第2話 魔王の娘・息子たち
「決戦というと、もしかして、僕、いや、セレスさんと……」
「そうだ」
また眼鏡をキラリと光らせながら、アーロンさんは僕の言葉に答えた。
「遂にこのドブロアの地にたどり着いた勇者と、闇の砦でそれを待ち構えた魔王。対峙した二人の強大な力を持つ猛者は、無言の内に、片や自らの使命の為に、片や王としての立場から、お互いを滅ぼさねばならないことを悟った。そして、数時間に渡る激闘が開始されたのだ」
「ええと……」
あまりに突拍子もなくスケールのでかい彼女の語りに、気圧されたように僕は言葉を失ってしまった。勇者と魔王。人間の世界と魔物の世界。古典的と言ってもいいくらいの〈ゲームの世界〉だ。そんな戦いの渦中に、この小さな今の僕の体の持ち主が居ただなんて信じられない。
「どうした? わたしの語りが拙くて、あまり理解できていないのか?」
親切にもこちらを覗き込むようにして屈んでくれるアーロンさん。親切は親切なんだけど、なんだか子供扱いされているみたいで少し恥ずかしい……。女性としては背の高めのアーロンさんと今の小柄な少女の体の僕とでは、身長差がかなりあるので仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
「いえ、大丈夫です。話を続けてください」
「そうか、では理解しているとして進めさせてもらうぞ。氷雪系の剣技・魔術を得意とする勇者は、我が父の地獄の豪炎に焼かれながらも、三つある父の心臓に込められた三つの魂のうちの二つを討ち取った。そして、最後の力で跡形もなく勇者を消し飛ばさんとして力の限りを振り絞る父と、持てる全ての魔力を伝説の剣に込めて魔王にとどめを刺さんと突進する勇者が、最後の時を迎えようとしたその時──」
「何が、起こったのですか?」
「──恐ろしく奇妙なことが起こった。二人の体がピタリと止まり、天上から降り注ぐまばゆい光に包まれ始めたのだ。見守っていたわたしや部下ですらその光のせいで何が起こったかを掴むことはできなかった。光が収まった時、父は息も絶え絶えになり、勇者の方は地に伏して気を失っていた。父の命でわたしたちは勇者を捕らえ、父は闇の砦で体力が元に戻るまでぜぇぜぇと息を整えていたが…………」
アーロンさんは諦めたように首を横に振った。
「わたしたちが砦に戻ると、父の体は動かなくなっていた」
「え……? 亡くなったということですか……?」
「いや、違う。脈はあり、肉体は生きている。しかし、意識が戻らないのだ。それはまるで、魂を奪われてしまったかのようにな」
なるほど。僕は合点が行って一人心のなかで頷いた。魔界の王が大変なことになっている今、勇者とは休戦の申し入れをしようという魂胆だったのだろう。部屋に入った時、アーロンさんが『対立する意志は無い』と言っていたことの意味がわかりかけてきたぞ。
「というわけで、わたしたちは今、父をもとに戻すために躍起になっており、とてもそなたら人間たちと事を構える余裕なぞ無いのだ」
「ありがとうございます」説明のお礼に僕はぺこりと頭を下げた。肩まで届くロングヘアーが、わしゃっと揺れ動く。
「でも、なんで日本の男子高校生である僕の精神が、勇者さんに乗り移ってしまったのでしょう? それが分かりません」
「ニホン、というのはそなたのいた世界の名前か?」
「世界というか国ですけど……」
「それは分からん」
アーロンさんが近づいてくる。視線の先に彼女の大きな二つの膨らみが揺れているのが見えて、僕は慌ててそこから目を逸らした。……僕が悪いんじゃないからな!
