最近のなろうエッセイの質の低下が半端ない件
揚げ足取りにくる者がいるかもしれないので一応、注意書きを。
“批判”という言葉は本来、良いところと悪いところを見分けるといった意味です。
なので“なろう批判”とした場合、なろうの良いところと悪いところを考えてみるという意味になるはずです。
が、エッセイジャンルにおいて“なろう批判”と言うと、“非難”と同様に悪い部分のみ取り上げることを指している場合がほとんどです。
本エッセイも読者の感覚的な理解を優先し、便宜上、この使用法に則って話を進めたいと思います。
まぁタイトルはこんな感じで充分ですかね。
オッス! オラ、超一流エッセイスト!
なろうエッセイジャンルはいつもなろう批判が吹き荒れているわけですが、ここ最近はいつにも増して批判のレベルが低い上に批判を批判するエッセイのレベルも低い。視野の狭い方々が自分勝手な意見を吐き散らしているばかりで、それに対する感想欄もまた超低レベルでございます。類友って感じ。
なろうが気色悪いとかキャラの感情が薄っぺらいとか、長文タイトル許すまじとかポイントクレクレとか、いやー、毎度毎度ご苦労様です。
もう反論するのも飽き飽きで、本来であれば勝手にやってどうぞってなもんですが、最近なろう批判エッセイ書いてる癖に感想欄を閉じてるチキン野郎が何人もいるようなので、ついついお気持ち表明をしてしまった次第です。
感想返信など義務でもなんでもないのでしなくても結構ですが、本文中で偉そうに御託を並べなろう小説を叩いている割には、ご自身は傷つけられたくないというやわやわな精神性をお持ちの方はあまり強い口調は使わない方がよろしいかと。
あ、まぁこれは本稿にはさほど関係ない話なのでひとまずおいておきましょうね。
僕がどうにも気に入らないのは、批判側も、それに応戦する側も、どちらも問題の根本的な原因を“個人”か“なろうのサイト”であると判じているところですね。これ、おかしくないですか?
テンプレ氾濫も、クレクレも、果てはなろう小説が出版業界に悪影響を及ぼすなどというバカげた論も、全て作者個人の責任だという批判のパターン、多くないですか?
作者のモラルが向上すれば、これらの問題は全て解決するのですか?
あるいはサイト側が何らかの対応をすれば解決するものなのでしょうか?
脳内お花畑な方々や美しい文章家(笑)の方々には考えも及ばないでしょうが、概ね、今のなろうを取り巻く諸問題の原因は出版社側にあると僕は考えています。
出版業界は今、かなり不況のようでして、新人の育成に時間も金もかけられません。なのでてっとり早く稼ぐ為には、ポイントの高いなろう小説を安く買い叩いて書籍化し、数打ちゃ当たる作戦で行くのがいい。宣伝に金をかけなくてもいいし、ある程度の人気を担保出来ている状態からのスタートなので、売り上げが期待しやすい。
が、実際のところはみなさんよく仰られているように、大爆死する作品も数多あるわけですね。まぁ、しゃあない。出版社は多分、小説の中身もほとんど見ちゃいないでしょうしね。市場のニーズとのすり合わせなんか行ってないでしょうね。たまたまヒット作が出ればオッケーみたいな。
あ、ここで注意していただきたいのが、“なろう小説の売り上げが落ちている”と声高に叫ぶ者達の存在です。彼らは恣意的で印象操作する気マンマンのテレビ番組みたいなもんです。事実の一面を切り取って、鬼の首を取ったかのように言葉を続けます。いわく、“なろう小説の質が下がっているから”“ポイント評価と面白さは別だから”みたいなね。
