主人公だからこそ2
"あの主人公"の妻になるということ。
ヨエルは物語の主人公として相応しい、この国指折りの──王家とも縁続きの貴族である、公爵家の当主だ。
果たして自分は、公爵夫人としての役目を務めることができるだろうか?公爵夫人という立場は、この国に多大な影響を与える立場で、それを自分がこなせる器量があるのか。それに自分より格上のご令嬢からの嫉妬も掻い潜れる根性はあるのかと。
正直どれも自信がない。だけど……自分以外にあの好意を向けられるのは気持ちの良いものではない、という感情が生まれつつあったのだ。
手紙を見るアリゼを、カリーヌは温かな目で見ているが……アリゼの表情は曇っている。
「そんな私が、あの人に相応しいと思えないわ」
そうアリゼが呟くと、カリーヌの表情からも、明るさが消えて行く。
「そうですね……正直私もあの弟殺しと噂されてる人に嫁ぐのは…」
「カリーヌ!!」
アリゼは凄い剣幕でカリーヌに迫る。
『弟殺し』に腹を立てたのだ。
「只の噂を信じるとは恥なさい。あの人は誰よりも弟の死を悼んでおります。誰よりも家族を失い心を痛めている人です……今もずっと、それで苦しんでいるのですから」
アリゼは誰よりも、ヨエルが『弟殺し』と言わている苦しみを知っている。それが原作の小説を読んでいるから、であるが。
だから……ヨエルと結婚するということは、公爵夫人という身分を背負う他にも、失った家族の代わりにヨエルを支えて行くという使命を背負わなければいけない。
それはただ、自分の為だけに……悲惨な未来の回避の為だけに生きてきたアリゼにとっては、重すぎる話だったのだ。
「だからこそ、自信がない……」
さっきまでの威勢も剣幕も消え、呟くように俯き小声でそう漏らした。
「それが本当であれば、私はアリゼ様こそアングラード公爵の奥様として相応しいお人だと思います」
カリーヌは跪き、そう頭を下げる。
アリゼはあまりピンとは来ない。俯きながらも頭を傾かしげる。
「だって奥様はクロビス様に冷たく当たっていて……他の者も侯爵家出身の奥様に従う中、アリゼ様はしっかりと自分の意思をもってクロビス様に寄り添い、心を開いたではないですか。同じように家族を失ったアングラード公爵にも、寄り添い支えられるはずです。私は二人のことをずっと見ておりました。幼いながらも芯の通ったアリゼ様の態度を見て、私もどれだけ救われたことでしょう」
なぜだかカリーヌの方が、泣きそうな声をしている。
「カリーヌも?なぜ?」
「実は私にも、弟が居りました。その事を思い出すのです」
「弟?」
「はい。とは言いましても、血の繋がらない…父の妹の子供、つまり従兄弟にあたる人でしたが」
これはアリゼも初めて聞く話ではあったが。
要約すると、カリーヌの実家は代々続く商家なのだが、子供はカリーヌ含め女子しか産まれなかったそうだ。
ところがある日、行方不明だった父の妹が亡くなったと連絡があり、その子供を引き取ることになった、と言うわけらしい。
その子供が──黒髪の男の子。インリア人との間にできた、ハーフの子供だったそうだ。
「まだ異国の髪色は、親世代には受け入れられないのでしょう。父は妹の忘れ形見として大切にしていましたが、母は弟に辛くあたり…そして次第に、私達姉妹も同じような態度を取るようになってしまいました。本当は、心の何処かでは……仲良くしたかった筈なのですが……」
そして態度は軟化することはなく、弟は流行り病にかかり、あっという間に亡くなってしまったそうだ。
「私は弟が亡くなった時、すごく後悔しました。本当は弟が出来て嬉しかった筈なのに、周りを気にするあまり冷たく当たってしまって……。でも私と違いアリゼ様は、幼い頃から自分の意思を貫き通せる強さがありました。そこにかつてのなりたかった自分の姿を重ねていたのです。二人にかつての自分達を重ねていて、ようやく救われた気持ちになったのです」
カリーヌは涙ながらに語っているが……。
(いや、そんな大層な話になるなんて……)
アリゼは一人で焦っている。話が大層すぎるとこになってきたぞ、と。
とは言えカリーヌにあの人の奥様に相応しいと言って貰えたことは何よりも嬉しいことではあった。
側に居る人から"相応しい"と言われたことが。
少し表情が緩んだアリゼに、カリーヌも安堵の表情を浮かべた。
「だから私と同じく、きっとアリゼ様がアングラード公爵の側に居ることによって、公爵だけでなく……周りの人達も救われるのではないかと思います。それは芯の通った強さのある、アリゼ様だからこそだと思います。だから自信を持ってください、アリゼ様」
はっきりとそう言い切ったカリーヌ。
それに押されるかのように、アリゼの表情に活力が戻るのがわかった。
ようやく、気持ちが前に向いてきたのだ。
あの人の妻として……公爵夫人としての技量があるかはわからない。
だけど、私はあの人のことが……ヨエルのことが好きなんだと思う、と。
その気持ちだけでも、伝えたいと思ったのだ。果たして自分が、公爵夫人として務まるかはわからない。
だけどそれを含め、ヨエルにちゃんと伝えようと思ったのだ。
──あの人は真っ直ぐに愛してくれて、真っ直ぐに気持ちを伝えてくれるのだから。
「ありがとう、カリーヌ」
そうアリゼが微笑みかけると、カリーヌも答えるように微笑み返した。
「さてアリゼ様、そろそろ舞踏会の準備を始めましょう。ドレスは昨日選ばれたものでよろしいですか?」
「うん、いいわ」
「髪型はどうしましょうか?髪飾りはいかがしましょうか?」
アリゼは少し考えて──その手にした花束を差し出す。
「この花を飾りたいわ」
──今日はあなたがくれたストールと、あなたがくれた花を飾って逢いに行こう。
あなたが私に選んでくれたものだから、きっと喜んでくれるだろう。
そう思うアリゼには、ヨエルの喜ぶ顔が浮かんでいた。
だだ一つ……アリゼにも失念していたことがある。一つ重大なフラグが残っていたのだ。
それはどう考えても折れないフラグで『産まれる前』から続いていたのだから。
──だってこれはあの物語の世界、なのだから。