第45話『十年の空白そして…』
千原君とは心穏やかな遠距離での交際が三年ほど続いた。
彼の言ってくれた言葉どおり、
私はただただ彼に愛され、癒された。
私の疲れきった心は、
そうやって愛され癒される安らかな日々に救われた。
でもやっぱり私は人を愛することに疲れていて、
自分が人を恋したり愛したりするという気分にはならない。
でもそれは、自然なことなのかも知れないとも
思いはじめていた。
三十代も半ばになって、
若い頃とは違う、穏やかな、まるで家族愛のような、
そういう男女関係もアリなんじゃないか。
恋だ愛だを感じなくても、それもアリなんじゃないか…
あの酷い家で育った私は、家族愛というものを知らない。
でもこういう感じなのかもな、と思いはじめていた。
千原君との三年間はとても幸せだった。
お互いの生きる場所や生きる方向が余りにも遠過ぎて、
遠距離でまで交際を続けることに段々と違和感を感じ、
ピリオドを打つことにした。
私のことを「人生最後の女」とまで
切々と言っていた千原君なのに、
寄り添い続けてあげられなかった。
私の心がどこかイビツなせいだろうか…
彼に癒された日々に本当に感謝しているし、
彼には幸せになってもらいたいと心から願っている。
その後知り合った石塚さんと交際を始めたのも、
千原君との始まりと同じような流れだった。
石塚さんも『草食男子』ならぬ『植物男子』、
彼が42歳で未だ独身というのは、
仕事が余りに忙し過ぎたせいだけではなく、
とことん『植物男子』だからだった。
そんな石塚さんに愛され、癒されながら日々を過ごし、
私はどっぷりと居心地の良さに浸っていった。
これで良いのかも知れない…
千原君の時も、そして石塚さんに対しても、
<恋愛>という感情は不思議と無い。
私は自分の風穴に鉄条網を目一杯に詰め込み、
恋愛が入り込まないようにすることで安らぎを得た。
男女の恋愛という感情とは違う、
でもこういう家族愛的なものも大人の男女の生き方なのかも。
人を愛することに疲れ果てた。
それも本心だけど、
でも決して諦めや、妥協じゃない。
この穏やかな幸せが、自分の成長のような気もする。
そんな石塚さんとは何でも話した。
私の酷い生い立ちのことも、
過去の恋愛のことも…
「…その高田って人は、所帯持ちだからまぁともかくとして、
筒井君ってのは、その後その彼女と結婚したの?」
「する、するって噂はあるけど、まだしてないみたいね。」
「え!まだ結婚してないの?その二人。」
「みたいだね。」
「別れたの?」
「いや、別れちゃないよ。連名で年賀状来てるし。
ま、長いよね…」
「って、長過ぎない?」
「うん…。私が最初に別れた直後からだから19からとして…
ざっともう十八年とかそのぐらいだよね。」
「それって、璃玖とやり直す約束を待ってるんじゃないの?」
「あははは。もうそれは無いよ。
高田さんの時にハッキリ筒井君に言ったから。
”やっと貴方を卒業した”って。」
「でも…、じゃあなんで彼まだ結婚しないの?」
「さあ。彼女ももう35だし、今さら捨てたら鬼だよね。
まあ、もうすぐするんじゃない?」
「やっぱり璃玖の事を待ってるんじゃない?」
「そんなこと有り得ないってば。はははは…」
「そうかなあ〜…」
「そんな心配しなくていいって。ほんともう昔話だし。
最後に別れてからもうすぐ十年にもなるんだよ。
だいいち、私はもう誰とも結婚はしたくないって言ってるじゃん。」
27の頃再燃していた筒井君との関係。
その後、ノブヒコさんへの想いが筒井君を超えたと感じたあの時、
あの時に筒井君は私にとって思い出になった。
彼とはもちろんずっと逢ってない。
三〜四年前、一度だけ電話で話したことがあったけど、
もう完全に思い出の関係。
石塚さんにツっ込みを入れられるまで、
筒井君が未だに結婚しない理由なんて、
想像したこともありませんでした。
まさか…?