なろう小説の売り上げが落ちているのは事実かもしれない。僕の手元にはデータがありませんので正確なところはわかりませんが、出版業界全体の不況を鑑みればなろう小説の売り上げも落ちるのが道理でしょう。
そう、売り上げが落ちているのはそもそも、業界全体の話なのです。なのでなろう小説だけが売れなくなっているわけでは決してなく、本自体売れない時代なんです。ですから出版社の数打ちゃ当たる作戦も致し方なしな側面はあると思います。
で、もちろん既に書籍化を果たしたプロなら効率的にランキングを駆け上がる方法を知っているので、それに基づきサクサクと書いて次の書籍化を狙う。そこには作品作りにかける情熱は、あるかもしれないし、ないかもしれない。でもプロとしての取り組み方ではある。遊びでやってんじゃないってことですね。
こういう頼もしいプロの背中を追う者達がいる。だからランキングがあんな感じになる。
では、作者個々人が高いモラルを持てば問題は解決するのでしょうか。いや、そうはならんでしょう。
高い目的意識を持ち文章を磨き上げ、テンプレを脱してオリジナリティを出し、タイトルも短くシンプルに変えて大爆死するくらいなら、スタンダードななろう小説のやり方を踏襲する方がよっぽど精神衛生的によろしい。
なろうエッセイジャンルではご自身は何も書かれない割にやたら偉そうに作者のモラルを語る者達が出没しますが、こういうのは無視してオッケー。真に耳を傾けるべきは、ランキングに名前が載るような実力のある作者の書いたエッセイだけです。己の力で苛酷なランキング競争を勝ち抜いてきた作者の言葉には重みがあります。これなら、真剣に向き合う価値があるでしょう。
さて、じゃあなろうのサイト側が何か対策を打てばいいじゃんと仰られる方もいるかと思います。こういう意見が出る方は若干レベルが高い。少なくとも作者個人の責任うんぬんと言ってるモラリスト(笑)よりは遥かにマシです。
たとえば長文タイトルは折りたたまれて途中までしか表示されないようにするとか、クレクレを明確に規約違反にする、とかですね。悪くはないんでしょうけど、これをしたら環境が変わるのかというと疑問符が付きますね。
プロは、その環境における最適解をいつも模索しています。タイトルが10文字までしか表示されないならそれにフィットするように、クレクレが禁止されれば他の方法で、常に勝ち方を生み出し続けています。熾烈な競争の中でプロとして作品を大衆ウケする形へと昇華し続けるトップ層に対し、それを追従するだけの者達が太刀打ちできるのか。あるいは作品の面白さを磨き続ければいつか日の目を見るだろうという思考停止が大好きな意識高い系(笑)の人たちは?
サイト側がどういうアクションをしようと、どのみちその中で勝ち筋は生まれてくるのです。これをいたちごっこと言います。積極的にサイト側が環境を是正しようと動けば、それだけ流行はダイナミックに変化するかもしれない。でもなろうほど大手のサイトでそれをやれば、定番商品を好む人たちからは不興を買うことになるでしょう。誰もが斬新で重厚な物語を求めているわけではない。むしろ、手軽にサクッと読める作品こそ、大衆は求めているものです。
意識高い系の作者さんたちは自分がウケないからといってサイトを批判するのをやめましょう。あと、なろうテンプレが氾濫したらラノベ業界がヤベーみたいな楽しいこと言う人もいらっしゃいますが、こういう議論はずっと昔から文壇ではしょっちゅう取沙汰されてることも知らないのでは? 確か夏目漱石クラスであっても当時は大衆に迎合しているとかレベルが低いとか言って叩かれてたんじゃなかったでしたっけ?
