一夜の相手は……まさかの主人公
これが小説の中の世界、なんて言っても誰も信じないだろう。
ましてや……主人公と間違って致してしまった……なんて展開は、誰に言えば信じて貰えるだろうか。
*
「アリゼ、そろそろ起きなさい」
そう言って誰かがアリゼの肩を叩いた。
アリゼはぼんやりと目を開けるが──見覚えがない天井が見える。つまりここは、自分の部屋ではないということ。
いや、そもそも何なんだ、この滑らかな肌触りのシーツの感触は。
全身が滑るように滑らかで……とふと気付く。
(……全身?!)
何故だ?!と飛び起きると、身体は衣服を身に纏っていない。しかもここは完全に身に覚えの無い場所だ。
「ようやく目覚めたな」
そう背後から声をかけられ振り向いた瞬間、アリゼは青ざめる。
「えっと……」
ベッドに横たわるその人物も、上半身は何も衣服を纏っていない。
そして同じベッドで寝ている、ということは……これは、明らかに『事後』で、この人と致してしまった、ということだ。何となく身体の違和感からでもわかる。
そしてその人物というのは──アリゼが一番関わってはいけない相手だったのだ。
「アングラード公爵様……」
ここリーベルタス王国の若き公爵、ヨエル・アングラード公爵だ。
まだ二十四歳という若さで爵位を継ぎ、能力もさることながら『美しさ』でも噂のお人。
ゴールドの輝く髪に、神秘的で吸い込まれそうなほど綺麗な蒼い瞳が印象的。
彼に関しては色々な黒い噂があるが……それでも婚姻を望む令嬢が後を絶たない程の、美貌の持ち主である。
「なんだ、ヨエルとは呼んでくれないのか?」
そう言って微笑みかけるアングラード公爵。
その甘い笑顔とは裏腹に、アリゼは急激に体から血の気が引いていくのを感じていた。
──絶対にこの人とは関わってはいけないと知っているからだ。
*
「つまり、記憶がないと?」
「はい……何度も申し上げます通り、申し訳ないのですが記憶にございません」
なぜか公爵邸で朝食まで頂き、なぜかヨエルが馬車でアリゼの家まで送ってくれることになった。
ちなみにアリゼには名前のヨエルと呼べという命令がくだされ、拒否しようとしたら『言うことが聞けないのか』と強引に脅されてしまった。格下の伯爵家の娘であるアリゼは、ヨエルに逆らうことは許されない。
昨日は王都にあるアングラード公爵邸でヨエルの誕生日パーティーが催された。アリゼは兄クロビスのパートナーとして出席していた。
しかし酒を飲みすぎてしまったらしく……途中から記憶が一切ない。気付いたら朝のあの状態だったのだ。
「ですので、たった一夜の過ち、尚且つ私は記憶にない。なのでそこまでご丁寧に扱っていただく筋合いはございませんので…」
正直この国ではそんなに処女性は重視されていない。どちらかと言うと結婚前に大方の相性を確かめることの方が推奨されている。その代わり愛人を囲う行為や、ましてや離婚となると白い目で見られてしまうのだが。まぁ王族のみが妾を持つことが許されている。
「とは言え君は初めてだっただろう?」
そう言われてアリゼはドキリとなる。まぁ、妙齢女性にしては珍しく初めて、ではあったのだ。
「ええでも…私みたいな下級の伯爵家の人間を、こんなに気にかけていただかなくてもよろしいかと…」
「ほう、俺が身分で差別する冷酷非道とでも言いたいのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……」
いや、むしろ情に厚い人間だと言うことは知っている。知っているからこそ、何でもない風に思ってもらわないと困るのだ。
たじろぐアリゼに、ヨエルはまた微笑む。
甘い笑みにドキリと心臓が音を立てるが…背後に何かを企む黒いオーラが見え隠れし始め、血の気が引いていく。これは何かを企んでいる顔だ。
一体何を企んでいるんだ。
「ともかく君のお兄様が心配しているだろう。君を一人で帰すと、私は恨まれそうだ」
そう言われるとあぁ、確かにな…と。兄はきっと怒っているだろう。外泊させた側のヨエルを。
アリゼは今までに一度も外泊を許されたことはないし、何がなんでも兄は連れ返そうとしたはずだ。
しかし…余計な争いや接触を生みたくはないので……屋敷まで送るのは秘書や従者にしてくれないかと、頭を抱えるのであった。
*
そして案の定と言うべきか、玄関で出迎えたのはアリゼの兄のクロビス。このギルベール伯爵家の嫡男だ。
ヨエルの姿を見て驚いていたが、すぐに顔に怒りマークが浮かんだのがわかった。過保護なシスコン全開かいとアリゼは少し呆れる。
「どうしてアングラード公爵が直々に来ていただいたのかは分かりませんが、昨日は妹の介抱をしていただきありがとうございます。この時間に帰ってきたことを考えますと、大層ご迷惑をかけたかと存じます。ですので私が責任を持って連れて帰ると申しましたが…」
注訳を付けるなら『何勝手に妹を外泊させとるんか』だろうか。
「いえいえとんでもない。そちらも次期当主としての挨拶回りがあるでしょう。特に久しぶりに王都に参られたベッティーニ辺境伯はあなたとお話するのを楽しみにしていた様子ですし」
応接室、静かに花火を散らすクロビスと華麗にかわすヨエル。
おい、おたくら何で言い争ってるねん。運命で結ばれとるはずちゃうんか、とアリゼは冷静に突っ込む。
「先にお兄様であるクロビス卿に話しておきたいことがあります。昨日、私はアリゼに失礼を働きました」
「失礼を働いた、とは?」
(やばいやばい)
クロビスの怒りのボルテージが上がっていっているのがわかる。
もう、やめてくれとアリゼは心の中で懇願する。
「私は昨日、アリゼと一夜を過ごした。その責任を是非とも取りたい」
あぁ一夜を過ごしたことがクロビスにバレた……(って責任?!)
「是非ともアリゼと結婚させていただきたい」
「んんな!!!」
思わず立ち上がって叫ぶアリゼ、と呆然としているクロビス。
「ちょっとそれは…」
「お断りします!」
アリゼを遮り叫ぶクロビス。それをヨエルが鼻で笑った。
「アリゼは嫁に出しません。私の結婚が決まるまでは」
「伯爵家が公爵家に逆らう、とでも?」
「芋の出荷が止まってもよろしい、とでも仰るか?」
「いくらなんでもご子息とは言え、独断で決めるのはいかがなものか」
その後も二人は激しい口調で言い争いをしている。
そしてアリゼは一人冷静にそれを見ながら、こんなことを思っていた。
(おいおい、何だその京都府民に滋賀県民が琵琶湖の水を止めるぞ的なやりとりは…)
それに本当はおたくらが結ばれるはずなんちゃうんかい、と。
そう、きっと誰も信じられないだろう。
本当は……この二人が運命で結ばれるはずだったのだ、ということを。
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