01_02 銀の髪の女性
誰かに背中を優しく揺さぶられた。
その感触で眠りから目覚めるが、まだ眠り足りなかった。
「母さん、あと5分眠らせて……」
背中に触れた手を母さんの手と思った俺は、モゾモゾと布団の中に丸まりながら小声で答える。
布団の中に逃げ込もうとして、布団が柔らかい毛布で甘い薔薇の香りがする事に気が付いた。
ベッドの中で大きく息を吸い込む。
甘く薔薇の香りが俺の鼻孔を優しく刺激してくる。
あれ?俺のベッドってこんなにいい匂いはしなかったはずだ?
それに、こんなにフカフカのベッドじゃ無かったはず?
次第に意識がハッキリしてくる。
真っ暗な部屋の中で少女の影が俺の腕に噛みついて………そして、その影から紅い瞳が俺を見ていた。
その瞳に吸い込まれる不思議な感覚。
恐怖の感情から一転してずっと見ていたいようなそんな紅く光る瞳だった。
紅く光る瞳?!
その事を思い出すと俺は慌てて目を覚まして体を起こす。
窓から太陽の日差しが入る明るい部屋に俺はいた。
しかし、俺が寝ていたベッドを見て混乱してしまった。
寝ていたベッドは、俺がいつも使っているベッドではなかった。
フワフワにクッションが効いたベッドに純白なシーツ、肌触りのよい毛布に刺繍の入った掛け毛布と、どう見ても俺のベッドじゃない。
更にベッドは豪華な天蓋付きに純白のレースカーテンで囲われていた。
レースのカーテン越しに見える向こう側は、高価な家具や調度品が置かれた部屋だった。
ここは俺の部屋じゃない!
何処にいるんだ?
「これは? …… どうして? ……… どこだ?」
次々に疑問が湧き上がるが、それがうまく言葉として出てこない。
その時、また誰かの手が俺の肩を触った。
驚いて振り返ると、レースのカーテンからベッドに体を載り入れた銀髪の美しい女性が、俺の肩に手を置いて見詰めていた。
メイド服を着た銀色の艶やかな長い髪をポニーテールにした20歳ほどのとても美しい女性が、俺の目の前にいた。
凄い美人だ。
顔つきは西洋人と日本人のハーフのような感じな美女だった。
体も細身でありながら胸などは女性として豊満だ。
そんな綺麗な銀髪の女性が直ぐ近くにいたことに気が付かなかったことに驚きつつも、俺は現状把握を優先してしまう。
「あっ、あの、ここは?」
彼女の後ろには金髪の美しい女性が、2人控えて立っているのが見える。
2人の女性もメイド服を着ていた。
あれ?
俺の質問に目の前の女性は答えようとしてくれない。
聞き取れなかったのかな?
「あの、ここは何処?」
落ち着いた感じの優しそうな銀髪の女性は、俺を見てなぜか少し感動しているようだったが、すぐに気を引き締め真面目な顔つきになり、そして首を傾げて分からないと言う風に首を振った。
ここは日本じゃないのか?
日本語が通じないのか?
「…… じゃ、俺は太地。あなたは?」
以前読んだ本で言葉が分からない時は、まずは自分の名前から伝えるのがいいってあった。
俺は自分の名前を言いながら自分を指して、「あなたは?」で銀髪の女性を指す。
しかし、そのジェスチャーでも女性は困ったように首を振るだけだった。
あれ?声が出せないのか?
それだと意思疎通がちょっと面倒になりそうだな。
そう思ったが、俺は彼女が差し出す手を取りベッドサイドから立ち上がる。
立ち上がった時、クラッと立ち眩みで思わず彼女にしがみついてしまったが、嫌な顔をせずに心配そうに手を貸してくれた。
貧血になった感じだ。体に力が入らない。
しかし、その感覚もすぐに消えて俺はしっかりと立つことが出来た。
「すみません、ありがとう」
俺を支えてくれていた彼女に御礼を言うが、その御礼に対してもニッコリと微笑んで首を振るだけだった。
俺の声は聞こえるみたいだけど、やはり声が出ないのかも知れないな。
そう思った時、銀髪の彼女は後ろに控えていた女性達に向き直り、何語か分からない言葉で話し始める。
「え?声は出るの?」
驚いて聞くが、彼女は何か指示を出した後、俺には申し訳なさそうな顔をしただけでまたもや何も答えてはくれなかった。
なんだよ。俺と話しはできなってことか?
