第46話『単身赴任、まさかの再会』
石塚さんと二人の暮らしを始めた頃、
ノブヒコさんからの年賀状が来なくなった。
何の前触れもなく、プツリと途絶えた。
地元を引き払う時に再会したあれ以来、
彼とは年賀状以外の接点が無くなっていました。
数年前までは時々パソコンのアドレスに
仕事のメールをした事もあったのだけど、
ある時送った「お元気ですか?」っぽいメールに
返事が来なかったからだ。
もしかして、奥様もパソコンを触るようになったのでは?
何か怪しまれた?
そう思ったら、
もう恐くてメールは出来なくなった。
付き合ってた当時は断固携帯を持たなかった彼、
時代の流れとともに携帯を持たされているだろうけど、
もちろん番号もアドレスも知らないまま。
本当に年賀状だけの関係になってしまってた。
毎年変わらず彼の奥様の手書きの宛名で来る年賀状。
私も毎年、彼の自宅宛に、
元部下として当たり障りない年賀状を送っていたのだけど…
その年賀状がプツリと途絶えた。
世の中、年賀状を送らない時代になってきていたし、
疎遠になった部下にまで送る必要はないと、
奥様がリストを整理したのか、
彼がそうしたのか、
わからない。
いや、そうじゃなく、
ついに、
恐れていたその時が来たのかもしれない。
そう思った。
家族が増えたんじゃないだろうか…
だから私の所には年賀状を送れなくなったのでは…
彼から年賀状が来なくなってからも、
私は年賀状を送り続けてた。
今となっては一方通行のこれだけが、
ノブヒコさんとの唯一の接点…
絶やす勇気なんてあるわけがない。
石塚さんとの平和な日々が過ぎて行き、
あの再会から六年が過ぎた平成二十年のお正月。
ノブヒコさんの自宅に送った年賀状が、
私の家のポストに舞い戻って来てしまった。
”宛名にたどり着きません”
引っ越した?
転勤した?
それにしても、転送期間が一年はあるはず。
去年すでに転居してたってことか…
今、彼はどこに?
たった一本のわずかな糸が途切れたことを
私は受け入れられず、
元の会社に今も勤めている同僚にメールした。
「ねえねえ、高田さんって、転勤したの?
年賀状、戻って来ちゃってさ〜。
送り直したいんだけど、新しい住所知ってる?」
「ああ、高田さんね、
こっちにマンション買って引っ越したんだよ〜。
けどマンション買った途端に転勤になっちゃってさ。
単身赴任で東京行ったんだよ。本社にいるから、
松尾ちゃん会いに行ってゴハンでも驕ってもらいなよ♪」
”単身赴任”
”東京”
私の住むこの東京に、
ノブヒコさんが単身赴任ですって?
平穏な数年を過ごしていた私の心を
平成二十年の年賀状が、
ざわめかせる事になるとは…
彼の誕生日に別れのメールをし、
彼との恋人関係を解消して、
もう丸八年もの歳月が流れてる。
八年か…
もう遠い昔話だな…
あれからの私は、変わった。
私は、この八年、穏やかな日々を暮らして来た。
多少の波風はあったけれど、
それ以前の激動に比べれば殆ど平穏な日々だった…
生まれてからずっと愛に飢えてた私が、
ずっと欲しかったもの、それは…
こんな穏やかな気分だったのかも。
ドキドキするようなスリリングな恋や、
燃えるように激しく狂おしい愛は、
情熱に満ちて命が輝くような高揚感だった。
でも…
なぜか満たされ切れない
何かにいつも飢えてた。
本当に信じていられる安らかな温もりに
すっぽりとただ包み込まれ、
もう泣かなくていいんだって、
そんなふうに思えた時、
満たされなかった何かがやっと…
ああ、私、癒されたかったんだ。
燃えるだけが愛じゃない。
こんな究極の”居心地の良さ”
こういう愛の形もあるのかも知れない…
