真っ白な煙の中で
アリゼは塔を脱出してからは、ひたすら森の中を進んだ。なるべく夜の暗闇に紛れて、屋敷から離れたかったのだ。
ここの屋敷までは、森の中を進む一本道しかない。屋敷に近い道だと見つかる可能性があるので、ある程度森を進んでから、道に合流する予定だった。
だけど夜の森では方向感覚が狂う。そろそろ……と道の方向だと思う方に進むが、いくら進めど道は見えない。
辺りは変わらず真っ暗闇。ほんの少しの隙間から光が差すので日は昇っているらしいが、どのぐらいのぼっているのかはよくわからない。
(うーん、そもそも森が抜けられない……)
あの周辺が深い森なのは知っていたが、ここまで深いとは予想外だった。同じような景色でぐるぐる回っているだけなんじゃ……と不安になる。
気付けばもう一日ぐらい歩いている感覚がする。ひたすら歩き続けているので、足ももう限界に近い。
(あっ……!)
その時、森の向こうに隙間が見えた。光が差しているのだ。
重い足を引き摺って、光の方向に進む。
すると──一気に視界が開けていく。そこには地平線が広がっていたのだ。
(抜けた……ようやく、抜けた……)
この先には、一面に広がる畑。空を仰ぐと、もう太陽も随分と高い位置にある。
森を抜けて安堵したアリゼは腰が抜け──その場にへたりこんでしまう。
だが助けを呼ぶために、何か建物や人影はないかを探さなくてはいけない。あの拝借した望遠鏡で辺りを見回してみた。すると遠くの方に集落らしき物が見える。
だが満身創痍なアリゼは、そこまで行く気力も体力も、耐えられる足もない。
せめて何とか近付く為に立とうと奮起するが、一度安堵したせいか立てないのだ。
(一か八か……)
アリゼは望遠鏡を解体することにした。
器用に万能ナイフも使いつつ、全てのパーツをバラすとレンズだけを摘まむ。
それを翳して──あのストールを地面に敷き、暗くなっている部分に光が集まるように調整した。
しばらくすると焼け落ちてきたので、燃えやすい乾いた落ち葉を回りに落とす。
すると──もわっと小さな炎が燃え上がる。
(まだまだだ……)
ストールは半分燃え、木の枝を火の中に放りこんだが、まだ火は小さい。
想像よりも大きな火にはならなかった。
地面を這うようにそこの低い杉の木に向かい、無我夢中で手が届く範囲全ての枝をを切り落とす。
そして小さな火の上に、ギュッと押さえ込むように乗せていった。
(隙間が無い方が、煙は上がったはず……)
全ての枝を乗せるが、炎は青杉の枝で見えなくなる。
押し潰してしまったか?
失敗したか?そう焦った次の瞬間──ぼわっと一気に炎が上がる。
(上がった……)
一気に炎が燃え広がり──白い大量の煙がモクモクと空に上がっていく。
これで誰かに、異常は知らせることができるはずだ。
安堵したアリゼは、その場に寝転がる。
これできっと、誰かは気付いてくれるだろう。
それがベッティーニの騎士の人達でありませんように。盗賊や野蛮な人達ではありませんようにと、そう願った。
(……心配してるかな)
疲れて意識が霞む中、思い出していたのは──ヨエルのことだ。
今冷静になってみれば……とんでもないことをしたと思う。
本来なら夜明けまで待って、対面したディエゴを脅せば良かったのかも知れない。この万能ナイフもあるのだから。
なんなら体を許すフリをして、身ぐるみ剥いだ所で脅せば効果的だったのかもしれない。勢いで怪我させてしまっても、どうとでも言い分けはできる。
だけどアリゼは、どうしてもディエゴを欺きたかった。一番ショックを受ける方法で陥れたかった。それに……指一歩ですら触れられたくなかったのだ。
触れられるなら、死ぬ方がましだと。
貞操を守る、とは違うかもしれないが……あの人と再び触れ合うまで、誰にも触れられたくない。
誰にも抱き締めて欲しくはない。誰にもキスをされたくはないと思ったのだ。
ぼんやりとしたアリゼの意識の中で──忘れてたあの日のことが頭を掠める。
何度もキスを交わした後──『もう一人にしないでくれ』と、呟くように囁いた彼の姿。
色っぽくて熱を持った表情と相反するような、寂しげなあの綺麗な瞳。
──ごめんなさい。
──私はずっとあなたを、一人にしてしまっていた。
周辺はあっという間に煙で充たされて、視界一面が真っ白になる。
もうそれは煙で真っ白になったのか、自分の意識が真っ白になったのかわからない白さだった。




