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第4話 降ってきた竜(ドラゴン)


「へーー。じゃあ、人間ってそんなに弱くないんですね!」


 細長い楕円形のテーブルが真ん中に置かれた食堂で、じゃがいものような野菜の炒めたものとパンとをつまみながら、僕とアーロンさん、ダルク、ミアは朝食を取っている。じゃがいもの味は想像通り淡白なものだけれど、パンはとてもおいしい! 元の世界のロールパンと良く似ていて、甘くて香ばしく、ほのかな柑橘類の匂いを感じる。

 グラスには淡黄色の液体が入れられたけれど、これは果物の果汁のようだ。どことなく洋梨に似ているけれど、バナナのような濃厚さもある。


 アーロンさんは一つの皿を几帳面に全て食べてから次の皿にフォークを伸ばしている。ダルクはガツガツと平らげて、彼だけ追加で分厚い肉のステーキを食べている。ミアはというと……食事に手もつけずに、僕の方を向いてニコニコと微笑みかけている。


(ひええ……)


彼女と目を合わせると、ニコニコした顔の中に獲物を狙う獣のような気配を感じ、僕は慌てて目を逸らした。


「そう、連中はそれほど弱くはねえ! 俺を手こずらせるような腕前の戦士もちらほらいたしな」とダルクがはふはふとステーキを頬張りながら答える。

「もっと厄介なのは数の問題だな」とアーロンさんが追加した。

「魔界と人間界を合わせても、魔物の数など人間たちの数の数分の一程度だろう。ましてや我々魔族などはずっと少ない。確かに一人一人の力は魔物の方が強いが、数で考えれば人間と魔物との勢力の均衡は保たれてきた。お互いがお互いの国の境で睨み合う冷戦だ」


 そうなんだ。てっきり僕はファンタジー世界の約束として、人間は魔物に蹂躙されるくらいに弱くて、選ばれし戦士だけがそれに立ち向かえるとかいう現状なのかと思っていた。アーロンさんたちの話だと、選ばれていない普通の人間だって鍛えれば魔物と渡り合えるくらいにはなるらしい。僕のいた世界(日本)だと、どれだけ鍛えても人間が熊に勝つことなんてできないのだけれどね。


 あれ、でも、そうすると……


「すみません!」

 僕は勢い良く手を上げた。はつらつとした少女の声が食堂に響く。

「なんだ?」

「ちょっと分からないことが色々あって……」

 僕はこの際に疑問を色々とぶつけてみることにした。

「まず、〈魔物〉と〈魔族〉の違いってなんですか?」

「良い質問だ」

 アーロンさんはニッと目を細めて、顎に手を添えながら説明を始めた。ああ、この人、教えたがりなんだ。教員タイプかもしれない。

「魔物は、魔界ドブロアに生息する生き物全般を指す。人間界との生物との違いは、強い力と高い知性を持ち、魔力を操る個体もいる」

「魔力って、一体何ですか?」

「二種類ある。それぞれに内在する生命力を具現化したもの。あるいは、精霊と契約を交わしてその力の一部を借りたもの。一般的に、魔物が使うのは前者で、人間が使うのは後者だ。

 話を戻そう。〈魔族〉は魔物の中でも特に優れた力を持つ一族だ。魔王の血を持つ一族と言い換えても良い。夕暮れ時の海のように深く青い肌、黒い角、広い翼、その他は人間によく似た容姿が特徴的だな」

「えっ?」

 僕はアーロンさんたちの背中の方に目を向けた。

「なんだ? 翼のことか?」

「俺たちは必要な時以外に翼を具現化することはねぇ」ダルクが答える。

「なぜなら、歩く時にやたら物に引っかかるからだ!」


 ……思ったよりも現実的な理由だった。

 丁寧に答えてもらえたので、僕は次の質問に移ることにした。


「あの、あなたたちや人間たちに、お互いの領地を攻めようという意志はあるのですか?」

「あると言えば、ある。無いと言えば、無い」


 うーん、ちょっと分からない。沈黙していると、アーロンさんが補足してくれた。


「そんないざこざはあったのだよ。この数十年に何度もな。しかし、どちらも決定力を持たなかった。さっきも言ったが冷戦だ。いち領主が辺境の地を侵略しては、相手に奪い返される。そんなことの繰り返しだよ。非常に無意味だとわたしは思うが、やっている方は真剣なんだから言葉もない。まあ、ある意味平和とも言えるな」