「取引をしないか? セレスよ」
「僕、洋介ですけど……」
「この世界ではそなたはセレスだ。それか、勇者の名をそのまま使うのに抵抗があるのなら、わたしが名を付けてあげよう。〈クリスティナ〉というのはどうだ? 略して〈ティナ〉でも良いぞ」
「なんだよその名前! つか、〈洋介〉要素はどこに行ったんだよっ」
思わず敬語も忘れて僕は憤慨して叫んだ。でも、可憐な少女の声では、叫んでも全然迫力もなくて……。
「いい名前だろう。男のようなわたしの名前とは大違いだ。父はわたしが生まれた時に男だと勘違いして、そう名前を付けたみたいだがな……」
そう言ってフッとアーロンさんは寂しげな表情をする。でも僕はそんな彼女の微妙な心理状況を推察している余裕なんて無かった。
〈ティナ〉だって!? い、いやだっ! 僕は男だっ!!
「で、ティナよ、取引のことだが……」
アーロンさんはもう話を進めようとしている。どうやら彼女の中で僕の名前は〈ティナ〉で決定してしまったらしい。良い人みたいだけど、ちょっと強引な人だ。催眠術も使ってくるし。
「なんですかっ!」
むくれた顔で僕は答える。きっと今の女の子の顔だとむくれても全然怖くないんだろうと思う。まぁ、男だった時の僕も全くコワモテではなかったから、一緒かな。
「我々の間に起きたこの異変を解決するために、協力して欲しい。もちろん魔王城の他の魔物たちには今のそなたが敵ではないことをよく伝えておく。協力してくれれば、そなたが元の世界に帰る手助けをしよう。わたしの予想では、おそらく父の魂が戻らないこととそなたが別の世界に飛ばされたことはリンクしている」
僕は頷こうとして、ふと止まった。
異変が解決されたら、この世界はどうなるんだろう? また勇者含む人間たちと魔物との戦争が始まるんじゃないか?
結局その辺のことを聞くのはまた今度にして僕は頷いた。今はジェットコースターのように訪れた怒涛の変化を心に受け入れるだけで精一杯だ。
部屋を去る時に、アーロンさんがひどく悩ましげな視線で僕の後ろ姿を見ていたことに、僕が気づくことはなかった……。
アーロンさんの部屋を出て、ウディは僕を次の部屋に案内した。魔王には四人の子供がいて、彼らが魔王なき今魔界を取り仕切っているのだという。
今この城に居るのはその内の三人で、その内の一人・第二王子はずっと前から家出をして帰ってきていないそうだ。なぜかと聞くと、アーロンさんはちょっと言葉を濁したっけ。まあ、答えたくないことも色々とあるだろうと、僕は勝手に納得した。
歩いていると、左右にやたらと鎧が展示されている廊下に着いた。どれもフルプレートで、防具立てに飾られて、手には槍や剣、斧など物騒な武器を携えている。この先にある部屋に居る人物は随分と好戦的な人物のようだ。
……あんまりオラオラ系の奴とは会いたくないなぁ、と心のなかで愚痴をこぼしつつ、僕はウディに引き連れられてその部屋の前に来てしまった。
ギィィ……
鉄の扉が軋んだ音を立てて開く。
「うぉぉぉ……。虚しい、悲しいぞぉ」
いきなりすごくネガティブな発言が耳に流れてくる。アーロンさんの部屋に比べてかなり広い部屋を見回すと、廊下に負けずに鎧や武具だらけの空間に、やっぱり青肌の、一人の青年が居た。短髪の黒髪で、けっこう筋肉質の整った体で、下はダボダボしたズボンで、上は黒のタンクトップを着ている。頭には大きな二本の角が生えていた。
青年は剣を持って素振りをしては、気まぐれに剣を放り出して槍に持ち替えたり、グローブみたいなのを嵌めてシャドーボクシングをしたりしている。
こんなのが王子なんだろうか? なんか王子って、もっと高貴な振る舞いをしていて、もっと賢そうで、もっと優しげな人物のことだと思っていたけど。