そう思ったりもする。
そう、私は、あれから人を愛せなくなってしまった。
愛せなく…と言うと語弊があるかも知れないけれど、
ノブヒコさんと別れて以来、
私は誰にも恋する事が無くなった。
惚れる事が無くなった。
それは、ノブヒコさんだけを愛し続けているから、
というのもあるかも知れないけど、
それよりもむしろ、
”愛し疲れてしまった”
というほうが正しい。
自分の人生のすべてをかけて愛したノブヒコさんと、
愛し合ったまま別れて、封印。
私は、ノブヒコさんを愛し過ぎて、
愛する事に疲れ切ってしまった。
今はただ、愛されていたい。
ただただ愛され、癒されていたい。
もう泣くのは嫌…
そうやって八年もの歳月を過ごして来た。
「ああ、高田さんね、
こっちにマンション買って引っ越したんだよ〜。
けどマンション買った途端に転勤になっちゃってさ。
単身赴任で東京行ったんだよ。本社にいるから、
松尾ちゃん会いに行ってゴハンでも驕ってもらいなよ♪」
何も知らない同僚からのメール。
ただ新しい住所に年賀状を送りたかっただけなのに、
”年賀状”という唯一の糸を切りたくなかったただそれだけなのに、
私の目に飛び込んできた
”単身赴任”
”東京”
の文字。
心臓がバクバクした。
会いに行ってゴハン?
そんなこと出来る訳ない。
転居したことも、転勤した事も、
知らなかった。
彼から年賀状が来なくなったのは、
やっぱり家族が増えたから?
だから転居も知らせてくれなかった?
転勤を知らせてくれなかったのはなぜ?
もう、私なんか忘れちゃったのかな。
この八年の間に、彼に何があったんだろう?
まさか、
後になって私との事がバレて騒ぎになったとか…
それとも、
その後また他にもっと大きな恋愛をしたとか…
彼にとって、
もう私は面倒な存在なのだろうか?
それとも、
良い想い出だと思ってくれているだろうか?
それとも…
止めどなく色んな考えが浮かんでは消え、
どうしようもなく、ジッとしていられなかった。
そうだ。
とにかく年賀状を出し直す、それだけが目的だったんだ。
年賀状を出そう。
彼が暮らしていない新居、つまり奥様の所ではなく、
彼が今勤務している本社宛に、
元部下からの当たり障り無い年賀状を出した。
「年賀状が戻って来てしまったので、こちらに再送させて頂きました!
ご栄転なさったのですね、おめでとうございます!
お元気ですか?たまには近況などお知らせ下さいませ。」
本人宛に送った年賀状。
だけど、
一向に返事は来なかった。
届いてないのかな?
そんなハズはないけど…
意図的にシカトされてる?
避けられてるのだろうか…
だとしたら、なぜ?
一生私への想いは変わらないと言ったノブヒコさんが、
なぜ私を避けるようになったのか、
何があったのか、
理由が知りたい。
あれは一時の気の迷いだった、バカだった、
そんな風に気が変わっていたとしても良い。
どんな理由であれ、それを知りたい。
何も判らずにモヤモヤしているのが嫌。
なぜなのかを知りたい。
このままシカトされたまま、
その意味が分からないまま、
ずっと一人でモヤモヤしているのだけは嫌。
今さらそんな嫌な気持ちで過ごして行くのは納得いかない。
元同僚に、もう一度メール。
彼女が私に
「連絡してゴハンでも驕ってもらっておいでよ」
と言ったのだから、
ごく自然に彼の携帯のメアドを教えてくれた。
ノブヒコさんに携帯メールを送った。
「会社のA子からアドレスを聞きました。
ご無沙汰しております!
本社にご栄転なさったとのことで、
おめでとうございます!
年賀状が返って来てしまったので
会社に再送させて頂きましたが、
届いてますでしょうか?
お元気ですか?