 だとしたら……


「その平和を破ったのが、勇者……?」

「そなた、なかなか洞察力があるな、気に入ったぞ」

 アーロンさんは顎から手を離し、うんうんと頷いてみせた。先生に褒められたみたいでちょっと気分が良い。でも一方で、僕は勇者に対する認識の違和感を拭えなかった。


「……もしそうなら、勇者は平和を乱す悪人じゃないですか!! 勇者が悪人だなんて、そんなこと……」


「その娘──今のそなたの体の主だが──は、突然この世界に現れた。身元も、経歴も全く不明だ。まるで、地面から沸いて出たかのように、な。

 しかも、人間離れした魔法の力と、おそらく天性の剣技の腕前をもって魔物を次々と討伐し始めた。まるでそれが自分の使命であると言わんばかりに。人間たちに伝わる伝説の剣も、容易く見つけ出して自分のものにした。

 人間たちは安易にも彼女を持ち上げ、勇者と讃えた。愚かなことだ」


 フッと短くアーロンさんは皮肉に笑った。


「彼女の刃が、魔物を全て滅ぼした後に自分たちに降りかからないとも限らないのにな。もしそうなら、彼女は勇者ではなく悪神だ」


 ……マジですか……。


 内心、僕は恐ろしくショックを受けた。セレスさん、あなた、どういう人だったんですか。

 体を借りている僕が言うのも変だけど、僕はセレスさんに会ってみたいという気持ちが高まってきた。


 会って話をしてみたい。何が目的で、この世界をどういう風に変えたくて戦い続けたのか。


「おかわり!!」

 僕の思索は、ダルクの元気な要求の声によって打ち砕かれた。

「何を悩んでいる? ティナよ。そなたはそなたのすべきことをすれば良い。色々と深く考えすぎるな。思考の落とし穴に陥るぞ」

 そう言ってアーロンさんは頷いてみせた。


 そっか、……そうだよね。


 僕がすべきことは、元の世界に戻ること。それ以外のことを深く考えすぎても始まらない。


 ちょっと元気を取り戻したところで、立ち上がった僕は、ミアが僕の側でうへへへ……みたいな顔をして立っていることに気づいた。

「っ!?」

「悩んでるティナちゃんもかーわーいーいー!」


 思いっきり抱きしめながら、ショートの髪をふりふりしてくる。女の子に近寄られて、なんだか良い匂いがして思わずちょっと顔が赤くなった。

 こんな体でも、心は男の子なのだ。魔物の美少女に好かれて悪い気持ちはしない。


 でも、ちょっとスキンシップが過剰かな……。


 アーロンさんとダルクはお互いに顔を見合わせて、やれやれみたいな顔を浮かべている。



 そんな時だった。



 ドォン!!!



 地響きとともに、まるで大砲を耳元でぶっ放したかのような轟音が僕たちを襲う。そしてその後にゴゴゴゴという鈍い地鳴りが追随した。


「なんだなんだ!? 今のは!」

「湖の方向だね」

「行くか? ティナよ」


 アーロンさんの言葉に、僕は深く頷いた。万が一、僕が元の世界に戻る手がかりになるかもしれない。


 食堂の大きな窓が開け放たれる。

 黒い光が一瞬ピカッと光ったかと思うと、アーロンさんたちの背中に、コウモリのような一対の大きな翼が形成されていた。


(やっぱりこの人たち、魔物なんだ)


 僕が改めてそう思っている内に、ダルクが飛び上がり、翼をはためかせて窓から飛び出ていった。

 アーロンさんとミアもそれに続こうと構えた。慌てて僕は彼女たちに向かって叫ぶ。


「ちょっと待って下さい! 置いていく気ですか!!」

「ん? 置いていくとは?」

 不思議そうな顔でアーロンさんが尋ね返す。

「だって僕、飛べないんですよ?」

「飛べない……? 翼はなくとも、そなたなら、飛翔の魔法を使うこともできよう?」


 飛翔? 飛翔だって?