「ダルク様、アーロン様の命令により、人間の勇者を連れてまいりました」
ウディがそう言うと、青年はピタリと素振りをやめ。こちらに向き直って僕をジロジロと遠慮なく見た。ああ、この遠慮のなさっぷりはちょっと王子っぽいぞ。でも白馬の王子というよりは傲慢王子の方だけど。
「あ、あの……」
「聞いてるか。なぁ、おい。俺は悲しいんだ」
ダルクと言われた青年(多分魔王の第一王子、アーロンさんの弟なんだろう)は、屈強そうな体に似合わない情けない表情で僕を見た。
「なぜ悲しいかって? 俺の最大のケンカ相手兼理解者が急に居なくなっちまった。この先俺は誰をケンカ相手にすればいい?」
「えーと……ケンカ相手って、誰のことですか?」
「我が偉大なる親父のことだ!」くるりと後ろを向いて、ダルクは剣を取り上げて天上からぶら下がった分厚い金属板の内の一枚を斬った。一瞬の間を置いて、金属板は斜めに切れ、ガランと音を立てて下部分が床に落ちた。
凄い。剣技の腕前は確かなようだ。
「親父の魂が戻らなければ、俺は誰と武芸の腕を磨けば良い? もはや魔界に俺以上の強者なんて存在しないのに……!」
あれ。なんか嫌な予感がする。こっそりと僕はこの広い部屋から逃げたい気分に襲われた。
しかし、僕がアクションを取る前に、ダルクがパッと沈んだ顔を明るくして僕に話しかけた。
「そうだ! なあ、お前、強いんだろ? 俺と一戦立ち合ってくれ!」
あちゃあ……! 言われると思った。やっぱりさっさと逃げるべきだったのかも。
今の体は僕の体じゃないし、おまけに女の子の体だし、いくら強いといっても軽々に傷をつけられるものじゃない。やんわりと断ろう。そう思ったのに、
「ほら。お前から預かっていた伝説の剣だとよ」
ダルクが僕に鞘に収まった剣を投げてよこしてきた。慌ててキャッチすると、伝説の剣という名前から連想するサイズよりもずっと小さく、そして軽かった。これなら容易に持ち運ぶ事もできるだろう。戦う気なんてさらさら無いけど。
「これがお前の武器だろ?」
ニカッと良い笑顔を見せてダルクが言ってきた。戦いのことになると急に元気になるらしい。
「ちょっと使ってみようとしたけど、鞘から剣が抜けねえ。俺じゃあ使えないみたいだ」
なるほど。魔のものには使えないようにプロテクトが掛かっているらしい。
「あの、僕、実は勇者じゃないんです?」
「何っ?」
「話せばちょっと長くなるんですけれども……」
僕はダルクにこれまでの経緯を説明した。
「はぁ。でも、魔法は使えるみたいじゃねえか。なら、剣だって使えんだろ!?」
本当にウキウキしながらこちらを見てくる。悪いやつじゃないらしいけど、〈戦闘狂〉ってこんな感じの人を言うのかな……と思わざるをえない。
「使えるかもしれないけど……今は魔王さんの魂を戻すほうがあなたたちにとって先決では?」
「そうか、そうかな……」
ダルクはうーん……と考えている。この隙に僕は足を出口の方に向け始めた。
「それに戦いなら、ここよりももっと動きやすい場所でやったほうがいいでしょう?」
「俺と親父はここでやりあってたぞ?」
「そうですか。じゃあ、さよなら~っ」
面倒くさいことになる前に無理矢理に会話を切り上げて、僕は逃げるようにダルクの部屋を去っていった。後ろからウディが慌てて追いかけてくる。
とにかく勇者の剣を取り返すことができた。これでこの体の持ち主も喜ぶだろう。
最後にウディは、僕を第二王女の元に連れて行くと言った。
「覚悟しておいたほうがいいですよ……」
なんかちょっと距離感が縮まったウディと、王女たちの話をしている。どうやら第二王女はアーロンさんやダルク以上に濃いキャラらしい。