たまには近況などお知らせ下さいませ。」
ノブヒコさんから、返事が来た。
メールとはいえ、
彼と会話するのはあの再会以来。
from:高田
お久しぶりです。手紙ありがとう。
返事をしようと思っていたのですが
仕事が忙しくて遅くなってしまいました。
聞いてのとおり本社に異動になり今は単身赴任で頑張っています。
手紙を拝見したところ、充実した人生を送っているようですね。
それにしてももうすぐ40才とはびっくりですね。
という私は41才になりましたが・・・
それとピークの時より10kgちょっと痩せましたよ。
───────────
from:璃玖
転勤も転居も知らせてくれないなんて水臭いなあ。
っていうか、なんか私避けられてます?
10kgも痩せたなんて、
病気でもしたのですか?心配。
───────────
from:高田
別に避けてたわけではないのですが、
単身で近くにいるとなると
私自身の気持の誘惑に負けてしまうかもしれなかったもので・・・
あえて連絡はしませんでした。すみません。
それと痩せたのは健康的に歩いてのもので
決して病気をしたからではありませんのでご心配なく。
あと10kgダイエットし入社当時の体重に戻すのが夢です。
───────────
from:璃玖
そうですか。元気なら何より。
避けられてたり、嫌われてたり、って訳じゃなくて良かった。
なんだかこんな風に友人として会話出来る日がくるなんて、
嬉しいです。こうやってメールしているのは御迷惑ですか?
───────────
from:高田
メールされるのが迷惑なんてことはないですよ。
最近単身赴任して思うのは家族ってやはり大切だなということです。
嫁はどう思っているかわからないけど、
帰ったら子供は喜んでくれるし、
休みは毎週帰省していつもどこか出掛けていますよ。
今付き合っている人がどんな人かわかりませんが
愛してもらっているのならそういう方は大事にした方がいいですよ。
今の私は男女の愛より家族愛という感じです。歳をとったのかな。
───────────
from:璃玖
八年も経ってるのだから…って思っていましたが、
性懲りもなくメールを待ってソワソワしてしまう自分に笑っちゃいます。
メールがくるのを待ち焦がれてしまったり、
なんか八年前と同じ過ぎてビックリっていうか懐かしいような、苦笑い〜。
高田さんも相変わらず…
「家族は大切」かぁ…。
そんな言葉をシミジミ言えるのは少し羨ましい気もしますね☆
私が別れてあげて正解でしたね〜感謝して貰わなくっちゃ(笑)
もう全部何でも話しちゃってもいい位の
長い年月が流れちゃってる訳だし…
そうやって何でも話せる友達に戻りませんか?
(と言ってもメールでだけですけどね。)
友達になる気は無いって言われちゃったら悲しいけど。
───────────
平成二十年のお正月後に彼とやりとりしたメールの抜粋&要約です。
私は、このメールのやりとりをしながらも、
「会う事だけはしない」
「会わないからこそ、メールだけでも気軽に友達になれたら」
昔の仕事のパートナーとして、たまに近況を話すくらいのメル友、
八年も経ったのだから、それぐらいは許されるだろうと。
そんなつもりでこのメールをやりとりしてました。
ところが、ノブヒコさんからのメールに、
意外な言葉が…
from:高田
私としては会って昔の話をしたい気持もあるのですが、
一度会ったら昔みたいになるのが怖いのです。
あなたは不思議な魅力がありますしね。
それに以前とは置かれている状況が違います。
今は仕事も忙しいですし会う時間も取れないでしょう。
そういう意味で会わない方がいいと思うのです。
言葉足らずでごめんなさい。
───────────
「会う」
なんて一言も臭わせていないし、
むしろ会わないからこそ、というメールのやりとりだったのですが、
彼からのこの言葉に驚きました。
「一度会ったら昔みたいになるのが怖いのです。
あなたは不思議な魅力がありますしね。」
私は、たとえ再会しても、
もう二度と彼と恋仲にはならないと覚悟を決めていますし、
そうならない自信がありました。
昔、一番愛した人、としてフレンドリーな付き合いが
出来ると思っていました。
だってもう一昔前のことだもの。
もう二度と、絶対に不倫だけはしない!