 僕はじっと目をつぶって自分の中に答えを探した。ダウィに向かって氷の魔法を放ったあの時のように、勇者の体に可能性を探り出そうとした。

 すると、自然とこの体が僕に語りかけてくる。確かな言葉では無いけれど、僕ははっきりとそれを理解することができた。

 そうか、分かった。飛翔の魔法は。その発動の方法は……


飛翔フライ!」


 その言葉とともに、僕の体がふよっと浮き上がり、パタパタと空中でホバリングしているミアと同じ高度に舞い上がった。


「わぁ、ティナちゃんすごーい!」

 パチパチとミアが僕に拍手をする。


「わ、わ、わ……」


 足元がおぼつかない慣れない感覚に翻弄されながら、僕はバランスを取ろうとした。すると、スッと体が楽になり、プールで浮いている時と同じように進むことができるようになった。それも泳ぐのよりもずっと早く。

 そうか、きっとこの体がこの動きを覚えているんだ。精神が変わっても、体のほうがちゃんと覚えてくれていたというわけか。


 アーロンさんたちと僕は、ダルクを追って、音の発生源の湖の方角に向かった。

 しかし、そこに思いもよらぬ事態が発生していることを、僕たちは想像することもできなかった。



「────!!」


「グォォォオオ!!」

「ちぃっっ!」


 湖のほとりの草原を焼き尽くす炎。怒りと混乱に満ちた叫び声。地に覆いかぶさらんが如き巨体。

 ダルクと相対しているのは、濃い緑色の鱗を持つドラゴンだった。

 なぜだか、既に大きな怪我をしているようで、翼の片方は折れ、体の至る所から赤い血を流している。その血がますます竜を怒らせ、暴れまわっているようだ。


 巨体を前にしてダルクはサイズの異なる二本の剣を両手に構え、突然の侵入者に飛びかからんとしてタイミングを見計らっている。


「ダルクッ! 待て!」

 アーロンさんの声。

「なんだよっ!?」

「こいつが何であるかも、どのようにして魔界に入りこんだのかも分からん! 迂闊に手を出すのは危険だ!」

「じゃあ、このままこいつに暴れ回らせていてもいいのかよっ!」


 草原は竜の吐く青色の炎によって燃え盛り、振り回している腕や尻尾によって木々もなぎ倒されている。平穏な地が荒野に変えられてしまうのも時間の問題だ。


「……やるなら全員でだ。対炎壁レジストファイア!」


 アーロンさんの杖の先端に紫色の魔力の光が集まると、光は僕たちの体にめがけて飛び散って、僕たちを包むように空色の障壁を作り出した。恐らく炎から僕たちの身を守ってくれるのだろう。


 ……怖い! 本当に僕は戦えるのか?

 でも、やらなければならないみたいだ……!


 怯える僕の心とは裏腹に、腕は勝手に動いて腰の鞘から剣を抜き出した。透き通るような刀身の剣。その鏡面に、僕の可愛らしい顔が映り込んでいる。

 自然に僕は、腰を低くして両手で剣を構えていた。


「さすが勇者、頼りにしているぜ?」

「正直自信はないよ。でも、この体が言っている。僕が今、止めるべきなんだと!」


「グオォォオオ!」

 竜が柔軟に動く太い尻尾で僕とダルクを吹き飛ばそうとした。僕は屈んでやり過ごす。ダルクは曲芸士のようにひらりとかわし、その瞬間にサイズの異なる二本の剣で尻尾を細かく切り刻んだ。


