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人間

 私は盲目になった。


 物体の感知は魔力感知や気配察知といった技能で事足りるが、慣れないうちは不安なものだ。こんなとき、ふわたろうの背中にのせてもらえるととても心強い。ふわたろうの背に揺られ、次なる目的地へと。あてどもなく、しかしこのスピードだから、着実に。


 私とふわたろう。二人の旅は、まだまだ続きそうだ。


 昼夜兼行と言うべきストイックさで、ふわたろうは丘を越え、森を越え、やがて人間の生存圏に来た。野山の様子が、人の手が入って整えられているものになっているから間違いない。


「人間の住む場所、雰囲気……懐かしい」


 人間に会うのは何年ぶりだろうか?もはや、自分が人間であるという意識すら消滅しかけている私にとって、人間種との邂逅はとても新鮮味を覚えることだった。


 まあまだ会ってもいないけれど。会えたら嬉しいって感じかしら。別に嬉しくもないけど。


 放棄された小屋────ここにはかつて木こりが住み、周囲の木々と共生していたのだろうか。木こりという職業は、来る日も来る日も斧を手に薪を作り続けるという仕事なのだと父に教わった。父は職工だったが、木こりの知り合いとはよく飲みに行っていたっけ。


 ────父。


 いま、どうしてるだろうか。父だけじゃない。村のみんな、よく遊んだ友達、カノーレ神父。


 私の中で、悠久とも思える時間が過ぎた。しかし、現実世界ではどれぐらいの時間になっているのだろうか。百年が経っているのかもしれないし、はたまた三日しか経っていないというのもあり得る。


 つまるところ、全く見当がつかない……


 次に人に会ったら、まずは今が聖暦何年かを聞かなくちゃね。みんながおじいちゃんおばあちゃんとかになっていたら、どうしよう。なんか、それが嫌というわけじゃないけれど。少し、言葉に言い表せない衝撃があるかもしれない。


 そう、取り返せない時間の流れに対する、恐怖だったり、本来彼ら彼女らの横にいたはずの私は、もはや幻と化していて、その間に育まれるべきだった関係値が存在しないばかりか、個々の思い出の中で脚色された私でない私を、私は意図しようとしまいと演じるはめになるのではないか。


 そしてもっと嫌なことに、私は私自身をどう演じたらいいのかまだ定まっていないのだ……。


 私は昔、何者だったか。違う、何者を演じていたのか。人は演じるものだ。意図しようとしまいと。


 無意識に、関係性の中で、自分が求められていると感じた存在を理想の自分として、ロールプレイする。そこを理解せずに、自然と自分が求める自分になり切れているとき、それはきっと幸せな状態だ。


 そう考えると、私は以前幸せだった。緩慢とした思考の停滞の中を悠々と泳ぎまわり、自分がその時にしたいと感じるまま、情動の赴くままに身体を動かしていた。自分が何者か、何者でありたいかなど考えたこともなかった。精神がそのステージに至っていなかった。


 これを成長と見るか退化と見るかは自由だ。考えすぎ、と。そう評する人もいるだろう。それはマイナスな評価だ。しかし、逆に考えな過ぎ、という評価が与えられるような、そんな状態があった時。浅はかな考えをし、愚かな行いをしでかした場合。そのときにはより深刻な破滅が齎される。誰に対して? ほかでもない、自分自身である。


 それよりはマシだろう。私はそう思う。そして、私を評価する人は、決して私の人生の決断に責任を持ってはくれない。だから他者の評価を、そのまま自分自身の実像だと鵜呑みにしてはならない。それは自分の在り方を他者に委ねるのと同義だ。そして、それにも拘わらず、他者は私という人間が行うことの責任は一切持たない。というか持てない。


 いっそお願いして頼み込んでみようか?……だとしてもやはり責任を持ってもらうことはできないのだ。他者の理想を完璧に遂行することはできかねる。結局、何かを成し、何かを欲してこの肉体を動かすのは、その最終決定をしているのは私自身にほかならない。私の行為に対する責任は、かならず動作主たる私に帰属するものと捉えられる。その背景など、第三者は知ったこっちゃないし、それを弁明したところで言い訳だと思われるのがオチだ。


 もっと悪いことには、弁明したところで、「代わりに責任をとってくれ」と頼み込み、「分かった。責任を持ってあげる」と、承諾したその相手は、いざというとき合理的で利己的な思考にのっとって、律儀に約束を守るという選択を即座に、あるいは時間をかけて、破棄する方へと意識をシフトチェンジさせていく。


 ここで律儀に約束を守る者はバカ正直とさげすまれ、非論理的だと評価され、愚かな決断だとすら言われることもある。自身と相いれない思考に対して拒絶反応を起こすのは集団の結束が生存に直結してきた人間の本能に根差す習性とも取れるが、他者の純潔な意思を、濁った眼で見る者、黴の生えた、傷のついた、汚れた、歪んだ、そんなレンズを通して見る者、通さずにはいられない者であふれているものだから仕方がない。


 まさに衍曼流爛。悪鬼羅刹の百鬼夜行。魑魅魍魎の跳梁跋扈だが、所詮この世は弱肉強食。弱い者の意思はそのまま強い者の意思にとって代わられるだけ。そうして負けた者の歴史や価値観は勝者が作り出した歴史の闇へと葬り去られるだけ。その時起きた、事の子細を記録するのもまた勝者のみの特権なのだ。そして勝負の世界に正邪は関係がない。


 私が私の人生の決断に責任感を持ち続けなければ、私は誰かに流されたまま生き続けてしまう。その誰か、に悪意があろうとなかろうと、私が流れ着く場所は幸福に満ちた空間かもしれないし、針に埋め尽くされた地獄かもしれない。それは選べないことなのだ。


