表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

Phantom

 夜が更ける。

 全てを呑み込む無限の闇が、この街「小塚」を支配する。太陽が顔を出している時間は、駅の近くに煌めくビルディングや、並木通りを少し歩いた先の学校などを求めて、様々な人々が行き交い賑わう、都会の隅にある小さな街である。しかし、闇が支配するこの時間は、昼とは全く異なる顔を覗かせるのだ。そう、雑踏に紛れて、我々が認識出来なかった存在が、姿を現すのだ。悪戯好きなそれらが、今、まさに迫らんとしている。


 とある警察署の一室から、深い溜息が聞こえた。その主は眉間に皺を寄せ、手元の資料を睨んでいる。それは彼女にとって、いつもの如く、簡単に出口に辿り着けるような謎解きでは無かった。

 ―――難解だ。

 今度は更に深い溜息を吐き出した。此方の救援要請が届いたのか、正面に座っていた人物、同じ迷路に苦戦しているその男が、霧の中から声を掛けてきた。

「溜息なんて、お前らしくないな」

「…そうですね。私らしくない」

 普段の自分ならば、こんなにも憂鬱に溜息をつくことは無いだろう。だが、異変が起きているのは、私だけではない。

「先輩こそ、そろそろ"それ"、止めた方が良いですよ。痣になったらどうするんです?」

 "先輩"と呼ぶその人物は、先程から組んでいる腕にペンを叩きつけながら、ビートを刻んでいたのだ。

「大丈夫だ、ペン先は出ていない」

 そういう問題では無いんです、と心の中だけで反論した。問題は山積している。口に出すだけの労力さえ、今は惜しい。代わりに菫色の混じった髪を掻き上げる。伸びをした後、とうに冷めたブラックコーヒーを、眠気覚ましには丁度いいだろうと口に運んだ。腕時計に視線を落とす。時刻は既に午前一時を過ぎていた。はじめに迷路の入口に立ってから、約三日が経過した事になる。


 今回の事件――"連続怪死体事件"――。

 事の始まりは、パトカーで見回りに出ていた後輩、辻巡査からの連絡だった。

「一丁目南小塚公園付近、人と思われるものが倒れているのを確認。至急、応援を要請する」

「人と思われるもの…??結城(ゆうき)先輩、これは―――」

「兎に角、急ぐぞ」

 直ぐに現場に駆けつけると、目に飛び込んできたのは"人間だった"と思われる、異様な死体であった。肉は所々削げ落ち、肌は岩のように灰色に硬化していて、それはまさに、"ゾンビ"のようであった。

「こ…れは…」

 呼吸するのも困難になるほど強烈な腐敗臭に、反射的に腕で口と鼻を覆う。

春花(すみれ)」と名前を呼ばれ、短く返事をしながら"相棒"に目を向ける。

「本部に連絡を。見ての通り、こいつは普通じゃない。歯も不自然に変形しているのが確認出来る。俺はここの指揮を執る。そっちは任せたぞ」

「了解です!」


 本部に連絡をし、一先ず怪死体は一般人に見られないよう迅速に回収された。その公園は人通りが少なく、幸い深夜の出来事であったが為に、目撃者は誰一人いなかった。司法解剖が行われたが、不可解な事に、その死体は解剖される直前に、「融けて無くなってしまった」らしい。ある人は、「蒸発してしまった」とも形容していた。現場の鑑識でも証拠は死体以外は発見出来ず、死因の特定には、発見直後の証拠写真を参考にするしか手立ては無い。周辺の監視カメラを確認しても、聞き込み調査を行っても、怪しい人物は浮上しなかった。警視庁本部は、「薬品などを用いた他殺」だと睨んでいるが、果たして本当に事件性はあるのだろうか。

 あまりにも浮世離れした死体に、超常現象か、何かオカルトめいたものによる事件なのではないかと、考える程に現実味が失われていく。

「過去のデータを調査してみたが、どうやら似たような事件が過去にも数回、起こっているらしい」

「本当ですか」

「ただ、残念なことに未解決のまま眠っていた」

「やはりそうでしたか…」

 もしかしたら、という希望は尽く打ち砕かれた。

「だが参考になるかもしれない。今データを送る」

「ありがとうございます」

 自分のデスクから、ピロロンと軽快な音が流れた。すぐさま資料データを開くと、確かに似たような死体と、腐敗臭などの特徴について記載されている。最新のもので、九年前の事件だ。

