三本目
ある冬の日の朝、右の脇の下に小さなできものができていることに気がついた。
子どもの小指の先ほどのそのできものは赤みも痛みもなく、特に日常生活に支障はなかったため、私はそれを放置した。次の日、こりこりとした違和感があり、再び脇の下を覗くと、すっかり存在を忘れていたできものが三つに増えていた。しかしやはり痛みはなく、いったいこれは何なのだろうと疑問に思ったものの、出勤の時間が迫っていたため、私はそのまま服を着た。
夜、風呂に入るときにできもののことを思い出し、まだあるようなら薬でも塗っておくかと思い、脇の下を覗くとできものは四つに増えていた。倍ほどに大きくなったできものの片方に薄くて硬い、まるで桜貝のようななにかがついていた。さすがに私は気味が悪くなり、そのできものをひっかいたりこすったりして落とそうとしてみたが落ちる気配はなかった。できものを鏡に映しながらよくよく観察してみると、それはまるで指の先のように見えた。病院に行くべきかと思ったが、仕事が立て込んでいてしばらくは行けそうな日がなかった。ひどくならないといいがと考えながら湯上りに軟膏を塗っておいた。
次の日の朝、そこに現れたものを見て唖然とした。
五本の指と、てのひら。風車やシャボン玉のストローが似合いそうな、小さな紅葉のような手がそこに生えていた。なんと手は私の意思で動かせた。グー、チョキ、パー。自由自在に動く手を見ながら、私はなぜかそれがとても愛しいもののように感じ、病院には行かずに様子を見ることにした。
手は日に日に大きくなった。手首ができ、腕ができ、肘ができた。紅葉のようだったてのひらが、茶の入ったグラスを支えられるサイズになった。手はいつの間にか十歳に満たない少女の腕ほどに育っていた。普段、会社に行くときは、なにかの拍子で動かしてしまわないよう、胴を抱くように身体に添わせ、柔らかい布を上から巻いて固定した。独身社員寮に戻り、念のためカーテンを引いてから布を外すときの開放感は他に例えようがなかった。
部屋の中では古いジャージの脇に縦に切り込みを入れ、そこから三本目の腕を出した。エアコン完備の部屋は寒くはなかったが、裸のままの手は見た目が寒々しく、最初は使い古した厚手の靴下の先を切り落として手に着せていた。毛玉だらけの靴下に包まれた手はそれでも愛らしさを失っていなかったが、さすがに靴下は忍びないと感じ、インターネットの通信販売でケーブル編みのアームウォーマーを買い求めた。温かそうなグレーの毛糸に包まれた手は心なしか艶が増したように感じられた。
性的な好奇心を抑えきれず三本目の手でしてみたことがある。美しく幼い手で行うその行為はいつもとまったく感覚が違い、視覚的にも扇情的だった。まるで背後から年端もゆかぬ少女に奉仕させているかのような背徳感があった。小児性愛にまったく興味がない私は、最中は興奮していたが、果てたあとは奇妙な罪悪感と羞恥心と自己嫌悪が同時に押し寄せ、もう少し手が育つまでは二度とするまいと心に誓った。幸か不幸か、手はそれ以上成長しなかった。
冬が終わり、春がやってくるころには手の存在はなくてはならないものになっていた。三本目の手は人目があるときは確かに邪魔だったが、それさえ我慢すれば思ったよりも便利なものだった。日常のふとした場面で三本目の手はとても役に立った。両手が塞がっているときこれができたらいいのに、と思うことを三本目の手は叶えてくれた。
例えば右手でビールの缶を持っているとき、左手と三本目の手でつまみの袋を開ける。パソコンのキーボードを両手で操作しながら第三の手でコーヒーのカップを取って飲む、電話をかける、痒いところをかく、眼鏡を外す、メモを取る、書類をシュレッダーに差し込む。これを会社でもできたら仕事はどんなにはかどるだろう。しかし人間とは贅沢なもので三本目の存在に慣れてしまうと、この手がゴムのようにぐいんと伸びたら便利だろうなとかもう一本左側に生えてくればもっと便利だろうなと夢想してしまうようになり、自分の欲深さにあきれた。