それだけは誓って生きているのだもの。
あんな地獄の想いはもう嫌。
彼以来誰も愛せなくて、
彼とのことを思い出すたび今でも涙が出るけど、
でも、
決してヨリを戻すつもりはない。
もうドロ沼に戻るのは嫌。
あんなに辛い想いをしてせっかく断ち切ったのだもの。
どんなに彼を愛してても、
彼が既婚者である限り、
二度と彼とは恋仲にはならない。
その揺るぎない気持ちがあるから、
昔話の出来る友達になれる頃だと思ってた。
でも、彼は、
「会ったら昔みたいになるのが怖い」
と言う。
まだそんな風に思ってるんだ。
もうこんなに時が流れて、
オバサン、オジサンになっちゃったというのに。
じゃあ、もっともっと、年月が経って、
オバアさん、オジイさん、になる頃、
やっと友達になれるのかな?
今はまだ、時期尚早だってことなのかな?
まだ友達になれない、
だからメールも出来ない。
あと何年したら、
友達になれるかな。
あと何年したら、
笑って再会出来るかな。
このまま、
会えないまま、どちらかが死んでしまうのだけは嫌だな…
「一度会ったら昔みたいになるのが怖いのです。
あなたは不思議な魅力がありますしね。」
この言葉が、
心の奥で、嬉しかった。
ノブヒコさんとの六年ぶりの
メールのやりとりがあったその年の秋、
私は40歳になった。
「40歳になったら…」
遠い昔の私は、40歳の自分に約束をしてた。
あの遠い日の自分にもう一度会いに行くこと。
十一年前の自分に会いに。
「あ〜、なんて幸せなんだろう。私、一生の想い出だわ。
十年くらいして、そう、私が40歳になったら、また来たいな。
もしノブヒコさんが私のコト忘れてても、
私、独りでここに来てノブヒコさんを想い出すから。」
「松尾さんが40歳かぁ…、その頃には僕の事なんて
すっかり忘れちゃってるんじゃない?
ここに来たことも忘れてたりして…ははは。
覚えててくれたら嬉しいけど。
…一緒にまた来たいね。」
彼の言葉はともかくとして、
私は、自分のあの日の言葉を嘘にしたくない。
不倫は過ちではあったけど、
あの頃の想いは真実だった。
それを消してしまいたくはない…
もしかしたら、
もう死ぬまで一度も彼に会うことはないかもしれない。
もしかしたら、
来月には私が急死しちゃうかもしれない。
そしたら、きっと、
十一年前のあの日の自分の言葉を実行しなかったことを、
どこまでも悔やむだろうから。
ただただ、
私の古いアルバムの中の、
一番大切な想い出のページを見に行ってこようと。
そう思った。
40歳になったら…
そう話したあの展望台から海を一人で眺め、
あの時の言葉どおり、
彼を思い出してみたいだけ。
きっと泣いてしまうだろうって想像がつくけど、
神様、許してもらえないでしょうか?
