爆発
イライラが治まらない。
家に帰ってもイライラしている陽花里を見て、家族も心配していた。
仕事でのストレスを家族に見せるつもりはなかったのに。
こんなんじゃだめだと、朝、鏡の前で様々なシミュレーションをして怒らないようにしようと決意して出社する。
しかし、毎朝それ以上のことが起きるのだ。
「きゃあ。直哉の椅子って他より特別なのね!すっごおい!いいなあ」
瑠衣が直哉の椅子に座って、きゃきゃっとはしゃいでいるのだ。
朝からこんな光景が広がっている。
――小学生か!
直哉の椅子が他と違うのなんて、見ただけで分かるではないか。
デザインが煮詰まってくれば時間を忘れて徹夜をすることもある彼の椅子は、他のよりも大きい。デスクチェアには珍しく、リクライニングもできるタイプだ。
「おはようございます」
陽花里が隣の席に座ると、直哉の椅子に座ってはしゃいでいた彼女は、あっという間に表情を消して、小さな声で「おはようございます」と返事をする。
その態度は何だと言いたいが、顧客にその態度を出さなければいいと胸の内に収めている。
陽花里が彼女を嫌っているのと同じように、彼女も光を嫌っている。
本当に、合わない。
今日の会議の資料を机に並べ始めた陽花里を見て、瑠衣は直哉を見上げる。
「ねえ、直哉!私、結構仕事覚えたの!だから、こっちに席移動しよっかな!」
媚びるような声をあげた彼女に、誰よりも先に陽花里が反応した。
「はあぁ?仕事覚えたあ?」
朝っぱらから血管切れそうな光景を見せられたことで、陽花里の導火線はものすごく短かった。
「へええ?だったら、一人でもうできるのね?」
嫌味な口調を我慢できなくなった陽花里に、直哉が眉を顰める。
「陽花里、そんな言い方はないだろ?」
直哉が、陽花里の口調におびえた表情を見せる瑠衣を背中にかばう。
「こんな言い方をしたくなるようなことを、彼女が言ったのよ」
睨み付ける陽花里を見て、直哉がため息を吐く。
明らかに、陽花里の態度に呆れたというような表情だ。
その態度にさえ、陽花里はイライラしてしまう。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
関係を壊したくはないと思っていた。
同じ仕事をするんだし、できるところは、最後まで協力をしたいと思っていたのに。
「わっ、私、できます!頑張ります!」
瑠衣が、直哉の背中から声をあげた。
「――できるって?今日まで教えたことを、全部一人で?」
「もちろんです!」
一生懸命、陽花里に向かって言う瑠衣を、直哉は微笑みを浮かべて見つめる。
それを見て、陽花里は、この場に自分はもう必要ないと思った。
「――だったら、私はサポートを降りるわ」
陽花里の言葉に、直哉が目を丸くする。
「おい、いきなり本気にするなよ」
少し慌てた様子を見せる彼を見上げて、陽花里は首を横に振った。
「短い期間だったけど、瑠衣にはしっかりと教えたわ。大丈夫でしょ」
「いや、無理だろ!」
はっきりと言いきった彼の背後で、瑠衣が目を丸くしていた。
今、「出来る」と言い切った彼女を微笑ましそうに見つめていたばかりだろうに。
陽花里は、彼を呆れた表情で見上げて息を吐いた。
やっぱり、無理だと思っているんじゃないか。
でも、瑠衣の可愛らしさにすべてを大目に見たいと言ったところだろうか。そんなものに付き合わされる気はない。
「私が抜けても大丈夫なように所長がしてくれるから」
陽花里の本気を悟った直哉が、怒りの表情を見せた。
「勝手に降りるなんて、出来るわけないだろ。人事権でも持ってるつもりかよ。所長に泣きつくのか?」
泣きつくと言うか……お願いをするのだ。
陽花里はチーフと所長以外には内緒にしていたことを言った。
「元々、私がプロジェクトに参加するのは、今月いっぱいの予定だったのよ」
そういう陽花里に、直哉はさらに眉間にしわを寄せる。
「そんなわけないだろ。俺のサポーターが。そんな口から出まかせを言うなんて――嫉妬するにもほどがある」
「…………嫉妬?」
思いがけない単語が出てきて、陽花里は驚いた。
大人げないとか、もう少し長い目で見ろとか、そういった話になると思っていたのに。
陽花里がいぶかし気に彼を見上げると、直哉が言いづらそうに視線を泳がせた。
しかし、陽花里はその視線の意味が分からない。
瑠衣がそっと後ろから直哉の手を取る。
直哉は、ハッとしたように瑠衣を見て、決意したように陽花里に向き直った。
そして、二人で陽花里に目を向けた。
「俺たちは、付き合っているんだ」
――だろうと思っていた。
陽花里はわざとらしく大きなため息を吐いた。
色恋沙汰を仕事に持ち込まないで欲しいとは思うものの、自分にも覚えがあるので、反論せずに続きを促した。
「だけど……陽花里、お前のサポートも必要としているんだ」
直哉の言葉をじっと聞いていて……聞いていたけれど、話の流れがうまくつかめずに反応が遅れた。
付き合っていると、サポートが必要の間の接続詞の意味が伝わらない。
「……はあ?」
眉間にしわを寄せて首を傾げる陽花里に、瑠衣は直哉に体を寄せる。
直哉はそんなおびえた様子を見せる彼女を守るように陽花里を見返す。
――なんで、私、悪者になってんの?
今の話の流れが分かった人間は他にいるのか。
周りを見回すが、困惑したようにこちらを数人が見ていた。
それが意味が分からないとみているのか、修羅場をこんな場所で繰り広げることへの困惑か分からない。
「何、あんたたちが付き合ってイチャイチャするけど、私はその間真面目に仕事しろって?」
そうとした伝わらなかった。
随分と自分勝手だ。そんな仕事、引き受けるわけがない。
陽花里の言葉に、直哉は横に首を振る。
なぜ分からないんだと責められているような雰囲気を感じる。
「そうじゃなくて……嫉妬で瑠衣をいじめないでくれないか」
陽花里は思わず頭を抱えた。
「こんなこと、言いたくはないけれど、瑠衣に嫉妬して言い方がきつくなっているだろう?--俺を慕ってくれていることは分かっているけど……」
「待って。それ以上言わないで」
陽花里は両手で顔を覆って俯いた。
「悪い……」
なんて直哉の言葉が聞こえたのは、陽花里が泣いているとでも思ったのだろうか。
今まで、我慢して我慢して――我慢し続けて指導してきたことが、嫉妬?
彼女が陽花里に嫉妬しているのではなく、逆?逆だと思われていたのか。
ただの意地悪で言っていたことになってんの?マジで?
――私をどれだけ暇だと思ってるの?
ふつふつと湧き上がってくる怒りに、もう我慢できずに陽花里は怒鳴った。
「誰が嫉妬してんのよ!」
バンッと机をたたいて立ち上がると、部屋にいる全員の視線が集まるのを感じた。
「ふざけないでよ!私が直哉を好きだとでもっ?」
興奮して言葉が出なくなってしまうほど、はあはあと荒い息を吐いた。
「そんなふうに思ってた訳?というか、この事務所内で私があんたを好きかもなんて考えてるのは、誰もいないっての!」
周りで見守っていた人たちは、今度は直哉を信じられないものでも見るように眺めていた。
ただ、陽花里の指導が瑠衣にとって厳しすぎると注意したいのかと思っていれば。
なんて勘違いを。
「私は、既婚者よっ!」
そう怒鳴った途端、事務所のドアが開いた。