 当たったら死ぬ……のかな。怖い。


 いくら体が勝手に動くと言っても、それは本能的に回避行動を取る時だけに過ぎない。能動的に斬りかかろうとしても、恐怖がそれを邪魔する。体は震えずとも、心は震えていた。

 戦闘慣れしていないただの高校生の僕に、いきなりの実戦は荷が重かった。


「ガァァ!」

「へっ。ちょっとは効いたかよ。でかいの」


 ダルクの手によって切り刻まれた尻尾は、滝のように血を流している。

 ところがダルクは予測していなかった。尻尾ばかり振る竜の口に、敵を焼き尽くさんとする炎が貯められていたことを。尻尾など竜にとってただのカモフラージュに過ぎなかったのだ。


「ゴォッ!」


 竜の口から吹き出された火炎弾はダルクを襲い、彼の周囲三メートルほどに火柱を立てた。

「あちっ!」

 いくらアーロンさんが防御障壁を作ってくれたと言っても、そう長いこと持つはずがない。ダルクの衣服は既に焼け始めていた。


 ダルクはまだ会ってから一日しか立ってない。しかも彼は魔物だ。……でも、僕は知り合いが目の前から消えるのを我慢できるほどさっぱりとした性格ではなかった。


 夢中でダルクの元に向かい、魔法を放った。


氷零撃ダイヤモンド・ブロウ!!」


 放たれた氷が炎をかき消す。中からはケホケホと咳き込んでいるダルクが現れた。


「ガァァ!」


 炎が効かないと見るや、竜は鋭い爪を振りかぶった。

 僕はそれをかわし、ジャンプした勢いで飛翔によって竜の腕に乗り、タタタタッと駆けながら剣を構えた。今までは受け身でしか行動できなかったのに、今は僕の意志で僕の体が動いていた!

 刀身は凍えるような冷気を放っている。魔力の篭ったこの剣なら、きっと……。

 竜がぎろりと黄色い目をこちらに向けた時、僕は既に竜の首に狙いを定めていた。


「はぁっ!!」


 ピシィ!


 鱗に覆われた竜の体の中で唯一鱗の薄い部分──首に刃を突き立て、僕はありったけの魔力をそこに込めた。


「凍りつけっ!!」


 ピシィ。


 ピシィ。


 ピシピシィ。


 首から広がった冷気はたちまち竜の体内全体に行き渡り、竜の動きは次第に鈍くなっていく。鱗の表面に霜が降り、それはやがて氷と化して、数十秒後には巨大な竜の氷漬けがそこにはあった。体内からすべて凍らされた竜は、もはや動き始める気配もない。


「ぉお……」

「やるぅ、ティナちゃん!」


 戦いは終わった……みたいだ。


 未だに燃えたっている草原の火を消した後、僕たちは氷漬けの竜をじっくりと見つめた。


「こんな魔物、このあたりで見たことねぇ。それにこの強さ、尋常じゃなかった」

「あたしもー。形態はリザードに近いけれど、翼もあるし、サイズもずっと巨大よね」

「え?」


 ダルクとミアの言葉に僕は驚く。彼らは竜を知らない……?

 魔王の子供なのに、ドラゴンを知らないということは、一体どういうことだろう? いかにもファンタジーファンタジーしたこの世界でさえ、竜という生き物は認知されていなかったのだろうか。


「ふむ……」


 一体なぜ、どのような経緯でこの竜は現れ、暴れまわっていたのか。見当もつかない僕たちの隣で、アーロンさんだけが何やら深い思案顔で竜の傷ついた体を見つめていた。


「空から……かもな」

「え? 空から??」

「うむ。それも生き物の飛行を察知できるような低空ではなく、我々も気づかないずっと高いところからだ。ゆっくり降りてきたのではなく、落ちてきたといったほうが正しいだろう。竜の体を見ろ。戦う前から地面との接触によるダメージが深く刻まれている」


 確かにこいつは翼が折れ、血を流した状態で暴れまわっていた。それも我を見失ったような勢いで、猛々しく、激しく。


 竜の調査をするというアーロンさんを残して、僕たちはひとまず魔王城に戻ることにした。



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