ただ、想い出に涙するだけです。
私がこの日、あの場所に行くこと、
もちろん彼には伝えない。
どうか、一人で泣きにいく事だけ、お許し下さい。
あの公園…
そう、十一年前、
ここのコインパーキングに停めたよね。
ノブヒコさんの紺色の愛車を思い出す。
もちろん彼の車はそこに無い。
でもその駐車場をみただけで胸がギュッとなる…
公園の入口が見えてきた…
雲一つ無い青空を
少し傾きかけた穏やかな西日が照らす。
真っ青な秋晴れ、
オレンジ色の陽射し。
十一年前は、
たぶんもう少しだけ早い時間に来た気がする。
港をのぞむ展望台の
あの屋根…
その屋根の下には
何組もの男女。
若い恋人達、老夫婦…
どのカップルも愛に満ちて
幸せそうにしっかり寄り添ってる。
手を繋いだり、
肩を抱いたり、
腕を組んだり、
肩に寄せた頭を撫でる手…
その光景が遠目に見えた瞬間に
私の目には涙が一気に込み上げてきてしまった。
あの時と同じ光景…
あの幸せそうなカップルたち…
十一年前は私もあの中にいた。
ノブヒコさんと…
こぼれる寸前の、
目に溜まった涙をそのまま我慢しながら、
右手の噴水のある公園へ。
あの十一年前の今日も、
こんな風にいいお天気だった。
噴水の前のベンチ、
私のひざ枕で昼寝する彼の
安らかな寝息と噴水の水音を聞いてた麗らかな午後だった…
あのベンチ…
あの時の、あのベンチだ…
あのベンチ、あの噴水…
そして整然と手入れの行き届いた
ブリティッシュガーデン。
入り口に立って見渡すその全てが、
遠い遠い想い出の中のあの日の光景と
あまりにもそのままで、
堪えていた涙が倍になって溢れ出てしまった。
九割がカップル、
あとは家族連れ。
単身で来ているというだけで目立つのに、
泣いているのを悟られたら…
慌てて涙を隠す。
やっぱり今日来て良かった。
十一年前の約束は、<今日>という訳ではなかった。
ただ、
十年くらい経って、
私が40歳とかになったら、
またここに来て、一人でもノブヒコさんを思い出そう…
そう言っただけ。
だから、
ちょうど十年経った去年でも良かったのかも知れないし、
40歳になった今年の、他の日でも良かったのかも知れない。
でも、
同じ空気を感じたくて、
あの時と同じ十月二十八日を選んだ。
40歳になった私があの日にタイムスリップするために。
ちょっと時間はあの時よりも遅くなっちゃったな…
あの時のようにお昼寝するにはもう日が傾きはじめてる。
いくつも並んだベンチ。
どれだっけ?
こっち側だったな。
奥じゃなかった、
確か真ん中よりちょっと手前だったかな?
それと思しきベンチに一人で座る。
座った瞬間に、
過去の絵の中に自分がパズルのピースとしてハマり込んだような
なんとも言えない感覚を覚える。
あの時と同じ、噴水の優しい水音。
本当に静かな公園。
目を閉じると、
私のひざで寝息を立てるノブヒコさんが
そのまま見えるみたい…
全身に鳥肌が立って、また涙、涙、涙…
子供のように、わんわん声を上げて泣いてしまいたい…
ほんとうはそんな気分だったし、
次々に込み上げてくる涙をコッソリと拭っているにも
とても間に合わない感じだ。
それでも、周囲の目を気にして、
必死に堪えながら密かに涙…
このままここで、
誰も居なくなるまでここに居て、
そして、
誰も居なくなったら、
思いきり泣きたい。
この季節、
西日が傾き始めたら、日が落ちるのは早い。
あっと言う間に、薄暗くなってくる。
そして少し肌寒くなる。
それでも、
愛しい時間を惜しむように、
ベンチで寄り添うカップルが数組。
噴水で遊ぶ子供を見守る
ご夫婦が一組。
落ち葉を掃く、掃除のおじさん。
「あれ?いらっしゃい!
今年は遅かったねえ…
すっかり日が落ちちゃったから、寝転んでっと風邪ひいちゃうよ。
今日は天気良かったからもっと早く来れば良かったのにねえ」
「どうも!去年はホント良い天気で、
気持ち良くたっぷり昼寝させてもらえましたね。
今日ももっと早く来たかったんだけど…」
「まあ、風邪引かないように、
ほどほどにユックリしてって。」
掃除のおじさんとの会話のあと、
ベンチに座る男性。
うそ…
うそでしょ…
そんな、まさか!
