグレ聖女で、契約結婚なんです。
☆
アイザックの屋敷は震災被害のあった場所から、馬車で一時間ほどの場所にありました。
「どうぞ。遠慮なく」
「お城だわ」
小さいけどちゃんとしたお城です。執事にメイド、料理人に庭師が、私とアイザックに向かって、いっせいにおじぎをします。
「俺の妻のユリアさんだ」
「ユリアです。はじめまして」
私はカーテシーをしました。
「はじめましてじゃないですよ。ユリア様。私はあなたに骨折を治してもらったのです」
「ワシもですだ」
「もっと早く知らせてくださったら、歓迎の用意をしましたのに」
領主様がよろよろと出てきました。災害派遣のときはお元気でいらっしゃったのに、やつれて苦しそうな様子です。
「おお、聖女様。三年ぶりですね。あのときはありがとうございました。息子の妻になって頂いたなんてありがたい」
「領主様、どうかお休みくださいませ。お腰が悪いのですか?」
「一目見ておわかりになるのですね」
領主様にベッドに寝て頂き、手かざしをします。
「骨の間の軟骨がすり減っています。老化によるものですが、聖女魔法で軟骨を増やします。一気にやると身体に負担がかかるので、少しずつになりますが、10日もすればお元気になられることでしょう」
「腰が温かいです。ありがとうざいます。……聖女様、どうか温泉でおくつろぎください」
「ありがとう」
信じられないことに、お城の中に温泉がありました。
お湯につかるとほっとします。
神殿のお風呂は冷たくて、まるで水垢離でしたから、ここは天国のようです。
温泉のあとはおいしいディナーです。白身魚のパイ包み焼きに羊肉のシチュー、ライ麦のパン、ルッコラのサラダにオレンジ。クルミのパウンドケーキまであります。
「このライ麦のパンがおいしいわ」
「口に合ったようでよかったよ。うちの料理、独特だろ?」
「ほんとね。カレリアの料理とはちょっと違うわ」
「ここは、もともと独立国家だったから」
私はスプーンとフォークを置いて、食堂を見渡しました。鄙には稀な瀟洒なお屋敷ですが、どうやらほんとうにお城のようです。世が世なら、アイザックは王子殿下だったのでした。
「私の代でカレリアの支配を受けることになってしまって、ご先祖様に申し訳ないことをしました」
領主様が苦しそうな口調で言います。神殿がない、聖女がいないと言われて不思議だったのですが、なるほどと思います。
先代の国王陛下は侵略戦争に熱心で、領土を増やしたと聞いています。そのさい、この地は、カレリアの支配を受けたのでしょう。
「でも、おかげでユリアさんに来てもらうことができた。……湯上りの君はいつにもまして綺麗だね」
アイザックは目を細めて私を見ます。
綺麗だ、なんて言われたことはないので、照れくさくてくすぐったくて、不思議な気持ちです。
「さあ。ここが君の部屋だよ。母の部屋だったんだけど、ドレスとか、好きに着てくれたらいいから」
かわいらしい部屋でした。私はベッドに腰を下ろし、アイザックを見上げました。
「アイザック、ひとつ聞かせて。殿下をこけさせたの、あなたでしょう?」
私は、王宮の廊下の床に穴が開くという予言を回避するため、魔法で小さな穴を開けました。ですが、誰も怪我をしないよう、人通りの少ないところを選んだつもりでした。
なのに、その小さな穴に、殿下が足を取られて転んだ。
誰かがわざと殿下を誘導したとしか考えられません。
「ばれたか」
アイザックはいたずらが見つかった子供のような顔で笑いました。
「殿下が上げ底靴を履いているのは、歩き方でわかったしね。かつらは知らなかったけど」
「なんでそんな? アントワーヌを支配したカレリアが嫌いだったの?」
「俺が生まれる前のことだから、恨みはないよ。カレリアに対する愛国心もないけどね」
「だったらどうして? 殿下に恥を掻かせるなんて。粛正されたのは、あなただったかもしれないのよ」
「君を愛しているからだよ」
「私は聖女よ!」
「俺は、君に命を助けられた」
「そうだったの?」
覚えていません。何千人も助けているから当然です。
「騎士の俺でさえひるむような戦場で、泥と汗と臓物にまみれながら怪我人を癒す君が美しかった。預言回避行動のために真冬に水を浴びる君を、守ってやりたいと思った。……殿下のようなつまらない男に、君をやりたくなかった」
「私はあなたに、愛情を返すことができないのよ」
「かまわない。俺が君に愛を与える。空に光る星よりも、もっと多い愛を」
アイザックは膝をつくと、私の手の甲にキスをしました。
「愛してる。俺の聖女」
窓の外からのぞく夜空には、満天の星が輝いていました。
END