三本目の手をより面白く使うにはどうしたらいいかと想像するのも楽しかった。私には楽器を弾く趣味はあいにくないため、試すことはできないが、三本の手でピアノを弾いたら新しい世界が広がりそうだ。料理人だったら食材を炒める手を止めずに調味料を振り入れることができて便利だろう。細かい手の作業が必要な仕事全般で三本目の手は役立ちそうだった。三本の手があることで一番効率が上がる仕事はいったい何だろう。風呂に浸かりながら想像の翼を広げていると、いつの間にか時間が経っていて驚くことも多かった。
手のことは愛しく大切にしたいと思っていたが、社内カレンダーを見て健康診断や社員旅行が近づいているとわかり憂鬱になった。採血や検尿はともかく胸部レントゲンや診察をパスするわけにはいかない。旅行はこれまでの経験上、必ずホテルのシングルルームに泊まれるわけではなかった。同室者に温泉やサウナに誘われたり、それがなくても着替えをする際に一々洗面所に隠れていては妙に思われないだろうか。仮に健康診断や旅行を欠席したとしてもやがて夏がくる。クールビズが推進されている私の職場で一日中上着を着たまま過ごすのも不自然だ。半袖シャツ一枚の下に手を隠して仕事をすることを考えると、三本の手で頭を抱えたくなった。
ごく普通の会社員である私には、ここまで大きく育ってしまった手を人目から隠しておくことは難しかった。思い切って三本目の手が生えたことを皆に打ち明けるか。それとも今のうちに切ってしまおうか。これまでと変わらない生活をするのであれば切るという選択が賢明なように思えた。それでもここまで育ったものをすっぱり切るのももったいないように感じる。それに私は第三の手に愛着があった。できれば切らずに済ませたいが、そうするとどうしても人目を引くことになるのは確実だった。どちらを選んでもあまりいい未来が見えてこない。
誰かに相談したかったが私は人づきあいが苦手な性質で、たまに軽く飲む程度の友人は何人かいるが親友と呼べる人はおらず、同僚とも挨拶や世間話をする程度の関係で、親身に相談に乗ってくれそうな人は思い当たらなかった。木の股から生まれたわけではないのでもちろん田舎に両親がいるが、両親とも私と似たような考え方や性格をしており、私の思いつかない解決策を出してくれるとは考えられなかった。
一人だけ、適当な人物――入社当時からお世話になっている上司の顔が思い浮かんだ。明るく陽気な性格だが口は堅く、皆に信頼されている彼は相談相手として最適と感じたが、最近彼の妻の具合が良くないらしく、申し訳なさそうに残業を切り上げて帰っていく姿を思い出すと、迷惑をかけることになりそうでとてもではないが言い出せなかった。
悩んだ末、とりあえず休日診療している病院をインターネットで検索した。手を切ってしまうにしろ温存するにしろ、人体に詳しい相談相手が必要だと思ったからだ。病院はなるべく社員寮からも会社からも遠いところを選んだ。通うのに不便ではあるが、万が一、三本目の手が生えてきた人間がいるという噂を流されても生活圏でなければ問題ないだろう。
温存、とは言ったものの、予約が成立した時点で私の心は切るという選択の方に傾いていた。手のことは最初からなかったものとしてしまえれば、それがベストであるように思った。三本目が生える前でも私は二本の手で特に不自由を感じることなく生活してきたし、なくなったとしても、しばらくは寂しいかもしれないが元通りの生活に戻るだけだ。
それから診察の日まで、手のない状態に慣れておこうとなるべく三本目の手を使わないように生活した。どうしても咄嗟に手が出てしまうことが何回かあり、仕方なく家でも布で固定した。窮屈だったが三日もすると使わないことに慣れた。この分なら切ってもどうということはないだろうと私は楽観した。
やさしい目をした年配の医師にどう話を切り出そうかと私は迷ったが、思い切ってありのままを告げることにした。隠してもどうせ診せることになるのだから嘘をつく理由がない。医師はさすが年の功というかなんというか、見た感じでは驚いた様子もなく手を見せてくださいと穏やかに言った。
私は第三の手の存在を他人に気づかれないように厚着をしていたため、手を見せるまでに少し時間がかかった。医師はとても興味深そうな目で私が服を脱ぐのを見ていた。あまりじろじろ見ないで欲しいと私は思ったが、診せにきて見ないでくれというのも理不尽な言い分だ。それでも服を全部脱ぐことには抵抗があり、下着代わりに着ているTシャツの袖を少し下に引っ張り、そこから三本目の手を出した。