そんなことあるわけない。
今さらもう、たとえ再会しても、
彼と始まることは無いと断言出来る気がする。
だけど、
彼があの後すぐに結婚しちゃってたら…
そう考えると、
今まで長年独身のままでいてくれたことは正直少し嬉しい。
私が原因ではないだろうけれど…
でももう、智子ちゃんも35だもの、
結婚してあげていいよ。
もう私は邪魔しないから…
そんなどこにも届かない独り言を心でつぶやいたりした、
37歳のリクだった。
石塚さんと出会って一年か一年半が過ぎる頃、
私の部屋の契約更新の時期が来て、
引っ越し先を探しはじめた時…
「二人で別々の所に住んでるのは勿体ないよ。
一緒に住めるところを探そうよ。」
石塚さんがそう言った。
「それは嫌!絶対に嫌!私、離婚した時に思ったの、
一人暮らしって本当に最高の幸せだって。
悪いけど、二度と誰とも暮らしたくない。」
そう言う私に石塚さんは食い下がった。
「結婚したくないのは解ってるし、そういうつもりじゃないから。
一緒の家に居たって、お互い好き勝手に暮らせばいいじゃん。」
そう言われても…
珍しく食い下がる石塚さんに私もついに折れ…
「じゃあさ、ルームシェアってことなら良いよ。
共同生活じゃなくて、それぞれの部屋でそれぞれの生活をする。
それと、同じ家に住むけど、結婚に期待はしない。」
「絶対に結婚しないって断言されると
ちょっと悲しいけど…」
「そういう期待があるのなら、
私とは一緒にいない方が良いよ。」
「結婚がしたいんじゃなくて、璃玖と一緒に居たいの。
璃玖といなきゃ意味が無い。」
「結婚はしないよ。同棲でもない。ルームシェアだからね。」
「それは解ったけど、100%断言しないでよ。」
「そりゃ未来のことなんて、
誰にも100%断言出来るものじゃないけど…」
「うん。でしょ。それでいい。」
平成九年の二度目の離婚以来、
頑なにこだわってきた、<誰とも暮らしたくない>という気持ちを、
石塚さんは融かしたのだ。
石塚さんが融かしたのか、
それともここまでに流れてきた八年間という歳月が、
私の心を融かしたのか、
いずれにしても、あれほど一人暮らしに固執していた私には、
我ながら驚きの転換だった。
まさか、また誰かと暮らすことになるなんて…
二度と誰とも暮らすことはないと思ってた。
私たちは平成十七年の十二月初め
新しい家に引っ越しをし、二人で暮らし始めた。
そして年が明け、平成十八年。
新居に沢山の年賀状が届いた。
そこには、運命的とも思える偶然が待っていた。
『結婚しました!』
筒井君と智子ちゃんから連名で届いたその年賀状に、
<結婚しました>の文字。
それもなんと!
二人が結婚したのは先月、十二月の上旬だという。
二度と誰とも暮らさないとあんなに頑だった私が、
石塚さんと暮らし始めたそのまさにまったく同じ時に、
彼等は十八年の長い長い交際から結婚に踏み切っていたのだ。
こんな偶然があるんだ…
運命的とさえ思える程、
まったく同時に、筒井君と私は、人生の方向転換をし、
それぞれのパートナーと新しい生活を歩きはじめた…
おめでとう智子ちゃん…
やっと筒井君の奥さんになれたんだね。
長い間、何度も邪魔をしてゴメンネ。
あれれ?考えてみれば、
私が彼女にゴメンネと言うのは違うのかな?
<リクとやり直すまでの間に合わせ>だという約束で
筒井君と付き合い始めた智子ちゃんが、
結局私から筒井君を奪い取った、ということか…
何度も一緒になろうとした筒井君と私…
いつか必ず一緒になる約束だった。
だけど、
どんな状況にあっても彼を絶対に離さなかった智子ちゃんが、
十八年掛かって筒井君を勝ち取ったのだ。
本当に彼女にはかなわない。
なぜ最後に別れてから十年もの間、
彼が結婚に踏み切らなかったのかは知らない。
だけど十年の空白の末に、彼は彼女と結婚した。
偶然、まったく同時に、私も一歩前に歩いた。
彼等にお祝いの手紙を書き、
エルメスの食器を送った。
ほどなくして、彼女から内祝いの品が届いた。
私が大好きだった陶芸家さんの皿。
偶然だろうか、
覚えていて選んでくれたのだろうか、
それも分からない…
筒井君…
お元気で。
お幸せに…
いつか、
遠いいつか、
同窓会でお会いする日が来るでしょう。
きっとあの頃の男同士のマブダチとして。
第46話『単身赴任、まさかの再会』へ続く