流行とは文字通り、流れ行き移り変わるもの。決してあなたの好みに合わせてはくれません。その時代の大衆の嗜好に合致する形で、動いてゆくものです。現状だけ見ればレベルが下がったとか思うかもしれませんが、これも何十年かしたら違った評価になってくる可能性は大いにあります。ベッタリ重い心理描写や、修飾の限りを尽くした地の文を大事にするのも個人のスタンスとしてアリですが、他人に強要するのは止めましょう。
本来高い意識を持つべきは、出版社側であると僕は考えます。良作を書いても読まれないのはテンプレ書いてる作者が悪いわけでも、目の肥えた読者がいないからでもありません。まともな審美眼を磨かず、マイナー作品をスコップするリスクを冒さず、ただ目先の利潤だけ追求している者達をこそ、我々は糾弾するべきではないのでしょうか。
とはいえ、出版社側も商売でやってますし、あまり無理して経営が立ち行かなくなっては元も子もないので大いに同情の余地はあります。
それにしっかり作品の内容で判断されている出版社もいくつかありますね。この前のネット小説大賞では、低ポイントからの書籍化がいくつも発表されていました。
なお、一応注意喚起しておきたいのですが、“良作”とか“面白い”とかいった評価はあくまで他人がするものなので、作者自身が「自分の作品は面白いけどテンプレじゃないから読まれない」などと言っているケースは要注意です。意識高い系警報が発令されます。
はっきり言ってしまえば、なろうにおいて意識高い系の連中=ノイジーマイノリティです。ただのマイノリティではなく、騒音や雑音を撒き散らして楽しい創作ライフを送っている作者さんの邪魔をしてくる厄介な存在ですね。彼らとの付き合い方は充分に注意しましょう。彼らは意識高い系クラスタを組んで閉じた世界の中で自分たちの作品を褒め合いつつ書籍化作品やランキング上位作品をこき下ろす習性があるので、巻き込まれると厄介です。
典型的な意識高い系の行動パターンも例示しておきましょう。
ラノベやなろう小説は純文学と比べてレベルが低い。これ、エッセイジャンルでは頻出のワードです。でも真っ赤な嘘なので真に受けちゃいけません。
そもそも、純文学とラノベ、なろう小説ではそれぞれ読者層が違います。どれがどれより優れているという議論自体ナンセンス。
純文学の方が描写が深い? なるほどじゃあ純文学の方が読みづらいわけですね。ラノベの方がよっぽどエンタメ的には格上だ。なーんて言ったら意識高い系の人達がすっ飛んでくるでしょうね。
意識高い系の人達の本質は、マウント取りと嫉妬の発露、この二点で説明可能です。自分の方が偉いんだと認めさせたい、自分より人気の人達が許せない。だから相手を自分の土俵へ引き込もうとし、自分の価値基準を強要するんですね。滑稽です。
古典作品を読んでいることや文章にこだわっていることなど、ご自身の努力をやたらアピールしてくるのも彼らの特徴。
うんうん、ランキングで上位争いをしている方々は小説について全く不勉強であると言うことですね。もっと自分達のように不人気になれと。素晴らしいロジックです。小説に対する取り組み方が不真面目な僕も是非見習いたいですね。
意識高い系の人達は目に見えるものしか理解できないのです。ランキング上位勢が陰で努力していることも、彼らが敢えて大衆に迎合する形で文章を構成していることも、きっと読めない。意識高い系の人達に読めるのは純文学の行間くらいなもんですね。純文学読み込んでいるならもっと他者の感情に敏感になるもんじゃないのかな?
えーっと、あれ、僕は一体何を伝えたいんでしたっけ? 筆がノッてきて話題が脱線しちゃった気がしますね。あ、そうだそうだ。なろう批判をするのは結構ですが、実際に批判をする前に、問題を引き起こしている原因について出来るだけ俯瞰で考えてみようと言いたかったんでした。当たり前のことですが、結論はこれです。
脊髄反射の使い手ばかりが悪目立ちするなろうエッセイジャンルですが、僕を含め、冷静な分析が出来る超一流エッセイストもわずかながら存在します。読者の皆様におかれましては、信頼のおけるエッセイストかどうか、慎重に判断した上で読み進めてほしいですね。特に信用ならないアホなエッセイストは自分のことをやたら持ち上げたがるものです。俺様は偉いんだという傲慢なスタンスが行間から滲みだしている奴がいたら感想欄で煽ってやりましょう!
以上! 超一流エッセイストの戯言でした! 今回も例によって感想欄フルオープンです! Kei.ThaWestのエッセイは感想欄も作品の一部! ご期待ください! でわ!
☆☆☆☆☆
ここでも注意喚起を。
“意識高い系”の作者と“意識が高い”作者は全く別物です。
意識高い系が他人との比較でしか自分を語れないのに対し、意識が高い方はあくまで自分自身の為に努力し自己完結する力を持っています。
より具体的に言えば、意識高い系はマイルールを押し付けてきますが、意識が高い方はルールに従うことも、敢えて茨の道を進むことも出来、その責任を自分で背負える覚悟も持ち合わせていると言えるでしょう。
作者としてどちらがより高尚で、読者にとっての利益にもなるか、自明ですよね。
★★★★★