さばさば巨乳睡眠術お姉さんや単純戦闘狂武器マニアよりも濃いキャラ……。ごめんなさい持ち主さん。僕《この体》はひどい目に会うかもしれません。
進んでいくと、段々と、廊下がやたらとファンシーな飾りで飾られていく。ダークな色合いの壁はレースやフリルに飾られた薄ピンク色のそれに変わり、燭台はリボンであしらわれていた。
なんだかこれから会う人物の正体が薄々分かってきたところで、僕は彼女の部屋にたどり着いた。
ピンク色を基調とした部屋。ベッドもピンク色、机も、カーテンも品の良い薄ピンク色である。
部屋にはファンシーなプリンセスドレスやミニスカートにたっぷりとフリルの付いたワンピースが飾られている。ハンガーラックにはびっしりとそんな類の服が詰められ、マネキンに着せてある服もある。
部屋の主は、その中央のハート型の椅子に腰掛け、むこうを向いている。
「なにー? あたし今、人に会う気分じゃないんだけどー?」
「申し訳ありません、ミア様。しかし、アーロン様がどうしてもと……」
「もー。しょうがないなあー」
部屋の主が椅子から立ち上がり、振り返る。
(うそ。か、可愛い……!)
そこに居たのは、ノースリーブの白いワンピースを身に着けた、あどけない顔をした魔物の美少女だった。頭には目立たない小さな紫色の角が生えており、顔の造形は小動物を思わせる。髪はショートカットで切り揃えられている。僕の方を見て、小首を傾げている。
思わぬ存在にたじろぐ僕を、じーっと彼女は見つめてきた。
そして、突進してきた。
「きゃあああぁぁぁ!!」
「っっ……!!?」
高い叫び声を上げて、ミアと呼ばれた少女はいきなり僕の体を抱きしめ、ぴょんぴょんと小ジャンプし、頬ずりをしてきた。その仕草も小動物みたいで可愛いのだけれど、いかんせん突然のことで、僕は彼女の勢いに圧倒されて声も出せずに体を硬直させることしかできない。
「素敵素敵すてきすてきっっ! すっっっごく可愛いよっ! きみ! ぎゅー! ぎゅーー!!」
少女に『可愛い』と呼ばれて僕はびっくりして、ああ、今の僕の体はこの子に負けないくらいの美少女だったんだ、と思い出す。
それにしてもミアは可愛い存在に目がないらしい。魔物の力で全力で抱きしめてきて、さすがの勇者の僕の体もちょっと息苦しくなる。
「どんな服を着たい? ふりふりのミニドレス? メイド服? 水着? それとも……ああ! どれも似合いそう!!」
「あの……離して……くだ……さい……! 僕は……この体の持ち主じゃ……」
「そうだ! ミアのお友達になってよ!」
ミアは強く手を握ってきた。青肌と白肌の違いはあるけれど、ミアと僕は、手のサイズも体のサイズもよく似ている。まるで双子の娘のように。
「なります、なりますからっ! ちょっと落ち着いて……! ウディさん……! 助けて!」
とっさにウディに助けを求めるが、
「無理です。ティナ様。ミア様がそのモードに入ってしまわれたら、一時間は元には戻りませんから」
「なっ!? 一時間も!」
「可愛い可愛い可愛い!! へえ、ティナちゃんって言うんだー! きみみたいな娘が来るのをずっと待っていたの!」
なんども可愛いと言われると、元男の僕は少し恥ずかしい……。そんなに可愛いのかな? 今の僕……。確かに鏡で見たのはかなりの美少女だったけど……。
そのまま僕はミアに鎧ごと服を脱がされそうになり、それだけはいけないと慌てて彼女を振り払って部屋から逃げてきた。
顔見せだけでどっと疲れて、僕はようやく最後に僕がこれから使う予定の部屋に案内されることになった。
ようやく主な登場人物たちが出てきましたね。
世界設定の説明等はまたのちほど……!