 誰についていったとして、変えられない運命だからといって思考を、決断を放棄するのか。はたまたしないか。むろん、放棄してはならない。しかしどちらを選ぶことも可能だ。自分の目の前にある選択肢が、危険だからといってロックされることはない。何を選ぶこともできる。何を選んでも自分の責任だ。それもまた決断なのだから。すべて責任と呼べるものは自分にある。


 他者は私の責任を代わってくれない。


「あなたが私を評価したように、私はあなたの理想を演じました。そしてその結果不都合が生じたので────あなたのせいです。責任とってください」とはならない。そうは問屋が卸さない。


 だから他者に自分の在り方を委ねてはならない。他者の評価を気にして自分の為したいことが制限されるようなことがあってはならない。他者の評価などクソ食らえだ!そう思って生きるのがわたしのためになる。


 人にどう思われているかを理解し、その虚像を精査し、取捨選択して実像に取り入れる。つまるところ、ロールプレイをする上での参考にする。それが承認欲求を満たすことに繋がる。そこに問題はない。


 その虚像をそのまま理想として実像を近づけてしまう。これは問題である。


 雁字搦めにして、身動きをとれなくした自身の心。それが真に求めるものを自分で抑圧し、求めてやまない物、手に入ったかもしれないチャンスを自分から遠ざけることになりかねない。にもかかわらず、誰も責任はとってくれない。


 そして、私は自分で思うにあまり器用なタイプではない。いちいち人からどう思われているかなんて気にしていられない。そして承認されるよりはもっと現金とか実用的な道具とか、形に残るものが欲しいのだ。


 私の性格上、誰かに求められた姿になろうと努力しても、自分のためにならない可能性が付きまとう。それは私の責任だとか改善しろとかどう言われようと私は私自身を幸せにしなくちゃならないから、だから不幸になりかねない、そんな危険な橋はわざわざ渡らない。私はもし戦うことになるのなら、私が得意なフィールドで戦いたい。


 だから私は、何者にも束縛されない私でありたい。それが独り善がりでも、私が楽に幸せになれる道はその先にしかないから。誰も彼もが同じ土俵なら、私も正々堂々と戦おう。しかし、フェアなレースは存在しない。自分が持つ武器がどこまで通用するのかもわからず、自分が持つ力がどれほどの強さなのかもわからない。そんな状態で戦いを挑めるほど、私は蛮勇を誇っていない。


 私は他者の評価を一切気にしないことにする。気にしたところで、デメリットがメリットを上回る。そう判断した。ならばもう気にせず征こう。何も演じない、等身大の自分を、飾らず見せつける。それこそが、私が私を見失わずに、私が私に対して責任を持って決断をする上でも重要なことだろう。


 誰と会ったとしても、私はその人に、今の私と向き合ってもらう。それがお父さんであっても、わざわざあの頃のナイアを演じない。それが友達の誰でも。カノーレ神父でも、だ。


『ナイア、あまり考えすぎるとお腹が減るよ』


 そういえば、私とふわたろうは互いに念話のようなものでコミュニケーションをとれるようになった。もちろん、他の動物とはできない。完全に私とふわたろうが築き上げてきた関係値ありきの能力だ。


『ありがとう。でも、お腹が減ったらそこらへんの魔獣を狩ればいいだけよ』


『そうじゃなくて……その分手間になるだろう? お腹が減らないに越したことはない、とそう言いたいだけさ』


 気遣ってくれてるのかな?


『ふわたろうは紳士だね~』


 とまあそんなこんなで私とふわたろうは、しゃべらずとも意思疎通ができるようになった。


 しかしこの能力には謎が多い。この念話の能力に気が付いたのは、あの邪神を倒してからのことだ。いや、むしろあの邪神殺しがトリガーになっているのだろうか。ここは分からないが、私はそうではないかと睨んでいる。これに関しては二つの考えがある。一つは、邪神を殺したことで私の生き物としての格のようなものが上がって、それがこの能力を可能にしたという説。これは、邪神も生き物にはそれぞれ格があるのだと考えていたようなので、その点からも裏付けというには弱いけれど、自然に感じる。


 もう一つは、あの邪神が死に際に置き土産として私とふわたろうとに贈り残していった説。こちらの方が自然かもしれない。邪神が何を考えていたかなんてわからないが、なんとなくあの邪神なら自分を殺そうとしている相手のために善意から贈り物をしそうだという印象がある。やや偏見かもしれないけれど……。


 というか、もしそうだとすれば死に際ですら、あのやり取りの裏で色々やっていたのかと思うと、それが攻撃的な意思によるものではなくて本当に良かった。邪神は本当は最期の瞬間までいつでも私たちを殺せたのではないかとヒヤっとする。すこし買いかぶりすぎだろうか?


 いまとなっては考えても仕方のないことではある。そもそも腐っても神。今思い返すと時間を操作したり、いろいろととんでもなかった。むしろなぜ私たちが邪神を倒すことが出来たのか、傍から見れば疑問で仕方がないんではないだろうか。私たちにとっては、必然のことではあったけれど。


 決して調子に乗っているわけではない。そういう成り行きだった、というだけの話だ。成り行きが変われば私たちもすぐ死んだだろうが、私にはその運命が潰えるなんていうことが全く想像できなかった。必ず私たちはやり遂げる。その予感がした。邪神も手段を択ばなければすぐにでも私たちをこの世から消し去ることが出来ただろう。そう考えると、それをしなかったのはもしかしたら邪神自身、望んだ結果の末だったのかもしれない。




 


 


 




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