第1話 少女勇者となった僕
「わぁぁぁああ!」
後ろにぶっ飛ぶくらいの勢いで叫ぶ僕。しかし、その口から出たのは、やっぱりどこか清らかな女の子の声だった。
目の前の鏡が、今の僕の姿を疑いようもなく伝えてくる。それはまさに、雪原に舞う妖精のような容姿の、その容姿に似合わないびっくり顔を浮かべた、僕よりも一つか二つくらい年下の女の子の姿だった。
身に着けている軽鎧、目の上にある額当てと、その両端に付いた羽飾り、動きやすいブーツが、目の前の存在がただの女の子ではなく、何か戦う意志を持っていた一人の戦士であることを示していた。それにしても、それにしても……なんでこんな姿に!! 幻覚だ! これは幻覚なんだ!
頬をつねる。ぎゅー。
痛い!
「相当錯乱しているみたいだぞ」
「ああ、きっと伝説の剣を奪われた衝撃だろう」
ダウィとウディが何かこそこそと言っているが、今の僕にそれを聞いている余裕なんてない。
「じゃあ、剣無しの今なら、俺たちでも勝てそうか……?」
「勝ってどうするんだよ、馬鹿! 交渉だってアーロン様も言ってんだろ! 交渉!」
「でも……」
名残惜しげにダウィが僕を見ている。
「何だよ?」
「でも、勇者に勝ったなんて噂になったら、俺多分末代までモテまくるぞ」
「末代でモテて、どうすんだよ……」呆れ顔のウディ。
「まあ見てろって。さあ来い、子猫ちゃん♪」
悪魔風の大男が鉄格子の左の扉を開け、僕に迫ってくる。
あ、やばい。命の危機だ。というか、この体だと命の前に色々と危機だ……。
でも、どうしよう?
元の僕の体ですら体格差で圧倒的だ。ましてやこのちっこい体では、きっと徒手空拳では絶望的だろう。じゃあ、どうする? どうしようもない。ゲームならきっとゲームオーバー。残機1を失って、コンティニューします。でもこれは現実。どうにかしなきゃ、明日の朝日も見られない。
ふぬぬぬぬ……。
懸命に頭を悩ますけれど、それとは関係なく男は迫ってくる。どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ。
キラッ……!
逡巡する僕の頭に、煌めく何かが降りてきた。それは突拍子も無い考えで、常識人なら笑い飛ばす類のアイディアだったが、なぜだか僕には自然と、きっとそれができると感じられた。確信できるくらいに。
僕はダウィに向かって両手をかざし、少し腰を引いて構えた。
そして、唱えた。
「氷零撃!!」
信じられないことが起きた。
無数の小さな氷が僕の手から放たれ、一瞬フワッと静止したかと思うと即座に放射状に男に襲いかかったのだ。
「ぐわっ!!!」
その勢いは男を容易に吹き飛ばすだけでなく、小部屋の鉄格子をバキバキに折り、その断面に冷たい霜が降りていた。そこには男を撃退し、なおかつその破壊力を、男に対しては撃退する以上のものを持たせずに、むしろ僕にとって邪魔な鉄格子をぶち壊す為だけに注いだような、つまり相手を無意味に傷つけることを避けたような丁寧さがあった(放った僕はそんなこと全然意識していないのに!)。
ダウィが廊下に寝っ転がって気絶してから、ホッと一息をついて、まじまじと自分の両手を眺める僕。
(ここから、今の氷が出てきたんだよな……)
まるで魔法のように。いや、まさしく今僕が無意識に使ったのは〈魔法〉だった。ファンタジーもののゲームで良くあるような、あれだ。
「だから言わんこっちゃない。はぁ。敵うわけないって。相手は魔王クラスの実力者なんだからさ……」
呆れ顔で床にぶっ倒れた自分の相棒を一瞥し、僕の方に向き直ってから緑色の男は口を開いた。
「同僚のご無礼を失礼しました。この男、一度暴走すると止めるのが困難な性分でありまして……。さて」
ダウィと違って彼には敵意は無いようだ。まあ、魔法をぶっ放す不思議な少女に敵意を見せる生き物も少ないだろうけど。
「さて、先程申し出た通り、アーロン様の元にご案内します。勇者セレスよ」
何となく僕は感づき始めていた。すっかり変わってしまった僕の体。少女なのに鎧を身に着けていること。手から放たれた強力な魔法。目の前の男たちの言う空想じみた言葉……。
つまり僕は、何かの間違いで本当に勇者になってしまったらしい。いや、どこかの世界……多分僕がいた日本とは全く異なる世界の勇者の体に、僕が乗り移ってしまったと言ったほうが正しいか。……あれ? だとすると、この体の元の持ち主の精神は、どこに行ってしまったんだろう??
そして、この世界は一体どこだ??