ここが何処か分からないのに会話もしないってどう言うことだよ。
しかし、俺の怒りが分かったのか、女性は更に申し訳なさそうに頭を下げてきた。
なにか会話をしてはいけない訳があるのか?
もしかして、もっと身分が高い人と話すまでは、彼女達が話してはいけない事になっているのかも知れない。
まあ、すぐに誰か説明してくれるだろう。それまで無言でも我慢するか。
だけど、部屋の中に蛍光灯など家電製品が、見当たらないのはなぜだろうか?
部屋の模様や調度は、映画やドラマで見た中世のヨーロッパ風の調度品しか見当たらない。
ここがどこで、なぜここに居るのか分からないが、俺が日本人で高校2年生の夏休み直前までの記憶はしっかりある。
異世界にでも来たのか?
最後に記憶していることは、夏休み直前の放課後に帰り道で静香に …………
「え!? ちょっ!!」
俺がここに居る前の記憶を思い返そうとしているのに、メイド服を着た彼女達が俺の服を脱がしにかかる。
綺麗なほっそりとした指で、俺が着ている夏服の学生服のボタンを外してくるのを俺は慌てて止めに入る。
「な、何するんだ!やめろ!」
頬を赤くして抗議する俺に彼女達は困った顔をする。
何をするか知らないけど俺にも心の準備が必要だ。
ちょっとエッチな想像をしながらも俺は身を守る様に彼女達から離れる。
しかし、彼女達は傍らにある服を示して、それを俺が着ている学生服と替えて欲しいと無言で指し示してくる。
ああ、そう言うことね。
ちょっと変な期待をしてしまった。
分かりました素直に着替えますよ。
俺が素直に着替え始めると、銀髪の女性は美しい顔でニッコリと微笑んでくる。
飛び切り美人のお姉さんと言える彼女の笑顔に、俺の顔は熱くなってくる。
ダメだ、ダメだ、惚れっぽい性格を直さなきゃ。
ここが何処なのか分からないのに、笑顔に騙されるな。
俺はすぐに自分を戒めようと苦労するが、性格が早々変えることは出来ない。
それでもどうにか俺は着替えていく。
しかし、直ぐ近くに3人の美女が俺の着替えを見ていることに気が付き、一人で着替えたいと抗議しするが理解出来ないのかそれとも無視されているのか、彼女達は動こうとしなかった。
諦めて後ろを向いて着替えるが、17歳の俺にはパンツ姿の着替えを見られるのは恥ずかしかった。
ちくしょう。何て仕打ちだよ。
急いで着替えた衣装は俺には少し大きかったが、仕立てがしっかりした高級な礼装だった。
銀髪の女性は笑顔で近寄ってくると、折れ曲がった襟などを手直しして出来上がった姿に満足そうに頷くと、他の2人に何か指示する。
それを聞いた女性達は頭を下げて部屋を出て行ってしまった。
彼女達は何処に行ったんだ?
しかし俺には、彼女達の言葉が全く分からなかった。
知らない言葉が俺を不安にさせてくる。
その不安を紛らわそうとして何気なく左手で右腕を擦った時、右腕に鈍い痛みがあることに気が付いた。
ソッと袖をめくった右腕を見ると2つの穴の痕が皮膚にあった。
あれ?この傷跡っていつ付けたんだっけ?
”真っ暗な部屋”、 ”紅く光る瞳”、 ”右腕に噛みつく少女”
それらがフラッシュバックする。
あの時に噛まれた痕なのか?
あれはやっぱり夢では無かったのか?
右腕の2つの痕を触りながら俺は部屋を見回すと、所々に布製の人形やぬいぐるみが1つ2つあることに気が付いた。
女の子が好きそうなそれらの物を見て、やはりあの夢の部屋はここだったのかも知れない。
俺が部屋を観察している様子を、銀髪の女性が無言で優しく見詰めていた事に気が付いた。
あの少女について、彼女は何か知っているだろうか?
俺が話しかけようとした時、彼女が手を差し出してくる。
何だ?
彼女はもう片方の手で部屋の出入り口の扉を指さしてくる。
俺を外に連れて行きたいと言うことだろうか?
ようやく会話ができるお偉いさんに会えるのか。
言語が違っていたとしてもボディーランゲージで意思疎通ができるようになれば、俺がどうしてここに居るのかも少しは分かるかも知れない。
そう思った俺は、無言で手を差し出してくる彼女の手をソッと握った。
彼女の柔らかい手に引かれて、俺は部屋から出た。