「証拠が消えてしまうのでは、推理のしようもないですよ」

 夜が刻々と深まるように、負の感情が心を支配していく。

「だが、俺達の手で眠らせてはならない。違うか?」

「そんなの、当たり前です」

 相変わらず相棒も霧に包まれているが、その声だけは明瞭さを欠いてはいなかった。

 名梶春花と結城武。刑事課の"ホープ"だとか呼ばれている私たちは、タッグを組んでからまだ二年と日は浅いものの、数々の難解事件を解決してきた。証拠が無いはずはない。見つかるのに少々手間取ることはあれど、必ず、何処かにそれは落ちている。

 ガチャ、と突然扉が開かれた。


「お疲れ様です、結城主任、名梶巡査」

 辻宗汰。新人巡査だが、そろそろ来てから五ヶ月になる。なかなかに気の利く好青年であり、結城と名梶が可愛がっている後輩だ。暗めの茶色に癖毛の強い彼は、重たげな瞼を強引に開き、疲れを見せまいと笑みを作って部屋に足を踏み入れた。

「ああ、辻君か。何か進展はあったか?」

「いえ…」

「そうか」

 辻は少し遠慮がちに二人の元へ近づいた。結城の返答は威圧的でも苛立っているようでもなかったが、繊細な彼は未だ収穫が無いことに気を揉んでいるのだろう。迷路の住人が、また一人増えた。両手に持っている二つのコップからは、柔らかに湯気が出ている。

「コーヒーを入れてきました。宜しければどうぞ。名梶巡査も」

「ありがとう。すっかりアイスコーヒーになっていたから、助かるわ」

「辻君。君は酷く疲れているように見える。あの異様な現場も良く補佐してくれた。今日はもう休んだ方が良いだろう」

「お言葉ですが、先輩方がまだ仕事をされているのに、私だけ帰ることは出来ません」

 その声は凛としていたが、表情の疲れを隠し切れているとは言い難い。現に、勢いよく返事をしたのが脳に響いたのか、こめかみをさり気なく押さえている。心無しか眉間にも皺が寄った。

「私たちも、もうすぐ休むわ。だから気にしないで」

「…分かりました。お疲れ様でした。お先に失礼致します」

 彼には頑張りすぎてしまう節がある。故に今までも、度々このようなやりとりがなされてきた。特に今回、第一発見者は彼である。真相を解明したい気持ちも人一倍であろう。だからこそ、無理は禁物なのだ。事件解決に責任を感じる余り、事件に囚われてしまった同僚を、名梶は数人、知っている。

「俺達もそろそろ切り上げるか」

「了解です」

 時計の針は午前二時四十分を指していた。差し入れのコーヒーを飲み干し、先に名梶が立ち上がった。

「今日は俺がこの部屋を閉める」

「ありがとうございます、先輩」

 昨日は名梶が鍵を閉めた。一昨日は逆。この当番制は、捜査初日に取り決められた、小さな約束である。


 名梶が部屋を出て、十分くらいが経過しただろうか。白色の蛍光灯が妙に眩しい部屋に残されたのは、結城ただ一人。彼は部屋の最奥に座っており、背後のカーテンは僅かに開かれているが、窓は閉じられたままだ。それもそうだろう、一月上旬の夜風が吹き入れてきたならば、忽ちに風邪を引いてしまうに違いない。

 パタン、とパソコンを閉じて結城が立ち上がった。

 

 ―――その時、異変が起こった。

 結城の視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 これは眩暈か?否、明らかに"何か"がおかしい。吸い込まれるような感覚、このままではまずいという焦燥感、そして、恐怖。

 部屋が、結城自身が、何か圧倒的な力によって捻じ曲げられているような。これは確かに現実なのか?

 突如、凍てつくような風が吹き込んでくる。それは結城の背中を撫でていた。底知れぬ恐怖に呑まれながらも、結城は背後に強烈な存在を認めた。方向という方向が失われている中、感覚だけを頼りに、体を捻る。

 ―――そこで、結城が見たもの。

 闇が支配していたはずの、窓の外。

 目前の全てを侵食している、赤色。

 赤の中央に埋め込まれた巨大な"眼"。

 血走ったそれは、獲物を射抜くような視線で、結城を見つめている。

 まるで石になったかのように動かない体は、既にその眼に捕らわれていた。

 

 止まった時計の針が、再び動き出した。全身を包んでいた氷が溶けた。瞬きが許されたと思ったら、目前の非現実的な光景は、跡形もなく消え失せていた。

「………。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