記憶がないよ
(ヤバい、ホントに記憶が無い……)
ようやくヨエルが帰り、アリゼはもう一度記憶を掘り起こす。
しかし残念なことに、何一つ覚えていない。
……いや、正確に言えば一つだけあった。
あの蒼い、キラキラと輝く瞳。
まるで星屑のように綺麗な瞳を、じっと見つめていたのは覚えている、ような…?という感覚はしている。
『アリゼ、愛してる』
その目に見つめられて──何度もその言葉を囁かれたのは、夢じゃないようだ。
わぁすごい小説の世界そのまんまの情熱的な公爵様の姿だ。もっと見たいと自分からあれやこれや……
(あ゛ー!!)
今思うとこっぱずかしすぎる。
「えっと、お嬢様…あの……」
「あ、ごめん!カリーヌ」
ガンっと突然鍋を落としたアリゼを、カリーヌが驚いた顔で見ている。
そうだ。今は料理中であったのだとアリゼは正気を取り戻す。
こんなむしゃくしゃする時はスイーツに限る。
だからパパッとできるものを料理中だ。
「それでこう水の中に入れたら、食べやすい大きさにちぎるの」
アリゼは片栗粉・砂糖・水を火にかけて混ぜたものを、水の中に入れて千切っていく。
ようするに『わらび餅』もどきのお菓子を作っているのだ。
「わぁ!すごい。プヨプヨしてて、綺麗ですね」
初めて見る見た目の食べ物に、カリーヌは興味津々のようだ。そう言えばいつもは日持ちを考えて焼き菓子ばかりだったので、このわらび餅もどきは作るのが初めてだった。
「そう、それで水から上げたらよく切って、アーモンドパウダーと蜂蜜をかけておしまい。他にも甘いものがあっても美味しいと思う」
「じゃぁフルーツも一緒にトッピングしてもいいかもですね!」
「うん、確かに美味しそうね」
カリーヌと和気藹々としていると、少し気は紛れる。
こんなことを言っては何だが……アリゼはカリーヌをクロビスに近付けさせない為に、色々料理やものづくりをする時には、必ず側に置くようにしていた。
『カリーヌの実家の権力を駆使して、国外の色んなものを取り寄せして使っている』という言葉の方が最適かも知れないが。
カリーヌ自身、メイドよりも研究職的なものの方が向いているらしく『メイドの仕事に向いていない』と落ち込んでいたようだが、アリゼが頼るようになってから、イキイキとしてもの作りや料理の研究に付き合ってくれるようになった。
「では桃にしませんか?今朝届いたはずですよ。料理長に聞いてきますね」
そしてカリーヌは足早にキッチンを後に、パントリーの方に向かって行った。
(はぁ…どうするか………)
アリゼは残ったわらび餅を水から上げながら、これからのことを考える。
誰か適当な婚約者をでっち上げ……って居ないよなぁと。クロビスが追い返していたから、今更感が強い。
(ちくしょう、役に立たねぇなシスコン……)
心の中で、初めて兄に毒を吐いた瞬間だ。
だからと言って、穏便に公爵家の命令を回避する方法が見当たらない。
サロナ王女をせっつかせる?いやどうやって……。いや、こうなるといっそのことと、頭にあれがうかぶ。
(出家するかぁ……)
修道院で、前世の知識を生かしながら暮らせばいいのではないだろうかと。
(いいじゃないかスローライフ!)
もはやアリゼの気持ちは、そっちに傾いてきているようだ。
「アリゼ!聞いたぞ!」
「……お父様」
キッチンのドアを開けたのは、ニコニコと嫌みな笑顔を浮かべた父ベルトラン。
絶対仕事を放り出してきたなこの人、と呆れて舌打ち。
「クロビスが随分落ち込んでたぞ。俺のアリゼがー!って。いやぁ目出度いなぁ」
おい父よ、勝手に決めつけおってと。
ピクリと眉間に皺が寄る。
「私は結婚しませんよ、アングラード公爵とは」
「どうしてだ!?非の打ち所がないだろう!」
いや、ヒロインは自分じゃないし、むしろ……兄なんですが。なんて言葉は言えないけれど。
それに王家に睨まれたらお仕舞いじゃないか、というのも絶対に言えないけれど。
「あの公爵様と結婚したい人なんぞたくさん居るでしょうに。向こうにとって、大きく格が違う我が家と結婚するメリットは?まぁ、私が例えば絶世の美女であったなら納得するでしょうが、そうとは思えないし目立つ方では…」
「いや、十分お前は目立つが…」
「お兄様が居りますからね。そう言う意味では目立ちますし、更に公爵様と結婚するとなるとどれだけの人に嫉妬されることか。ましてや我が家より格上のご令嬢から嫉妬を向けられてみるとなると、絶対にめんどくさいことになりますよ。最悪我が家の危機じゃないですか」
そう言うとベルトランは唸り声をあげて考えている。どうやらヨエルが大層モテることを忘れていたようだ。
まぁ、息子があんな綺麗な見た目をしているから、美形への耐性が付いてるのかも知れない。
(何でこんな父から、クロビスが産まれたのか……)
本人至って普通なのにな…と。
どうしてあんな美人と結婚できて(クロビスの実母)あんな美形な息子が産まれ(クロビス)後妻にと騎士団長である侯爵のご令嬢から熱烈な求婚をされた(アリゼの母で現在の妻)のかはアリゼにとっては最大と言っていいほど謎である。まぁ物語のご都合主義だろうけれど。
「アリゼ様、桃をお持ち…旦那様!お帰りなさいませ」
「カリーヌただいま。いやいつもすまんなぁ、アリゼの趣味に付き合わせて」
「いえいえ、私も楽しんでおりますから。今日もこれを一緒に作りまして、非常に美味しくできました」
「これは食べ物なのか、どれどれ……ん、うまいな」
おい父よ、勝手に摘まみ食いをするな……と呆れた目で見つめるアリゼ。
「すごいな、ねっとりとモチモチして旨い。甘さも控えめでいくらでも食べれそうだ」
言った側から次々にわらび餅を食べ続けている父。おい、せめて皿に盛り付けたやつにしてくれと突っ込む。
そんな父を横目に、どうやってこの出てきた腹のフラグを潰すべきか…いやいっそ太らせて成人病まっしぐらにした方がいいのだろうか、なんて考えを巡らせているのであった。