ウディは気絶しているダウィを放って、僕についてこいと言わんばかりの背中を見せて歩き始めた。ここにいても仕方ないので、僕も彼に続いて歩き始めた。
階段を登ると、そこは立派な王城のような雰囲気の廊下だった。壁のろうそくの炎は青紫色だし、絨毯にはでっかい怪物の絵が描かれているし……全体的にそこはかとなくダークな色合いを帯びているのは、この館の主人の趣味だろうか? 今から僕はそんな趣味の人物と会わなければならないのだろうか。うぅ、嫌だなぁ。
ウディに案内されているうちにも、何度も迷いそうになる。というのも、館が迷路みたいに広すぎるのだ。同じような廊下があったり、広間から放射状に幾つもの通路に繋がっていたり、ダンジョンと言っていいほどの複雑さだ。よくもまあこんな設計の家に住んでいるものだ。トイレに行こうとして迷ったら死ねるだろう。
案内されている間にどんどん上の階に上がっていって、やがて僕たちは漆器のようにシックな色合いの通路に出て、その正面の部屋をウディがノックした。
「アーロン様、勇者セレスをお連れして参りました」
「入れ」
ギギィと音を立てて重たそうな扉がひとりでに空き、色々な書物やメモした紙切れが乱雑に積み重なって転がっているその部屋には、痩せ型で眼鏡を掛けた、フード付きの灰色のローブを纏った、青色の肌(!)をした一人の女性がじっと僕たちを見つめていた。痩せ型なのに、彼女のローブの胸の部分には、膨らみがつくるはっきりとした陰影が形成されている。つまりは巨乳だったってことだけど……薄化粧でさばさばした感じの本人に対してその胸のサイズは妙に色っぽい。なんだか僕はどきどきしてきたよ。青色の肌なのに。
「待っていた。信じてもらえないかもしれないが……勇者よ」
完全に僕を勇者自身だと思いこんでいる口調で青色肌の女性は語りかけてくる。
「わたしたちに対立する意志は無い。と言うより、もはや対立することよりも優先する事項が出現したという方が正しいが……」
「ちょっとちょっと、ちょっと待って下さいー!」
僕は慌てて口を挟んだ。このまま勇者扱いされて話が進んだら取り返しの付かないことになりそうだ。それに、早く元の世界に戻る方法を教えてもらわないと!
「僕はその……違うんです」
「何が違うのだ?」
女性は不思議そうに首を傾げる。
「なんだか皆僕のことを勇者勇者って言うけど、僕はそんなんじゃないんです。それ以前に、この体は僕の本当の体じゃないんです」
「……?」
頭の良さそうな女性の顔に不思議そうな表情が浮かぶ。無理もない、『体が自分の体じゃない』なんて言う人間がいたら、元の僕の世界でも奇人扱いはまず間違いないだろう。
「……興味深いことを言う」
女性がローブの頭の部分のフードを後ろにめくって、頭全体を見える状態にした。長い黒髪を素朴なポニーテールにまとめている。
「ひょっとしたら……いや、僅かな可能性だが……」
開いていた本を閉じて右手に持ちながら、女性が僕に歩み寄る。反射的に僕はじりりと後ずさった。なんだかちょっと怖い。というのも女性の目が好奇心にらんらんと輝いているのが分かったからだ。
「あ、あの……」
「どうした、まさかわたしのことも忘れてしまったという訳では無いだろう?」
「忘れてしまいました……。……じゃなくて、知らないんです。この世界のことも、自分のことも、何もかもが」
「そうか、では、教えておこう」
眼鏡をキラリと光らせて、女性は腰に左手を添えた。
「わたしは魔王の第一王女、アーロン。魔導師にして、魔王軍の参謀長、かつ内政大臣の職も担っている。そしてここは魔界ドブロアの中央の魔王城で、先刻の決戦で我が父と痛み分けたそなたは囚えられ、この地下の牢に幽閉されていたのだ」
……え?
聞きなれない言葉が頻発し、頭が混乱をきたす。魔王? 魔導師? 決戦??
「……そなた、本当に勇者か?」
混乱する僕の様子を、じろじろと見回してアーロンさんは言った。
「姿形はそれそのものだが。何か別のものが勇者に化けているのではないのか? 試してみても良いか?」
アーロンさんはローブの内側から、指先から肘までの長さくらいの杖を取り出し、僕に向けた。おいおい、『試してみても良いか?』とか言いながら、答えを待たずに実力行使する気満々じゃないか!
「耐えてみせよ。惰眠奈落」
こんこんこん……
彼女のかざした杖が暗く光ると、恐ろしいほどの眠気が僕を襲った。とても耐えられない……。このまま僕は深い眠りに落ちていくしか無いのか。
しかし、急速にぼんやりと霞んでいく頭とは裏腹に、あの時と同じように体が勝手に動いて、前方に手をかざし、口からは魔法の言葉が発せられた。
「反魔法!」
途端に僕の体を白く薄い膜が包み込み、ちょっと前までの殺人的な眠気はウソのように掻き消えた。分からないけど、アーロンさんの魔法に対して僕の魔法が自分を守ったみたいだ。
「どうやら本物らしいな。しかし、精神の方は本人とは違うだと? そなた、名を何という?」
「僕は─栗林、洋介です。高校生です!」
自分の喉から発せられる可愛らしい声にまだ慣れない……。視界には絹糸のような柔らかい銀髪の前髪が入ってくるし。胸当てに包まれた胸部はなんだかちょっと息苦しいような感じがするし。ああ、早く鎧を脱いで、体を確かめたい!
「コウコウセイ、というのが何を指すのかはよく分からぬが……そなたは恐らく、誰も予期しない事故によって、魂がその体に引き寄せられてしまったのだろう」
さっきは僕を攻撃してきたアーロンさんが、今は親切にも事情を説明してくれている。なんだが妙な気分だけど、この世界は皆こんなノリなんだろうか?
「はい……でも、事故というのは?」
アーロンさんの瞳がどこか明後日の方を向かい、遠くを見るような目つきに代わった。
「先程言った、魔王と勇者の決戦での出来事だ」
徐々にTSものっぽいシーンも入れていきたいと思います。
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