手は私の意思で動かせるが、それだけが別の生き物であるかのように美しかった。本来の私の手は全体的に肌が荒れ気味で、筋肉質ではないが細くもなく、あちこちに青い血管が浮き上がっていて、特別醜くはないが到底美しいといえる代物ではない。
しかし、完成したばかりの第三の手はとても華奢で、きめ細かくすべらかな肌をしていた。桜貝のような爪がついている細い五指も、手の甲もそこから続く手首も透けそうなほど白く、手首に浮いて見える骨さえ気品があった。
医師は私の第三の手を見てほうと溜息をついた。私は医師の視線に羨望が混じっているのを感じ、一瞬どこか誇らしい気持ちになったが、病院を訪れた理由を思い出して自分を戒めた。さわってもいいかと訊かれ、私は医師の求めに応じ、掌を下に向けて第三の手を差し出した。医師は中世の騎士が貴婦人の手を取るような、恭しい所作で私の手を取った。当然のことではあるが、手から医師の体温が伝わり、どこか気恥ずかしい気持ちになった。
医師は私の手が気に入ったらしく、うっとりした眼差しでさまざまな賛辞を並べた。歯が浮かないのかと心配になるほどだった。一番印象に残ったのは神の恩寵という単語だ。神様が授けてくれた美しい三本目。それが医師が私の手に抱いた率直な感想だったようだ。
医師は手を切りたいという私の希望を聞くと、驚愕したように目を見開いた。ありえないと言いたげに首を横に振り、口を無言でパクパクさせた。私はそれを見てなぜか急に、昔、どこかで目にした『それをすてるなんてとんでもない!』というメッセージを思い出して笑いかけたが、笑っている場合ではないと気を引き締めた。
三本あったら便利ですよ、と医師は私を思い留まらせようとした。どこかの国では奇形は神の子であると崇められるそうだ。ましてや私のように美しい手が生えてきたとなったら祀られても不思議ではない存在だと医師は熱心に語った。手が三本ある人間に進化したんだと考えることはできませんかと訊かれ、私はどう返事をしていいのかわからず困惑した。もしそれが事実であるとしてもここは日本だ。この国は異質なものを排除する国だ。手が三本ある人間をそっと見守ってくれる国ではない。
医師は私の意思が固いことがわかると、とても残念そうにそうですかと言った。
私は溜まりに溜まっていた有給休暇を取得した。理由を何人かから訊かれ、病気の治療のためということにした。なんの病気なのかという問いに対しては答えを濁した。三本目の手を切るためだなどと言えるはずがない。外科の手術だが命に関わるものではないということだけを告げると、勝手に想像を膨らませてくれたようで、腫れ物に触るように接してくれ、申し訳ない気分になった。
手術日までの間、時々、三本目の手を眺めた。手首に若い血管が何本も走っているのが見えた。この血管の中には本当に私の血が流れているのだろうか。細く小さな手は内側から光を放っているかのように美しく、もうすぐ私から切り離されるもののようには見えなかった。異次元から生えているようなその手は、よく観察してみると手相も指紋も元の私の手のものと近似していた。
いったいこの手はなんのために生えてきたのだろう。
寂しい生活をしている私の日常にしばしの潤いを与えるためだろうか。
少なくとも私に切られるためではないだろう。
考えて答えが出るはずもなく、手はただひっそりと美を湛えてそこにあった。
麻酔をかけられ、寝ている間にすべてが終わっていた。切り離された手を見るかと訊かれ、私は冷たい盆に乗せられた手を思いながら首を横に振った。血の通わなくなった美しい手を見たら人目を憚ることなく泣いてしまいそうだった。切った手をどうするのかと私が問うと、看護師は躊躇しながら廃棄しますと答えた。巡回の医師が何度か私の傷口の様子を見に来た。執刀してくれた医師の顔は見たが、最初に私を診た医師の顔は退院するまで見ることがなかった。単に入院患者は診ないだけか、それとも私を止められなかった後悔で来ることができないのだろうか。
傷口を塞いだ包帯を見ながら、私は喪失感と戦っていた。携帯端末で見る動画も賑やかなワイドショーも暇つぶしのために買った週刊誌も目の表面を滑っていくようで、まったく私の中に入ってくることがなかった。傷口は入院中も退院してからもじくじくと痛んだ。傷口よりももうそこにはない手の指先や手首が痛いように感じることもあり、これが噂に聞く幻肢痛というものかと悲しくなった。肉体的な痛みは我慢できたが、心の痛みはいつまでも続き、私を苦しめた。