その男性を確かめようと、
恐る恐る隣のベンチに目をやる…
彼も何かを察知したかのように、
こちらに目を向けた。
「…なんで?なんでいるの?」
「……。」
驚いた目をしながらも、
ただただ笑顔をみせる彼。
「なんで?なんでいるの?」
同じ言葉を繰り返す私。
「久しぶりだね。」
「ノブヒコさん!」
ドラマや映画なら、ここで
駆け寄って抱き合うって感じだけど、
現実はそうはいかない。
おどおどと近寄る。
「まさか本当に会えるとはね。」
「どういうこと?なんで来たの?」
「あの時、言ってたじゃない。
十年後にまたここに来たいって。」
「うん、でも…」
「十年後って、去年だったでしょ。」
「え?去年も来たの?」
「まあね。掃除人に覚えられてたねえ〜、はははは。」
「去年も、十月二十八日に?」
「うん。でもさ、あの時、40歳になったら…とも言ってたし、
それだったら今年でしょ。だから今年も来てみた。」
「ここに来た日、十月二十八日だったって、よく覚えてたね。」
「手帳にさ、休み取った記録が残ってたからね。」
「そっか。知っててくれたんだ。
十月二十八日がここに来た日だったこと…」
「さすがの松尾さんも、40歳のオバサンになったかと思ってたけど、
ちっとも変わらないね。ていうか、また綺麗になったんじゃない?」
「え〜〜〜!うそ!ほんとはガッカリしてるんでしょ、
老けたな〜って。会わなきゃ良かったって…」
「会わなきゃ良かった…、そうかもね、
ますます綺麗になってるとは予想外だったし…
冷静で居られなくなってしまいそうだから、
会わなきゃ良かったかもね。ははは。」
「ノブヒコさん、
まさか会えるなんて…」
「うん。僕も。あの時の言葉、
覚えててくれて嬉しいよ。」
「もう二度と会えないのかも知れないと思ってたから。
だから、ここに一人で勝手に来るだけなら…
ってそう思って。」
「そうだね。僕も。二度と会えないのかも知れないと思ったし。」
日が落ちて暗くなってきて、
寒くなってきた。
目を閉じていてもこれ以上の妄想は広がらなかった。
そう、それは妄想。
私は、ただ一人ぼっちでベンチに座り、
涙を隠すためにうつむいて目を閉じてただけ。
浮かんで来た妄想のシーンは、
あっと言う間に途切れ、
現実に戻る。
遠いあの日の映像なら、
そのまま、まざまざとここに浮かんでくるのに。
過去しか無い、それが現実。
スケジュールの合間をぬって出掛けたものだから、
結局三十分ほどしか滞在出来ず、
そのままそこを後にした。
今度、もう一度、昼間に来て、ゆっくり昼寝して、
想い出にひたりに来たいな。
でもやっぱり、
ここは皆が愛に溢れ過ぎていて、
一人で居るのはかなり辛い場所だ…
帰りのバスを待つ間、
i-Podであの曲を聞いてみる。
彼と私が大好きだった曲。
THIS NIGHT
ボロボロ涙が止まらなくなってしまったけど、
もういいや。
暗くなって、人からも見えないし。
あの時、
別に同じ日に来るとは言わなかった。
十年ぐらいしたら…
でも、
キッカリ十年後とも言わなかった。
40歳くらいになったら…
でも、
ちょうど40歳の年にとも言わなかった。
はっきり約束していれば、
もしかしたら会えたのかも知れない。
でもはっきり約束しなかったから良かったのかも知れない。
今はまだ会えない。
いつか、
死ぬまでに再会して、
昔話をして笑いあいたいね…
でもそれは
まだまだ今じゃない。
この日、港を眺める展望台で見かけた、
二組の男女が目に焼き付いている…
仲睦まじく寄り添う30代と思しきカップル。
その少し離れた隣には、
女性の肩をしっかり抱きしめる男性の手。
男性の胸に身を預けて寄り添う女性。
70歳代くらいだろうか…
年配のこの二人の寄り添う背中を
いつまでもいつまでも眺めていたい気分だった。
第47話『エピローグ』へ続く




