どっちが大事?2
その後ヨエルは一足早く、領地の屋敷に行ってしまったらしい。謝罪の手紙を使者に届けさせたが、そう突き返されてしまったと。
アングラード領は王都から近く、日帰りもできる距離だが……恐らくあのヨエルの態度だと、しばらく戻ってこないんじゃないかとも考えていた。
どうしよう……そう頭を抱えて唸るアリゼを、訪問したサロナはクスリと笑みを浮かべながら見つめていた。
勿論、ビスケットを片手に。
「あの人が嫉妬だなんて、よっぽどあなたが大切なんでしょうね」
あぁ、そうか。あれは嫉妬なのか……!とアリゼは今更気付く。
正直な話、仕事よりも公爵の地位が下に見られたということに怒ったと思っていたのだ。
「……どうしていいかわからないんです」
「実は私もよ」
まさか付き合いが長いサロナも困る、とは。
打開策を得られるんじゃないかと思っていたアリゼは、がっくりと来てしまう。
「正直ヨエルとは付き合いは長いけど、あまり人に関心が無い子だったから……特にあの騒動があってから、誰とも深く関わらない子だったから、私もどうしていいかわからないのよ。あの子がそんなに怒るだなんて」
へぇ、と思わずアリゼは呟く。
アリゼは特にあの原作の、守るべき人には愛情深い面しか知らない。
特にアリゼに対しては(記憶のあるうちでは)初対面から愛を押し売り……いや、全開で迫ってきているから、余計に想像がつかないのだ。
「ずっとあの子は一人で頑張ってきてたのよ。先代の為に、アングラード公爵の地位を守る為にね。だからようやくあなたの存在で、救われるんじゃないかと思っているの。私もね」
ふとアリゼの頭の中に、ヨエルはずっと『弟殺しの犯人』と言われていたことを思い出す。
だからひたすら貴族社会で孤立する中、領地や領民の為に頑張ったのだろう。
まだ二十歳そこそこだった彼が、一人で、一回りも上の人達と張り合いながら。
そう思うと、愛おしさが溢れてくる。
「どうしよう、ヨエルに会いたい……」
少し目に涙が浮かぶアリゼを見ながら、サロナはまたクスリと笑いながらこう言った。
「だったらいい案があるわ」と。
*
「サロナ、どうしたんだ?」
「そこの別荘に用がありましたの。行きがてら顔を見ていこうと。寄っては行けなかったかしら?」
「いや、サロナならいつでも大丈夫だが……」
ここはアングラード領のアングラード公爵邸である。
日がもう沈み始めた頃、なぜかヨエルの元をサロナが訪れたのである。
ヨエルはアリゼの件で少し腹が立っていたが、そこはいつもの落ち着いたヨエルらしい態度でサロナに対応する。
「すまない、私もつい先ほど到着したばかりで……」
「ええ私も存じております。あなたの顔を見たのですぐに行きますわ。あのディエゴ卿の一件から顔を見ておりませんでしたので、心配しておりましたの」
にっこりと笑うと早々とソファーから立ち上がるサロナ。
本当に心配して顔を見に来ただけであることがわかったので、勝手に嫉妬していた自分の器用の狭さに申し訳ない気持ちが沸いてくる。
「それで一つ、あなたに確認したいことがございますの」
「何だ?」
「ここの使用人たちは、口が固いかしら?」
「あぁ?まぁ口外禁止となれば、皆守るだろうが」
何だかよくわからない質問に、ヨエルの頭にははてなマークが浮かぶ。
サロナはほくそ笑んでは「だったら大丈夫だったわね」と意味深なことを呟く。
「あの"妹思いの兄上"にバレないように、頑張りなさいね?」
そしてサロナは颯爽と去っていった。
(一体何だったんだ……)
嵐が去り、気が抜けたヨエルは少し休もうと寝室に向かった。
ガチャっと扉を開けると──我が目を疑った。
「ヨエル」
「アリゼ……!」
目の前に居たのは、アリゼだった。
「何故ここに?!」
「サロナ王女が連れてきてくださったんです」
ふふふと笑うアリゼを、ヨエルはぽかんとしながら見つめている。
「どうせだったら驚かせてみましょうとのことで、サロナ王女の案で……」
全てを言い終わる前に、ヨエルは駆け寄り抱き締める。「ありがとう」と涙を堪え、囁いた。
アリゼは抱き締められて感じる体温の他に、心の中にもじんわりと広がる暖かいものがあった。
「じゃあゲストルームの準備……」
「いらないです」
パッと手を離し、また毅然とした態度で進めようとするヨエル。
アリゼは服の袖口を掴み、動きを止めた。
「今夜は、あなたと一緒に過ごしたい」
次の瞬間──ヨエルの蒼い瞳が見開いた。
「……いいんだな」
アリゼがコクリと頷くと、ヨエルは再び抱き締める。さっきよりも強く抱き締め、首筋に顔を埋める。
「タイムリミットは、明日サロナ王女が迎えに来る時までですよ」
ヨエルが「あぁ」と返事をした頃には、アリゼの身体はベッドの上に投げ出されていた。