後悔した。
なぜ切ってしまったのだろう。あんなに美しかったのに。私は三本目の手を愛していた。世間の目や普通でないことがなんだというのだ。あの医師が言ったように、手が三本ある人間に進化したんだと思いながら生きていくことだって選べたはずだ。普通であることにこだわって、大切にしたいと思っていたものを自分の手で切り落としてしまった。仕事に支障が出るのなら仕事を変えるという選択肢もあった。世間の目が気になるのなら引越しをするということもできた。私はこれまでと同じ、平穏な生活をすることにこだわりすぎてはいなかっただろうか。平和そのものではあるが退屈な人生に突如降ってきた神の恩寵を持て余し、あの美しい手を自分からなかったことにしてしまった。
傷口の皮膚は日々再生したが、空虚感が癒えることはなかった。
第三の手を犠牲にしても継続したかったはずの日常は、蕩揺も起伏もなくただ平坦なだけの毎日だった。私はできるかぎり手の記憶を意識の外に追いやり、目の前にやってくる仕事に打ち込んだ。それがあの美しい手への私ができる唯一の贖罪だった。忘れよう忘れようとしても、時折、ふとした瞬間に手があった日々が懐かしく思い出され、その記憶の色鮮やかさに私は涙を堪えねばならなかった。
同僚たちは病気は無事に完治したという私の報告を素直に受け入れ、祝福してくれた。上司はハイペースで仕事をこなす私に戸惑ったように、病み上がりなのだから無理をしなくてもいいと声を掛けてくれた。皆、口下手な私にとてもやさしかった。私はそのやさしさに相応しい人間ではないと感じ、温かい言葉を掛けられるたびに心苦しかった。この人たちなら三本の手がある私も受け入れてくれたかもしれない。誰にも言わずに闇に葬り去ってしまった美しい手のことを思うと、私はいても立ってもいられない気分になった。
手が生える以前の私は熱心に残業をしたり積極的に会社の人と飲みに行ったりするタイプの人間ではなかったが、退院してからは人の分の残業も引き受け、飲みに誘われたら断らず参加するようになった。時には自ら飲み会を企画し、幹事になった。会社の能力開発支援制度を利用して資格学校にも通うようになった。寮の部屋に一人でいるとどうしても手があったときのことを思い出し、気落ちしてしまうからだった。以前の私を知る周りの人々には、私の変化はさぞかし不思議に映っただろうと思うが、直接面と向かって理由を訊かれることはなかった。
あとから聞いた話によると、私が赤ん坊だった頃からこの会社に勤めている白木さんが、大きな病気や大失恋をすると人は変わる、そっとしておくようにとフォローしてくれていたらしい。妖艶な美貌の白木さんは二回結婚と離婚を繰り返し、四人の子を持ち、四十五で命に関わる大病を患ったが生還し、五十を過ぎてから七歳年下の彼氏と再婚したという、人生経験も恋愛経験も薄い私には考えられない波乱万丈な経歴の持ち主で、酸いも甘いも知り尽くした人生の先輩として皆に一目置かれている。話を聞いたときは白木さんに気遣われていたことが恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちだった。
いくら賑やかに毎日を過ごしていても手のことを完全に忘れることはなかった。傷口は完全に塞がり、盛り上がった肉の赤みも引いたが、心の傷はまだ血を流していた。このまま私はこの傷を抱えて生きていくのだろうなと、漠然とではあるが考えていた。ぽっかり開いた大きな穴に雑多な日常を詰め込んで埋める作業を繰り返していたある日――
私は同じ場所に再び見覚えのあるできものが現れたことに気がついた。
次の日には四つに増えたできものに爪があることを鏡に映して観察しながら、私は決意した。今度こそこの手とともに生きて行こう。この手は私が大切にすべきもの。神から与えられた私の宝物だ。
――今度はずっと一緒だよ。
私は心の中が幸福感で満たされるのを感じながら、小さな小さな指先をゆっくり撫でた。
創作欲も妄想癖も切り離すことができず今日もこんな面妖な小説を書いている。
でもそれもひとつの幸福なのかもしれない。
最後まで読んでくださってありがとうございました。