前に進むため
キリがいいところで切ったので短めです。
とは言え、この目の前のものは、本当に『小麦』なのだろうか。
正直前世でも、はっきりと小麦を観察したことはないし『麦畑』たるものは見たことはないのだ。
「これ、食べてみたことあるんですか?」
「はい勿論。しかし本当に美味しくないんです」
そんなに不味いものなのか?と驚いたのだが。
「何というか、茹でるとすごく、ねっちょりとしてしまうんですよね。味はともかく、殻も固いし嫌な食感なんで、ホントに食べるものが無くなった時の最終手段って感じです」
インリアはお粥が主食だ。
だから米に似たライスが元々の主食で、今はそれに性質が近いライ麦が代わりに使われている。
でもアリゼは、この言葉で確信していた。
これは小麦か、それに近い植物に間違いないと。
なぜなら小麦は、他の麦に比べてグルテンが豊富だ。だからパンやうどんは美味しくできるが……茹でるだけだと、水分を含みすぎてしまうのだ。
「これでパンを焼いてみては?」
「パン、ですか……」
アブレクは信じられない、と言うような目をしていた。まぁ話から察するに、あまりお粥以外の主食は好まれていないんだろうとは思う。
「でも食べられないものが食べられるようになるかも知れませんよ?何事も挑戦じゃないですか?毒は無いみたいですし」
現にアリゼの前世である日本人は、河豚の毒にも屈せず、蒟蒻芋の毒にも屈せず、穴子の寄生虫にも屈せずに、食べる方法を編み出してきたわけだ。
「『工夫』で食べれないものを美味しくできたら素敵じゃありません?食料に困っているのであれば、尚更だと思いますよ」
そう言うと、アブレクはフッと笑った。
「そうかも知れない」と。
*
数時間後、荼毘に付されたグレコワールが戻ってきた。
アリゼが前世で見たお骨拾いとは違い、ただ骨を係の人が集め、最後にザーッと箒で小さい骨や遺灰をかき集めて鉄の箱に入れるだけ。
それを受けとるだけの、何とも味気の無いお骨拾いだった。
「以上が残った骨の全てです。どうぞお持ち帰りください」
クロビスが頭を下げて、受け取った。
蓋の空いた箱の中を覗くと、頭蓋骨や大腿骨などが何となくわかるぐらい、はっきりと骨の形が残っていた。
その中で、アリゼはあの骨を見つけた。
ここは前世の日本と、宗教感が全く違う。
だから、コレはここではあまり意味をなさないものだ。
「とある国では、この骨は坐禅……神の祈りのポーズに見えるらしく、大切にしている骨だそうです」
アリゼが鉄の箱に手を入れる。そして慎重に取り出したのは──前世では"喉仏"と言われていた骨だ。
「これをあなたに」
「いいんですか?」
二人は話し合いをして、一つぐらいは何か残ったものをアブレクの元に……と考えていたのだ。
「彼が殺されていなければ、本当の最期に側に居たのはあなただったかも知れない。きちんとケジメをつけて、あなたと生きたいと願っていたグレコワール卿の気持ちを、少しは汲んであげたいとは思っている」
もしも、の世界。
もしグレコワールが殺されなくて、生きてリーベルタスに帰ることができたなら……。
彼はちゃんとペトラ婦人に別れを告げて、罪を償い、彼の元に帰ってきたのかも知れない。
でも逆に家族の大切さに気付いて、アブレクに別れを告げているのかも知れない。
どちらに転んだのか、それは正直わからない。
だけど、少しでも"もしも"があるのなら、その部分は配慮すべきだと思ったのだ。
現にアブレクは、グレコワールを今も愛している。
気持ちを整理するため、しっかりと自分と向き合う為にも、彼に何かを残してあげたかったのだ。
「もしも今後、不必要になったならば、私が責任持って家族の元に返そう。だから本当に気持ちの整理がつくまで、持っててもらって構わない」
クロビスがそう言うと、アブレクはボロボロと涙を流す。
大柄で強靭な肉体を持つ彼が、まるで子供のように泣きじゃくっていた。
彼はアリゼから遺骨を受け取ると、愛おしそうに両手で包み込む。
「ありがとうございます」
そして深く深く、頭を下げていた。
【次回予告】パンは果たしてできるのか?!