邪神
顔付きの熊たちを倒し続け、私はようやく、ひっそりと隠されたその場所へ、なにかおぞましい気配を漂わせる洞窟の入口へとたどり着いた。
「ここが邪神の庭の最奥……」
邪神の庭の最奥は意外にも質素だった。ただっぴろい空間の真ん中にこじんまりとした台座があり、そこに安置された紅玉だけが、彩を失した灰色の空間に鮮烈な色のイメージを与えている。これはほんとうに邪神にとって大切なものなんだろうか?そう思えるほど、その空間には物が不足していたし、厳かさも華やかさもなかった。まるで急ごしらえで作ったような、そんな印象だ。
「実際、急ごしらえなのさ。」
音もなく、台座と紅玉が消えた。いや、確かに存在はしている。邪神が幻術か何かで消えたように見せているのだろう。
「ねえ邪神。それがアンタの致命的な部分だっていう推測は間違ってないってことでいい?」
「────そうだね。おめでとう」
邪神はもう黙して語らずというスタンスをやめたようだ。
「これが最後の試練になるだろうね」
さきほどから、目には見えずともその場にひしひしと感じる違和感があった。それは生存の危機を知らせるお告げ。なにか現実的ではない、おどろおどろしくも恐ろしいなにかが私の周囲を取り巻いているのだと理解していた。
「……ッ」
好奇心と自制心がせめぎあった。目をこらせば、きっとたちどころにそれは私の目に見える形で顕現する。しかし、それをしたら、私は……それをすることで私はどうなる? どうにかなるかもしれないが、どうにでもなればいいとも思う。しかし、そうなった私を……待て、思考が乱れている。
そこにあるのは、きっと邪神の本当の姿なのではないか。だとしたら、見たら死ぬ……?
そう思ったとき、私は邪神の姿を目にしないよう、斧の刃で自分の両目を切り裂いた。
痛みはいつだって正常な精神状況へと私を戒める。こういうとき痛みでしか己を律せないというのはなんとも情けないことだが……
ともあれ、私は退路を断った。両目を犠牲にした以上、それ相応の見返りを得なければならない。それは願わくば、この無限に続く時間の牢獄からの脱獄であってほしいし、それはただひとりの観客を楽しませることによってのみしか勝ち取りえないものだ。
「さあ、君を取り巻くこの状況。君なりの解を僕は求めよう。君の足掻きが、君自身を完成させる。むろん、僕の不興を買った瞬間に君の行く末は即刻虚無だ。君の勝利条件は一つ、僕の核を破壊すること。簡単なことさ。僕は初めから、台座と核の位置は動かしていないのだから。しかし、君自身が君自身の感覚を惑わせたから、君は今、もうどこに核があるのか分かっていないようだね。さあ。いったい、矮小なる人の身で君が為せることはなんだ。君は何者だ。いや、君は何者でありたいと思うんだ。君はいまこの場でそれを表現するんだ。」
邪神は楽しんでいる。自身の存在の核とも呼べる致命的弱点を圧倒的格下の眼前にさらしてなお、コイツは楽しんでいる。私が、邪神に与えられた状況をどう自分のステージに取り込むのか。私はコイツに人間味を感じない。けれど間違いなく、コイツは、邪神は、その人格は人間の延長上に存在している。それは人間を肯定するために、人間を賛美するために人間を殺すような、そんな残忍でズレていてアブノーマルでアンバランスな、歪みをはらんだ性格なだけ。ただそれだけの生き物なんだ。
「私は、賭ける」
自分の運命とか、知りやしない。自分がコイツにどう思われても、知ったこっちゃない。
けどやることだけはやる。何処のどいつに言い訳したって、自分に言い訳はしない。自分に恥じない。そんな選択をその都度していくだけ。
「ここ!」
なんとなく、さしたる確証もなく、自分の脳内に定めた一点。私はここに今から己の直感だけで斧を振り下ろすことに決めた。
邪神、その存在が、暴風のような形ある意思の奔流が肌で感じられる。それはまさしく邪なる神に思えた。そんな邪なるものが、笑った。そんな気がした。
「でりゃああああああ」
裂帛の気合。私は斧を上段に構えて振り下ろした。ほかに余計な動作は要らなかった。ただ必要最小限の動きで紅玉を狙った。
気づけば私は大草原の真ん中で大の字になって天を仰いでいた。
「正しい選択をしたね。そして、ギャンブラーだ」
若い、中性的な顔の男性が話しかけてきた。邪神、であろうその人物は、岩の時、仮面の時に似たその笑顔で話しかけてくる。いや、違う。確かに似た笑顔だが、こちらは柔らかみがあった。もしかするとこれが彼本来の笑顔だったのかもしれなかった。穏やかで優しい笑顔だった。
「あの場で私を視認すれば、君の心は間違いなく張り裂けていたよ。存在の格というやつだね。それが伴っていないと、人の身では神を見ることはおこがましい、とまあそういうわけさ」
「あなた人間の時も口数が多かったのね」
「想いが何も伝わらないよりいいだろう? それと、いまのぼくはただの生きていたころの残留思念みたいなものさ」
「そう。それじゃ、もう会うこともないのね」
「あいにくと、そうみたいだね。僕は残念でならないよ……」
「私は大して残念じゃないわよ。むしろ、最後に一泡吹かせたぞって感じでせいせいした」
「いやあ。一泡吹かせられた。まさか当てちゃうとは。────最初の位置、覚えてたの?」
「もう一度、はナシよ」
「さすがにそんな野暮なことしないさ────で、実際おぼえてたの?」
「さあ。どっちがいいの?」
「分からないよ。どっちでもいいさ」
邪神は笑って、そのまま消えた。




